落とし穴










「やっと、これで全員揃ったか」


「こうして顔を会わせてみると、

なんか教室にいるみたいだね……」


「そうだね。ここまで周りに

ABYSSの関係者が揃ってたのかって感じ」


「余所の学園じゃこんなことはないけどな。

朱雀学園だからこそだよ」


「まあ、自己紹介する手間も省けるし、

これはこれでいいんじゃないか?」


「せやな。“図書室の魔女”を知らんやつも

ここにはおらんやろし」


「本当は目立つプレイヤーなんて

論外なんだけどな。こいつはもう……」


「いちいちうるさいわね。

蹴り飛ばされたいの?」


黒塚さんから突然出て来た物騒な言葉に、

思わず須賀さんの顔を見る。


が、須賀さんは溜め息をつくばかり。


もしかして、

まだ薬の影響下にあるんだろうか――


「ええと……黒塚さんはもう大丈夫なのかな?

誰彼構わず襲ってたって聞いていたんだけれど」


そんな僕ら経過を知らない組の疑問を、

温子さんが代弁してくれた。


「大丈夫だと思うわよ。

もう背中から変な声も聞こえてこないし」


「変な声? っていうと?」


「家族の声ね。実際は偽物だったけど。

『敵を殺せ』『仇を取れ』ってずっと言われてたの」


……どういうことだ?

幽霊でも背中に取り憑いていたのか?


「あー、多分だけどアビスの影響だよ。

ほら、あれって願いを叶える薬だろ?」


「幽の願望が声の形で脳内で繰り返されて、

自己暗示みたいな感じになってたんだと思う」


「でも、三錠目は飲ませなかったし、

今は普通の状態なのを確認してるから大丈夫だよ」


「でも、また急に声が聞こえて来たら、

暴れ出すんじゃないのぉ?」


「そりゃあ、

可能性は否定できないけど……」


「ま、そん時は全力で止めればええやろ。

俺も晶も須賀さんもおるんやしな」


「そうね。いざとなったら殺してもらってもいいわ。

もちろん暴れる気なんてないけど」


「……殺すかどうかはともかく、みんなを信じるよ。

黒塚さんの協力はありがたいしね」


「任せなさい。

怪物だろうと森本聖だろうと殺ってあげるから」


「……那美ちゃん。

黒塚さん、大丈夫かなぁ?」


「う、うーん……たぶん?」


幽以外の人間が首を傾げつつも、

ひとまずは全員で協力を合意――


今後の動きを決めようかという流れになったところで、

那美ちゃんが現状をまとめたメモをみんなに配った。


僕らが出ている間に、

羽犬塚さんと二人で拵えたものらしい。


新聞部の羽犬塚さん主導ということで、

さすがによくまとまっているようだった。


「えっ、うそっ!

