絶望と祝福2


瞬間、リョウコの頭を、

稲妻のような思考が駆け抜けた。


「ぶ、部長が、――ゲホッ!

生贄が女の時は参加しないのって、もしかしてッ!」


「んんー、イイ勘してるねぇリョウコちゃん」


「ちなみに、鬼塚も部長のところに行ったが、

結構可愛がられてたぜ?」


「ま、お前の弟ほどじゃねぇけどな」


「……っ!」


リョウコの頭が沸騰する。


ぼやけていた目の前が急に鮮やかになり、

体中の痛みが熱に変換されたように全身に力が滾る。


そして思い出す――

どうして、自分はこんなところで寝ていたんだろうか。


早く、弟のところへ行かなくてはいけないのに。


「離してっ!

どいて、お願いぃっ!」


「おぉっとぉ、やっぱ元気の出るツボだったな!

また活きがよくなった!」


「お願……いッ!

お願いだから、どいてよぉッ!」


「ばーか、誰がどくかっつーの!」


副長が、自身の下でもがく少女をあざ笑う――

まだ比較的無事なリョウコの右半身を殴りつける。


痛みに呻くリョウコ/だがさらに暴れる

/副長の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。


その拍子に、彼女の制服のポケットに入っていたものが、

ぽろりと零れ落ちた。


「ん? そりゃあ……」


「あ――」


それは、ラピスから渡された

もう一つの切り札だった。


そう、まさに今、

彼女が縋り付くことのできる最後の希望――


「ダメ……っ!!」


副長の伸ばした手を押し退け、

リョウコは迷わずその薬に飛びついた。


執拗に殴られていた脇腹が激しく痛んだが、

そんなのには構っていられなかった。


今これを逃してしまっては、

弟とは二度と会えなくなる。弟を助けられなくなる。


だから、死んでもこの希望は守る――


そんな悲壮なまでの覚悟で確保した薬を、

少女は迷わず口に放り込んだ。


勢い余ってカプセルを噛み砕いてしまい、

口の中に冷たい液体が広がる。


胃液と血の臭いで、味などまるで分からなかったが、

それでもどうにか嚥下した。


――果たして、異変はすぐに訪れた。


「……え?」


まず、彼女の身体を支えていた、

肘の力が抜けた。


続いて、腹筋に力が入らなくなり、

身体を起こせなくなる。


「あれ? え……?」


それら自身の異変に気付き、

慌てて手を上げようとする。


が、右手に着けっぱなしだったナックルダスターが重く、

それすら出来なくなっていた。


遅れてやってきたのは、鋭い痛み。


殴られた箇所がどんどん痛み出し、

本人の意図するところとは関係なく悲鳴が漏れ始める。


そんな目の前の少女の様子を、

副長が仮面越しに下卑た瞳で見下ろし――


やがて、肩を震わせて笑い出した。


「いやいや、何を隠し持ってるのかと思いきや、

まさか“ダイアログ”とはねぇ!」


「誰がくれたのかは知らねぇが、

随分と面白ぇことするヤツがいたもんだ!」


「おも、しろい……?」


「おバカなリョウコちゃんに教えてやるとだな、

“ダイアログ”は組織の作った即効性の媚薬なんだよ」


「飲んだヤツは、俺の知ってる限りじゃあ全員、

淫乱メス豚になっちまってるのさ!」


「う、うそ……!?」


「嘘じゃねーよ。ほら、力が抜けただろう?

敏感になってきただろう?」


「もうお前の身体は、処女の分際で、

薬中の娼婦並みに淫乱になっちまってんだよ!」


「そんな……」


「信じられねーってか?

んじゃ試してやるよ」


副長が手を伸ばし、

少女の体を鷲掴みにする。


「――ふあぁっ!?」


途端、少女の口から未だかつて出たことのない声が零れ、

感電したかのようにその体がびくりと震えた。


「うひゃはひゃひゃ!

ほれ、どうだ? ほれほれ!」


「あっ、ああぁっ! 

いやっ、やめてお願いだめぇっ!」


副長の指が胸に食い込むたびに、

リョウコの体がくねる/のたうつ。


強制的に未知の快感を与えられるという悦びと驚きに、

少女の心と体が悲鳴を上げる。


しかし、副長は面白がって行為を繰り返す――

悲鳴さえ喜悦で塗り潰されそうになる。


その恐怖に泣きながら耐えつつ、

少女は必死でラピスのことを考えていた。


あのアーチェリーの仮面まで引き受けてくれた少女が、

どうして媚薬なんて渡してきたのだろうか。


最後は楽に死ねるように?


