平穏な日々2

「――あれ、絶対に喜んでたよね!

くぅ~、照れちゃって! 幽かわいいっ」


「本人に言ったら絶対に怒るから、

あんまり言わないようにね」


「分かってますってば」


「じゃあ、急いで学園に戻ろうか。

今からならまだ、午後の授業に間に合うし」


「えぇー!

このままサボればいいじゃん!」


「却下。あんまりサボってると、

また期末試験でひーひー言うことになるよ」


『ぐおぉ……』とがっくりと項垂れた爽が、

重い足を引きずるようにして僕の前を歩いて行く。


……爽は相変わらずだなぁ。


でも、その変わらないところが、

自分としてはありがたい。


僕も幽も、ABYSSにばっかり関わっていると、

色々と荒んでくるだろうから。


片山の行方不明が話題になっていたり、

徐々に日常も変化が始まっている。


ここ二日間は何事もなかったけれど、

休みの日を挟んで、ようやく動き出した感じか。


片山の部下達に、僕も幽も顔を見られているし、

これ以上はいつ何が起きても不思議じゃない。


幽は体調が戻るまでは動けないから、

いざという時は僕が何とかしないと。


「……やることが一杯だな」


一度に全部上手くやれればいいんだけれど、

あんまり欲張ると失敗しそうで怖い。


やるべきことを整理して、

一つ一つ片付けていくようにしよう。







「ここにいたのね」


屋上でぼんやり空を眺めていると、

ふと横から声をかけられた。


「幽……体はもういいの?」


「ええ。おかげさまでね」


ならよかった――と幽に笑いかけると、

幽は淡く微笑んで、屋上の柵に手をかけた。


それから、ひとしきり校庭を眺めて、

風に煽られた髪をかき上げた後に、ふぅと息をついた。


「ねえ。

あなた、何者なの?」


「……何者って?」


「片山を殺した夜に、

聞きそびれてたでしょう?」


幽が、柵の向こうから、

僕のほうへと見返ってくる。


「別にね、あなたのことを敵だと思ってるとか、

そういうわけじゃないわ」


「でも、あなたの強さの秘密は、

どうしても納得できないの」


プレイヤーであるはずの私とある程度やり合えたり、

ABYSSと何度も遭遇しても生き延びていたり。


何も訓練をしてないとはいえ、

ダイアログを服用した佐倉那美を圧倒したり――


指を折って数えるように、

幽が材料を並べていく。


「自分が普通じゃないことは、

理解できているわよね?」


「……そうだね」


「じゃあ、教えてもらえないかしら?

