爽のゲーム2

次にやってきたのは、

美術室の隣にある空き教室。


この教室には、空き教室であることをいいことに、

美術部が資材や資料を一時的に保管している。


言うなれば、

第二美術準備室といったところだろう。


「……何で、ここに?」


話しかける機会をずっと探していた晶が、

疑問ついでに声をかける。


何もせずに殺されることは、

さすがに爽も考えていないだろう――


そう思っていたからこそ、

ここにきた理由が晶には分からなかった。


隠れに来たのだろうか?

それとも、ABYSSと戦う武器を探しにきた?


しかし、美術室にあるのは、

鉄ヤスリくらいしか思いつかない。


「あの……爽? さっきも言ったけれど、

ABYSSに近距離戦は無理だよ?」


「だったら、化学室にでも行って、

硫酸とか手に入れたほうがいいんじゃ……」


超人相手でも通る薬品を手に入れたほうが、

まだ勝率が高いのでは――


そう思っての晶の提案だったが、

爽は何も答えなかった。


晶には目もくれず、備品の山をひっくり返しては、

片っ端から投げ捨てていく。


そのあからさまな無視に晶が戸惑っている最中、

目的のものを見つけたのか、爽の動きが止まった。


爽が手に持ってきたものを見て、

晶が首を傾げる/もう一度まじまじと見る。


「……粘土と、絵の具?」


選択授業の美術で使う、

何の変哲もない石粉粘土と水彩絵の具。


その他に確保したらしいものは、

鉄ヤスリにノコギリといった武器にもならない小道具。


こんなものを、

一体何に使うのだろうか?


