笹山晶の日常2

「あーこっとんだー!」


学園の前で聞こえてきた大きな声に、

琴子と二人で振り返る。


と、ひまわりみたいに目一杯背伸びした女の子が、

両手を振って大きな花を咲かせていた。


「あ、ゆんゆんー! おはよー!」


「知り合い?」


「うん。同じクラスの友達」


琴子が笑顔で手を振り返してると、

友達がこちらへぱたぱたと駆けてきた。


「あ、こちらこっとんのお兄さんですか?

おはよーございます!」


「はい、おはようございます」


随分と元気な子だなぁ。


琴子の友達はあんまり見る機会がないけれど、

こんな子もいたのか。


まあ、色んな友達がいるのは

悪いことじゃない。


「それじゃあ琴子、

僕は先に行ってるね」


「え、一緒に行かないの?」


「いや、せっかく友達と会ったんだから、」

邪魔しちゃ悪いと思って」


「うー……ごめんね、お兄ちゃん。

また後でね」


「うん、また後で」


手を振る二人に見送られながら、

校門を抜けて下駄箱へ向かう。


と――


「ん……?」


校舎まであと少しというところで、

静電気で毛が立つような、微妙な違和感を覚えた。


もはや懐かしくさえあるその感覚が、

訓練を止めて久しい今なお機能していたことに驚く。


昔取った杵柄というやつだろうか。


内心を表に出さないように深呼吸を一つの後に、

じっと意識を研ぎ澄ます。


「視線か……」


これは……屋上からか?


随分と朝早いけれど、一体誰だろう。


気にはなるものの、すぐに反応するようなことはせずに、

素知らぬふりをして昇降口を目指す。


確認できなくても構わないくらいの気持ちで、

視線が外れるのをじっと待とう。



「ようやくだな……」


昇降口の辺り、校舎へと入る直前で、

やっと纏わり付いていた違和感がなくなった。


さて、朝っぱらから人間観察なんてしてる変わり者は、

一体どんな顔をしているのかな――



「……女の子?」


その綺麗な子は、何かを見下すように、

眼下を睨み付けていた。


黒い髪を風に揺らして。

綺麗な顔で、鋭い目で。


その真剣な表情は、適当に人間観察してるだけとは、

とてもじゃないけれど思えなかった。


「変わった子もいるもんだなぁ」


まあ、どうせ関わらないだろうし、

人にとやかく言うつもりはない。


視線の主は確認できたし、

早く校舎の中に入ろう。





――この昇降口に入る瞬間が、

僕の一日の中で最も嫌な時間だった。


「ふーっ……」


息をついて、息を止めて、

覚悟した上で校舎の中へと足を踏み入れる。


途端、貝殻を耳に当てると波音が聞こえてくるように、

ざらりとした人死にの痕跡が耳朶に触れてきた。


血の臭いとかじゃないし、

実際に音がしているわけじゃない。


あくまで感覚的なものだけれど、

この学園に入るたびに、それを感じていた。


本来なら、殺人や殺し合いのあった現場で、

事件直後に感じるようなものだ。


そんなものを学園で感じるっていうのが、

まずもっておかしい。


でも、そのおかしいのが、

入学からずっと続いているわけで。


となればもう、答えは一つしかない。


この学園では、

人殺しが定期的に行われている――


「……誰に言っても信じないだろうなぁ」


僕も信じられないし。


でも、感じてしまうんだからしょうがない。





幸い、すぐに慣れるから、

登校の瞬間だけ耐えればそれで済む。


僕にできることは、あと一年半だけ我慢することと、

何かあった時に動けるようにしておくくらいか。


でも、一体どんな理由で、

定期的に人殺しをしてるんだろう――


「考え事はいいけれど、

歩くときはちゃんと前を向かないと危ないよ」


「えっ?」


いきなりの目の前からの声に、

慌てて顔を上げる。


と、咎めるように目を細めた温子さんが、

てい、と僕の胸元に指を突き立ててきた。


「もう少しで私と正面衝突だった」


「ああ、ごめん。

――おはよう、温子さん」


「うん、おはよう」


「で、難しい顔していたけれど、

何を考えていたんだい?」


「え? あー……」


……殺人うんぬんは

人に話すようなことじゃないよな。


となると、適当なのは朝のあの話題か。


「最近の治安の悪さについて、ちょっとね」


「ああ、ちょうど今、

その話で先生のところに行くところだったんだ」


「えっ、何かあったの?」


「学園の敷地内に、

他校の生徒が出入りしているらしくてね」


「『とりあえず副委員長に』って、

クラスの子に相談されたんだよ」


「あー、そういうことか。びっくりしたぁ」


「事件に巻き込まれたんじゃないかって、

心配してくれたのかな?」


「いや、心配っていうか、

温子さんが巻き込まれるわけないよなぁって」


「……そこは嘘でも

『心配した』って言うところじゃないか?」


「ああ、ごめんごめん」


でも、大げさじゃなく、

温子さんが下手なことをする絵が思いつかない。


“朝霧温子に任せておけば、とりあえず問題ない”

これがうちのクラスの常識だ。


その優秀な副委員長のおかげで、

委員長ぼくは楽しつつも立つ瀬がなかったりするんだけれど。


「まあ、晶くんも気を付けるといいよ。

最近は本当に物騒みたいだしね」


「それと、何かあったら私にも教えて欲しい。

変わった人を見かけたとかでもいいから」


変わった人、か……。


「そういえば、朝から屋上に女の子がいたんだけれど、

誰だか知ってたりしない?」


「あー……それなら、黒塚さんかな。黒塚幽さん。

最近転校してきたばっかりの子だよ」


「あ、知ってるんだ。

温子さんの知り合い?」


「いや、爽が追いかけてる……」


「あぁ……『美人の転校生』なんて

分かりやすいもんね」


可愛いものと珍しいものに目のない爽が

飛びつかないわけはないか。


でもって、爽が追いかけているのであれば、

当然双子の姉である温子さんにも情報は入って来る、と。


「でも、かなり手強そうな感じだし、

爽も放っておけば諦めるんじゃない?」


「どうだろうね?

黒塚さんにあまりいい噂がないのは確かだけれど」


「……そうなの?」


うん――と頷いて、

温子さんが噂の例を挙げていく。


その内容は、誰かを怪我させたとか、

いかがわしい行為で荒稼ぎしているとかだった。


「その噂と、図書室にいつもいるのが相まって、

ついたあだ名が“図書室の魔女”だとか」


「……確かにそういう雰囲気はあったけれど、

ちょっと酷いなぁ」


「面倒だけれど、一人でいると、

そういう陰口が勝手に湧いてくるんだよね」


「あー、そうだね」


温子さんもしばらく前に、

似たような噂を立てられていたことがあったし。


もちろん、全部真っ赤な嘘だったわけで。


「まあそんな感じ。

すっかり話し込んでしまったね」


「ああ、先生のところ行くんだよね?

ごめんね、足止めしちゃって」


「いやいや。今後も何かあったら情報を交換しよう。

一人より二人のほうが、解決しやすいだろうからね」


「オッケー」


「それじゃあ、また後でね」


「――あ、秘密の考え事のほうも、

晶くんが望めばいつでも相談に乗るから」


うげ、バレてたっ?


いやでも、さすがに内容までは……

分からないよな?


「ふふっ、じゃあね」


思わせぶりな笑顔で手を振りながら、

温子さんが職員室へと歩いて行く。


……今後は温子さんの前では、

考え事をするのはやめておこう。

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