あなたの秘密を」


「それとも、どうしても、

私には隠しておきたいことなの?」


幽が咎めるような視線を向けてくる。


その目の鋭さに、

本当のことを話すべきかどうか迷う。


リスク管理の問題じゃない。


幽に信用してもらえるかどうか。


そして、幽が引いてしまわないかどうか。


正直言って、ちょっと怖い。


何しろこの秘密は、

僕が人に初めて打ち明けることだから。


でも……もし打ち明けるなら、

幽しかないとも思う。


人の命を奪ったことがあって、

かつ、色んなことを共有してきた幽なら――


きっと、僕のことを

受け止めてくれると思うから。


「あのさ……

殺し屋って、いると思う?」


「……まあ、ABYSSがいるんだし、

そういうのがいても不思議じゃないんじゃない?」


「実は、僕がそれなんだ。

正確には、暗殺者のなり損ないだけれどね」


幽の眉が、僅かに持ち上がる。


こんな話をいきなりされて、

驚かないわけがないか。


「じゃあ、あなたの過去が

真っ白だったのって……」


幽の言葉に、頷いて返す。


「実家が敵の襲撃を受けてね、

うちの一家は全滅したんだ」


「その時、僕はたまたま生き残ったんだけれど、

結局は父さんに捨てられて“普通”になったんだ」


「捨てられた……?」


「僕、落ちこぼれだったんだよね。

どうやっても、人を殺せなかったから」


「殺し屋だったのに?」


当然の疑問に、

そうだね――と肯定を返す。


「訓練はね、凄くしたんだ。

戦闘に関するものはもちろん、メンタルとかも」


「そのおかげで、幽も知ってる通り、

ABYSSとも戦えるくらいになったんだけれど……」


「どれだけ訓練しても、色んな方法で調べても、

殺す前に気絶するのだけは治らなかったんだ」


「人を殺せない暗殺者なんて、

笑い話にしかならないでしょ?」


「だから、僕は父さんに捨てられて、

この“普通”の世界に来た……っていう感じ」


「……あんまり辛そうじゃないのね。

重い話だと思うんだけど」


「まあ、もう十年くらい前のことだからね。

さすがに自分の中で整理できてるよ」


「それに、今の生活も気に入ってるしね。

可愛い妹だっているし」


『羨ましいでしょ?』と笑いかけると、

幽は『そうね』と短く呟いた。


「話を聞いて、ようやく納得したわ。

晶の強さの秘密は、そういうことだったのね」


「うん。……ごめんね、隠してて」


「別にいいわよ。

逆に、自分から言い出すほうが怪しいし」


……それは確かに。


元暗殺者です――なんて、

友達ならギャグだし、知らない人なら怪しさ満点だ。


「理解してもらえるだろうって思っても、

誰にも言わないほうがいいわよ」


「晶の希望する受け取り方と、

相手の受け取り方が、全然違うかもしれないから」


「その辺りは肝に銘じてるから大丈夫。

暗殺者の経歴なんて、何の役にも立たないしね」


「それもそうね」


「でも……こうして幽と共有できるようになったのは、

ちょっとだけ嬉しいかな」


「今まで、僕の暗殺者の面を人に見せたことは、

一度もなかったから」


「……じゃあ、私は、

他の誰も知らない晶のことを知ってるんだ」


「あー……そういうことになるかな」


「ふーん」


まじまじと僕の顔を見てくる幽。


……あれ?

僕、何か変なこと言ったか?


「ばらされたくなかったら、

私の言うことに従いなさい」


「えぇっ!?」


「ふふっ、冗談よ」


あ、あのね……。


「ま、強いのを隠してたことは許してあげるわ。

気軽に話せなかったのもあるみたいだしね」


「……そっか。ありがと」


幽に許してもらえたのなら、

一安心だ。


ABYSSとの戦いも、幽との付き合いも、

これまでよりずっと楽になるだろう。



「あとは、私が休んでた間の

ABYSSの動向を聞きたいわね」


「あー、それなんだけれど、

全然動いてる気配がないんだ」


「もしかして、プレイヤーが休んでる間は、

ABYSSは活動しちゃいけない決まりがあるの?」


「まさか。そんな決まりがあったら、

幾らでも無茶できるじゃない」


まあ、それはそうか。


片方が活動休止している間は手を出せないなら、

怪我を覚悟での特攻が幾らでも成立してしまう。


相手よりも先に見つけ出し殺す“ゲーム”なんだから、

体勢を整えることもその一部のはずだ。


「一応、動きらしい動きは、

丸沢が学園をずっと休んでるくらいかな」


「何か企んでるのかしら?」


「だとしたら単独かな?

