絶望と祝福1


暗い廊下を、

一人の少女が歩いていた。


少女の名は、タカツキリョウコ。


本名ではないが、この場の全員が少女をそう呼ぶ以上、

それが彼女の名で間違いはなかった。


その偽りの名を持つ少女が、

黒い死神と分かれたのは、つい二十分ほど前のこと。


誰に頼ることもできず、独力のみで

怪物の蠢く校舎を歩くことになったのだが――


意外にも、

少女はクリアに着々と近づいていた。


理由は簡単。


クリアの障壁となる仮面との遭遇が、

一人になってからはゼロだったからだ。


五つあるはずの仮面の一つ――鬼塚は少女の味方であり、

二つ目の部長は女が生贄の場合は動こうとしない。


三つ目のアーチェリーはラピスが押さえているため、

残るは二つ。


副長と、まだ見ぬ男子部員である。


先の嫌な体験から、副長の面を思い出すだけで、

少女の内に怒りと恐怖とが渦巻く。


それでも、クリアが着実に近づいていることを思えば、

何とか前へ進む勇気をは絞り出すことができた。


「……ここだ」


そうこうしている間に、

リョウコは四つ目のチェックポイントへ到達。


中に入る前に耳をそばだて、

室内の様子を伺うことは忘れない。



部屋に入るとすぐに、

チェックポイント通過の証――カードが見つかった。


これで、四枚目。


残る一枚を取得すれば、

それで全てが終わってくれる。


ゲームをクリアし、弟と再会できる。


その瞬間を想うだけで、気が逸った。

大声で笑って、幸せに転げまわりたい気分だった。


が、その気持ちをぐっと飲み込んで、

カードを手に取り、制服の左ポケットへと大切にしまう。


それから、他には何もないことだけを確認して、

少女は部屋を後にした。


そして、最後のチェックポイント、

校舎三階隅の教室へと足を向ける――





……最後のチェックポイントへの道中も、

ABYSSの部員に遭遇するようなことはなかった。


トラブルは、月が雲に隠れて視界が暗転し、

一時的に立ち往生を余儀なくされた程度。


それも、空に点る僅かな星明りと街の残り火のおかげで、

どうにか乗り切ることができた。


後は、最後のチェックポイントのカードを

手に取るだけ。


これさえ済めば、少女は開放される。


期待と緊張とで高鳴る心臓を宥めつつ、

室内の様子を伺う。


少なくとも、

話し声のようなものは聞こえない。


ならば――とドアの隙間から中を伺おうとするものの、

明かりが足りずよく分からなかった。


月が出るまで待つか否か。


この長い廊下に留まっている時点で、

彼女にリスクを背負っている自覚はあった。


こんなところで出くわしたら――

いや、出くわすだけならまだいい。


問題は、敵だけがリョウコを発見している場合だ。


仮に、その敵がアーチェリーの仮面であったならば、

彼女は遠くから狙撃されて果てることとなる。


他の仮面でも同様で、月明かりがなく視界が不鮮明な今、

気配を消して近づかれても全く分からない。


「……行こう」


覚悟を決めて、

リョウコが教室の中へと踏み込む。


安全と言う確証がないが、

やれることは全てやったんだということを拠り所として。





「――やぁやぁ、お嬢さん。

またお会いしましたねぇ」


そんな彼女を、絶望が出迎えた。


少女の頭が一瞬で真っ白になる。


何で、よりにもよってこの男が、

よりにもよってこの場所にいるのか――


「あぁん? 何でもクソもねぇだろうが。

すげー単純な話だぜ?」


「誰かを待ち伏せしたことはねぇか?

ブッ殺してぇ奴でも告白したい奴でも誰でもいい」


「そいつを待ち伏せする時に、

お前はどこで待つんだ? あ?」


誰かを待ち伏せする場所――


自分ならどうするかと考えたところで、

少女の顔が強張った。


「ひゃははは!