もう森本聖が脱出してるの!?」


「だからみんなお前に呆れてたんだっつーの。

っていうか、森本聖は今は味方だし」


「何でそんなことになってるのよっ?」


「だから資料を読めよバカ」


須賀さんの勘弁してくれとばかりの溜め息――

それを皮切りに始まる罵り合い。


一気に賑やかになったなぁと月並みな感想を抱きつつ、

巻き込まれない位置に移動して資料へ目を落とす。


・遭遇した生存中の参加者のうち、

 この場にいないのは志徳院葉、深夜拝の二人。


・深夜拝は森本聖と同格とされている藤崎朋久を

 一対一で返り討ちにした強敵。


・志徳院葉のカード枚数を“女教皇”で確かめたが、

 現状で枚数はそう多くない。


・他に力のある参加者がいる可能性が高い。


「あ、この葉って人よ。

私にアビスって薬をくれたのは」


「本当かっ?」


「ええ。説明会からしばらく一緒だったもの。

朝霧さんも知ってるわよね?」


黒塚さんが目を向ける――温子さんが頷く。


「となると、こいつが幽を騙して

薬を飲ませた最悪の屑だってことか」


「そんなに言うほど

悪い人じゃなかったわよ」


「はぁ!? 何言ってるんだよ。

実際に酷い目に遭わされたんだろ?」


「それはそうだけど、

できるだけ飲まないようにって止められたし」


須賀さんが『何じゃそりゃ?』と

眉間に深い皺を刻む。


「んー……私も説明会が一緒だから幾らか話したけれど、

敵対的な人物には見えなかったかな」


「いやいや、そんなの幾らでも猫被れるだろ。

騙し討ちは基本なんだし」


「でも、私たちもカードを交換したんだけど、

ちゃんと約束を守ってくれたよ」


「あと、アドバイスもくれたよね。

『おっきいカードから使ったほうがいいよ』って」


「佐倉さんたちまで……」


「ほら、みなさいよ。

やっぱりいい人じゃない」


「……私はいまいち納得できないな。

そもそもアビスを持ってること自体、普通じゃないし」


「普通じゃないって言うと?」


「アビスは組織内部でも極秘の薬で、

相当上の人間じゃないと手に入らないはずなんだ」


「あ、そういえばそいつ

ABYSSの創始者って言ってたっけ」


瞬間――『はぁ!?』と、

全員が一斉に声を上げた。


「ABYSSの創始者って……

それこそ一番偉い人なんじゃないの?」


「その辺はよく分からないけど、違うみたい。

今は上から二番目とか?」


「……!」


「それで、今の一番上の人間に、

邪魔だって思われて消されかけてるんだって」


「ABYSSの権力争いか。

だとしても、創始者がこんなゲームに参加するかな?」


いや……多分その人は本当に、

ABYSSのナンバー2だ。


真ヶ瀬先輩から聞いていた通り、

このゲームは本当にABYSSの権力争いなんだな。


「……幽の情報が本当か嘘かは置いておいて、

志徳院葉ってやつは絶対に信用しないほうがいい」


「アビスを幽に渡してる時点で、

私は最初から始末する方向で動くべきだと思うね」


「須賀さんの懸念は私も理解してるよ。

でも、最初から始末はちょっと行き過ぎかな」


「だから、この志徳院さんに関しては、

ひとまず会って話を聞こうと思う」


「……それで手遅れになったらどうするんだ?」


「ならないように、

交渉はこちらが銃を突き付けた状態でする」


「ついでに、相手の人格によらず、

資産は全部巻き上げる」


「うわっ、えげつな……」


「いや、もちろん巻き上げた後に危害は加えないよ。

最低限、脱出もさせるつもりだし」


「そういう交渉だったら、

須賀さんも安心だろう?」


「……まあそうだな。

それなら別に文句はないよ」


「じゃあ、志徳院さんに関してはそれでいこう。

連絡先は分かってるから、呼び出すこともできるしね」


「……深夜さんはどうするの?」


「そっちはまあ、

今のメンツなら心配ないと思うよ」


「せやな。プレイヤーが三人に、

プレイヤー級の晶までおんのやから」


「そういうこと。

向こうも迂闊には来られないはずだ」


「ただ、問題は深夜のカードだな……。

藤崎のをそのまま奪ったみたいだし」


資料にあるところ、深夜の持っているカードは、

クラブの9、ハートの8、スペードの11。


全員での脱出を目指すのであれば、

こちらも当然、回収しておくべきだろう。


それ以外で注意すべき項目は――と見ていくと、

特別な怪物というところが気になった。


「龍一の妹も、

特別な怪物だったんだっけ?」


「せやな。連れてきたんがそうよ」


縛られたまま部屋の外で

大人しく横たわっている女の子へと目をやる。


大アルカナを取られたら役目終了ということなのか、

もう一切抵抗する様子はなくなっているけれど……。


話を聞くに、彼女が例の

アーチェリーのABYSSなんだろう。


「あの子を基準に考えるなら、特別な怪物は

他の怪物と一線を画していると見るべきだろうね」


「せやな。もういっぺん美里とやれ言われたら、

土下座してでもお断りするでマジで」


「あらそう?

私は別にどんと来いって感じだけど」


「そういえば、黒塚さんって、

あの子とも殺し合ったって言ってたっけ」


結果は痛み分けで、双方が引いたらしいけれど、

それが本当なら頼もしい限りだ。


「場合によっては、大アルカナ目当てで

特別な怪物を狩るのもありかもね」


「龍一の妹が持ってた“塔”みたいに

凄い大アルカナが手に入るかもしれないし」


“判定”を聞く限りだと、今の僕なら、

アーチェリーのABYSSに勝てる可能性は高い。


黒塚さんや龍一、須賀さんが手伝ってくれるなら、

かなり安定して行けるはずだ。


「あー、それだけどさ、

多分残りの特別な怪物ってラピスと獅堂だよ」


えっ。


「……ああでも、そういえば、

そんなことを聞いた記憶があったな」


ABYSSの派閥対立の中で、

先輩が怪物役として送り込まれたんだっけ。


それから、あの……獅堂天山も。


「もしかして、晶くんと須賀さんは、

怪物の正体を知ってるの?」


「まあね。でも、その辺は話すと深いし、

今はその名前だけ憶えてればいいと思う」


「……報酬も込みで脱出に関係のある要素だから、

できればきちんと説明して欲しいんだけど」


「脱出には直接関係ないよ。

あくまでこっちの事情の話」


「ふーん……

じゃあ、晶くんに聞こうかな?」


えっ? 僕?


「あーっと……そういえば僕、

聞いたことを忘れるツボを押されてたんだった」


「……酷い言い訳だけれど、

それ、もちろんふざけてるんだよね?」


「いや、大真面目です……」


ABYSSの内部事情なんて説明したら、

みんな縁が切れなくなるかもしれないし。


今回で終わりにするっていうなら、

何も知らないほうが得するはずだ。


「……分かった。それじゃあ、

必要な時が来たら聞くことにするよ」


「いいの朝霧さん?

必要だったら私が吐かせるわよ」


いや、吐かせるって。

僕、味方なんですが……。


「非常にありがたい提案だけれど、

須賀さんも晶くんも考えあってのことみたいだしね」


「必要な時が来たら、

ちゃんと教えてくれるんだろう?」


「もちろん。

必要な情報だけだけどな」


「ならそれで今は我慢するよ。

うっかり知らないほうがいい話題もあるだろうから」


「というわけで、佐倉さんも、

後で晶くんを問い詰めちゃダメだよ?」


「えっ……そんなことしないよ?

全然考えてもみなかったよっ?」


……嘘だ。

この顔は絶対考えてた。


「それで、これからどうするのぉ?」


「予定通りかな。

私たち以外の参加者を探していく感じ」


「私たち以外の参加者がほとんどいなくなった今、

“悪魔”があればすぐに会えるからね」


「で、協力できそうな相手だったら、

カードを交換してみんなでの脱出を目指す」


「交換なんてしないで奪えばいいじゃない」


「いやいや。交換は何もカード同士とは限らないよ。

身の安全と交換っていうこともできる」


「ああ、そういうこと」


「私たちがどう考えても最大勢力だからね。

有り余る資源を有効活用しない手はないよ」


「でも、そこまでする必要はないんじゃない?