鬼塚は普段と全く変わりないみたいだし」


「まさか、片山に気付いてないことは

ないと思うけれど……」


「何にしても、動きがないとなると困ったわね。

一気にケリをつけようと思ってたのに」


「……お願いだから、

いきなり鬼塚を襲いに行くとかしないでよ?」


「しないわよ、そんなこと。

鬼塚はもしかすると部長かもしれないんだし」


「鬼塚が部長か……」


「あいつ、相当強いわよ。

やり合うにしても、最後にしたいわね」


それは同意。


鬼塚との一対一なら僕も勝てたけれど、

アーチェリーのABYSSと同時とかなら無理だ。


三人殺せばクリアだっていう話だし、

わざわざ強い相手を選んでやる必要はないだろう。


「こうなってくると、長期戦かしら」


「相手が動くまで待つ感じ?」


「そうね。ABYSSは毎月一度は儀式をやるから、

次の儀式に乱入するわ」


「その間に、他の部員の調査も進めて、

一対一でやり合えそうな状況を作れたら行動かしら」


「無難なプランだね。いいと思う」


「でも、先週に儀式があったから、

次の儀式は遅ければ三週間後なのよね」


「じゃあ、幽はあと三週間は、

この学園にいられるんだ」


「まあ……そういうことになるかしら。

私としては、早く出て行きたいんだけど」


仕方ないから我慢するわ――と、

目を横に流しながら、髪の毛を弄る幽。


その様子を見て、

思わず顔がにやけてしまった。


さすがにそれは、

ちょっと演技が下手すぎだ。


何だかんだ理由を付けつつも、

幽もこの学園での生活が気に入ってるんだろう。


「何よ、にやにやしちゃって。

気持ち悪い」


「ああ、ごめん」


でも……幽がそう思ってくれているのは、

純粋に僕も嬉しかった。


僕が幽といる時間を

楽しく思っているように。


幽もまた、僕といる時間を、

少なくとも悪く思ってないってことだから。


ABYSSの件は、

早く解決しなきゃいけないとは思っていても――


幽と一緒にいられる時間が増えると思うと、

この状況はやっぱり嬉しい。


「っていうか、そうだ。

幽がまだ残るなら、授業にも出たらどう?」


「授業? 私が?」


「うん。調べられることも一通り調べたし、

敵を引きつける必要も、もうないでしょ?」


「だったら、授業にも出ておいたほうが

いいと思うんだけれど……」


「……いいわよ別に。

つまんないし、出たくないもの」


……そういえば、勉強なんて全然してないって、

前に聞いてたっけ。


「だったら、今度ケーキを作る日に、

みんなで勉強会もしてみない?」


「勉強会?」


「試験前とかにたまにやるんだけれど、

みんなで集まって勉強するんだ」


「分からないところとかは教え合ったり、

みんなで考えたりしたりね」


「これなら、

幽も楽しく勉強できると思うよ」


「私は別に、

普通にケーキを食べるだけでいいんだけど」


「勉強自体がつまらないんだから、

どうせ集まってやっても、面白くないと思うし」


「いやいや、ケーキを作るのと同じで、

やってみないと分からないよ」


「それにいつか、幽が今の目標をやり遂げた時に、

ここに戻って来られるようにしたいしね」


「私が、ここに……」


「だから、ねっ?

一回だけやってみようよ」


「……分かった。やってみる」


「ホント? やった!」


これは、ケーキ作りだけじゃなくて、

勉強会のプランも考えないとな……。


「――あ、やっぱりいた」


屋上の扉が開く音に振り返ってみると、

爽が小走りでこっちに近づいて来た。


「おはよう、爽」


「はいはいおはよー」


「幽もおはよう! 今日も美人さん!

風邪はもう大丈夫なの?」


「え、ええ……まあ」


「……ちょっと。

露骨に僕と幽で態度違くない?」


「え、当たり前じゃん。

晶が幽と同じなわけないでしょ」


……もはや何も言うまい。


「っていうか、晶のほうこそじゃん?

最近さー、ちょっと二人で仲良すぎでしょ」


「気付いたらお見舞いとか行っちゃってるし、

いつも一緒にいるしさー」


「い、いやいや。そんな別に――」


「ち、違うわよ!」


えっ。


「私と晶は、別に仲良くなんてないんだからっ!

全然、これっぽっちも!」


「私はただ、晶を利用しているだけよ!

そう、ワルい女なのよ私は!」


身振りを交えて、赤い顔で、

断固『NO』を訴える幽。


僕との関係を爽に隠したいのは分かるけれど、

さすがにちょっとバレバレ過ぎて痛い。


爽もそれに気付いているのか、目を丸くした後、

笑いを堪えるように顔を擦り始めた。


「えっと……ワルい女? 幽が?」


「そ、そうよっ。

晶にお弁当を毎日作らせるなんて平気でやるわ」


「他にも、晶に看病させたり、

晶をいきなり呼び出したりしてるんだから!」


「それって、仲がいいんじゃないの?」


予想外の言葉だったのか、

えっ――と幽が固まる。


ああもう、僕見てらんないっ!


そう思って、手で顔を覆ったところで、

爽が予想通り噴き出した。


「あはははは! やっばい幽、何それ!

新しいネタか何か?」


ネタとまで言われると思っていなかったのか、

ぷるぷると震え出す幽。


他人事ながら、その心中を察すると、

僕のほうまで顔が熱くなってくる。


「ち、違うわよ! 違うの!

全部ちがーう!」


……その後、幽は爽が笑い終わるまで、

念仏のように『違う』と唱え続けた。


僕はその横で、敬虔な修行僧のように、

幽が静まるのをただただ祈っていた。




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