アジトの調査1

「あら、随分と早いのね」


午後十時――学園の校門前。


不安と期待に頭を巡らせながら走ってきたところで、

制服姿の黒塚さんに声をかけられた。


「準備する時間が必要だと思って、

わざわざ十一時集合にしてあげたのに」


「まあ……たまたま用意してあったんだ」


「だとしても、汗だくになって

走ってくる必要なんてないんじゃない?」


「……そんなことより、

片山の隠れ家が見つかったって本当?」


「本当よ。……ただ、もう少し落ち着きなさい。

そんなに焦ってもいいことはないわ」


「慌てる乞食は……ええと……

せ、せかいがすくない?」


「……もらいが少ない?」


「そ、そう! それよそれ!」


「私がわざと間違えたのを指摘できるってことは、

笹山くんもなかなか冷静なようね」


ふふん、と

強気に微笑む黒塚さん。


なるほど、

今のは黒塚さんのテストだったのか……。


「とにかく、慌てる乞食はだから、

急がないでゆっくり行くわよ」


「いや、僕は慌ててないから大丈夫だよ。

それに『善は急げ』っても言うでしょ?」


「そ、それは……その……」


「……私たちは悪だから急いじゃダメなの」


「悪だったの!?」


「生まれついての悪よ」


「しかも性悪説!?」


「そ、そうよ。人は誰だって、生まれる前から

お母さんのお腹を平気で蹴るじゃない」


「お母さんの、しかも妊婦の腹を蹴るだなんて、

これが悪以外の何者だと言うのっ?」


た、確かに……。


「分かればいいのよ」


ふっふっふ、と

満足げに頷く黒塚さん。


ここまで力押しされてしまうと、

突っ込みどころが満載でも頷かざるを得なかった。


でも……アレだ。

黒塚さんは話すごとに何かイメージが変わるな。


ほんの一昨日までは、

クールなイメージしかなかったのに……。



「とにかくそういうわけだから、

もっともーっと落ち着きなさい」


「その顔を見る限り、

どうせ寝てないんでしょう?」


う……全く仰る通りで。


「心が落ち着かないのは仕方ないとしても、

せめて体調くらいは整えておいて欲しかったわね」


「……ごめん。でも、琴子のことが心配で、

休もうと思っても全然そんな気になれなかったんだ」


「気持ちは分からないでもないけど、

それで足を引っ張られても困るの」


「いざというとき逃げる体力がありませんでしたなんて、

笑い話にもならないんだから」


黒塚さんの言っている事はもっともで、

頷くしかなかった。


「……分かればいいわ。

それじゃあ、行きましょう」


「どの辺りにあるの?」


「四つあるけど、

どれも繁華街の辺りね」


……そのうちのどこかに、

琴子が監禁されてるのか。


今から行けば、全部回ることになっても、

日付が変わる辺りには助けられるか?


「言っておくけど、あんまり期待しないほうがいいわよ。

幾つもあるうちの四つかもしれないし」


「いや、期待しないでって言われても……

そんなの無理だよ」


それに、悪い風に考えてたら、

実際にそうなりそうだし。


「逆に、都合よく考え過ぎてると、

ダメだった時に凄く落ち込むと思うけど?」


「そういう風に考えられるのは、

黒塚さんが他人だからだよ」


実際に身内を人殺しの集団に浚われていたら、

余裕なんて全然なくなる。


最悪のケースを想定したほうが得策だとしても、

そんなのは僕には耐えられない。


「……そうね、私は笹山晶じゃないから、

笹山くんと同じ考えになるのは無理だわ」


「でも、だからこそ、

冷静に物事を見られるとも思わない?」


それは……。


「そんなに気負ってても仕方ないわよ。

まずはもう少し力を抜きなさい」


「特にほら――その辺りとか」


黒塚さんが、

僕の腕の辺りを指差す。


その指した方向を視線で追うと――


「あ……」


そこには、

力いっぱい握り締めている拳があった。


よっぽど力が入っていたのか、

手を開いても、血の気が戻るまでに時間がかかった。


いつの間に、

こんなに握り締めてたんだ……?


「これで分かったでしょう?

あなた、ちょっと冷静じゃないのよ」


「顔色が悪いのもそう。

大丈夫っていうけど、私にはそうは見えないわよ」


「そんな様子じゃ、

助けられるものも助けられなくなると思わない?」


指摘されて――

途端に、恥ずかしくなった。


大丈夫大丈夫言っておいて、

知らず知らずのうちにこのざまか……。


「……ごめん」


「ふん。それくらい凹んでくれていれば、

ちゃんと話をしても大丈夫そうね」


ちゃんとって……

まだ何かあるのか?


