ABYSSとの遭遇2
『逃げやがったなてめぇ』とかいう男の叫び声は、
ドアを締めてシャットアウト。
ついでに電気を消し鍵もかけて、
気休めでも足止めに。
さて――要は、相手を黙らせればいいんだから、
その正体を掴んで平和的に脅していけばいい。
それに、可能であれば、
生け贄の女の子を助けてあげたい気持ちもある。
そのために僕がするべきことは、ただ一つだ。
目を瞑り、息を深く吸って吐く。
意識を尖らせる。
じわじわと染み出すように、
久しい感覚が体を巡り始める。
しばらくぶりだから、
上手くできるか心配だった。
けれど、自転車の乗り方を忘れないのと同じように、
きっちり体に染みついていたらしい。
血流が加速していく。
筋肉が
全身が刀のように、
硬く強く磨き上げられていく。
暗殺者の系譜が旧くから作り上げてきた、
極限の自己埋没。
気を抜けば狂いそうな程の感覚でもって、
感覚を/肉体を、戦闘用のそれへと作り替える。
集中。
集中。
――来る!
目を開く。
同時に飛来する生徒会室のドア――
仮面の男が鍵をぶち破って蹴り飛ばしたもの。
馬鹿げた力に感心しつつも、もう怯むことはない。
紙一重で住なす/前へ突撃する。
さっきとは打って変わってのこちらからの突撃に、
黒豹の体が一瞬強張る。
その隙に膝へ足払いをかます――巨体が僅かに傾ぐ。
ほぼ同時に、背後でドアが壁に到達。
轟音と共にガラスの破片が周囲に降り注ぐ中で、
第二ラウンドの開始。
宙に煌めくガラスを砕きながら、
仮面の右ストレートが閃く。
こちらも負けじとクロスカウンターで迎撃。
が、最初の足払いで体勢が崩れていたため、
お互いの右腕がお互いの右肩の上を通過する。
「んだとぉっ!?」
一瞬の静止。その間に自己分析。
カウンターは決まらなかったものの、
反応/膂力――共に問題なし。
ならばと肩関節を取りに行くも、
気配を察した男が体を引いて退避――
と見せかけて、
即座に拳を抱えて戻ってきた。
好戦的な性格を隠そうともしない、
徹底的なインファイター。
そのまま自信の漲る拳で地面を擦って、
ガードごと吹き飛ばされそうなアッパーカットを放ってくる。
その必殺を期した黒豹の爪牙を、
一緒に巻き上げられたガラス片ごと手で払った。
同時にこちらも踏み込みつつ体を反転させ、
仮面の側頭部に肘を叩き込む。
短いくぐもった悲鳴が上がる。
けれど、コイツにはこれじゃあまだ足りない。
よろめく仮面の足を、
へし折るつもりで払いあげる。
宙に浮く仮面。
その背に両腕を振り下ろし、地面へ叩きつける。
さらに、背を向けて倒れている男の首目がけて、
拳で一撃――!
「終わりっと」
痙攣の後に動かなくなった仮面を見下ろしながら、
ふぅと息を抜いた。
同時に、真っ二つになってぐわんぐわんと暴れていた
ドアの片割れも止まり、生徒会室に静けさが戻った。
「うわ……凄いことになっちゃったな」
ガラス片が撒き散らされていて、
部屋のドアは真っ二つ。
その他、あちこち多分傷だらけだ。
これ僕が片付けるのかうわーと溜め息しつつ、
改めて倒れ伏す仮面を見やる。
思い返してみても、凄い力だった。
身体能力だけしかなかったから問題なかったけれど、
これに技巧が加わった敵が出て来たら……。
「……あんまり想像したくないな」
ABYSSは五人って話だけれど、
この仮面より上はいるんだろうか。
まあ、聞いてみれば分かるか。
どうせ起きてから脅しをかけるんだし、
その時に情報も集めればいい。
ただ、家に連れ帰るわけにはいかないから、
どこでそれをやるかが問題だな……。
真ヶ瀬先輩に相談してみるのもアリか?
あんまり巻き込みたくはないけれど、
生徒会室の惨状説明を含む後始末もあるし。
殴られた生け贄の子を保護したら、
縛り上げてちょっと考えよう。
そういえば、あの怪力を捕まえておくには、
何で縛り上げればいいんだろう?
あと、どうやって捕まえたのか、
先輩向けの言い訳を考えておかないとな……。
次々出てくる問題の多さに、
面倒なことになったなぁと思いつつ廊下へ出る。
さて、女の子はちゃんと寝てるかな――
「ッ――!?」
瞬間、総身が粟立った。
何だ……今のは?
女の絶叫?
生け贄の子か?
