惨状

「さて……これで二対二だけど、

ここからはどうするの?」


「同じ方針でいこう。

アーチェリーの仮面は集中して叩かないと」


「じゃあ、丸沢が先ね」


幽が丸沢に狙いを定めて、

姿勢を前傾させる。


「く、くそっ……!」


幽の鋭い殺意に当てられてか、

丸沢が目に見えて狼狽え始める。


その挙動があまりに不審すぎて、

注意深く様子を窺っていると――


「おい、お前!」


丸沢は慌てた様子で、

仮面の少女の元へ駆け寄っていった。


「お前、プレイヤーと笹山を殺せ!

できるんだろうお前なら!?」


仮面の少女の肩を掴んで揺さぶる丸沢。


けれど、少女は丸沢が見えないかのように、

視線を合わせようとすらしなかった。


「お、おいっ? 反応しろ!

何黙ってるんだよォ!?」


「断る」


「……はぁ!?」


「私に与えられた命令は既に遂行した。

貴方には私に命令する権限はない」


「なっ……何言ってるんだよ!?

さっさと動けこのバカ!!」


丸沢が[詰'なじ]るも、

少女はまるで反応しない。


「おぃいいぃ!!」


あまりの無反応に業を煮やした丸沢が、

少女を殴りつけようと手を振り上げる。


その手が、

突然ぼとりと地面に落ちた。


「……えっ?」


「君の命令は聞けないってさ」


丸沢が、その声の聞こえてきた闇へと振り向く。

目を見開く/口を開く。


けれど、悲鳴を上げようとしていたらしいその口からは、

何の音声も発せられることはなかった。


何故か。それは――


丸沢の首が、

手首と同じように地面へと落ちたからだ。


「ま、仮に聞いてくれたとしても、

君は死んでたと思うけどね」


丸沢の血溜まりの向こうから、

聞こえて来る声。


それが、ぱちゃりと血の水たまりを弾くと、

闇の中から声の主の姿が浮かび上がった。


金の髪に、青い瞳。


その服装と合わせた人形のような佇まいを、

見間違えるはずもない。


「ラピス……」


「相方さんが生きてるってことは、

間に合ったみたいだね」


僕をこの場所へと寄越した少女が、

にっこりと微笑みを浮かべた。


その笑顔を遮るようにして、

僕の前に幽が体を割り込ませてくる。


「ちょっと、誰よあなた?

なに私の獲物を奪ってるのっ?」


「一応言っておくと、

これは私の獲物でもあるんだよ」


「どこぞの[碌'ろく]でもないことしかしないおばさんの

後始末をしなきゃいけなくてね」


目の前の少女の話を理解できず、

顔をしかめる幽。


が、ラピスはそれを気にする様子もなく、

アーチェリーの仮面へと視線を向けた。


「そういうわけだから、君は帰りなよ。

私の言うことは聞いてくれるよね?」


「……了解」


丸沢の時と同じく視線は合わせないまま、

抑揚のない声で呟く仮面の少女。


それから、誰とも目を合わせずに、

真っ直ぐ階段の向こうへと消えていった。


獲物を逃がす形にはなっても、

さすがに幽も止めようとはしなかった。


「さて……と」


そうして二人のABYSSが消えたところで、

ラピスが改めてこちらへと向き直ってきた。


「私がどうしてここに来たか分かるかな?」


「……邪魔者の始末か?」


「そうだね。ルール違反を犯した丸沢と、

勝手に薬を使った手下たちの始末だよ」


「君たちがある程度やってくれたから、

だいぶ楽な仕事になったかな」


「後は、君たちの件を片付ければ、

私の仕事は完了だね」


「は? 黙って殺されると思ってるわけ?」


「殺しはしないよ。

でも、君にはゲームを降りてもらう」


「……はぁ?」


「ホントはね、私も口出しするつもりはなかったんだ。

このゲームに参加してるのがプレイヤーだけなら」


「でも、君は今、部外者を隣に置いてるでしょう?

