コミュニケーション






「そういえば、

タカツキさんは好きな食べ物とかはある?」


「え? ええと……たいやきとか?」


「それじゃあ、さっきの“ダイアログ”が、

たいやき味だといいね」


「はあ……」


「ちなみに嫌いな食べ物は?」


「別に……何でも食べますよ」


「へー凄いね。私はミルクがホントダメ。

アレは人間の口にするものじゃないね」


「もし“ダイアログ”がミルク味だったら、

迷わず吐き出しちゃっていいから」


「……命のかかった状況だったら、

味で行動を決めたりしないです」


「ふーん。じゃあタカツキさんはさ――」


延々と続くラピスの益体のない話に、

タカツキさんと呼ばれた少女はうんざりしつつあった。


この状況をどう楽しめばそうなるのか、

ラピスは始終ご機嫌だ。


それが、リョウコには無根拠な緩みにしか見えず、

この少女が何を考えているのかが無性に気になっていた。


孤立無援と思われたこの状況で、

行動を共にしてくれる存在は純粋にありがたいが――


果たして、この自分より幼いだろう少女に従って、

本当に上手く行くのだろうか。


「あの……このまま進んでも、

本当に問題ないんですか?」


「うん、問題ないと思うよ。

というか、進む以外に道はないっていう感じだね」


ラピスは変わらない調子で答え、

ご機嫌そうに靴音でリズムをとってみせる。


「何度も言うけど、これはゲームなんだよ。

進まなきゃ、タカツキさんは死んじゃうんだ」


「画面の中のキャラクターが動かなかったら、

そんなゲームは面白くないから消しちゃうでしょ?」


「だったら、電源ボタンを押される前に

動かなきゃいけないよね」


その意見には、

疑問を差し挟む余地がなかった。


彼女の言うとおり、黙って立ち止まっていたところで、

時間が取る解決は“タイムアップによる死”だ。


それは当然、あってはならない結末であるため、

進む以外の選択肢がない。


「それじゃあ、

このルートには問題ないんですか?」


「学園って、どの教室にも複数の行き方があるし、

今いる道が最短だとしても、罠とかがあるんじゃ……」


「それも気にしなくていいよ。

ABYSSは基本的に罠を使わないからね」


「本当ですか?」


「だって、自分の手で狩ることが目的なんだもん。

それを変に効率化するようなことはしないよ」


「だから、罠はあり得ない。

あるとしたら、待ち伏せくらいだね」


「けど、それだってどのルートを選んだとしても、

可能性としてはあるわけでしょ?」


「結局、進むしかないわけですか……」


「そうそう。だから、そんなに緊張しないで、

もっとお話ししながら行こうよ」


ええ、と返事をしながら、

悔しくて唇を噛む。


いくら考えたところで、

結局はラピスの言う通りに行動しなければならない。


足を踏み出すこの行為ですら、

本当に自身の意思によるものなのか分からなかった。


「……ねぇ、タカツキさん」


そうして俯くリョウコの顔を、

隣のラピスがにんまり笑顔で覗き込んだ。


「私って、信用できない?」


「えっ?」


「私って、そんなに信用できないかな?