そーそー、賢いねぇタカツキリョウコちゃん!」


副長が、仰々しく手を叩く。


「獲物がチェックポイントを回るって分かってんなら、

そこに罠をしかけちまえばいい」


「獲物はクリアに近づけば近づくほど、

希望って調味料を自分で振りかけてくれるからな」


「確実に引っかかるし、旨みも出てくる。

一石二鳥だと思わねぇか? なぁ?」


「そ……そんなの、ずるいっ!」


「えっ、どこが?」


「どこがって……チェックポイントで待ってるなんて、

卑怯じゃないですかっ!」


「おいおい、人を卑怯呼ばわりたぁどういうことだ。

それとも、待ち伏せ禁止って部長に説明されたのか?」


「そ、それは……」


「されてねぇよなぁ? まあ当然だ。

んなルールははなからねぇんだからよぉ」


「つーかよ、チェックポイントに武器がない時点で、

先回りして回収されてんだって気付かねぇかなぁ?」


「その時点で、チェックポイントに

ABYSSが出入りしてるって分かんだろ」


「あ……」


言われてみれば、確かにそうだ。


少女は気にしていなかったが、

チェックポイントの武器は鬼塚に説明を受けていた。


だが――そんなヒントがあろうと無かろうと、

クリアするにはチェックポイントに行かざるを得ない。


予測の可否に関わらず回避不可能な罠に、

少女は強い理不尽を感じていた。


「わぁお! いい目だなぁオイ」


「んな目をしてるなら、当然逃げるねぇよな?

正々堂々一対一で、俺とバトってくれるんだよな?」


「あ、ちなみに武器は何でも使っていいぜ!

ナイフだろうがどーぞお好きに! 持ってたらな!」


「っ、このっ……!」


「――ああ、あとさ、

リョウコちゃんに武器を解禁してやるから、俺も解禁な」


「……は?」


いきなり未知なる言語を耳にしたように

眉根を寄せるリョウコ。


そんな彼女を嘲笑いながら、

副長が背後に手を回す――無骨な鉄の塊を取り出す。


それと同時に、

少女の目が普段の倍と思われるほどにまで見開かれた。


全長が一メートルほどあろうかというその物体は、

金属バットなんていう生易しいものでは決してない。


それは、鋳型より外形を作り出し、

要所に磨き上げた刃を鍛接して作られた凶器――


「はさ、み……!?」


「そうだそうだ。

んー、やっぱり賢いねぇタカツキリョウコちゃん」


拍手でたたえるように、

シャキシャキと鋏を鳴らす副長。


その、冗談ではない音に、

リョウコの顔から一気に血の気が引いていく。


「最高だろ、コイツ? 切れ味も結構あって、

腕や首なら素人でも簡単にイけるんだぜ?」


「まあ太股辺りまで来ると、多少は練習が必要だ。

胴体は俺様じゃねぇと無理だけどな」


「あぁ、きちんと手入れはしてあるから、

切れ味とかは心配しなくてもいいぜ? ひゃははは!」


掲げられた鋏におののき、

リョウコが一歩後ずさる。


「おぉっとぉ、逃げるか? 逃げる気か?

逃げられると思ってんのか?」


副長が、リョウコが引いた一歩分だけ

間合いを詰める。


「待ち伏せするってことはよぉ、

逃がさねぇ準備もしてるってことなんだよ」


「なー、ヤマっちー?」


「ヤマ……っち?」


首を傾げるリョウコ。


が、すぐに副長が自身の背後を見ていることに気付き、

慌てて後ろへ振り向いた。


「あー! いいねいいねその顔!

思わずアレしちゃうねぇー!」


副長とは別な仮面。


その手にあるデジタルビデオカメラを見て、

少女は一瞬、それを鬼塚なんじゃないかと思った。


が、すぐに仮面の模様が違っていることに気付き、

喉まで出かけていた名前の腹の中へと飲み込んだ。


「部屋のど真ん中に俺が座ってたからって、

他に誰もいないなんて思っちゃダメだぜぇ?」


「周りには気をつけましょうだ。

なぁリョウコちゃん」


「いやぁ、今さらじゃないですかねぇ副長?