それが私にとっては不都合なんだよね」


「だから、もしもこのまま笹山くんが君を助けるなら、

今回のゲームからは降りてもらおうと思ってる」


「何それ……あなたの事情で、

勝手にものを決めないでよ!」


「だいたい、前に部外者に手伝ってもらった時は、

何も言われなかったわよ」


「それは、たまたま言われなかっただけだね。

偶然のお目こぼしを通例にして欲しくないなぁ」


さらりとしたラピスの返しに、

幽が言葉に詰まる。


その様子を確認してから、

ラピスは『はい次ね』という感じで僕に向き直ってきた。


「一応、聞いておくけど、

君から手を引いてくれる気はない?」


「君が降りてくれるなら、

彼女にはそのままやってもらってもいいから」


「……手を引くっていうのは?」


「金輪際、黒塚さんと連絡を取らないこと」


「その条件なら飲めない」


「幽を一人で戦わせるのもそうだけれど、

幽と二度と連絡を取れないなんて無理に決まってる」


「それは、黒塚さんと手を切ったら、

君が一人でABYSSと戦う必要があるから?」


「違う。僕にとって、

幽が大事な人だからだ」


僕の気持ちをそのまま告げると、

隣から息を呑む音が聞こえた。


それに気付かない振りをして、

ラピスの目を見て話を続ける。


「……今回、幽を助けに来て、

よく分かったよ」


「幽が危ない目に遭ってるかもしれないってだけで、

僕は、いてもたってもいられない気持ちになるんだ」


「幽が傷ついてるのを見たら、

僕が傷つけられたのと同じくらい、痛かった」


「幽が生きててくれるって分かっただけで、

泣きそうなくらい嬉しかった」


「だから……今さら幽を一人で戦わせるなんて、

僕には絶対にできない」


「……それなら仕方ないね」


「笹山くんが手を引いてくれないなら、

黒塚さんに今回のゲームを降りてもらうしかないかな」


「それも僕は納得できない。

僕だけじゃなくて、幽もそう思ってるはずだ」


『そうだよね?』と目を向けると、

幽は当然とばかりに深々と頷いてきた。


「今さら降りろなんて、

納得できるわけないでしょう?」


「何も、タダで降りろとは言ってないよ。

特別に条件を付けてあげてもいい」


……条件?


「もし、この提案に乗ってくれるなら、

このままあの学園で平穏に過ごせるようにしてあげる」


「えっ……!?」


「プレイヤーじゃなく、普通の学生として、

卒業までいさせてあげるよ」


「黒塚さんは、命の心配が必要のない環境で、

これまで見てるだけだった青春を満喫するといい」


「で、でもっ、

そんなのできるわけがっ……」


「私ならできるよ。

何も心配する必要はない」


「その代わり、私から個人的に、

頼み事をすることはあるかもしれないけどね」


「……部下になれっていうことか?」


「厳密には違うけど、

凄く[簡単'シンプル]な解釈をするとそういうことだね」


「私の庇護下に入りさえすれば、

誰も手出しできなくなるっていう話だから」


「でも、それじゃあ、

プレイヤーに与えられる商品は……?」


「もちろん、諦めてもらうよ。

だって、平穏を手に入れるってそういうことじゃない」


「それは……そうだけど……」


「別に悪い取引じゃないと思わない?