それとも、最初から騙していた?


様々な答えが浮かんでは消えていく中、

全身の感覚だけがどんどん鋭くなっていく。


副長の手が胸元から離れても、

未だ生温い空気に包まれているようで気持ちが悪い。


身体も徐々に熱を持ってきたのか、

全身から汗が噴き出しているかのように感じる。


中でも特に、下腹部の疼きは、

腹の中から焼かれているかのように酷かった。


それら、重度の熱病に浮かされたような体調に

意識が朦朧とする中――


リョウコはふと、

場違いな電子音を耳にした。


「ん……ぁんだ? 部長か?」


副長の持つ携帯の着信音だった。


恐らく、並みの相手なら無視をしたのだろうが、

部長の場合はそうはいかない。


面倒臭そうに舌打ちしながら、

副長が携帯電話を耳に当てる。


「もしもし……え? ああ、そうです。

今いますよ、俺の下に」


ちらりと、仮面の下の瞳がリョウコを映す

/そのまま幾つかの相槌を繰り返す。


「了解しました。

伝えておきますよ、んじゃ」



「リョ・ウ・コ・ちゃ~ん!

超絶素晴らしい朗報だぜ!」


「お前の弟――良都だったか?

そいつ、たった今死んだってよ!」


「――え?」


「部長が文字通り、死ぬほど可愛がったっつーわけだ!

いや~、残念だったな! ひゃははははははっ!」


「う、そ……」


「バーカ、嘘なわけねーじゃん!

お前の弟はたった今、部長に殺されちまったんだよ!」


「いやー、かわいそーになー。

お姉ちゃんの助けをずっと待ってたんだろうなー」


「なのにお姉ちゃんは、ここで俺に組み敷かれて、

ぐしょぐしょになってるっつーわけだ!」


「うそッ!!」


全身に走る痛みと熱さを忘れて、

リョウコが叫ぶ。


「嘘、嘘、嘘、ウソウソウソッ!

ウソよッ! ウソなんでしょ!? ウソに決まってる!」


「良都が死んだなんて、

そんなのウソに決まってるんだからっ!」


「おいおい、今さら叫んだって無駄だっつーの。

お前の弟は死んだの。分かる?」


「ウソッ! 良都は死んでなんかいないッ!

絶対に死んでない!!」


「だって……だって良都は、

私が助けるんだから!」


「うっせーんだよバカ。

現実見られるように一発くれてやろうか?」


副長がこれ見よがしに拳を振り上げる。


しかし、リョウコの悲痛な叫びは

止むことを知らない。


脅しに屈せず、殴られてもひたすらに、

弟の無事を叫び続ける。


「あーうっせー、分かった分かった。

面倒くせぇけどもう一回部長に繋いでやるよ」



「あーもしもし、部長ですか?

ちょっと生贄の件で……」


あまりにしつこいことを告げると、

電話先の女性はあっさりと、証拠を示すと言ってのけた。


そして、その証拠を示すために、

リョウコに電話を代わって欲しいとも。


「つーわけだ。ほれ、電話」


半ば狂乱したような血走った形相で、

少女が電話を受け取る。


それを、燃えるような痛みに耐えながら耳に当てると、

ギリギリ、ボリと、聞きなれない音が聞こえてきた。


その何かを千切るような音に、嫌な想像を抱きながらも、

少女は『もしもし』と話かける。


「……もしもし?

聞こえますか、タカツキリョウコさん」


「な……なんですか、この、」


「音――ですか? えぇ、あなたの弟さんに、

電話口に出てもらおうと思いましてね」


「ですが、弟さんは、

ちょっと永遠に喋れない状態でして」


「は――!?」


「ですから、せめて弟さんだったものの声だけでも

聞かせてあげられればなと」


「望みは薄いですが、今、ちょうど首をもぎ終えたので、

上手く声帯の方へと空気を送り込んでみま――」


「いやあああああぁあああああっ!!」


それ以上は聞くに耐えず、

リョウコは受話器を投げ出した。


僅か数秒の会話だったが、

その先にあった地獄を――


地獄に埋もれた弟を、

嫌というほど実感できた。


弟の死を、

受け入れざるを得なかった。


「いや……いや、いやぁ……」


「ようやく弟くんが死んだのを

理解できたみてーだな」


「ったく、さっさと信じろよこのバカ!