そんな晶の疑問の眼差しに、爽は一瞥もくれず、

ただ行動でもって答えを示していく。


粘土の袋を破いて[捏'こ]ね、

できた固まりを床へと無造作に置く。


それを一袋ぶんやり終えたところで――


「えっ?」


捏ねておいた粘土を、

首輪の内側へと手早く付け始めていった。


首輪の内側を、粘土で隙間なく一周させてから、

今度は絵の具で首輪と粘土にまたがって着色する。


「まさか、粘土で首輪の穴を塞ぐ気?」


確かに、首輪はその中に秘める毒針でもって、

生け贄を死に至らしめる。


その穴を塞いでしまえば、

首輪は作動しない道理ではあるが――


粘土では、強度的に

毒針を貫通してしまうのではないか。


晶が心配する目の前で、爽が今度は、

絵画用ナイフで粘土に切り込みを入れ始めた。


切り込みを入れたのは、

顎の前、首の後ろ、耳の下の四カ所。


その切れた部分で四分割にし、

それぞれ形を保ったまま、首輪から粘土を取り外す。


と――


「あっ!」


粘土には、毒針の出る穴が

見事に写し取られていた。


針穴の位置は三箇所――

喉元と首の裏、それと首の横に一つ。


穴の半径は一ミリメートルほどで、

縦位置は首輪の鉛直軸の中央付近だろうか。


それを確認した上で、

爽が今度は竹刀を解体し始めた。


小刀で弦を切り、

剣先にある先革と先芯を取る。


そうして露出した竹材を、先端から三センチほど、

ノコギリを使って切り始める。



その様子を撮影しながら、

晶は、内心で驚いていた。


恐らく、この竹を用いて首輪の穴を塞ぐのだろうが、

作業の手際があまりに良すぎる。


彼の知っている朝霧爽は、

ここまでテキパキと動ける人間ではない。


いや、それ以前に、

首輪を無効化しようという発想が出てくるとは思えない。


そう、これはまるで――


「温子さん……?」


「!?」


途端、爽が淀みなく動かしていた手を止め、

晶のほうへと振り向いてきた。


「あ、いや……」


「ごめん。爽のことを見てたら、

温子さんみたいだって思っちゃって」


まずいことを言ったと思ったのか、

晶が頭を下げる。


そんな彼に、爽は、

何かを言おうと口を開いたものの――


結局、何も言わずに、

再び手を動かし始めた。


五分ほどかけて切り離した長方形の竹材に、

今度は鉄ヤスリをかけて断面を滑らかに。


それを、絵の具と粘土によって割り出した

針穴の位置にセロテープで固定する。


さらに、テープで固定した上から、

ビニールテープでぐるぐる巻きにして――完成。


竹は繊維が密集しており、

強度が高く、穴あけが非常に難しい。


ただ針を押しつけるだけでは到底穴など開かないため、

ビニールテープだけでも十分に針は止められる。


首輪殺しとしてはやっつけ仕事に見えるが、

その実、とても理に適ったものだった。


そして、この作業が完了したことによって、

温子の破れなかった壁を破ることができるようになる。


温子は、それが高確率で失敗すると分かっていながらも、

チェックポイントに火を放つことを選んだ。


そして、予想通り失敗して殺された。


では、どうすれば勝てたのだろうか?


生け贄側のクリア条件であり――

ABYSS側の敗北でもある条件は、三つ。


人質の救出、チェックポイントの踏破に、

ABYSSの殺害だ。


当然、ABYSS側は敗北しないために、

それらの条件達成を阻止しなければならない。


しかし、実はもう一つ、

ABYSSにとって防ぎたいものがあった。


“ABYSSの存在を世間に露呈させること”


学園という日常に密接した空間で儀式を行う以上、

これは防ぐのが極端に難しい問題でもあった。


それを解決する手段として、

ABYSSは二つの防衛ラインを引いた。


一つは、首輪。


外部に連絡を取る、外部に漏れる規模で立ち回るなど、

生け贄が暴走しかけた時に即座に命を奪う装置だ。


そしてもう一つは、撮影係。


仮に首輪が不具合により機能しなくとも、

撮影係がすぐさま生け贄を殺すことで、漏出を防ぐ。


この二つに、外部からの異常の監視が加わって、

ABYSSの儀式は外に漏れることなく行われていた。


逆に言えば、この二つの抑止力がなければ、

生け贄は自由に立ち回ることができる。


ABYSSが最も防がなくてはいけない、

外部への露見を狙った行動ができる。


それこそが、隠された四つ目の勝利条件であり、

朝霧爽の目指すルートだった。


もちろん、姉を模倣している爽が実行している以上、

温子もこのルートは気付いていたに違いない。


だが、それを実行するには、

首輪と撮影係の両方を機能停止が必須となる。


より厳密に言うのであれば、

傍にいる撮影係を排除する必要があった。


さもなくば、温子が首輪に手を出し始めた時点で、

撮影係は問答無用で殺しにかかるだろう。


しかし、非力な生け贄では、

ABYSSたる撮影係は排除できない。


そんな事情により、温子は、

首輪を殺す案は破棄せざるを得なくなり――


ごく低い勝率と理解しながらも、

小規模な火を放つしかできなかったのである。


その点、爽は幸運だった。


撮影係が笹山晶だったおかげで、

つつがなく首輪の処理を完了。


命の危険に頭を患わせることなく、

今後の用意をしていくことが可能となった。


ただ――


爽としては、

その幸運は腑に落ちないものだった。


「……」


爽が、傍らの仮面を横目で窺う。


笹山晶を撮影係として寄越したこと自体は、

高槻良子の嫌がらせで間違いないだろう。


昨日までは友達だった二人が、ついさっき、

他言するのも憚られるような加害者と被害者になり――


今度は、顔も合わせたくないはずの状況にも関わらず、

殺す側の撮影者と殺される側の生け贄になる。


この日まで一年半かけて積み上げてきた信頼が、

たった一日で大暴落するのだ。


悪趣味を好んで食べる人間からすれば、

こんな美味しい見世物は他にはない。


その期待に応えるのは癪だったが、

爽は晶と言葉すら交わす気がなかった。


口を開いたら、

また涙が零れてしまいそうな気がしていた。


その結果として殺されたとしても、

それはそれで仕方がない。


大切だったものが何もかもなくなった今、

何もかもを壊すつもりで爽はゲームに挑んでいた。


だが、そういった覚悟で首輪を停止にかかっても、

晶は爽を殺してこようとしなかった。


他のABYSSから、

指示が出なかった可能性もある。


事の重要性を把握していない可能性もある。


だが、もし指示があったとしても。

事態を把握していたとしても。


果たして、彼は[爽'じぶん]を殺しにきただろうか?