黒塚さんの利益も最大限保障してあげているわけだし」


「……要求が一方的過ぎるんじゃないか?」


「そうかな? 私としては、

十分に選択肢を与えてあげてるつもりなんだけど」


「どれも飲めない選択肢だろう?」


「でも、ルール違反してるのは

君たちじゃない?」


「プレイヤーに与えられたルールは幽に聞いたけれど、

部外者との協力についてはなかった」


「というか、そもそもの疑問として、

僕が幽に協力することでABYSSは何が困るんだ?」


「簡単にクリアされると困るからっていうなら、

最初から協力者については排除すればいい」


「それに、片山や丸沢が部外者と協力していたのだって、

長い間お目こぼししていたんじゃないのか?」


「それを今さらになってダメだなんて、

そんなのはそっち側に都合のいいルール改変じゃないか」


「ABYSSがゲームの形式を取るのであれば、

それは公平であるべきだ」


「だからこそ、ただ諦めろっていうんじゃなくて、

黒塚さんに選択肢を与えてるんじゃない」


「その選択肢が、

納得できるものじゃないって言ってるんだ」


「ルールの不備はゲームの主催に責任がある。

で、主催はABYSSなんだろう?」


「だったら、僕らが飲みたくない条件を

無理やり飲む必要はない。違うか?」


「二兎を追う者は一兎をも得ず、

って知ってる?」


「もちろん知ってる。

その上で言ってるよ」


さっきから言いたいことを言ってはいるけれど、

背中なんかはもう汗だくだ。


この子がその気になれば、僕なんかの首は、

丸沢と同様にあっさり飛んでも不思議じゃない。


「それでも僕は、さっきも言ったけれど、

幽に一人で危ないことをさせたくないんだ」


「晶……」


「だから、ラピスの理不尽な提案には、

僕が噛みつかなきゃいけない」


「そんなに理不尽かな?」


「幽が本当に復讐をしようと思うならね」


「でも、もしも幽が復讐を諦めようとしているなら、

ラピスの提案は凄くいいものだと思う」


「……だそうだけど、

黒塚さんは復讐をする気はあるの?」


「そんなの……当然でしょう?

何のためにここまでやってきたと思ってるの?」


「ふーん……じゃあ、笹山くんはどう思ってるの?

黒塚さんに復讐して欲しいのか、諦めて欲しいのか」


「僕は……」


……ここで、

嘘はつくべきじゃないんだろうな。


「僕は、幽に復讐を

諦めて欲しいと思ってるよ」


幽が、小さく僕の名前を呟く。


置いて行かれた子供のような目を

僕に向けてくる。


そんな幽に、

まず『ごめん』と謝った。


それから、傷だらけになっていた、

幽の小さな手を取った。


「あのさ……幽。覚えてるかな?

さっき、うちから帰る途中に、幽が僕に聞いてきたこと」


「晶はどうして、

私に普通になって欲しいと思ってるの?」


「さっき、幽にその理由を聞かれた時は、

答えられなかったけれど――」


「今なら、ちゃんと答えを用意できる」


「幽のことが、好きだからだよ」



「っ……!」


「だから……何だかんだ言ってるけれど、

ラピスの提案に乗って欲しいとも、実は思ってた」


「幽が普通の学生になってくれるなら、

これから先も、ずっと一緒にいられるから」


「……だったら、

どうして反論してきたの?」


どうして?


そんなの、決まってる。


「だって……それは、

僕の望みでしかないから」


「幽は、復讐のために色んなものを捨てて、

プレイヤーになったんだ」


「その覚悟を、幽が今も持ってるなら、

僕のワガママで台無しにするのは絶対に嫌だ」


だから……僕は、

幽に無理強いはしない。


幽のやりたいことを、

最大限手伝おうと思う。


「ねえ、幽。

幽はどうしたい?」


「えっ……」


「これまで色んなものを捧げてきたからとかじゃなくて、

幽がやりたいかどうかで答えて欲しい」


復讐を続けるのか、

諦めて学生になるのか――


「僕は、幽のしようと思うほうを手伝うから」


「私……私は……」


「……やっぱり、兄さんについて、

何かの形で決着を付けたい」


「それが復讐なのかどうかは、

分からないけど……」


「それをしないと、

私はきっと、前に進めないから」


「……そっか。

そういうことなら、僕は幽を手伝うよ」


「本当に、晶はそれでいいの……?」


「だって、幽が選んだ道でしょ?