ABYSSに勝とうと思ってる子猫ちゃんですし」


「まーアホな子はアホな子で、

被写体としてはアレできるんですけどね、ひひひ」


「盛りすぎだぜ、ヤマっち。

何でもかんでも欲情すりゃいいってモンじゃねぇだろ」


部屋の奥と入り口とで行われるやり取りに、

少女の鼓動はひたすら高鳴りっぱなしだった。


何しろ、理解不能なのだ。


何が面白いのかも/二人が笑っている意味も

/勃起をするという理由も分からない。


ただ……分かっていることは、

この状況がまずいということだ。


一刻も早くこの場から逃げ出さなければ、

破滅が待っているのは確実だった。


ここから逃げ出しても、

その後どうすればいいかは分からない。


が、今ここで

二人を同時に相手にするよりはマシだろう。


問題は、部屋の出入り口を塞いでいる

“ヤマっち”と呼ばれている仮面。


彼を排除しない限りは、

この部屋から出ることは叶わない。


となれば、後は排除の方法だったが――


「……」


少女が、制服の右ポケットに入っている

“モノ”に手をかける。


硬い、冷たい手触り。


ラピスという名の死神に渡された、

近接格闘における打撃力を強化する武器。


それを装着し、

少女が入り口の男に向かって一気に駆け寄る――


「あぁああああっ!!」


気合は十分だった。

人を殴ることに、躊躇はなかった。


ただ――絶望的に、個人の能力差があった。


「おっと」


ふいの一撃を軽く躱し、

お返しとばかりに少女の腹に蹴りを入れる仮面。


軽い一撃ながらリョウコの身体が吹き飛び、

副長の足元までごろごろと転がる。


「お帰りなさいだな、タカツキリョウコちゃん。

で、足下で寝てると、ついつい蹴りたくなるんだが?」


さらに副長の蹴りが飛び、

呻きと共にリョウコの身体が元の位置へと戻される。


つまり、副長と“ヤマっち”の中間の位置に。


その際、リョウコの手の中にある銀色をしたものに、

副長は興味を奪われた。


「んだそりゃ、メリケンサックか?

何でそんなもん……」


「ああ、そうか。

俺が回収し損ねた、生徒会室にあった武器だな?」


「まあ、結局は、

無駄に終わっちまったんだが……なっと!」


「あうっ!」


「あー、いいですねーその蹴り! その表情!

私、思わずアレしちゃいますねー!」


「バカ、んなんで興奮してたら、

精力続かねぇぜ?」


「これからたんまりと、

リョウコちゃんで楽しいことをするんだからよ」


「おー、素晴らしい!

これは期待に股間が膨らみますね!」


「擦ってもいいから、ちゃんと撮影してろよ?

お前は興奮し過ぎると回りが見えなくなるからな」


了解あいあいさーとカメラを回しながら、

副長が続けて蹴りを入れる様子を眺めるヤマっち。


そうして何発か打撃音が響いた後に、

副長は蹴りを止め、少女のマウントポジションを取った。


「はぁーい、リョウコちゃん。

具合悪げだねぇ? どうした?」


「どいて、よ……」


「どかねーよ、バカ。殴るために乗ってんだ、

まだ殴ってねーのにどくバカなんていねぇだろ?」


副長がリョウコの脇腹に拳を突きたてる。



教室中に響き渡るくぐもった悲鳴。


「んっん~、いい声で鳴くねぇ!

が、まだまだお楽しみはこれからだぜ?」


「あーいいですねぇ! その顔サイコぉ!」


体の上で男たちが何事か話していたものの、

今の少女にはそれ理解する余裕が微塵もなかった。


殴られている間は、まるで周囲が

真空にでもなったかのように呼吸ができないのだ。


窒息の苦しみは、

腹を焼く痛みよりも余程激しい。


とにかく、殴るのが止まっている間に、

少しでも空気を吸おうと少女は必死だった。


「なんだなんだ、口をぱくぱく開けちまって、

金魚みてぇだなオイ?」


「口も利けねぇくらいか、ん?

なんだよ、もっと俺とお喋りしようぜ?」


「リョウコちゃんの好きな食べ物はなんだ?

生年月日は? 血液型は? 初潮はいつきた、ん?」


副長がぺちぺちと少女の頬を叩く。


しかし、少女にそれに応える余裕はなく、

ただぜぇぜぇと喉を鳴らすものだった。


「……んだよ、クソつまんねぇな。

言っとくが、まだ死ねるなんて思うなよ?」


「お前は俺のオモチャなんだから、

死ぬ時も俺が決めるんだ」


と、ようやく十分に酸素が吸えたのか、

リョウコが副長の腹の下から抜け出そうともがき始めた。


その様子を楽しそうに眺めつつ、

暴れる感触を味わいながら、副長が悪逆非道を再開する。


「うひゃはひゃははっ!

イイ音したなぁ、オイ! アバラでもイったか?」


「つーかお前、よすぎだぜその顔!

たまんねぇえええっ!」


「さっすが副長、いい顔させますねぇ~!

やる気ビンビン!」


「だろ? いい感じのスイッチ押せたよなぁ!

ここか? ん? ここだったか?」


「あっ、いいっ! それ凄くいい!

込み上げてくる!」


「よし、んじゃ次はこっち行ってみっか?」


「次はどこイク? どこイク!?

どこイって欲しい!?」


「手足イきましょ、手足ぃ!