そんな疑問を胸の内に秘めながら、

爽が次なる目的地を目指す。


行く先は、化学室――





「今度は何する予定なの?」


「僕は何をしたらいい?」


「アルミ缶を削るの? 僕も手伝うよ」


「もし、他にも力が必要だったら、

言ってくれればいつでも貸すから」


アルミ缶をかき集め、鉄ヤスリで削っている間にも、

晶は爽にこまごまと話しかけてくる。


最初は話しかけるなと不快を顔に出していたが、

ここまで来ると渋い顔をするのも面倒臭い。


反応せず、ただ無視だけを決め込んで、

爽は自分の作業を黙々と進めていた。


幸いなのは、

晶は加減を分かってくれることだ。


適度に――本当に過不足なく話しかけては、

邪魔にならない程度で沈黙してくれる。


絶妙なその具合は、さすが佐倉那美に

一年半も付きまとった男だと爽に思わせるものだった。


その結果が実っていないのは、恐らく、

那美も[爽'じぶん]と同じような目に遭わされたからだろう。


一緒にいた時間は那美のほうが長いことを考えると、

あるいはもっと酷いことをされた可能性もある。


だとすれば、笹山晶という人間は、

とんでもない極悪人なのだろうか?


「……」


手を止め、

改めて考え直してみるも――


爽にはやはり、

晶が悪人だとは思えなかった。


そんな極悪人であれば、那美のことも爽のことも、

欲望のはけ口にした後に消してしまえばいい。


今はまさに、

おあつらえ向きの状況だろう。


けれど、晶はそうしようとしない。


何度も何度もコミュニケーションを取ろうと

話しかけてくる。


爽のやっている作業を、

邪魔にならない範囲で手伝ってくる。


彼がABYSSなのは疑いようもないし、

爽に許されざることをしたのも事実だが――


今の彼の態度は、

普段からよく知る笹山晶そのものだった。


ならば何故、さっきの彼は、

あんなABYSSらしい行為をしてきたのか。


何故、姉の温子を儀式で殺したのに、

それを教えてくれなかったのか。


言い逃れできないほどの証拠を前にしてなお、

必死でABYSSであることを否定したのか。


「あ――」


「ん、なに?」


口から出かけた質問を飲み込んで、

爽が逃げるように視線を手元のビーカーへと移す。


直接聞いても、

自分が納得できるとは思えなかった。


ただ、爽自身の想像も、

真実から遠いものになりそうな気はしていた。


公平に判断を下すには、

あまりに近づきすぎている。


心も、体も。





それから、

着々と準備を整えつつ――


爽は、色々なことを考えた。


ABYSSのゲームのこと。姉のこと。母親のこと。

そして――晶のこと。


手元の材料から推測を重ね、溢れそうな感情を押さえ、

なるべく冷静に、建設的なことを考えた。


そうしてようやく、

一つの答えを出した。





「晶」


「……」


「おい」


「……えっ?」


ビデオカメラ越しに名前を呼ばれたことに気付き、

晶は慌てて爽の顔に目をやった。


が、爽はDVDプレイヤーの分解を続けながら、

晶に目も向けようともしない。


呼ばれたのは気のせいだったか――


そう思い、再びビデオに目を戻そうとしたところで、

爽はようやく、晶のほうへ顔を向けた。


その目は、怖いくらいに鋭かった。


「一つだけ言っておくから」


「……なに?」


「あたしは絶対許さない」


「……」


「じゃあいいやって思うなら、

あたしのこと殺して終わりにしてよ」


「そんなの……するわけないだろ」


「爽が許さないのは、それでいい。

僕も、許されないと思ってる」


「でも、僕が許されないことと、

僕が爽のために何かをしたいと思うことは繋がってない」


「何それ」