だったら僕は手伝うだけだよ」


「……ありがとう。嬉しい」


赤い顔で俯く幽に、笑顔を返す。


それから、結論が決まったところで、

再びラピスの顔を見据えた。


「そういうわけだから、

僕らの答えは『このまま続ける』だ」


「その結果、死ぬとしても?」


「例えそうだとしても、

僕は幽を助ける」


「んー……参ったなぁ」


「降りてくれないなら黒塚さんを殺すって言っても、

君は黒塚さんを守りそうだし……」


「逆に笹山くんを殺すって言っても、

黒塚さんは降りることを選択しなさそうだし……」


「ん~~……

どうしても降りてくれないんだよね?」


もちろん――と首肯を返す。


「でも、君たちの言うことを聞くわけにはいかない、

私の事情も分かってくれるよね?」


「それも分かってるつもりだ」


「それじゃあ、私と勝負しない?」


……勝負?


「このビルを出るまで……だと、

さすがに勝負が見えてるか」


「じゃあ、私の後ろにある階段に無事辿り着けたら、

君たちの言うことをそのまま通してあげる」


「その代わり、それが無理だったら、

私の言うことに従ってもらう」


「制限時間は五分。これでどう?」


後ろにある階段に無事に……っていうことは、

もちろん妨害してくるってことだよな?


この子の妨害をかいくぐって、

僕と幽で、階段まで?


本当に行けるのか?


「言っておくけど、これ以上の譲歩は不可能だ。

君たちに最大限有利な条件を出したつもりだよ」


「飲むかどうかは任せる。

でも、これ以上無理を言うなら、仕方ないね」


「私としても本意じゃないけど、

君たちのことは諦めるとするよ」


……殺すって話か。


いや。逆に、

ここまでの話から考えるなら。


この子は、僕らを殺さないように

動いてる……よな?


だったら、挑戦しない手は――


「ああ、やるなら私は殺すつもりで仕掛けるから、

変に命を大事にされてるとかは思わないほうがいい」


……読まれていたか。


まあでも『私に勝てば』とか条件を出されるよりは、

ずっと可能性はあるな。


本当に、最大限の譲歩なんだろう。


幽と顔を合わせる。


お互いで頷き合って、

挑戦の意思を確かめる。


「受けよう。その勝負」


「じゃあ、決まりだね。

よーいスタートで」


ジャンケンでもするような気軽さで、

ラピスは開始の合図を口にした。


とはいえ――


「……どうしたの、来ないの?

早くしないと五分なんてあっという間だよ」


「晶、行かないの?

ダイアログももうすぐ切れるわよ」


「……ねえ幽。これまで戦ったことのあるABYSSで、

隠し武器を使ってたやつっていた?」


「いいえ、いないけど……」


「じゃあ、幽は戦わなくていい」


「……は?」


「僕がラピスの攻撃を全部止めるから、

幽はその間に全力で階段を目指して」


「ちょっと、どういうことよ?」


「ラピスは十中八九、暗器使いだ」


言葉の意味を理解できなかったのか、

幽がラピスの顔を窺う。


その視線の先で、

ラピスは不敵な笑みを浮かべていた。


「暗器……要は、隠し武器を専門に使うタイプだよ。

全身のあらゆるところに武器を仕込んであるんだ」


「ゆったりとした服の中とか、髪の中とかもそう。

もしかすると、腕や足も改造してるかもしれない」


「本当にその道で食べてる人間は、武器を仕込むために、

腕や足を切り落とすなんてこともあるらしいからね」


想像したこともなかったのか、

幽が蒼い顔で言葉を失う。


「うちの父さんの話だと、暗器使いとの戦闘は、

経験と危機感知で決まるらしい」


「幽は、そのどっちもないでしょ?

