幽の過去3

ずっと夢をみていたような気がする。


それも昔の夢だ。


ただ、辛いだけの夢。


かじかむ手を温めようとしても、

吐く息自体が冷たく痛かったような、そんな夢――


「……あ」


ふと目を開けると、

部屋は眠った時と同じように暗かった。


頬が濡れていた。

どうやら、眠りながら泣いていたらしい。


旧い夢を見たせいだろうか。

それとも、熱のせいだろうか。


重さの残る身体に、

人気のない部屋の寒さが染み込んでくる。


忘れていた思考が、

じわり涙になって滲み出てくる。


「どうして……」


兄が死んで、両親が死んで――


どうして、自分だけが残ったのか。


兄の死因は不明だが、

父親と母親は自殺だった。


少なくとも、警察の人がそう口にしたのを、

彼女は耳にしている。


なぜ自殺などしたのだろうか。


兄が死んだせいなのか。


だったら、同じ子供である自分のことは、

どうでもよかったのか。


いや――そもそも、

どうして自分だけ置いて行ってしまったのか。


それが、これまで呆れるほど繰り返し、

幾度となく彼女を苛んだ疑問だった。


兄と自分を比較するわけではない。


本気で思うわけでもない。


思い巡らすだけ

無駄な思考だということは分かっている。


それでも――


こうして部屋で一人目覚めると、

自分が愛されてなかったのではないかと考えてしまう。


「ほんと……馬鹿みたい……」


溜め息をついて、頬の涙を拭って。

少女は改めて部屋を見渡した。


誰もいない部屋。

自分だけが残された部屋。


その、何もないはずの部屋の中に、

少女はふと、自分の知らないものを見つけた。


「……何これ?」


テーブルの上に置かれた一枚の紙切れに、

少女が目を落とす。


『幽へ。夕食を作っておいたから、

もし食べれそうなら温めて食べてね』


そのメモに、幽は目を丸くして――

それから、ふっと笑みを零した。


「そうね……誰もいないわけじゃないか」






家に帰る途中で、携帯が鳴った。


琴子だろうか?

電話が来るほど遅いとも思わないんだけれど……。


誰だろうと思って見てみれば、そこにあったのは、

今さっきまで傍にいた人の名前だった。


「……まさか文句とかじゃないよな?」


不法侵入の後ろめたさがあるだけに、

責められたらごめんなさいをするしかない。


というか、もしかするとアレか?

昨日の件か?


……やばい。言い訳用意してない。


とはいえ取らないわけにもいかず、

おずおずと通話ボタンを押下する。


「晶? 書き置き見たわよ」


「あ……うん。

具合はもう大丈夫なの?」


「微妙にだるいけど、

とりあえず大丈夫そうだと思う」


「そっか、よかった。

でも治りかけが肝心だし、無理はダメだよ?」


「大丈夫よ。

今日いっぱいは大人しくするから」


「いや、せめてあと三日くらい

大人しくしようよ……」


治る前に出歩いたりして、

また体調が悪化してもかなわない。


SUGAさんにも幽のことは頼まれたし、

どうにか僕が無理させないようにしないと。


「それより晶。

今日、不法侵入したでしょう?」


うぐっ。


「いや、あれは……」


……何て答えるべきだ?


幽のためだったとはいえ、

不法侵入自体は事実だから否定できないわけで。


「えっと……不可抗力というか、

電話しても繋がらないし、行っても出ないしで……」


「それでどうしようかって思ったら、

玄関が開いてて、後はもう成り行きで」


しどろもどろになってるのは自覚しつつ、

どうにか自分の正当性を弁解してみる。


「と、とにかく、

あれは仕方なかったんだ」


「……そう。それで?

私に何したの?」


「な、なにって? べつになにも?」


[疚'やま]しいことは何もないのに、

無駄に動揺してしまう。


僕がしたのは看病だけ。


その経過で、多少幽の身体に触れたりはしたけれど、

充分許容範囲のはずだ。


……たぶん。


と――何かしら追加の言い訳を考えていたところで、

電話先から幽の控えめな笑い声が聞こえてきた。


「冗談よ。晶が変なことするはずないこと、

私だって知ってるから」


「……あ、そう。冗談ね」


怒るとか呆れるよりも、

安心で一気に力が抜けた。


「もー、お願いだから、もっと笑える冗談にしてよ。

変な汗かいちゃったってば」


「ごめんなさいね。

晶をいじめるのって楽しいから、つい」


「何気に酷いこと言ってるよね、それ……」



「それも冗談よ。

っていうか、そうじゃなくて……」


「今日は、その……ありがとう」


「あ、え……うん――はい?」


ありがとう?


いや、さすがに聞き間違いだよな?


僕をいじめるのが好きって言ってた幽が、

素直にお礼を言うだなんて……。


……そうか!

これも僕をいじめるための手段に違いない!


「騙されないぞ、僕は……!」


「……はい?」


「今度もまた、幽の冗談なんでしょ?」


「っ……! バカっ!」


えっ、何で怒るの?


僕、何か悪いことした?


「あのー、幽さん……?」


「って、もう切れてる!」


画面には通話終了の表示。


それでようやく、

幽が本気で怒ってたことを理解した。


「えっ、何で? どういうことっ?」


怒っていたことは分かったけれど、

理由がさっぱり分からない。


ただ、急いで電話をかけなおさないとダメなことは、

僕の本能が理解していた。


「うわ、しかも出ない……」


電源オフにはされていないけれど、

二桁近くコールしているのに、未だ音沙汰なし。


どうする?

どうするよ、僕?


