罠1

昼間に聞いていた通り、幽の住んでいるマンションは、

学園からそんなに遠くない場所にあった。


幽の話では、プレイヤーとして派遣された際に

あてがわれた物件らしい。


「入って」


無造作――というよりは

無防備といった感じの招きに、戸惑いを覚える。


それでも、ここまで来て入らないわけにもいかず、

敷居をまたいで中へ。


「おじゃまします……」


幽の後に続いて、

玄関に敷かれていたうさぎさんマットを踏み越える。


そして――





僕はついに、

女の子の部屋に足を踏み入れてしまった。


「うおぉ……」


入った途端、いつも仄かにしか香らない幽の匂いが、

舌先で感じそうなくらい一杯に飛び込んできた。


見渡す必要もない広さの部屋には、

机があり、ソファーがあり、姿見がありベッドがあり――


そこに出しっ放しにされてる小物等を見ると、

幽の生活がぼんやりと見えるような気がした。


それがどうしてか気恥ずかしくて、

右手の甲で顔を擦ってごまかした。


それでも、

幽には色々と気付かれていたらしい。


「あんまりじろじろ見ないでもらえる?」


「……はい。ごめんなさい」


「もう……妹さんがいるんだから、

女の子の部屋なんて珍しくもないでしょう?」


あ……そっか。


よくよく考えたら、

琴子の部屋にはいつも入ってるんだな。


というか、さらに冷静に思い返せば、

佐倉さんの部屋にも入ったことがあったんだっけ。


……あんまり特別に

考え過ぎないほうがいいのかも。


「気が済んだら適当に座って。

何か飲み物を持ってくるから」


適当に……どこに座るべきか。


……まあ、

ソファーが無難だよな。


断じてベッドの上になんか

座ってはいけない。



……いや、これ、

ソファの上でも落ち着かないな。


幽はまだかな……。


と思っていたら、

盛大な溜め息と共に戻ってきた。


「どうしたの?」


「飲み物を切らしてたの忘れてたわ。

今、ちょっと買ってくるから」


「えっ、いいよ!

そんな気を遣わなくても!」


「べ、別に晶に気を遣ってるわけじゃないわよっ。

私が飲みたいから買ってくるの」


「すぐに戻ってくるから、晶は待ってて。

お腹が空いたら、冷蔵庫を漁ってくれていいから」


それじゃあねと、こちらの返事も待たずに、

幽は部屋を飛び出して行った。


「……ああもう」


一人取り残されて、

思わず顔を覆ってしまった。


あんまりにも無頓着過ぎて、

逆にこっちが心配になってくる。


普通、同学年の男を部屋に上げて、

そのままにして出て行くか?


それとも、実は監視カメラが仕掛けてあって、

僕の理性を試されているんだろうか?