話し合いで済むならそのほうが危なくないし」


「リスクを限界まで低くしたい気持ちは私もあるけれど、

クリア時にトップを取らなきゃいけないんだよね」


「あ……そっか。

交換しちゃうとカードが増えないからかぁ」


ここにいる全員を、

小アルカナだけで脱出させるとして――


脱出に必要な小アルカナの枚数は、

4枚×7人で28枚か。


現状で僕らが抱えてるのは22枚。

そのうちで4枚セットになってるのは一つだけ。


仮に大アルカナを使って脱出するとしても、

僕らの手持ちの大アルカナは12枚。


脱出条件は『任意の大アルカナを10枚』だから、

小アルカナは最低でも24枚必要になる。


……結局、他から奪ってこないと、

全員で脱出ってわけにはいかないんだな。


その上、クリア時の順位も考えるとなると、

自分たちの資産を増やして相手のは減らす必要がある。


「やるべきことは分かった。

でも、全員でぞろぞろ行くわけじゃないだろ?」


「そうだね。“悪魔”で交渉に行く組と、

カードを探す組の二手に分かれよう」


「交渉は私に任せて欲しいかな。

ただ、武力が二人分欲しい」


「ほんなら、そっちは俺が行こか。

デカい男がいるほうが、やりやすいこともあるやろ?」


「そうだね。あともう一人は……」


「じゃあ、一番ABYSSを知ってる私で」


「もし相手がABYSS絡みで脅して来たとしたら、

判断は私がするのが一番確実だろうしな」


「助かるよ。そういう場合は、

電話じゃ雰囲気が伝わりにくいだろうしね」


「ちょっと、そいつで大丈夫なの?

そいつ超弱いわよ」


「あんたに心配される筋合いないっての。

これでもプレイヤーの三校クリア最短記録保持者だし」


「えっ、嘘でしょ!?

あんなに弱いのに?」


口元に手を当てて、

『信じられなーい』とばかりに驚いてみせる黒塚さん。


須賀さんのこめかみに血管が浮き上がる。


「プレイヤーの評価には、

相手の特定とか情報処理も含まれるんだが?」


「っていうか、私がガチで実弾使えば、

幽なんか戦闘面でも私の足下にも及ばないんだが?」


「っていうか、最初の二校ですら死にかけて泣いてた

誰かさんに言われたくないんだが?」


「ちょ……な、泣いてないでしょう!?

勝手に人の過去をていぞうしないでくれる!?」


「嘘つけ泣いてただろお前は!

あと捏造くらい読めるようになれよバーカ!」


「うっ、うるさいわね!

そんなの読めなくたってブッ殺せば同じなのよ!」


「ブッ殺さないために言葉があるんだっつーの!

肉体言語よりまずは人間の言葉を覚えろ!」


「ああもう、あったまきた! 表に出なさい!

次元の違いをハッキリと教えてあげるわ!」


「はっ、上等だっつーの!

私が勝ったらお前、漢字の書き取り百冊な!」


「いいわよ別に! その代わりそっちは、

私が勝ったら一億万回土下座しなさいよ!」


そして始まる小学生レベルの罵り合い――

汚物の名前とかケーキを勝手に食べたとかあれこれ。


そのやり取りを傍で見ていると、

何だか居たたまれない気持ちになってきた。


っていうか、温子さんと龍一に関しては、

既に顔を押さえて項垂れていたり。


「何か……うん、何かだね……」


「そうだね……」


那美ちゃんの曖昧な表現が、

この上なく適切なもので困る。


本当に大丈夫なのか、これ……?