だから、幽はラピスとは戦えない」


「……晶はあるの?」


「僕はまあ、腐っても鯛ってやつだね」


暗器使いとの経験はなくても、

知識はある。


まして危機感知に関しては、

[御堂の家'うち]の十八番だ。


幽がやるよりは、

僕がやったほうがずっと可能性は高い。


「でも、私のことなのに、

晶一人にやらせるなんて……」


「幽のことは僕のことだよ。

そういうのは気にしなくていいから」


「それより、

幽も絶対に気を抜かないで」


「僕から合図を出す余裕は恐らくないから、

幽の判断で入り口まで辿り着いて欲しい」


「……分かったわ。でも、ちゃんと止めてよ?

失敗したら、絶対に許さないんだから」


「大丈夫。

だから、幽も僕を信じて走ってね」


不安げな幽の目を、

敢えて強気な瞳で見つめ返す。


それで覚悟が決まったのか、

幽は力強く頷いてくれた。


「作戦は決まり?」


「……ああ」


「それじゃあ、いつでもどうぞ」


手袋を嵌めた手を持ち上げるラピス。


その動作を見て、父さんに教わったことが、

瞬時に脳裏に浮かび上がった。


曰く――

“暗器使いと戦う時は一手前を見ろ”。


体中に仕込んだ仕掛けを起動して武器にするには、

必ず何かしらの動作を伴うらしい。


例えば、右前腕部に仕込んだ刀を出すなら、

左手や足で起動の手順を踏む必要がある。


受ける側の僕としては、起動の動作を見て、

何が来るかを予測した上で、回避行動を取る形だ。


ただ、幾ら予測したとしても、

的中率はたかが知れている。


暗器使いは常に裏を掻くように仕掛けを作るらしいし、

僕の知らない仕掛けを使われたら対応できない。


最終的に僕が頼れるのは、

子供の頃から磨いてきた危機感知だけだ。


「ふぅ……」


スイッチを入れて――“判定”を聞く。


澄んだ柔らかな鈴の音。


その裏に、かちりかちりと、

時を刻む秒針のような機械じみた音が潜んでいる。


暗器使いを象徴するようなその“判定”に

脅威と恐怖を覚えつつも、一歩前へ。


勝負は一瞬だ。


幽と僕、両方がラピスの横をすり抜けるための

二十秒ほどが制限時間になる。


この時間に、僕の全てを注ぎ込む。


幽の道を切り開くために。


幽を、これからも守るために。


「行くぞっ!」


幽への合図も込みで叫んで、

ラピスのところへ突撃した。


一秒目――振るわれる手袋を嵌めた左手。


そこに仕込まれたワイヤーが、

周囲を切り刻みながら迫ってくる。


それを紙一重のところで踏み止まって回避

/舞い上がる矢と砂埃を手で払いながらラピスの懐へ。


三秒目――ラピスの起動動作。


右肘、左膝と僅かな動きを見せた直後、

右の前腕部から凄まじい勢いでハンマーが飛んできた。


それを左腕を張って受け止める。


が――


「!?」


重い。信じられないくらい重い。


体が流されかける/吹っ飛ばされそうになる

/骨の軋む音が聞こえる/間接が逆に曲がりかける。


「ぎっ……!」


それでも何とか勢いを受け流し、四秒目――

高速で流れる視界の中で、再びラピスが起動を開始。


スカートの下で踊る右足。

仕組みが全く予想できない。


が、かちりかちりと

吐き気がするほど響いてくる音から逃げるべく身を[捩'よじ]る。


瞬間、さっきまで体があった部分を、

鉄のかぎ爪が音を立てて薙いでいった。


たった五秒で、

攻撃の隙間なんてどこにもないことを理解する。


けれど、この僕が、

五秒も無傷で生き長らえている。


そのことに、ほんの僅かな希望を見出しつつ、

六秒目――


ラピスの靴が鳴る/右腕が伸びてくる。


その腕を垂直に曲げると、

今度は肘の辺りから金属の針が噴き出してきた。


体を反らして回避する――が、

まだ時計の音は止まない。


何かやばいと判断し、訳が分からないものの、

自分の顔を庇って手を伸ばす。


その手に、痛みが走った。


慌てて手を引いて見れば、

手の甲には透明な針。


先の金属の針はダミーだと悟る

/同時に殺傷力の低い暗器を使う意味に思考が向く。


思い当たる結論――毒。


前を見る。

ラピスの微笑――“さあどうする?”