「いや……これはきっと、幽の信頼なんだ。

そうに違いない」


僕は裏切らないぞ、と心に決めて、

部屋の壁を見つめて時の経過を待つ。


五分経過――


十分経過――


「……何か食べよう」


さすがに居心地が悪すぎて、

何かしてないと落ち着きそうにない。


目当ての冷蔵庫を見つけて、

ドアを開く。


やや重苦しい手応え。


その先のひんやりとした空間を見て――

ちょっと引いた。


「うわー……」


レトルト。レトルト。レトルト。


冷蔵庫に入れる必要のないレトルト食品ばっかりが、

どうしてか冷蔵庫の中を占拠していた。


一応、冷蔵しておく意味があるのは、

パックの牛乳とデザートくらいだろうか。


それ以外だと、食材は愚か、

お総菜の類すら冷蔵庫には存在していない。


お昼ご飯から何となく予想はできていたけれど、

やっぱりこんな感じだったか……。


「レトルトばっかり食べてて、

幽は大丈夫なのかな……」


見た目から細いし、

栄養が偏っていそうな気がする。


うーん、僕も一緒に買い物に行けばよかったか。

材料があれば、何か作るのに。


まあ、今さら言っても仕方ないとして、

この中で何を食べるか――


そう思っていたところで、冷蔵庫の一番下にひっそりと、

隠れるようにして白い箱が置いてあるのに気付いた。


こ、これは……。





……幽が帰ってきたのは、

僕が最後の一口を平らげたところだった。


「あ、おかえり」


「……ん?」


幽は居間に入ってくるなり鼻を鳴らし、

カッと目を見開いたかと思うと、冷蔵庫に駆け寄った。


そして、ドアを開き、

がさがさと中を改める。


「あれ、どうかした?」


「……食べたの?」


「えっと……ケーキ?」


「ええ、そうよ。

箱に入ったケーキがあったでしょう?」


「うん。食べたけれど……」


と口にしたところで、自分のその行為が、

猛烈にまずいことだったのだと気付いた。


が――時既に遅し。


ゆっくりと振り向いてきた幽の顔には、


「食べたのね?」


ライオンですら二足歩行で

全力ダッシュしそうな形相があった。


その明らかにヤバい様子に、

体が自然と立ち上がる/幽から後ずさる。


直後、惚れ惚れするくらい無駄のない突きが、

目の前を猛スピードで過ぎっていった。


っていうか、ナイフとか嘘だろっ!?

今避けなかったら死んでたぞ!?


「チッ、避けたわね!」


「いや、そりゃ避けるでしょ!」


「何言ってるの?

自分のしたことの報いを受けなさい!」


「ヒッ――!」


今度の斬撃は、僕の髪の毛を二、三本刈り取りつつ、

頭の上をスッ飛んでいった。。


もちろん、避けてなければ、

刈り取られたのは僕の首なわけで。


もうこれ、ダメだ……!

完璧に完全に幽は本気だ!