私があなたをハメようとしているのかなーとか――」


「私の頭が、タカツキさんよりも

悪いんじゃないかなー……とか」


「あ……いや、」


振り向き、言葉に詰まったリョウコに、

ラピスがくすりと微笑む。


「別に隠さなくてもいいんだよ」


「私は、自分でも得体が知れないヤツだと思っているし。

見た目にも、タカツキさんより年下だもんね」


仕方ないと思うよ――と、

視線の先で青い瞳が嬉々として語る。


「でもさ、そこを敢えて信じて欲しいんだよね」


「私がさっきから喋ってるのは、

信じて欲しいからなんだよ」


「ほら、信じるって字は、

人が言うって書くじゃない?」


「いっぱい喋れば、それだけその人のことを

信じられるようになると思うんだ」


「……詐欺師だったらどうするんですか」


「それを見極めてもらえるように、

話をしてるんだよ」


「最も簡単な詐欺に引っかからない方法は、

そりゃあ信じないことだと思うよ?」


「でも、誰かを信じなきゃいけない状況になったら、

タカツキさんは誰をどう信じるの?」


「それ、は……」


「タカツキさんは、

鬼塚をなんで信じてるの?」


下から覗き込んでくる少女の顔を見つめたまま、

リョウコは奥歯を少し噛んだ。


なんで鬼塚を信じたのか――

そんなのは簡単だ。


彼の真摯な態度を認めたからだ。


彼の一途な正義感に惹かれたからだ。


危険を冒してまで自身を救ってくれると言ってくれた、

彼の優しさに惹かれたからだ。


「どうやって、信じるに至ったの?」


それも分かっている。

二人だけで話せる空間の中で、


「……鬼塚さんと、話しをしたから」


「詐欺師だとは思わなかったの?」


「……最初は思ってた」


「ABYSSなんて、みんな私のことを……

その、殺す対象にしか見てなかったから」


「だから、この人もきっと、

酷いことするつもりなんだって」


「でも、違ったんだよね」


「お喋りしたら、そうじゃないって――

裏切られても構わないって、思ったんだよね?」


「――はい」


くすくすと笑いながら、

ラピスが糸繰り人形めいた仕草で首を傾げる。


「じゃあ、私はどうしたら

信じてもらえるのかなぁ?」


「あなたのことを、聞かせて下さい」


「うん、いいよっ」


嬉しそうに青い瞳を細めるらラピス。


それを見て、リョウコは自身の愚かさを恥じた。


なにが『自分の意思』だ、と。

なにが『自分の道を自分で選びたい』だ、と。


そういった言葉を口にできるのは、

一人でできる力があってこその話だ。


力が無いのにそれを主張するのは、

我がままな死にたがり以外の何者でもない。


そう。

自分は非力な、ただの一学生なのだ。


誰かに頼るのは恥でもないし、

頼ってはいけないというルールだってない。


なら、例え誰かの助言で選んだ道を進もうとも、

別に構わないじゃないか。


一緒にその道を進んでくれるというのならば、

歩みを共にすることに何も問題はない。


唐突に殺人ゲームに放り込まれた少女は、

自身の立場というものをようやくにして思い出した。


「それじゃあ、

タカツキさんは私のどんな話を聞きたい?」


「じゃあ……一つだけ」


「あれ? 一つだけでいいの?

いっぱいお話ししなくていいの?」


はい、という少女の頷き――覚悟を決めた瞳。


「ラピスさんには、

私に協力するメリットはあるんですか?」


「うん、あるよ」


「それは、私に対して

害のあるものではないんですよね?」


「それも保証できる。

タカツキさんには一切の害はないと思うよ」


一方的な善意ではなく、

それが双方の利益になる。


それだけ聞ければ、十分だった。


「分かりました。

なら、問題なんてありません」


こういう状況における経験も知識も、

自分より遥かに優れている少女。


そんな彼女が手を貸してくれるというのなら、

リョウコには断る理由は存在しない。


少女が笑顔で手を伸べる。


「これからもよろしくお願いします。

できれば、最後まで」


「うん。よろしく」


「……って、ごめん。

言ってる傍から、ちょっと無理そう」


何が無理なのか分からず、

『え?』とリョウコが口にする。


それと同時に、

ラピスがリョウコの前方へ飛び出し――


弾けるような衝突音の後に、

カランという乾いた音が廊下に響いた。


見れば、カーボン製の黒色の矢が、

ラピスの足元にころころと転がっていた。


「あの、一体何が……?」


「あぁ、気にしないで。

ちょっと狙撃されただけみたいだから」


「そげ……き?

狙撃って、まさか……」


「うん。アーチェリーだろうね」


その言葉に、

リョウコの顔が一瞬で白くなった。


同時に脳裏で蘇る、鬼塚の言葉。


“アーチェリーを持った女がいたら、

なりふり構わず逃げろ”