飛び退いて血を止めるか、

毒を吸い出したい気持ちに駆られる。


けれど、背後に感じた幽の気配に、

すぐさまその考えは却下。


今、この場を離れることだけは

死んでもできない。


決死の思いでラピスに突っ込む九秒目――

起動は左足。


が、“判定”は鈴の音のまま。


動作はダミーだと判断し、

二度と生まれないかもしれないこの隙間で攻勢に移る。


「おっと」


打ち込んだ右ストレートを左の肘の辺りで受けられる

/作った右拳が痛みで崩れる。


装甲を仕込んであるに違いないと判断。

ならばと防御のない顔を目がけて左の手刀を――


「っ!?」


――放とうとしたところを、

寒気がするほどの危機感を覚えて、すんでの所で止めた。


「……さすが御堂の防衛術。

簡単に取らせてはくれないか」


確証はないけれど、

恐らくはワイヤー。


左手をあのまま振り抜いていたら、

迎撃されて手首から先がなくなっていた。


そのことに肝を冷やしつつ、

ラピスの振るう左手の射程圏から逃れる。


続く右の飛び出しナイフ――躱す/躱す/躱す。


その裏で起動動作を確認――

“判定”が警鐘をやかましいくらいに掻き鳴らす。


十五秒目――

顔目がけて飛んできた回し蹴り。


軸足を狩りに行くことも考えたものの、

色気を出さずに紙一重で回避。


その回避の瞬間、ラピスの振り上げた靴の先から、

二叉のワイヤー付きの針が飛び出ているのが見えた。


テーザーガンと直感――

が、今さら回避は不可能。


触れれば電撃を流される以上、

受けることもできない。


完全な詰みの状況の中で、

脳裏に浮かぶ死の文字。


けれど何もできず、

針が射出されるのを絶望的な思いで眺めて――


[来'きた]る十七秒目に、

ラピスが大きく横へと飛んだ。


「……えっ?」


一瞬、何が起きたのか理解できなかった。


けれど、すぐに、


「晶、早く!」


先に階段へと辿り着いていた幽が、

身振りも大きく僕のことを呼んでいるのに気付いた。


その手の握られた矢を見て、

幽の援護がラピスを引かせたのだと悟る。


そして、階段と現在地の間に、

僕を妨げるものが一切ないことにも――


「くっ……!」


走った。全力で走った。


ラピスの追い縋ってくる気配は完全に無視して、

決して振り向かず、幽の顔だけ見て走った。


“判定”の警鐘が後ろから聞こえて来るのに対しては、

危機の薄い方向へと跳躍してごまかす。


こんなのは十秒と持たないだろうけれど、

今はその十秒が稼げれば十分過ぎる。


そうして――


「おぉおオおおぉっ!!」


ブレーキは幽に任せて、とにかく全速力で、

階段で待つ幽の腕の中に飛び込んだ。


「晶っ……」


幽のにおいを感じる。温かさを感じる。

柔らかさを感じる。


抱き締めてくれる感触に、

生きているのを実感する。


勝った。

死ななかった。


僕らは、ラピスとの勝負で生き残った――!