「これから隠れ家を回るけど、

その前に約束して欲しいことがあるの」


「もしも隠れ家にABYSSがいたら、絶対に逃げて。

間違ってもやり合おうなんて考えないこと」


「笹山くんの妹は、私が何とかするから。

あなたは絶対に駄目よ」


「いやでも、

それじゃあ琴子が……!」


「納得いかないのは分かるけど、

普通の学生じゃ絶対に勝てないわ」


「あなたが死んだら、

妹さんも悲しむでしょう?」


「それはそうだけれど……でも!」


「約束してくれないなら、

あなたはここに置いて行くわよ」


有無を言わさぬ黒塚さんの要求に、

思わず言葉が詰まった。


「あなたも知ってる通り、私には目的があるから。

そして、それをあなたのために、ふいにはできない」


「もしあなたが片山たちに捕まったとしても、

私は助けるつもりはないから」


だから、すぐに逃げなさい――と、

黒塚さんが睨んでくる。


けれど、僕だって

これは引くわけにはいかない。


「だったら、放っておいてくれてもいいよ。

自分のことくらい何とかしてみせるから」


「……冷静に話を聞いてくれると思ったんだけど、

まだ頭に血が上ってるみたいね」


「いや、今は大丈夫だよ。

単純に、どうにかできると思ってるだけだから」


「どうにかできたとしても、

それはそれよ」


「私にも作戦があるんだから、

私の予定通りに動いてもらわないと困るの」


「作戦って、どんな?」


「それは……まだ言えないわ」


……ということはきっと、

僕を納得させるための方便なんだろうな。


「でも、とにかくABYSSがいたら、

笹山くんは逃げて欲しいの」


「……分かった」


言いたいことは沢山あるけれど、

この辺りが潮時だろう。


情報を黒塚さんだけが持っている以上、

本当に連れて行ってもらえなくなったら困るのは僕だ。


今は、黒塚さんの意見に頷いておこう。


もちろん、いざその時が来たら、

どうなるかは分からないけれど――


「……不満が顔に書いてあるんだけど。

本当に大丈夫?」


「大丈夫だよ。

本当に落ち着いてるから」


「そう……じゃあ、これだけは理解して。

私は、あなたも、あなたの妹も、死なせたくないの」


「だから笹山くん、

私の指示には従ってもらえる?」


真摯に僕を見据えてくる黒塚さん。


「……オッケー」


僕は、それだけを答えた。


短い言葉だけれど――

今度こそ、本心から。





黒塚さんが足を止めたのは、

繁華街の隅にある小さな建物の前だった。


隠れ家という割りには、

特に何の変哲もない雑居ビル。


中にいくつか事務所が入っているみたいだけれど、

この時間は誰もいないのか、明かりはついていない。


ぱっと見、

特に違法イリーガルな臭いはしないけれど……。


「……本当に、こんなところなの?」


「情報が間違ってなければね。

ここの三階が、片山たちの隠れ家の一つらしいわ」


「といっても、ちゃんと借りているんじゃなくて、

空き部屋を勝手に使ってるらしいけど」


「ああ、別にお金を払って

借りてるってわけじゃないんだ」


勝手に入って使ってるなら納得だ。


「でも、勝手に使っててバレないのかな……」


「バレたら場所を変えるだけなんじゃない?

ま、どうでもいいことだけど」


「私たちにとって重要なのは、

ここにABYSSがいるかどうか、ただそれだけよ」


「まあそうだね」


……僕にとっては、ABYSSというか、

琴子がいるかどうかだけれど。


「それじゃあ、入りましょう」


「そういえば、鍵は?」


「開いてるんじゃないかしら?」


いざとなれば壊せばいいし――と、

持っていたバッグをぽんぽんと叩く黒塚さん。


……スマートに開ける手段じゃないよな、絶対。


手段は選んでいられないとはいえ、

琴子を助ける前に逮捕されたらどうしよう――


そんな僕の心配は杞憂だったらしく、

扉はごくあっさりと開いてくれた。


「幸先いいわね」


黒塚さんの先導で、

ビルの中へと入っていく。


外から見た通り、中にも明かりはついておらず、

ほとんど真っ暗だ。


……僕はそんなに辛くはないけれど、

黒塚さんは目を慣らすのに時間がかかるか?


ABYSSの人間は夜目が利くみたいだから、

襲われたらいくらか時間稼ぎが必要かもしれない。


そんなことを考えながら、

階段を上る。


静かだった。


聞こえてくるのも僕たちの僅かな足音だけで、

生活音はおろか雑音すら聞こえて来ない。


そうこうしている間に、

片山たちの使っているという部屋の前へ。


依然として音も人の気配もない。


例え息を潜めていても、人がいるのなら、

そこには何らかの気配が生じるはずなのに――だ。


黒塚さんもそれを分かっているらしく、

無造作に扉を開けた。


「……誰もいないようね」


呟きの通り、

部屋の中には誰もいなかった。


ABYSSも……もちろん琴子も。


それでも、溜まり場にしていたと言うのは本当らしく、

部屋のあちこちに持ち込んだらしい物が置かれていた。


けれど、それだけ。


コンビニの袋とか皮の破れたソファーとかはあっても、

肝心の琴子がいないんじゃ意味がない。


「次に行くわよ」


あっさりと踵を返す黒塚さんに続いて、

部屋を出る。


自分の運があまりよくない自覚はあるけれど、

それでも祈らずにはいられない。


どうか、次で見つかってくれ――

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