いや――生け贄の子は、まだ寝ている。
だとすると、これは……。
「!?」
足音が、響いた。
廊下の奥。生け贄の子の向こう側から、
淀みなくまた一歩。
……そういえば、まだ“判定”のスイッチを
入れていたことを思い出す。
じゃあ、これは――
さっきのABYSSよりずっと大きい、
この断末魔のような絶叫は――
「まさ、か……」
闇の中からぬるりと突き出てくる槍の穂先。
それが槍ではなくスタビライザーだと気付いたのは、
軋みを上げる白手袋がグリップを握っていたためだ。
もう一歩。
突き出された腕――黒衣ではなく紺の制服。
その上に平行に
さらにもう一歩。
そこまで来て、僕はようやく、
自分の行動が致命的なまでに遅れていたことを理解した。
もっと早く。
余計なことは考えず、先の仮面を倒した直後に、
すぐさま走って女の子を確保しておくべきだった。
けれど、もう遅い。
足音が、倒れ伏す女生徒のすぐ横に。
恐らくは“確保完了”。
そして再び木霊する強者の証が、
それ自身が一つの
立ちこめる闇を切り裂いて――現れた。
新たな仮面――
アーチェリーのABYSS。
その第一射が、
悲鳴じみた風切り音と共に飛来した。
「っ――!?」
誇張ではなく、死ぬ気で跳んだ。
そうしなければ、間に合わなかった。
ほぼ同時に、背後でハンマーを打ち付けたような音が
壁に突き立った。
噴き出る冷や汗。震える体。
ついで、頭の中が真っ白になる――
二の矢を既に番えている少女のABYSSを見て。
「ちょっ……待って!」
つい慈悲を乞いながら跳躍――
風切り音を辛うじて回避。
けれど、すぐさま第三の矢が――
「……何だそれ!?」
おかしいだろと叫びながら床を転げる。
なおも間断なく続く驚異的な狙撃。
狙いのブレ/反撃の隙/接近機会――全てなし。
それでもう、この距離でこのABYSSには、
絶対に敵わないことを悟った。
「くそっ!」
生徒会室に飛び込む。
扉を閉め――ようとして、
さっき壊れたことを思い出し、ひとまず物陰に隠れる。
そうして、ようやく安堵の一息をついたところで、
掠めていたらしい肩の傷の痛みを自覚した。
「何だよあれ……」
もう、やばい。やば過ぎる。
男のABYSSに余裕を残して勝てたからって、
正直言って舐めてた。
まさか、あんなのが出てくるとは。
体感した感じだと、恐らく、
撃った瞬間から着弾まではコンマ二秒程度。
ということは、野球のバッターが球を打つ時の
半分の時間で対応しなきゃいけないことになる。
僕が幾らか訓練してたから死ななかったようなもので、
普通の人なら気付いた瞬間には死んでる。
距離は大体二十メートル前後だと思うから、
時速にして三百キロ前後くらいか?
それだけならともかく、
連射できるとか反則にも程がある。
遮蔽物も明かりもないこんな場所で、
ましてや一対一でなんて勝てるわけがない。
……どうする?
時間をかけて、状況自体を変えていくか?
もしかしたら、それでこのアーチェリーの仮面も
打倒できるかもしれない。
ただし、他のABYSSが来なければ。
「……可能性は低いな」
既にここに二人目が来ているという現状、
時間がかかれば増援が高確率で来るとみるべきだろう。
アーチェリーの仮面の打破は諦めて、
他の手を考える。
せめて、確保されてしまったあの女の子を助けて、
この場から離脱する方法があれば――
「う……」
「っ!?」
背後からの声に、慌てて見返る。
そこにあったのは、今まさに起き上がろうとしている、
一人目のABYSSの姿。
おいおい、嘘だろっ?
当分起き上がれないだけの力で打ったのに、
予想よりずっと回復が早すぎる。
っていうか今から、二対一?
この力自慢と、あの化け物を敵に回して?
……いやいや絶対無理無理そんなの冗談じゃない!
もうこの辺りが潮時だ!
最終電車に駆け込む心境で、
手近な机の上にあった小物を全部床へと払い落とす。
そうして軽くなった机を持ち上げ、
即席の盾にした上で廊下へ。
いくつかの衝撃を机越しに感じながらも、
脇目も振らずに正面の窓まで駆け抜ける。
そして、そのまま机を投げ出して――
窓ガラスに突っ込んだ。
「――よし!」
とりあえず脱出成功。
けれど、相手はアーチェリー。
あの命中精度と威力を持っているなら、
相当遠くまで行かないと狙撃される可能性がある。
でも――どうする?
本当に逃げてしまってもいいのか?
まだ、自分が行けばどうにかなるんじゃないのか?
「っ……」
一瞬の思案。そして――
逃げるしか、ない。
そう判断した。
学園に背を向ける。
なるべく遮蔽物が多くなるようなルートへと走る。
「くそっ」
助けられなかった罪悪感に、唇を噛む。
この学園の生徒ではない、見ず知らずの子だったけれど、
それでも何とかしてやりたかった。
ただ、どうにもできないものはある。
下した判断が間違いだということはないだろう。
……生き延びてくれるといいんだけれど。
後は、祈るしかない。
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