「爽が辛い目に遭うのは嫌なんだ」


「晶がそれ言う?」


「……僕が言わなきゃ、

この状況じゃ誰も言わないだろ」


「爽を他の誰かに託せる状況で、

爽自身もそれを望むなら、それでいいよ」


「でも、今のこの状況だと、

爽のために動ける人間は僕しかいないんだ」


「僕が動くのは、償いとかじゃない。

だから、爽は僕を許さなくていい」


「僕が動いたことで許してもらえるならいいけれど、

許してもらうために僕が動くのは、違うと思う」


「じゃあ、何で動くの?」


「大事な友達だから」


「……!」


「爽からしたら、

僕はもう友達でも何でもないかもしれない」


「僕からの一方通行どころか、

きっと憎まれているんだろうけれど――関係ない」


そう言って、

晶は仮面を外し――


「嫌でも助ける」


真摯な瞳と肉声で、

爽に対して静かに宣言した。


しばらく振りに見たような気がする、

彼の顔だった。


「……勝手にすれば」


「勝手にする。ごめんね」


「謝んな」


最後は顔も見ずに呟いて、

爽が備品のDVDプレイヤーの解体を再開する。


その内心では『これでやることはやった』と、

大きく息をついていた。


晶のことは、

どうしても許せなかった。


けれど、あと一時間後には、

校内を徘徊しなければならない。


どうしても、ABYSSと偶発的に遭遇した際の

保険が必要だった。


真っ先に思いついたのは、

ABYSSに対抗できるだけの力を持つ晶。


他にも幾らか手は考えたものの、運と相手任せであり、

対策というよりは気休め程度のものでしかなかった。


やはり、多少雑に扱っても用を為す、

確実性の高い対策が欲しい。


となると、心と実利を切り離して考えれば、

晶という強力な駒を利用しない手はなかった。


それ故に、口を利いた。


許してもらえるかもと、

勘違いさせたかもしれない。


口を利いてしまったことで、

自身の中に許してしまう隙を作ったかもしれない。


それはそれで、

仕方のないことだと爽は思った。


どうせ、この唐変木は、

許されるまで通い続けてくるのだ。


それを考えれば、ここで多少相手にしたところで、

誤差にしかならないだろう。


そう考えた時に――

爽はふと、温子のことを思い出した。


もしかすると自分の姉も、晶が毎日通ってきていた時は、

こういう気持ちだったのかもしれない。


何だかんだで、やっぱり双子なんだなぁ――と、

爽は晶に見えないように笑った。


それから、目元を拭い、

半田ごてを手に姉の模倣を再開した。


憂いは消えた。

後は思い知らせるだけ。


朝霧温子は、ハンデさえなければ、

お前らなんか楽勝で殺せるのだと。


ABYSS如きに、

負けるようなことはなかったのだと。





――かくして、全ての用意が調った頃には、

午前の三時を大きく回っていた。


思ったよりも時間はかかったが、

ここまで漕ぎ着ければ後は始めるだけだ。


かき集め、点々と廊下に設置したカーテンやら本やらに、

爽が次々と火を付けていく。


同時に、火の側の壁際、目立たない場所へと

ペットボトルを設置。


そこに、学園祭用に購入していたドライアイスと

冷してあった無水エタノールを入れた。


そうして、

ペットボトルの蓋を閉める。


過去に温子が実験した時のデータを参考に、

ペットボトルの選定と温度、各種投入量は調整済み。


敵が動き出すだろう時間を見極め、

どれかに引っかかれば幸いと片っ端から仕掛けていく。


そうこうしている間に、

時刻は三時四十分を迎え――


放送が、始まった。





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