俺の携帯をブン投げやがって!」


副長が、少女の顔を殴りつける。


が、あまりのショックに

放心状態だったのか。


リョウコは軽く目を動かした程度で、

それ以上の反応は見せなかった。


「……チッ、こうなったらお終いだな」


「ま、部長にはさっさと撤収してこいって言われたし、

もうそろそろブッ殺すか」


「お、そろそろシザーマンタイムですね」


「おうよ。最後はダルマって思ってたが、

時間もねぇから首をすっぱりといっちまうか」


リョウコを嬲っていた時の高揚はどこに行ったのか、

酷く落ち着いた様子で副長が大鋏を手に取る。


それから、鋏を逆手に持ち替え、

その刃を左右に広げる。


「さぁて、最後は派手に散ってくれよ?

まあ、首を斬る以上は、派手に血は散るんだけどよ」


また部長に怒られちまうけどな――と、

広げた刃をリョウコの首の横まで下ろした。


後は、開いた刃を閉じるだけ。


「じゃあな、タカツキリョウコちゃんよぉ」


副長が仮面の下で笑みに顔を歪ませる。


それを、少女はぼんやりとした瞳で見つめ――


その心の内で、

目の前に迫る死とは別なことに浸っていた。


それは例えば、

良都と過ごしたかけがえのない思い出。


彼女が小学生の頃、

弟はいつもリョウコの後ろをついて回っていた。


見えなくなると、

それだけで泣き出してしまっていた。


少女の友達が自宅に遊びに来ていた時は、

様子が気になって、何度もお茶を運びに来ていた。


少女が進学してからもそんなことが続き、

男の子にしては心配なほど姉にべったりだった。


全てが微笑ましくて、例え裕福な暮らしではなくとも、

そこにはささやかな幸せがあった。


それが、今日という日に突然、崩れた。


いきなり浚われてきて、お前は人質だと言われた時、

果たして良都はどう思っただろうか?


どうして浚われたんだと、

リョウコを恨んだだろうか?


それならばまだ、彼女は自分を許せる。


だが、激痛に苛まれ泣き喚き、

失禁したとしても――


それでも姉の助けを信じていたならば――


絶対に許すことはできない。


不甲斐ない自身を/理不尽な相手を。


許せない/赦されない。


自身も、部長も、副長も、

この目の前で撮影している仮面も。


何もかもを――許せない。


絶対に、絶対に許せない。


良都は、絶対に赦してくれない。


だから――


赦してくれないから――


許せないから――


殺す。


殺してやる。


殺してやる。


自分も、部長も、副長も、その他全ての仮面も。


みんなみんな殺してやる。


みんなみんな、

良都と同じ目に遭わせてやる。


殺してやる。


殺してやる。


じぶんを。


副長こいつを。


必ず、殺してやる――!


「あぁあああああああああああぁーーっ!!」


瞬間、金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り――


副長の持っていた巨大な鋏が、

その手を離れて宙を舞った。


「……あ?」


何が起きたか分からずに、

宙に浮く鉄の塊を目で追う副長。


その視界が、

突然のガラスが砕けるような音と共に黒くなった。


そこから遅れて走る痛み。痛み。


「い……ぎゃあああぁあああっ!」


副長が、

割れた面を押さえてのた打ち回る。


目に仮面の破片が入ったのか、

それとも鼻血が出たのかは分からない。


ただ、手で押さえる面の中央には、

新たな赤い紋様が浮かんでいた。


「はあぁあああ、ひぎぃいいいいいっ!!」


なのに、そこまでの異変が起きていながら、

彼は一分いちぶたりとも状況を理解できていなかった。


鋏が宙を舞ったのも、目に激痛が走った理由も、

全くもって分かっていない。


なぜ?

何が起こった――!?


自問する彼の前に、

一つの靴が振ってきた。


「あ……?」


膝立ちになって、見上げる。


そこにあったのは、茶色い皮靴。


紺色のソックス。


紫色に腫れ上がった足。


体液に濡れたプリーツスカート。


血染めの白いブラウス。


ほどけた赤いリボン。


そして――


「――殺してやる」


タカツキ、リョウコ。


「がっ――!?」


ナックルダスターを着けた右腕が/骨折している左腕が、

何度も何度も副長の顔に降り注ぐ。


仮面などとうに砕けたが、その破片の上からも

容赦なく少女の拳が叩きつけられる。


副長を殺すように――自身を殺すように。


ただひたすらに、全てを亡くすために、

償いのために、その腕の限りを振るい続ける!