「そうだ……逃げないと!」


抜けそうになる腰を辛うじて留め、

リョウコは一歩、二歩と後ずさる。


ただ、どこにどう逃げればいいのか。


洋弓は競技として九十メートルの射的があるが、

限界射程距離はこの校舎の廊下の長さを優に超えている。


まして、弓を取るのはABYSSなのだ。


月明かりしかない廊下であろうが、どこにいても正確に、

殺傷力を保った矢を射掛けてくるのは間違いない。


ただ、この場に留まり続けたところで、

待っているのは死だけ――


「タカツキさん、まずは落ち着いて。

ほら、深呼吸深呼吸」


「で、でもっ、逃げないとっ」


「そんなに慌てたまま逃げても、

いいことなんて何もないよ?」


「それに、背中なんか見せて走ってたら、

すぐに撃たれて死んじゃうってば」


死ぬ――


そう言われた途端、一気にリョウコの血が冷たくなり、

体が凍り付いたように固まった。


「うん。とりあえず動かないで、

深呼吸でもしててね」


「で――面白い新入部員がいるって聞いたんだけど、

キミのことだよね?」


黒いドレスに身を包んだ少女が、

より黒い闇に紛れるABYSSに声をかける。


「隠れてる場所は分かってるんだから、

お喋りくらいしてくれてもいいんじゃないかな?」


「ほら、私は別に、

キミには何もしないからさ」


ひらひらと手を振る。


カツン――と。

静寂に冷える廊下に、ラピスの足音が響く。


「そんなに怯える必要はないよ。

それに、私はキミよりも弱いかも知れないじゃない」


カツン――と。

また一歩、ラピスが前へ出る。


「知ってるよ。キミ、ABYSSの部員の中では、

とびっきりなんだってね」


「強さだけじゃなくて、色んな意味で」


カツン――という音が、

今度は甲高い金属の音に掻き消された。


驚愕を背中に受けるラピスの足元に、

またも黒色の矢が転がる。


それを見てリョウコは、ラピスが

何かをして矢を叩き落しているらしいことを理解した。


が、見ていた限り、

ラピスにそんな素振りは一切ない。


超能力なんてものを信じてこなかったリョウコだが、

これがそれなのではとさえ思った。


「……ヤだなぁ。

そんなに私と喋るのが嫌いなの?」


傍ら驚き入る少女をよそに、

声の調子を低くするラピス。


攻撃でしか応えない相手に対する僅かな敵意が、

夜に煤けたリノリウムに反響する。


「あなたが――」


それに、初めて返答があった。


「あなたが生贄に手を伸べるのは、

完全なルール違反だ」


「あ、やっと口をきいてくれたんだね。

嬉しいな」


「で、なんだったっけ?

ルール違反? 別に構わなくないかな?」


「構わないことはないだろう。

あなたがしていることは、組織への完全な背任だ」


「そうかなぁ。

だったら、他の部員はどうなの?」


「あのゴミクズくんたち、

随分と好き勝手やってくれてるじゃない」


「……私はあなたのことを言っている」


「譲らないね。

まあ、いいけど――さっ!」


高い鈴のような音の後に、

再び彼女の足元に矢が転がった。


リョウコの顔がまたしても驚きに染まる中、

次なる狙撃を警戒して少女の前に立つラピス。


これで、落とした矢の数は三つ。


そのどれもが、

ラピスではなくリョウコを狙ったものだった。


「やれやれだよね。このかくれんぼしてる子は、

どうしてもタカツキさんを殺したいらしいよ?」


リョウコの顔が引きつる。


対して、ラピスの表情は変わらない。


命を狙われているにも関わらず、先ほどと同じ笑顔で、

墨を流したような虚空を見つめている。


そんな彼女を見て、

リョウコは化け物を見ているような錯覚を覚えた。


一体どんな修羅場を経験してくれば、

こんな風になれるのだろうか――


「タカツキさん」


「は、はいっ!」


「この道は使えないみたいだから、

違うルートから行っててくれないかな」


「あのコ、どうしても意地悪したいみたいだし」


「えっ? だって、矢が……。

それに、ラピスさんだって!」


「大丈夫。

タカツキさんに、矢は絶対届かないから」


「それと、私のことも心配しなくていいよ。

ちょっと、新入部員の歓迎会をしようかなとも思うし」


さらに一歩、ラピスが前へ出る。


そして、おもむろに腰のベルトから剣を引き抜き、

逆手に持ったそれを前方に突き出した。


「早く行って。

絶対に後で追いつくから」


「でもっ……」


「いいから。それとも、タカツキさんはここにいて、

何かができちゃったりするのかな?」


言葉に詰まるリョウコ。


確かにラピスの言うとおり、

この場にいて少女にできることは一つもない。


それどころか、足手まといになる可能性さえあることを、

リョウコ自身が解っていた。


結局、ラピスと一緒にいられないことは

分かっていたのだ。


それでも、リョウコは留まりたかった。

ようやく信じることのできたラピスと一緒にいたかった。


もちろん、それもここまで。


我がままが通用するほどに、

立ち塞がるABYSSは甘くない。


「……分かりました。

後でまた会いましょう」


「うん。楽しみにしてるね」


ラピスに背中を向けるリョウコ。


もう、その金の髪も、

青い瞳も、黒いドレスも視界にはない。


あるのはただ、夜の闇と月影のみ。


ここからは一人、

ゲームを続けねばならないのだ。


けれどもう、

怖れや躊躇はなかった。


一人でもこの先を進むのだという、

確かな意志を胸に、少女が足を前に踏み出す。


その足音は、

背後で鳴る金属の音に掻き消された。



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