笹山晶の日常1
眩しいなと思って目を開けると、
枕元の目覚ましが鳴っていた。
「もう朝か……」
寝足りない気がするのは、
夢を見ていたからかもしれない。
何だか懐かしかった気がするけれど、
夢は日光に弱いのか、内容までは覚えていなかった。
吉夢は記憶に残りづらいらしいから、
きっといい夢だったんだろう。
同じように、
現実もいい日になってくれるとありがたい。
妹の琴子を起こすのが、
僕の朝一番の仕事だった。
「おーい琴子、起きてるー?」
聞くまでもないよなぁと思いつつも、
それでも一応のマナーとして扉をノック。
さらに礼儀で待つこと五秒。
……いや、茶番だし別に待たなくてもいいか。
「琴子、入るよー」
はい寝てるー。
既に知っていたから、
それ以上は何も思うことなんてない。
さっさと起こしてご飯の用意だ。
「ほら琴子、起きて。朝だよ」
雀の涙ほどの効果しかない目覚ましを止めて、
ベッドの横にしゃがみ込む。
「起きろっ、起きろっ」
琴子の肩に手を置いて、体を揺する。
「んん……おはよう……」
「はい、おはよう。もう一回目覚まし仕掛けとくから、
鳴ったら下りてきなよ?」
意識は微妙だけれど挨拶はできたから、
一応問題はないだろう。
目覚ましのアラームは三十分後。
それまでにご飯の用意だ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
お互い席についてから、
いつものように、一緒に手を合わせる。
“挨拶の類いは極力二人でしよう”。
二人で決めた約束だ。
始めたきっかけは、僕が進学する直前に起きた、
叔父夫婦の失踪だった。
原因は不明。
本当に唐突に、彼らは僕たちの前から蒸発し、
今なお帰ってくる気配はない。
幸い、本当の父さんから仕送りがずっとあったらしく、
金銭面ですぐに困るということはなかった。
ただ、家族の喪失を初めて経験した琴子は、
酷く落ち込んだ。
そんな妹を励ますためにしたのが、
先の挨拶の約束だ。
その決めごとと、二年近い時間もあって、
琴子はすっかり元気になってくれた。
後は、朝にもう少しだけ強くなってくれれば、
お兄ちゃんとして言うことはない。
「あ、お兄ちゃん見てみて!」
「ん? あー、またあったんだ」
テレビから聞き慣れた街の名前が出て来たと思ったら、
見覚えのある最寄りの繁華街が映っていた。
“これで今月五件目……多発する暴力事件”
そんな見出しで、声と顔に重みを乗せ、
原稿を読み上げていくニュースキャスター。
新たな被害者は僕らと同世代。
そして、加害者も当然のように同世代という、
若気の至りの見本のような事件だった。
「……本当に物騒になったよなぁ」
続く説明によれば、ここ数ヶ月におけるこの町の
傷害事件の発生件数は、何と前年比で五倍らしい。
「犯人が毎回逮捕されてるのに、
事件が多いのはなぁ」
「悪い人がいっぱいってことだよね」
「だね。幾ら捕まえても
いたちごっこなんだろうなぁ」
「一気に解決できればいいのにねー」
「ちょっと難しいと思うよ。
治安自体が悪いみたいだから」
「まずは悪いことをしにくくなるように、
警察に見回りとかを頑張ってもらうくらいかな」
「何か地道な感じだね……」
「元から変えるってそういうものだしね。
正義の味方でもいれば、話は別なんだけれど」
「あっ、いるよ。正義の味方」
「え……そんなのいるの?」
「うん。切り裂きジャック!」
「……何それ?」
そのフレーズで正義の味方って……。
切り裂きジャックと聞けば、十人中十人が、
イギリスの連続殺人犯を思い浮かべるはずだ。
それが正義の味方で、しかもこの町にいる?
与太話もいいところだと思うんだけれど。
「助けを求める人がいると、どこからともなく現れて、
悪い人をやっつけて行くんだって」
「ふーん。本当にいるなら凄いね」
……実際のところは、
助けた人が面白半分で名乗ってるんだろうな。
もしも実在するなら面白いけれど、
それに治安改善を期待するのはさすがに無理がある。
結局、切り裂きジャックや警察といった諸々に、
お世話にならないように自衛するのが一番だ。
まあ、いよいよ危なそうな雰囲気になってきたら、
琴子に防犯グッズでも持たせるか……。
それから、学園へ行く準備をして、
行ってきますの挨拶の後に、二人同時に家を出た。
二人とも同じ学園に通っているのもあって、
基本的に通学も琴子と一緒だ。
「そういえば、琴子のクラスでも
ようやく学園祭の用意が始まったんだよ」
「へー。琴子のクラスの出し物って何やるの?
一年生はクラス展示だったっけ?」
「うん。都市伝説についての発表みたいな感じ」
「都市伝説って……ミミズ肉のハンバーガーだとか、
ああいう系のネタ?」
「そうそう。色んな噂を調べて記事にするの」
……よくそんな企画が通ったなぁ。
普通は郷土史とかそっち系なのに。
「ご飯の時に言ってた切り裂きジャックも、
調べてる都市伝説の一つなんだよ」
「えっ……でもそれって、
危ない場所での調査も必要になるんじゃないの?」
「琴子は違う班だから分かんないけど、
そんなに危ないことしてないはずだよ」
「中止になったら困るからって、
委員長も口を酸っぱくして言ってるし」
「ならいいんだけれど……」
文化祭が終わった後に、
余計な仕事が増えないといいなぁ。
「お兄ちゃんたちのクラスは何するの?」
「あー、僕は生徒会のほうに出るから、
詳しく聞いてないんだよね」
「えー、委員長なのに?」
「うちのクラスの場合、
副委員長が実質の委員長だから」
「それに、生徒会のほうに問題があるから、
自分のクラスを気にしてられないのもあるし」
「問題って……何かあったっけ?」
「ま……」
「ああ、うん。あの人ね」
うーん、一文字で理解するとは。
さすがは真ヶ瀬先輩と言うべきか。
「でも、真ヶ瀬先輩って、
去年の文化祭で最後じゃなかった?」
「いや、今年もガッツリ居座る感じ。
というか最後だから張り切ってる」
「うっわー……」
ちなみに去年の文化祭は、
怪我人が二十人を超えたらしい。
まあ、満足度も近年で最高だったらしいから、
一概に悪いとも言えないんだろう。たぶん。
「でも大丈夫、先輩は今年で卒業だから。
今年で終わりだから。最後だから」
「お兄ちゃん、目が怖いよ」
「……とにかく、
琴子は先輩に絡まないほうがいいとは思う」
「何か要求されて断れないなら、
僕に相談してくれれば何とかするから」
「大丈夫。逆にお兄ちゃんこそ、
ちゃんと先輩の言うこと断ってね?」
「……前向きに努力はしてみるよ」
「努力じゃなくて、絶対っ。
無理そうなら琴子が代わりに断るから」
「う、うん……」
何だか琴子がやたらと気合い入ってるけれど、
まあこれはこれで良しとするか。
少なくとも、そういう心積もりなら、
無理難題を押しつけられることはないだろうし。
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