「う、うわあぁああああっ!!」



……この後、僕は本気で

彼女の斬撃から逃げ回る羽目になった。


食べ物の恨み、恐るべし……。





――ややあって。


「ようやく、落ち着いてくれたみたいで……

うん、その、僕もほっとしたよ……」


「落ち着くのはあなたでしょう、晶」


肩で息をしてへたり込む僕の傍らで、

幽は新たに買ってきたケーキを口へと運んでいた。


「それにしても見損なったわ。

あなたがそんなに卑しい人間だったなんて」


「はい……本当にすみません……」


元々、幽に許可をもらって

冷蔵庫を漁ったんだけれど。


……なんてことは、

口が裂けても言えない。


全面的に謝って矛を収めてもらった以上、

僕はごめんなさいマシーンになるのみだ。


「今度、絶対にケーキをおごりなさいよ?」


「それはもちろん。

倍にして返すよ」


「ならいいわ。

特別に許してあげる」


幽はむっつりと頷きつつ、

用意していたコップに僕のぶんの牛乳を注いでくれた。


長きにわたる戦いだったけれど、

ようやく終わってくれたか……。


「でもまさか、

幽がそんなにケーキが好きだったとは……」


「何よ、悪い?」


「いや、別に悪いことなんかないよ。

僕もケーキ好きだし」


「人のを奪って食べるくらい

好きなのよね」


「だからその件は

ごめんなさいだってば……」


「ダメ。許したけど許さない」


「デザートも買ってきたけど、

あなたにはもうあげないんだから」


ふん、と小さく鼻を鳴らして

そっぽ向く幽。


これはもう、ほとぼりが冷めるまで

そっとしておくしかないな……。


本命の話題に移してしまおう。


「あのさ、結構時間も経っちゃったし、

そろそろ作戦会議を始めない?」


「……そうね。いいわよ」


さすがにABYSSに

私情は持ち込まないか。


こういうところは、

幽のいいところだと思う。


「じゃあ、最初にちょっと整理しようか」


――僕らは今、差出人は不明だけれど、

何者かに呼び出されている。


場所は学園、時間は夜の二十二時で、

それ以外には特に情報はなし。


一応、字面的には男らしいのと、

心当たりとしては片山が有力。


相手を絞るのは危ないから、

ひとまずABYSSを想定していく。


ただ、罠がある可能性が非常に高いため、

対応できるよう複数のパターンを考えたい――


「……っていうのが現状だね」


「ちなみに罠に関して言えば、

対象や規模を考えると待ち伏せで問題ないと思う」


想定しておくべきパターンは

三つだろうか。


人数が少ない場合、人数が多い場合、

それと飛び道具が配置されている場合――


もっと細分化も可能だけれど、

不確定要素が多すぎるし、これが現実的だろう。


これを行動に落とし込むと、

さらにシンプルになる。


人数が何人以上の場合逃げるか、

飛び道具がいる場合どうするかだ。


「人数が何人いても、

皆殺しにすればよくない?」


「あのね……相手がABYSS以外だったら、

幽がペナルティで死んじゃうんだよ?」


「安全重視なら、ABYSSが三人以上の場合と

飛び道具がいた場合は、逃げたほうがいいと思う」


「あとは、片山の手下っぽい昨日の連中が、

十人以上いたとしても逃げが無難かな……」


「それじゃダメよ。

わざわざ逃がすなんてもったいない」


「でも、死んだら元も子もないってば」


「大丈夫よ。五分以内に片が付く状況なら、

百パーセント私が勝つから」


「……凄い自信だけれど、

例の奥の手?」


「ええ。それを使えば、

ABYSSが五人揃ってても勝てると思うわ」


……確かに幽は割と強いけれど、

僕が本気になれば余裕で勝てる程度だ。


それで、鬼塚とか、

あのアーチェリーの仮面に勝てるとは思えない。


なのに、五人揃ってても勝てるって……

幽の奥の手は、そこまで強力なのか?


「その奥の手ってさ、僕が内容を知ってたりすると、

作戦の成功率が落ちたりするものなの?」


「別にそんなことはないわよ」


「じゃあ、教えてもらっていい?」


お願いすると、

幽は露骨に渋る顔をした。


「前に嫌だって言われたけれど、命がかかってるし、

不確定要素をなくしておきたいんだ」


「……でも、私は教えたくないの」


「どうしても?」


「どうしても」


……なら、仕方ないか。


ここで幽にへそを曲げられても困るし、

諦めてこのまま行こう。


最悪、その奥の手が通じる気配がなかったら、

僕のほうでどうにかすればいい。


そう考えていると、僕の沈黙が不安に映ったのか、

幽は『大丈夫よ』と明るく笑った。


「私が全部片付けてあげるから。

晶は心配しないで大船に乗ったつもりでいなさい」


「そうさせてもらうよ。

基本、幽にお任せで」


「それじゃあ、

作戦はこれで決まりね」


「いやいや、それはちょっと早いって。

人数が多かったらどうするの?」


「晶が囮になって、全員をおびき出す。

後はそれを私が一網打尽にするわ」


「……僕が先に呼び出された場所に行って、

幽が後から入って来るって話か」


「そう。シンプルでいいでしょう?」


「シンプル過ぎて、

ちょっと怖いけれどね……」


ただ一応、

理には適ってるか。


僕なら飛び道具でもある程度は避けられるし、

伏兵がいても、後から来る幽がそれを押さえてくれる。


もし、状況不利で逃げることになったとしても、

内と外から活路を開ける状況ならどうにかなるだろう。


最悪、幽だけは

確実に逃がせると思うし。


「分かった。それでいこう。

でも部外者を殺すのは無しでね」


「助かるわ。

大変だと思うけど、よろしく頼むわね」


「まあ、幽と協力してもらう時に、

囮になるって言っちゃったしね。約束は守るよ」


「なら、私も晶を危ない目に遭わせないように、

全力でABYSSを殺してみせるわ」


その、頼もしいはずの約束は――


胸のどこかに、

チクリと刺さったような気がした。


これまでも、

幽にナイフを向けられたりしてきたけれど。


本当に、幽は人を殺すんだな……。


「怖くなった?」


「え? いや……違うよ」


「じゃあ、

“いいこと”かどうかを考えたのね」


僕の内心を察したのか――


幽は強い調子で、

けれどきまりの悪そうな顔で、


「でも、私に協力するということは、

そういうことよ」


そんな言葉を口にした。


「……分かってはいるんだけれどね」


「それなら、そんな顔しないで。

やりにくいわ」


「ごめん」


「……別に、気にする必要はないわよ?