一時間ほどの休憩を挟んだ後に、

交渉に向かうことになった三人が部屋を出発した。


カードは万が一のケースを考えて、

大半を那美ら四人が分散して所持。


温子たちの持つものは最小限の小アルカナと、

相手の位置を知るための“悪魔”のみ。


その“悪魔”を、

大量の電池ストックを背景に常時起動して進む。


これにより、参加者は接近がすぐに分かるが、

怪物だけはそうはいかない。


“太陽”と“月”がお互いに打ち消し合っているため、

交渉/カード探索組ともに、目下の脅威は怪物だった。


「ま、何だかんだ余裕やろ。

その辺の怪物なら俺と須賀さんで速攻やって」


「そうあって欲しいけれど、

二人とも疲れてたりしないのかい?」


「疲れとるっちゃ疲れとるけど、

怪物相手くらいやったら何とかやな」


「私はそんなに。

あのバカに蹴られたところが痛いくらい」


「そういえば、

随分と仲が良かったね」


「皮肉で言ってる?」


「いや、素直な感想。

煽り合う須賀さんは想像できなかったから」


「んー……まあ、幽だからな。

あのバカ見てると口出したくなるんだよ」


「そういえば、外面だけはいいっていう意味も、

黒塚さんと話してみて理解できたよ」


「だろ? あいつ、いかにも賢そうな顔して、

勉強はからっきしだからな」


「まーでも、しゃーないやん。

プレイヤーに勉強は求められてへんもん」


「だとしても、プレイヤーの活動が終わった時に、

ちゃんと勉強できないと浮くだろ」


「あいつバカだけど顔はいいから、

変な男に騙されそうで怖いんだよ」


「だから、須賀さんが面倒を看てあげることで、

独り立ちできるようにしてあげたい?」


「……まあ、私に余裕がある間はな」


由香里が口を尖らせてしぶしぶ頷く――

それに温子が口元を綻ばせる。


「何だよ。そんなにおかしい?」


「いや……何だか須賀さんのほうが、

駄目男に入れ込んじゃいそうだなと思って」


「あー、何だかんだ文句言いながら

世話焼きそうなタイプには見えるなー」


「……ホントにそう見える?」


『NOと言ってよね?』という気持ちを視線に込めて、

由香里が二人へと問いかける。


が、その由香里の希望も虚しく、

返ってきたのは満場一致の肯定だった。


「そうかー……。

いやまあ、そんな気はしてたんだけどさぁ」


がっくりと肩を落とす由香里。


その小さな肩を、

龍一と温子の二人で叩いた。


「まあ、そんなに気にしなくてもいいと思うよ。

いい人が見つかると思うし」


「案外、黒塚さんと探すのもええかもな。

駄目男はきっと、黒塚さんが追い払ってくれるで」


「その追っ払うの、リアルでありそうだから

笑えないんだけど……」


由香里が顔を引きつらせる。


その頭の中では、声をかけてきた男に対して

幽が綺麗な回し蹴りを決めるシーンが再生されていた。





ややあって――





「……そろそろだな」


“悪魔”で探せる範囲に引っかかった一人目が、

もうすぐ傍にまで迫っていた。


「ただ、ちょっとおかしいんだよな」


「おかしいって、何が?」


「袋小路にいるまま、ずっと動いてないんだ。

何でこんなところにいるんだ、こいつ?」


「隠れて休んどるんとちゃうんか?」


「いや、休むんだったら部屋で休むと思う。

確かにおかしいな」


温子が口元に手を当てて黙考する

/由香里と龍一も同様に頭を捻る。


「罠を仕掛けて待ち伏せてるとかは?

部屋は暴力禁止だけど、袋小路ならそれができるし」


「攻撃的な休息場所ってこと?」


「それもあるけど、基本は相手と追いかけっこをして、

そこまで誘い込んで始末する感じだな」


「罠で確実に勝てる拠点をあちこちに作って、

そこを中心に迷宮を探索して回る感じ」


「うーん……それはちょっと

可能性としては低いかな」


『どうして?』と

納得行かなそうに眉を寄せる由香里。


そんな彼女に、

温子が考えを整理しながら口にしていく。


「時間を食うのを承知で罠を張るってことは、

自分の実力に自信がないってことだろう?」


「まあそうなるな。

自信があるなら殴り合うほうが早いし」


「うん。でもって、そういった人間なら、

ばったり相手と遭うのは避けたいはずなんだ」


「それもまあ……そうだな。

出会い頭で殺されるかもしれないし」


「となると、作戦の根幹に

“悪魔”みたいなレーダーがないと難しいんだよ」


「でもって、もしもレーダー持ちなら、

私たちが接近した時点で行動してないとおかしい」


「おびき寄せて罠にかけるには、

逃げ切れる距離で姿を見せる必要があるから」


「……なるほどな。納得した。

朝霧さんの言う通りだ」


「んでも、罠張る以外に部屋で休まない理由なんて、

他にあるとは思えんのやけどなぁ」


「まあ、そうなんだけれどね……」


うーん、と再び唸る三人。


「妥当っぽいところだと……

負傷とか罠とかで動けなくなったとかかな」


「実際、私も藤崎にしてやられて、

カジノで二十四時間足止めを食ったしね」


「経験者は語るってやつか。

でも、確かにその辺が妥当っぽいな」


「龍一くんは何か思いつかない?」


「あー……せやな。

部屋が嫌いだとか?」


「さすがに好みで外はないだろ……」


「いや、何か言うから、

とにかく言ったろ思ったんやけど」


「……いや、あり得るかも」


ぽつりと呟かれたその言葉に、

龍一らが『はぁ?』と温子の本気を疑う。


そんな二人に、

温子が人差し指を立てて問うた。


「『部屋に入らない』んじゃなくて、

『部屋に入れない』んだとしたら?」


「入らないじゃなくて、入れない……?」


「あーっ、そういうことか」


手を打って頷く由香里に、

温子が『その通り』と微笑みかける。


「大アルカナのペナルティか何かで、

部屋に入れない可能性があるってことだよ」


「“悪魔”みたいな罠カードが他にもあるとすれば、

『部屋に入れない』効果があっても不思議じゃない」


「そうだな。それなら、

部屋に入らないで袋小路に引きこもる理由になる」


「だとすると、あそこは休憩のための拠点で、

何か仕掛けてある可能性が高そうだ」


「もちろん、ただ動けなくなってるだけの

可能性もあるけれどね」


「でも、罠ありの前提で

動いたほうが確実だとは思う」


「ほんなら、どうしよ?

袋小路の中に何か投げ入れてみるか?」


「メモ帳にマグネシウムリボンを貼ったページが

少しあるから、もし投げるならそれもありかな」


「火はマグネシウムとナイフで起こせるし、水もあるし、

ペットボトルで工作すれば閃光手榴弾になるよ」


「……あなたのメモ帳は

四次元か何かに繋がってるんですか?」


「いや、何があるか分からなかったから、

できるだけ使いそうなものを備えておいただけ」


「特にマグネシウムは使いどころが分かりやすいしね。

龍一くんだって、燃焼実験くらい記憶にあるだろう?」


「あーっと……どやろな?