「おめでとう、二人とも」


「ラピス……」


「正直言って、ここまでやるとは思ってなかった。

してやられたよ」


さして悔しくもなさそうな顔で拍手をしながら、

ラピスがこちらへと近づいてくる。


「約束通り、君たちは見逃してあげる。

二人で、この学園での勝利を目指すといいよ」


「……そんなこと言って、

後で私たちを襲うんじゃないでしょうね?」


「そうして欲しいなら、

今ここでやってあげるけど?」


不穏な言葉に身構える幽。


それに、ラピスはひらひらと手を振って、

冗談だよと微笑みかけた。


「君たちは私に勝ったんだから、もう手出しはしない。

というか、逆に手伝ってあげてもいい」


「もし望むようなら、ABYSSの部長に話を付けて、

決着の場を用意してあげるよ」


「……何を考えてる?」


「早い事態の収拾、かな。

これ以上、変なのに絡んで欲しくもないしね」


……丸沢や片山の件に関係することか?


ラピスが丸沢を処分に出てきたことを考えても、

嘘を言ってるようには思えないけれど……。


「ただ、ABYSSの部長に話を付けるのに当たって、

二つだけ条件を付けさせてもらうよ」


「……何だ?」


「一つは、ABYSS側と君たちで、

それぞれ一対一で戦って決着を付けること」


「そうでないと、二対一で勝負できる状況を作るとか、

作戦が絡んできてしまうからね」


「もう一つの条件は、

組み合わせを決めるのは私であること」


「具体的には、部長のほうは黒塚さん、

副長のほうは笹山くんにやってもらうことになる」


「それでよければ、

後はこっちで調整するけど……どうする?」


……部長と副長、か。


どれくらい強いんだろうか。


もし、アーチェリーの仮面以上だとしたら、

提案を安易に呑むのは危ない。


正体を特定する作業が減ったり、

奇襲や被害拡大の可能性が減るのは魅力的だけれど……。


「それでいいわ」


「幽っ?」


「いいじゃない、分かりやすくて。

間違いもなさそうだしね」


「それはそうだけれど、

今すぐ決める必要はないんじゃ……」


「どうせ考えても、結論は変わらないわ。

それに、ちょっと気になることもあるから」


……気になること?


「それじゃあ、決まりだね」


「準備が出来次第、連絡をするから、

見逃さないようにしてね」


「分かったわ」


「あ、それから笹山くんの傷だけど、

毒は使ってないから安心していいよ」


「じゃあ、後は頑張ってね」


それだけ言い残して、ラピスは僕らの脇をすり抜け、

手を振りながら階段を降りていった。


「……ふぅ」


何だかんだ、まだ先は分からなくなってきたけれど、

ひとまず危険は過ぎ去ってくれたか。


色々思い返してみても、

我ながらよく生きて帰れたな……。


「……晶、怪我してる」


「幽こそ、あちこち傷だらけだよ」


「私はいいの」


「いや、よくないってば。

早く治療しないと」


……って、

どうして幽はそこで笑うんだ?


「私のこと、

心配してくれてるのね」


「……そりゃまあ、心配するよ。

心配しないわけがないでしょ」


「それは……私のこと、好きだから?」


う……。


そういえば、さっきは勢いで言ったけれど、

あれって幽に思いっきり告白してたのか……。


今さらになって、

思いっきり顔が熱くなってきた。


「ねえ、どうなの?」


「そ、それは……」


「それは?」


幽が、いつもの意地悪そうな微笑みじゃなく、

可愛らしい笑顔を浮かべる。


意地悪ですらない軽いジャブってことか?

それとも、答えの分かってる質問だからか?


何にしても……。


め、面と向かって言うのって、

結構ハードルが高い……。


「ねぇ、晶?」


「と、とりあえず!

傷の手当てをしよう!」


「ほら、幽もそろそろダイアログが切れるでしょ?

そうなる前に、早く移動しておかないと」


「えっ? あ、ちょっと……」


「ほら、早く行かなきゃ!」


幽からの視線やら言葉やらは知らない振りをして、

階段を駆け下りる。


後で色々と言われるかもしれないけれど、

ひとまず僕が落ち着くまで、告白の件は保留しておこう。


やっぱり、

言う時はちゃんと言いたいし。


「もうっ……」



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