戦闘能力の差と、お互いの立場の違いの問題だから」


「晶が手を汚す必要はないし、

囮になってくれるだけでいいの」


「そもそも、

私がやらなければ意味がないしね」





お互いの立場の違い……

“プレイヤー”と“そうでない者”か。


同じくABYSSに関わってるのに、

役割の違いだけで、幽は自分の手を汚そうとしている。


幽にそんなつもりはなくても、

結果的には、プレイヤーじゃない僕を庇っている。


それは、嬉しいというよりも、

幽に僕の荷物まで全部背負われているようで――


酷く、居心地が悪かった。


でも……。


僕がどう思おうと、自分の荷物を自分で持てないのも、

幽の荷物を持ってやれないのも事実だ。


だって僕は、

出来損ないの暗殺者もどきだから。


自分の家族がどんどん死んでいく中でさえ、

何もできなかったお荷物だから。


ああ――もう、どうしようもない。


昔、あれほど悔やんだっていうのに、

まだこんなにももどかしくて、胸の奥がざわついてくる。


申し訳ない気持ちで一杯になってくる。


「ちょっと、晶?」


「……ごめんね、幽」


「ごめんって……どうして謝るのよ?」


「さっきも言ったでしょう?

これは私の仕事なんだから、晶は気にしないでって」


「でも……僕はどうやっても、

幽の役に立てないから」


僕の勝手な都合だとは分かっていても、

自然と頭が下がる。


というより、そうしてないと、

色んなものが溢れてきそうで怖い。


「な、何なのよ? もう……」


「別に、あなたに期待なんてしてなかったし、

いてもいなくてもどうでもいいと思ってたのよ?」


「なのに、何でそんな……」


眉を八の字にした顔を、

横へ背ける幽。


それから、唸ったり頭を掻いたりした後に、

はぁと大きく溜め息をついた。


「……晶が何でそんな風に考えてるのか、

私には全然分からないわ」


「だってあなた、

既に役に立ってるじゃない」


……え?


「だから、役に立ってるのっ」


「この作戦会議もそうだし、

美味しいお弁当も作ってきてくれたし」


「囮役をやってくれるのもそう。殺さないだけで、

一緒にABYSSと戦ってくれるじゃない」


「私が今までプレイヤーをやってきた中で、

あなたが一番役に立ってるのは間違いないわよ」


「僕が? 本当に?」


「ええ、本当よ。

嘘ついても仕方ないでしょう?」


「だから……私によく分からない理由で、

自分を責めるのはやめてよね」


「そういうことされると、その……

どうしていいか分からなくなるから」


「まあ、もっと役に立ちたいって思ってくれるのは、

それはそれでいいことなんだけど……」


「だから、もっと自信を持てっていうか、

無理しなくても、晶は晶でいいっていうか……」


ごにょごにょと言葉の端を濁しながら、

幽が横を向いたり髪の毛を弄ったりする。


その様子を不思議な思いで見ていると、

幽は『うー』とか『あー』とか唸った末に、


「ああもう!」


ばちんと、

テーブルに手の平を叩きつけた。


「とにかく、晶が役に立ってないと思うなら、

この後の囮役をきっちりやりなさい」


「そうすれば、

役に立ってるって証拠になるでしょう?」


「う、うん……分かった。頑張る」


「あと! 役に立ってるって分かったら、

二度と役に立たないなんて言わないこと」


「今度言ったら、

晶の生爪を一本一本剥がしていくわよ」


「酷すぎる!」


「返事は!?」


「は、はい!」


「いい返事ね。それじゃあ、ご褒美をあげるわ。

先払いになっちゃうけど」


幽は『ふふん』と満足げに笑って、

買ってきた袋の中から白い箱を取り出した。


そして、その中にあるショートケーキを一つ、

僕の前に出して寄越した。


「食べておきなさい」


「……いいの?」


「ええ。そのぶん、

きっちりと働いてもらうから」


「晶には、

まだまだ私の役に立ってもらわないと困るんだから」


「……うん。ありがとう」


幽の、恐らくは優しさにお礼を言って、

先払いの報酬にフォークを入れる。


そのケーキは、さっき僕が食べたものよりも、

数段美味しかった。

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