理科はべっこう飴作った記憶はあるんやけど」


「……授業に出る以前に、

義務教育課程の復習からだな」


「ついでに幽の勉強も

見てやってくれると助かるよ」


はぁ、と温子と由香里の二人が

溜め息をついて項垂れる。


「まあ、勉強の話はともかく、

爆発物を投げ込むのはやめておいたほうがいいな」


「私たちの目的は相手のカードなんだし、

事故があって携帯まで吹っ飛んだら最悪だ」


「あー、言われてみればそうだね。

じゃあ、結局は真正面から行くしかないのか」


「最低限の警戒だけはしてかな。

ワイヤーの類いなら見えると思うし」


「床を掘り返すことはできないから、

他の設置物も注意すればすぐ分かると思う」


「というわけで、私が先に行くから。

今川くんと朝霧さんは後ろで挟み撃ちの警戒」


「朝霧さんは“悪魔”から目を離さないで。

今川くんは怪物のほうをお願い」


「突入の連絡を笹山くんたちにしたら、

行動開始だ」


目を合わせて、

全員で作戦の共有を確認。


その後、突入時間/装備/合図の確認をして、

袋小路へと入って行く。


参加者のいる場所は、

角を二つ曲がった突き当たり。


ひとまず、道中の通路には異変なし

/怪物、他の参加者共に接近の気配なし。


問題ないと判断して、

由香里がハンドサインを出して先へ進む。


と、二つ目の曲がり角の直前まで来たところで、

由香里の耳に呻き声らしきものが届いた。


それより一歩遅れて、

龍一と温子も同様の声を確認――気のせいではない。


声の低さからするに、

相手は男でほぼ確定。


くぐもって聞こえるのは、

何か口元当てているのだろうか。


他に誰かがいる様子はなし。

“悪魔”でも一人でいることを確認。


現状で他に拾える情報はないと判断して、

由香里が銃を取り出し、後ろの二人へ目配せする。


その二人が頷いたのを見てから、


「動くな!!」


曲がり角から半身を出して、

声のするほうへ銃を突き付けた。


が――その直後、由香里の張り詰めた顔が

驚きによって歪に解けた。


「何だ、これ……?」


動揺を含んだ言葉に、

温子と龍一が顔を見合わせる。


一体何があったのか――


想像する間もなく、由香里が手を振って、

温子らにも見て確認するように促す。


その指示に従って、二人が由香里の隣に並び、

袋小路へと目を向ける。


そこで、先行した少女の零した言葉が、

もう一度聞こえて来た。


「何やこれ……!?」


そこには、手首と足首の先を切断された男が、

猿ぐつわをされて芋虫のように転がっていた。


「二人とも、見覚えは?」


「いや……遭ったことないやつやで。

初めて見た」


「私も同じく」


「ってことは、初遭遇の参加者か。

いきなり凄い状態で見つかったな」


周囲の罠を確認しつつ、

三人が男の傍へと歩み寄る。


「……切断面を強引に縛っとるみたいやけど、

血ぃかなり出とるな。よく生きとったわ」


龍一が目に涙を溜めた男の傍に屈み込んで、

ざっとその状態を確認する。


触れる前に、男の体の影を調べてみたものの、

物が隠れているようなことはない。


また、男の体にも不自然な膨らみのようなものはなく、

何かを隠し持っているとは思えなかった。


「このぶんだと、

携帯とかも盗られとるな……」


「いつやられたんだと思う?」


「床の血ぃが半乾きのところ見ると、

多分やけど数時間前やな」


「止血自体はかなり完璧やと思う。

切った時に派手に出ても、今はほぼ止まるっとるわ」


「当然、誰かにやられたんだよな?」


「せやな。こんなん自力でやったら相当マゾやで。

やった奴は相当手慣れとる」


「助けられそう……?」


「……すぐには死なんだけやな。

輸血できればワンチャンやけど」


そうか――と項垂れる温子

/ぼろぼろと涙を流す男。


そんな男を淡々と見下ろしながら、

龍一がその目の涙を指で拭ってやった。


「お前もこのゲームに参加しとったんやから、

その辺は覚悟してたやろ?」


「せめて仇は取ったるから、

誰にやられたか教えてくれや」


「もしこれ以上痛いのは嫌言うなら、

俺が痛いの終わらせたってもええし」


『なっ?』と呼びかけつつ、

龍一が猿ぐつわを取るために男の体を起こす。


――ごとり、と音がした。


「……あん?」


血に汚れた、小さな油紙の小包。


それが何故か、

男の腹の中からまろび出て来た。


だが、あり得ない。


そんなものを隠し持っていたのだとすれば、

大きさ的に必ず膨らみができる。


ならば何故、この小包が突然、

目の前に転がってきたのか――


その考えに至った瞬間、

龍一がはっとなって身を翻した。


「伏せぇっ!!」


龍一の腕が、

反応の遅れた温子と由香里の体を抱え込む。


屈んでいた無茶な体勢からだったが、

それでも、無理矢理にでも幾らか跳んだ。


その体が倒れ込むよりも早く――

袋小路の中に、爆風が吹き荒れた。









「絶対、何かあったんだよ!」


「……だね。

さすがに連絡がなさ過ぎる」


温子さんの携帯から

『今より接触』の連絡が入って一時間――


その後にあるべき結果報告の連絡が、

待てども待てども来なかった。


念のためこちらから“悪魔”持ちの須賀さん以外に

連絡してみたものの、一向に音沙汰がない。


「どうするの? 迎えに行く?」


「行きたいところだけれど、

無策で行くのは危ないと思う」


須賀さん、温子さん、龍一の三人がいて

トラブルに巻き込まれたとなると、余程の事態だろう。


考えられるのは、かなりの強敵がいたか、

上手くハメられたかのどちらか。


前者なら僕と黒塚さんでどうにかなっても、

後者だとミイラ取りがミイラになる可能性がある。


「でも、早く行かないと

三人が生きてる可能性が減るんじゃないの?」


……そう。色々懸念はあるものの、

黒塚さんの言う通りだ。


もう既に手遅れの可能性もあるけれど、

三人の命には替えられないか。


「迎えに行こう。ただ、那美ちゃんと羽犬塚さんを

部屋に送り届けるのが先で」


「二人も行きたい気持ちはあると思うけれど、

来ちゃダメなのは分かってるよね?」


「うん……分かってる」


「……でも、困ったらちゃんと呼んでね?