折れ曲がる手足は芸術ひんン!」


「バカ、手足は後で切り落とすのに取っておくんだよ!

何のために俺の鋏があると思ってんだ!?」


「あぁー! すみません副長!

まだまだ修行が足りませんでした!」


「なぁに、別に構わねぇよ。

その代わり、ちゃんと撮っとけよ~?」


少女が苦しみにのた打ち回る。

息を吸う度に激しく噎せる。


その口から吐き出されるものは、

ついに胃液ではなく赤い液体となっていた。


「おぉっとぉ、ついにリョウコちゃんが血を吐いたぜ!

きたきたきたぁ、THE喀血タァ~イム!!」


「あ、……お、そんなの、

私見せられたら……ぅ、あぁっ!!」


ヤマっちが大急ぎでガチャガチャと動き出す。


その直後、彼の身体が微かに震え、

少女の顔にその熱が降り注いだ。


「やぁ……なに、コレ……!」


顔に張り付く生臭さに、

少女が顔をしかめる。


「おぉっとぉ、これはぁ?

もしかしてリョウコちゃん初物疑惑発覚か!?」


「ここは親切な俺たちが、

確認してやらないとダメだよなぁ!」


副長がそう騒いだ途端、

リョウコの顔が紅潮した。


「やぁッ!」


「嫌じゃねーよ、リョウコちゃん。

いい年こいてまだだとか、もう何かの病気かもだろ?」


「それを俺らが診察してやろうってんだから、

ありがたく思えっつーの」


「やぁッ! やだ、やだぁッ!」


「ヤマっち、俺ぁこのまま乗ってるから、

バッチリ撮ってやれよ」


「了解ぃ!

バッチリ撮らせていただきます!」


少女の足のほうへと回り込みながら、

ぶらぶらと体を振るヤマっち。


そして、少女の膝の辺りに体を擦り付けつつ、

ふくらはぎを鷲掴みにする。


「おほっほぉ!

い~い手触りですねぇ、実にイイ!」


「いっ……やぁ!

やめてよ、離してッ!」


「何をバカなことを! ここで私が止まったら、

誰がこの秘境を探索するっていうんだ!」


仮面の男が川を上るように手を這わせ、

辿り着いた先で触れた布へと手をかける。


その撫でるような触り方に、

リョウコの背筋を悪寒が駆け抜けた。


男の手を跳ね除けるために、

少女の足が闇雲に暴れ回る。


「ぅ……こ、コイツっ!」


「やあッ! やだ、やだ!

いやあぁあッ!」


腹の上に乗る副長がバランスを崩すほどに、

リョウコの身体が跳ねる。暴れる。


持てる力を余すことなく使い、

男を追い払おうと必死に足を動かす。


それは、大事なものを守るという目的からすると、

非常に効果は高かった。


「ぶ――」


暴れに暴れたリョウコの膝が、

足元にいた仮面を真正面から打ちつけた。


たまらずに後ろへ顔を引く男。


その白い仮面の下からは、

赤い血がぽたぽたと零れ落ちていた。


「この……」


だが、それがいけなかった。


「……ヤじゃねぇんだよオラァッ!

黙って見せろっつってんだろうが、アァッ!?」


キレた男が、猛然と少女の視界へと回りこんできて、

その顔をつま先で蹴り上げた。


「あぶぅ!!」


「クソったれの穴の分際でよォ、

人間サマに蹴りくれてんじゃねぇぞボゲゴラァ!」


「テメェの頭ジュースにして、

ケツから流し込むぞ、アァッ!?」


少女が悲鳴を上げるのもお構いなしに、

顔を、首を、肩を腕を指を腰を――


およそ少女の左上半身の見えるところ全てを、

加減なく蹴りつけていく。


頭の近辺だけは腕を張って辛うじて守ってはいたが、

それもどれだけ効果があるのか。


「ウラァ! 反省したかボゲッ!

反省しましたかって聞いてんだろうがよォ!」


「なんで答えねぇんだよオイ!

答えろ! 反省しましたって言えオラァ!!」


「……おいおい、

その辺にしといてやれよヤマっち」


「はぁ、はぁ――

副長、止めないで下さいよ……」


「バカ、オモチャぶっ壊してどうすんだよ?

見ろよ、もうあんまり使えねーじゃねぇか」


副長が眼下の少女を指差す。


そこには、左上半身のほとんどが赤く腫れ血が滲み、

見る影もなくなったリョウコの姿があった。


「ったく……どーすんだこれ?