「ああぁああああああああああぁぁーーーーっっ!」





「――あ」


ふと、少女が我に返った。


気が付けば、

部屋に立っているのはリョウコ一人だった。


他にあるのは、最後のチェックポイントのカードと、

元がなんだったのかさえ分からない肉の塊だけ。


どれだけ時間が経ったのだろう。

いつの間にか雲も飛び、空には月が燦然と輝いていた。


「ゴール……しなきゃ……」


ふらふらと歩き――歩こうとして、

上手く歩けないことに気が付いた。


見れば、彼女の身体は

無事な部位がほとんどなかった。


右手はひしゃげ、左手は指があちこち凹んでおり、

身体や足はどこを触っても痛い。


顔は腫れ上がり、どこもかしこも赤かったが、

下瞼の辺りだけが白く粉を吹いていた。


けれども、それでもどうにか歩けるやと、

少女は再びカードへ向かって歩き出す。


「取った……」


これで、全てのチェックポイントを回った証である

五枚のカードが揃った。


つまり、タカツキリョウコの

ゲームの勝利だった。


だが、少女には感動などちっともなかった。


そもそも、

彼女がこのゲームに勝とうとしていたのは――


「はい、よく頑張ったねタカツキさん」


と、窓側から突然、

祝福の言葉と拍手の音が聞こえてきた。


その聞き覚えのある声に、

少女がゆっくりと振り返る。


「……ラピスさん」


「お疲れ様。

これでチェックポイントは全て回ったんでしょ?」


「はい……いつからそこに?」


「タカツキさんが、

小汚い肉の前でボーっとしてる時から」


「まあ、その格好を見る限り、

かなり頑張ったんだとは思うけどね」


「……まあ、それなりに」


危なげにふらつきながら、

リョウコが首を縦に振る。


「もう、ゆっくり休んでいいよ。

すぐに医者も呼んであげるから」


「いえ……」


「そう言わずに休んだほうがいいよ。

本当なら、立ってるだけでも危ない負傷なんだから」


「それとも……もしかして、

弟さんのこととか気にしてるの?」


「だとしたら、

それは間違いだと思うよ」


「……どういう意味ですか?」


「タカツキさん。キミはね、

誰がどう考えても最善を尽くしたんだ」


「自分の手だって汚したし、

他人にだって頼れるだけ頼った」


「その結果がこれなら、もうそれ以上なんて望めないし、

望んじゃいけないんだよ」


「望んじゃ……いけない?」


「そう、望んじゃいけない」


かつんかつんと、遊ぶように靴音を響かせながら、

ラピスがリョウコの目を見据える。


「それ以上を望む時はね、

周りの人を不幸にしないといけないんだよ」


「過ぎた望みは、

周囲に頼ってしか手に入らない」


「だって、当然でしょ? 最初に持ってたのが三なら、

普通は手に入れられるのは三だけなんだよ」


「今回は、七を持っている鬼塚から二を借りて、

二人とも五で終了できたっていうだけ」


「でもこれって、

凄く理想的だと思うんだけどな」


「それとも、タカツキさんは鬼塚から七を奪って、

十にしたい感じかな?」


「……いえ」


「そうだよね?

だったら、それ以上は望んじゃいけないよ」


「向上心を持つなって

言ってるんじゃないよ?」


「ただ、今回は三しか自分で用意できなかったんだから、

それでやりくりしようよってこと」


「今後、似たようなことがあって十を用意できるなら、

その時は一生懸命頑張ればいいさ」


タクトを振るように指を回してから、

ラピスがにっこりと笑う。


それを見て――ではないが。


受けた説明に納得のいった生け贄の少女は、

初めて、意識が戻ってから笑顔を見せた。


「……そうですね。私、頑張ります」


「そうそう。その意気だ」


「というわけで、その時のために、

今は休んだ方がいいと思うよ」


「……はい。

それじゃあ、お言葉に甘えて」


頭を下げ――部屋の隅にあったパイプ椅子に腰をかけ、

リョウコがふぅと細く息を吐く。


思い返しても、失ったものは大きかった。


ただ、全部失うことはなかった。


それ以上を望むことができないならば、

自身が頑張るしかない。


贖いはこれからの行動の中にある。


そう信じて、少女は胡乱な視界をそっと細めつつ、

最後に壇上の少女を見上げた。


「あぁ、そういえば、

まだしっかりと言ってなかったね」


「……何をです?」


「決まってるじゃない」


閉じ行く瞳の中で、黒衣の死神が

少女らしいあどけない微笑みを浮かべる。


「――おめでとう。

キミの勝ちだよ、タカツキさん」


■この続きの物語は、完結篇~序~ 第1部「後日譚 -prologue-1」に続きます。

初めて読んでいる場合は「温子篇」に進むことをお勧め致します。



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