私と佐倉さんも、頑張れるから」


腕を抱いて悔しそうに俯く那美ちゃんと、

泣きそうな顔で袖を引っ張ってくる羽犬塚さん。


……二人の気持ちはありがたい。


でも、僕と黒塚さんでどうにかしなきゃ、

本当に全滅まで見えてくる。


「黒塚さん」


「ええ、分かってるわよ。

安全第一で行きましょう」


その真剣な顔へ同意を示し、

少し前に見つけた部屋へと引き返す。


――その一歩目で、

いきなり“判定”の音が頭の中で跳ね回った。


「みんな、止まって」


「晶ちゃん……?」


不思議そうに見つめてくる那美ちゃんたち。

けれど、そっちを見ている余裕はない。


忘れもしない、この“判定”の音。

昔の徹底的に鍛え抜かれたいじめぬかれた思い出が蘇る。


あの人が死ぬところなんて、

ずっと想像はできなかったけれど――


こんなところで遭うなんて、

思ってもみなかった。


「やっぱり生きてたんだね……

数多兄さん」


「……まさか、落ち零れに気付かれるとはな。

待ち伏せではなく奇襲して殺るべきだったか」


ゆらり――と。


進行方向の照明の影から浮き出るようにして、

十年近く会ってなかった義兄が僕らの進路へと現れた。


記憶にあるよりも遥かに磨きがかかった、

彫像のような無駄のない肉体。


仮面の下で暗く輝く、

相変わらずの絶対零度の眼差し。


こうして目の前に立っているだけで、

危機感知が警鐘を鳴らし続ける。


この人を、どうやって退けるか……。


「深夜さん……?」


……えっ?


「深夜さんですよね?」


「そういえば、似てるかも……」


後ろから上がった二つの声に、

思わず振り返る。


兄さんが……

例の死体作家の、深夜拝だって?


「――どこ見てるの!?」


金属の弾ける音が背中で鳴る

/一歩遅れてやってきた悪寒に慌てて振り返る。


そこでは、黒塚さんが抜き放った新たなナイフで、

振り下ろされたククリナイフを受け止めていた。


「余所見してないで早く動きなさい!」


「ごめん! ありがとう!」


感謝を叫びつつ飛び退る

/ざっと見渡して全員の位置関係を把握する。


今、最優先で僕のするべきことは――

那美ちゃんたちの安全の確保!


「黒塚さん、少しお願い!」


「任せておきなさい!」


即座に返ってくる頼もしい返事。

本当にありがたい。


刃の交わる音が通路に木霊するのを聞きつつ、

那美ちゃんと羽犬塚さんを回収する。


それから、黒塚さんの背中に隠れるようなルートで、

抱えた二人を後方の角へと運ぶ。


「二人とも、ちょっと隠れてて。

僕らだけじゃなく怪物に注意して」


「晶ちゃん、大丈夫なのっ?」


「追い払うだけなら何とかなると思う。

でも、危なくなったら、その時は羽犬塚さんをお願い」


「……うん。分かった」


それじゃあ――と行こうとしたところで、

羽犬塚さんに制服の袖を掴まれた。


「笹山くん……あのねっ、

ともくんも深夜さんにやられちゃったの」


「だから……だからっ……」


「……ありがとう。

きちんと気を付けるよ」


笑顔で羽犬塚さんの頭を撫でてから、

袖を掴んでいた手を振り払って前線へ。


と、黒塚さんが

かなり押し込まれているのが見えた。


兄さんが凄いのもそうだけれど、

黒塚さんの動きが若干鈍いか……?


もしかして、

龍一にやられたダメージが残ってる?


時間的にも実力的にも余裕がないと判断し、

ナイフを抜きながら加速する。


同時に“集中”――戦闘用の体に作り替えつつ、

兄さんへと逆袈裟に斬りかかった。


が、空振りに終わったそれに

即座に反撃が飛んでくる。


ククリナイフの強烈な一撃――

当たればその部分が即座に吹っ飛びかねない。


それが二つ三つと続いてくると、

受け止めるだけで相当な負担が手首にかかってきた。


長期戦が不利なのは明らか。

どうにかしないと。


「遅いわよこのバカ!!」


そう思ってたところで、

黒塚さんが猛然と戦線に復帰。


線と点の軌跡を次々に閃かせて、

兄さんの刃を止める/退かせる。


好機と判断――

それに合わせて僕も前に。


刃の弾幕を張るつもりで、

反撃の隙間を与えないようにナイフを振るう。


躱される/受けられる

/それでも構わずどんどん押し込む。


黒塚さんは不器用なタイプだとすぐに分かったため、

攻撃のタイミングは全てこちらで合わせる。


即興ながら呼吸自体は読みやすく、

それ自体はあまり難しくない。


問題は二つ。

負傷からか、やはり黒塚さんの動きが若干鈍いこと。


そして、もう一つは兄さん――


「くっ……!」


刃の雨を降らせているにも関わらず、

兄さんは涼しい顔でそれを捌いていく。


幾ら黒塚さんの動きが鈍いとはいえ、

それは最初に襲われた時と比べての話だ。


屋上でやりあった時とほとんど変わりない以上、

そこらの怪物よりもずっと強い。


それでも足りない部分に関しては、

僕ができる限り補っているつもりだ。


なのに、どうしてこの人は、

それを全部避けるんだ……!?