「……戻るか」


この場で粘っても幽は出てくれないだろうし、

直接行って謝るしかない。


そうして僕は、今朝よりも重い足を引きずって、

来た道を引き返すことになった。





「何で見捨ててきたんだよ!」


裏路地に捨てられた廃ビルの中に、

甲高い声が響く。


地団駄によって埃が舞い、

その場にいる二十の顔がしかめ面で咳き込む。


その黙って怒られることさえできない無能さがまた、

丸沢豊にとっては許せなかった。


「何で、片山くんだけ死んでて、

お前らみたいな虫けらが生き残ってるんだ!?」


「片山くんが殺されそうだと思ったら、

お前らが代わりに死ねよ!」


口角から泡を飛ばしながら、

怒鳴り散らす丸沢。


その要求は明らかに無茶だったが、

兵たちは怒りを覚えつつも、逆らおうとはしなかった。


何しろ、彼は片山と同じく、

朱雀学園のABYSS。


見た目はひ弱で、争い事に無縁そうでも、

その膂力は並みの人間を超えている。


片山の兵たちとて、フォールを服用しているし、

ケンカは数をこなした不良達であったが――


彼とまともにやりあえば、

あっさりと殺されることは目に見えていた。


まして、崇敬する片山の訃報に怒り狂っている今、

彼に逆らうことは神に逆らうことと同じである。


触らぬ神に祟りなし。


男たちは息を殺し、視線を合わせないよう俯きながら、

怒りの嵐が過ぎ去るのをじっと待つ。


そんな状況が、まるで丸沢が一人劇をやっているような、

何とも異様な光景を作り出していた。


「クソ! クソクソっ!」


窓から差し込む月色のライトを浴びながら、

丸沢が涙と涎を撒き散らす。


「おーおー、やってるねぇ」


そんな彼を揶揄する声が、

ふいに階段の向こうから響いた。


「誰だ!?」


かつんかつんと、

靴底が剥き出しのコンクリートを叩く音が昇ってくる。


その規則正しいリズムに、

観劇していた男たちがにわかにざわめき出す。


この場にいる人間以外は知らないはずの隠れ家に、

一体どこの誰がやってきたのだろうか――



そんな男たちの動揺を嘲笑うように、

その女は堂々と、彼らの前に姿を現した。


「誰って……

おいおい、マジで言ってる?」


鬱陶しそうに髪をかき上げる

その女の名は、高槻良子。


殺された片山の昔の遊び仲間であり、

“正真正銘の”ABYSSだった。


「な、何だこの女っ?

何でお前、ここに……?」


「いやー、参ったねこりゃ。

いっちょ教育かましてやったほうがいいのかねぇ?」


げらげらと笑いながら、

高槻がこきこきと首を鳴らす。


その余裕ぶった態度に怒った丸沢が、

高槻の傍の男を指差して呼びかけた。


その意味を理解した男が、

高槻の後頭部目がけて拳を振り上げて――


次の瞬間、思い切り吹っ飛ばされて、

ビルの煤けた壁面に叩きつけられていた。


「あー、悪いね。

手加減忘れてたわ」


ぱたぱたと手を振る高槻に、

丸沢が驚愕で飛び出しかねない瞳を向ける。


その恐怖の混じった視線に、

女は獰猛な笑顔で応えた。


「いいか、覚えとけ。

アタシの名前は高槻良子だ」


「片山に薬回してたやつって言えば、

どんな立場にいるかは分かるな?」


「お前が……片山くんに?」


「そうそう。その片山くんがブッ殺されたから、

出張ってくるしかなくなったっつーわけよ」


「お前らだって、

片山くんの仇を取りたいだろ?」


「あ……当たり前だろ!」


『なぁお前ら?』と、

丸沢が周囲を見回して同意を求める。


が――兵たちは目を伏せるばかり。


誰一人として、

丸沢に賛同する者はいなかった。


「ぎゃはははは!

あいつ人望ねーなー!」


「な……何なんだよ、お前ら!

片山くんに恩があるんじゃないのかよォ!?」


意味不明な兵の態度に激昂する丸沢だったが、

彼らが動かない理由は単純だった。


片山信二の仇討ちをしたところで、

彼ら自身にメリットがないからである。


もちろん、高槻はそれを知っているが――

丸沢にそれを教える気はなかった。


これから働いてもらわなければいけない大事な駒を、

丸沢に破壊されるわけにはいかなかったからだ。


「まーまー、落ち着けよ丸沢」


「だって……!」


「いいから落ち着けって。なっ?

あいつらがビビっちまうのはしょうがねーんだよ」


「何せ、片山をブッ殺したのはプレイヤーだからな。

お前は見たことないんだろ、プレイヤー?」


「実際に見てみると、ヤバさが分かるぞ。

お前の尊敬する片山くんだって瞬殺だったんだ」


「そんなん目の前で見せられたら、

ビビるのも仕方ねーと思わねーか? ん?」


そう言われてみると、

丸沢は反論ができなかった。


片山の強さは、丸沢も知っている。


そんな彼が目の前で瞬殺されたとしたら、

自分とて逃げない保障はない。


「でも……片山くんの仇は取らなきゃ……」


「分かってる。お前の気持ちはよーく分かる。

尊敬する片山だもんな、仇は取らなきゃ」


「つーわけで、特別サービスだ。

おねーさんが力を貸してやるよ」


「え……手伝ってくれるの?」


「勘違いするなよ?

アタシが直接手を出すわけじゃねーからな」


「アタシがお前らにくれてやるのは、

プレイヤーの弱点と、作戦と、とっておきの駒だ」


ニヤリと頬を吊り上げて、

高槻が丸沢の肩に手を回す。


「さて、どうする?

やる、やらない?」



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