もう虫の息じゃねぇか」


「あ、……す、すいません。

やる気はなかったんですけどねぇ」


「お前は確かにイイヤツだけどよぉ、

簡単にキレるのが悪いとこだぜ?」


「すいません……」


ぺこりと頭を下げて、ヤマっちが一歩下がる。


それから、黒い外套を羽織りなおして、

しずしずとハンディカムを構えた。


「おう、悪ぃなリョウコちゃん。

俺の連れがちょーっとばかり、はしゃいじまった」


パン、と手を合わせて、

謝罪の言葉を口にする副長。


しかし、リョウコの腹の上から動かないことから、

その謝罪が口先だけなのは明らかだった。


「まあ、あれだ。お詫びに、

元気の出る魔法の言葉をプレゼントしてやるよ」


痛みに朦朧とする意識の中で、

リョウコが副長の言葉を反芻する。


元気の出る魔法の言葉とは、

一体なんだろうか――


「俺が女をいたぶるのが大好きってことは、

前にも言ったよな?」


「まあ実際その通りで、俺は女が苦しむ姿を見ると、

すんげー感じるんだよ。これって結構な変態だろ?」


「だけど、このABYSSには、

俺をも上回る変態がいる。……誰だと思う?」


「ヒントは……そうだな、お前が既に遭っている仮面だ。

それも、俺よりも先にな」


副長よりも先に遭った仮面――


それが誰だったかをリョウコは考えようとしたが、

痛みに上手く考えがまとまらなかった。


自身が何か致命的な間違いを犯していた気がするのに、

綺麗に頭が晴れてくれない。


何だかとても、

大変な見落としをしていた気がするというのに。


「ん、どうした? 分からないのか、リョウコちゃん?

答えを教えて欲しいのか?」


嫌な感じがしながらも、

求められるままに頷くリョウコ。


それを、副長は満足そうに見届けてから――


「――鬼塚はお前の敵だったんだよ。

俺らとグルだったんだ」


下卑た声で、げらげらと嗤った。


だが、リョウコの瞳は、

特に驚くとか憂いを帯びるということはなかった。


ただ、左半身に強く走る痛みが辛い風に、

時々目を細めた。


「……何だよ、驚かねぇんだな?」


「べ、別に……鬼塚さんになら、裏切られても、

いいと、思ってたんで……」


予想外の返答に、副長が押し黙る。


しかし、少女の言葉に嘘はなかった。


幾ら相手が信じてくれと言ったところで、

信じたのは自分だ。


全ての責任は自分にあると、

少女はそう思っていた。


だから、その程度のことで、

彼女の芯が揺らぐことはない。


元々、捨てたような命だったのだ。


鬼塚に裏切られることなど、

少女からすれば、借りた金を返すようなものだろう。


「あー……クソッタレ、面白くねぇ。

せっかくドッキリ二連発で楽しもうと思ってたのによ」


「……?」


「だから、嘘だっつーことだよ。

鬼塚はお前の味方だ。正真正銘な」


その真実の告白に、少なからず、

リョウコは胸を撫で下ろした。


心に決めたとはいえ、

味方でいてくれることが嬉しいことには違いない。


あの紳士的だった彼がまだ自分の味方であるならば、

全てが最悪というわけではないように思えた。


だが――違う。


大事なのはそこではない。


大事なのは、

『なぜ副長は、鬼塚が少女の味方だと嘘をつけたのか』。


その嘘を可能にする条件は、ただ一つ。


鬼塚とリョウコが結託していることが、

ABYSSの陣営にばれているということだ。


となれば、

ここで問題となってくることがある。


生徒会室の前で気絶した後に、

鬼塚は果たしてどこへ行ったのだろうか。


目覚めたリョウコの前にいたラピスは、

鬼塚がどこへ向かったと言ったのだろうか――


「じゃあ、

マジに元気が出るおまじないを言ってやるよ」


くつくつと笑う副長。


その笑いは、いつにも増して

いやらしい響きを含んでいる気がした。


「さっきも言ったが、俺は変態だ。

これに嘘はねぇ」


「そして、ABYSSには俺以上の変態がいる。

これも本当で――」


「その変態は、

お前が俺よりも先に遭った奴というのも本当だ」


そこでようやく、

少女の中で何かがカチリとはまった。


「ちなみにその変態は、

俺とは逆で男をいたぶるのが大好きでな」


カチリ。


「特に少年が大好きなんだよなぁ。

くっくっく」


カチリ――


「まさ、か……」


「そう、部長だ」

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