「何でこいつ当たらないのよ!?」


苛立ちが先に表出したのは黒塚さん――

さらに踏み込みを増やし、より攻めの苛烈さを増す。


代わりにリスクは増えたものの、

それは全てこちらで肩代わりして埋めていく。


さらに、黒塚さんが側方へと回り込みを開始し、

僕もそれに合わせて逆側へ移動――


両側から挟み込むようにして、

斬撃の嵐の中に兄さんを閉じ込める。


ククリナイフが/腕に仕込んでいるらしい手甲が、

火花を散らし悲鳴を上げる。


と、さすがにこれは堪えたのか、

兄さんが距離を取ろうと後ろへ跳んだ。


即座に追従する黒塚さんの刺突――

弾かれつつも相手の体勢を崩す。


なのに、その瞬間に、

危機感知がけたたましい叫び声を上げた。


そうだ、これは――


「黒塚さん危ない!!」


叫びながら、黒塚さんの体を突き飛ばしつつ

二人の間へ割って入る。


その直後に、視界の端からククリナイフが

空気を撫でるように飛んできた。


「ぎっ……!」


受け止めようと思ったものの、

さらに軌道が変化――前腕を掠める。


驚嘆すべき滑らかな斬撃。


意識の隙間を的確に突いてくるそれに、

まるで自分から刃を吸い込んでいるような錯覚を起こす。


御堂の家でこの人に教わったことのある技でなければ、

今ごろ僕の腕は吹っ飛んでいた。


けれど、安堵する間もなく、

さらに追撃が飛んでくる。


その一撃を何とか弾き、

こちらもナイフで応酬を開始――


「おぉおおおっ!!」


腕を振るうたびに、

火花を伴ってお互いの死線が交錯する。


間に横たわる幾つもの駆け引き――

フェイントや視線、斬撃の角度、攻撃の散らし方等々。


一つ一つの動きが、

有利不利の駒を僅かずつ動かしていく。


先に打ったやり取りや布石が、

後で大きく影響してくる。


横から黒塚さんを援護している時とは全然違う。

まるでチェスゲームをしている気分。


お互いの手は大体知っているため、

不確定要素が絡んでこないぶん、実力が直で現れる。


そんな、幼い頃は想像も付かなかった

兄さんとの打ち合いは、怖いくらいに怖くなかった。


力が拮抗している

実感があるのもそうだ。


相手の攻撃に重みを感じるものの、

速さはそう大したことはないと思えるのもそう。


この人は、僕に、

攻撃を怖いと思わせないように立ち回っている。


おかげで、攻撃の呼吸が読みづらく、

危機感知が直前までまともに機能してくれない。


暗殺者の鑑のような恐るべき技術。


自分の深淵と“繋げる”僕のやり方とは

違うアプローチだけれど――


突き詰めたこの人の技術は、

“逃れ得ぬ運命”と呼ばれても何ら不思議じゃない。


藤崎ってABYSSが殺されるわけだ。


この人は、やっぱり怖い――


と、黒塚さんの割り込む気配を見てか、

兄さんが大きく後ろへと退避した。


それに黒塚さんが舌打ちする

/兄さんへとナイフを構えたまま僕の前に立つ。


「悪かったわね、援護が遅れて。

どこで割り込んでいいのか分からなくて」


「ああ、うん……」


「……大丈夫? どこか怪我したの?」


「いや、大丈夫。多分」


怪我はない。

微妙に自信がなかっただけだ。


自分が、未だに生きているのかどうか。


僅かな間でのやり取りだったけれど、

とんでもなく疲れていた。


兄さんに狙われるっていうのは、

こういう気分なのか……。


「……成長したな。

ここまで出来るとは思っていなかった」


と、向こうも僕とのやり取りに思うところがあったのか、

平坦な声ながら賞賛が飛んできた。


十年近くも顔を合わせてないのに、

不思議と褒められたことが嬉しい自分がいた。


その気持ちが僕の表情に出ていたのか、

絶対零度の瞳が、仮面の下で不快そうに歪んだ。


「聞きそびれてたんだけれど。

あいつ、笹山くんのお兄さんなの?」


「……うん。

前の家での義理の兄さん」


「じゃあ、何で殺しに来てるわけ?

兄弟なんでしょ?」


「昔から仲はよくなかったしね」


っていうか、

むしろ恨まれてた節すらある。


「でも、今狙われてることとそれは、

あんまり関係ないと思う」


「じゃあ、どうして?」


「きっと、僕らは兄さんのターゲットなんだ。

ABYSSから暗殺を依頼されてるはず」


『だよね?』と問うも、

兄さんは特に反応を示さなかった。


まあ、この人が仕事関連で

迂闊に情報を漏らしてくるわけが――


「いや、違う」


――ないはずなのに、

予想外にも返ってきた答えにびっくりした。


「何を驚いている」


「いや……まさか、教えてもらえると思ってなくて。

兄さんは依頼主クライアントの話は絶対にしなかったから」


「それとも、今は昔と違って、

その辺りは柔軟になったの?」


「お前をターゲットにしたのは俺の意思だ。

別に話しても問題ない」


途端――

全身の血が、一気に足下に下りたような気がした。


僕が……兄さんに狙われていた?

嘘だろう?


何で、僕が兄さんに……。


「痛っ!」


いきなり、脇腹に衝撃が走って、

思わずよろめいた。


見れば、そこには怒った黒塚さんの顔。


「ショックなのは分かるけど、

気を抜かないで頂戴。死ぬわよ」


「ああ……ありがとう」


「とりあえず深呼吸しなさい」


言われるがまま、呼吸を整える。


……そうだ。落ち着け。


兄さんの視線には昔から敵意が滲んでいたし、

その可能性はあっても不思議じゃなかったんだ。


ショックを受けている暇があるなら、

他にやるべきことがある。


「いつから僕を狙ってたの?」


「お前が琴子を殺してからだ」


どくんと、心臓が跳ねる。

その瞬間の記憶が脳内で蘇る。


けれど、何とか気持ちを落ち着けて、

兄さんの顔を真っ直ぐに見つめた。


「じゃあ……琴子姉さんの仇討ちをしたいの?

だから、兄さんは御堂を出たの?」


「……琴子のいない御堂に用はない」


いつも揺らぐことのない兄さんにしては珍しい、

顔を僅かに俯ける仕草。


それで、ぴんと来た。


「兄さんが、

御堂の襲撃を手引きしたのか?」


「……それが必要だったというだけだ。

そこの黒塚幽が、いつまでも俺を追っているようにな」


「――何ですって?」


黒塚さんが、一歩前へと出た。


「あなたが兄さんを……

黒塚焔を殺したの?」


「そうだ」


首肯――その顔が上がるよりも早く、

黒塚さんのナイフが兄さんの頭上へ迫っていた。


しかし、振り下ろした刃が空を切る

/続く突きもククリナイフに打ち払われる。


そして、お返しとばかりの体当たりが、

黒塚さんを吹っ飛ばした。


その体が壁に激突する前に、

先回りして受け止める――追撃に備えて素早く飛び退る。


「黒塚さん、大丈夫っ?」


「くそっ……あいつっ! くそっ!!」


「いや、まずいって!」


なおも向かっていこうとする黒塚さんを、

慌てて引き留める。


「お前では復讐は無理だ」


「そんなの、

やってみなきゃ分からないでしょう!?」


「分かるさ」


敢えて語るまでもない事実だとばかりに、

兄さんが抑揚のない声で呟く。


「お前は黒塚焔には程遠い。

あいつは俺が依頼を達成できなかった男だからな」


「達成できなかった……?」


暗殺に成功したんじゃなかったのか?


「奴はABYSSに恥を掻かせた人間だ。

嬲り殺せという依頼だった」


「だが、影から一瞬で首を落とす以外に、

奴を仕留めることはできなかった」


「もし、真正面から行けば、

俺が返り討ちに遭う目もあっただろう」


……なるほど。そういう意味なら、

確かに依頼の達成は不可能だったんだな。


でも、生き残りを優先したというのは、

正しい判断だ。


兄さんが真正面から

黒塚さんのお兄さんとやり合うのを避けたように――


僕らも、このまま兄さんとやり合うのは、

絶対に避けなきゃいけない。


“繋ぐ”ことができれば勝機もあるけれど、

それをしても殺す前に那美ちゃんたちを狙われる。


龍一たちの安否も気になるし、

ここは引くのが得策。


「黒塚さん……

このまま少しずつ部屋まで逃げよう」


「兄さんも参加者だから、

部屋なら暴力禁止のルールには逆らえないはず」


「ふざけないで」


……えっ?


「兄さんの仇が

ようやく目の前に出てきたのに、ここで引く?」


「そんなの、

できるわけないでしょう!?」


押さえていた黒塚さんの腕が、

めりめりと音を立てて肥大していく。


“判定”の音が、

どんどん大きくなっていく。


そういえば――と思い出す。


アビスは、願いを叶える薬。


そして、黒塚さんの目的は

お兄さんの仇討ち。


っていうことは、三錠目は飲んでいなくても、

またさっきの黒塚さんに戻るんじゃ――


「黒塚さん、ダメだ!」


「いいからどきなさいっ!」


黒塚さんが振るった腕に

吹っ飛ばされかける。


けれど、例え刺されたとしても、

手を離すわけにはいかない。


ここで行かせたら、兄さんを殺せようと殺せまいと、

きっと取り返しの付かない結果になる。


「……まるで猪だな」


兄さんのほうから溜め息が聞こえて来る

/それに、黒塚さんがさらにいきり立つ。


このまま押さえるのは、

そろそろ限界か――


そう思っていたところで、

唐突に兄さんがククリナイフを収めた。


……どうしてだ?

僕らを殺しにきたんじゃなかったのか?


「ちょっと、舐めてるの!?」


「ひとまずはここまでだ。

後は連絡を待て」


「連絡……?」


何だよそれ――と問うよりも早く、

兄さんが十字路の角へと消えていく。


その退場の仕方は、まるで体が影に溶けるようで、

一瞬で気配そのものが消え去っていた。


取り残された黒塚さんが、

やり場のない怒りを叫びに変える。


けれど、今はその凄まじい雄叫びよりも、

兄さんの行動のほうが気になった。


わざわざ仕事内容を話して、

挑発までしたにも関わらずの撤退。


そして『連絡を待て』。


「一体、兄さんは

何をしようとしているんだ……?」



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