図書室の魔女2

――どうやら、

魔女は夜も図書室に篭もっているらしい。


「笹山晶……!?」


「こんばんは、黒塚さん」


僕らは既に帰ったと思っていたのか、

黒塚さんは大きな音を出して椅子から立ち上がった。


「こんな時間に何をしてるの?」


「……それはお互い様じゃない?」


「いや、僕は生徒会の見回りなんだ。

最近、不審者が増えたからね」


「……で、こんな時間に理由もなく残っている生徒は、

不審者ってことになっちゃうと思うんだけれど」


「不審者呼ばわりとは随分ね。

残る理由がないって誰が言ったの?」


「ふーん……理由かぁ。

その理由って、屋上から僕の様子を見ること?」


「それとも、僕じゃなくて先輩のほうかな?

先輩は何だかんだで人気だしね」


先の監視に気付いていたことを伝えると、

黒塚さんは眉間に皺を寄せて、ぐっと口を結んだ。


けれど、それも僅かな間だけ。


「ええ、見てたわ。どっちもね」


開き直ったような緩んだ声で/顔で、

黒塚さんは肩に掛かっていた髪をさらりと流した。


「でも、まさか一人で戻ってくるとはね。

お仲間を先に帰らせてもよかったのかしら?」


「……何か勘違いしてるみたいだけれど、

先輩は全く関係ないよ」


「先輩とは生徒会の活動の一環で、

夜の学園を見回っていただけなんだ」


「ああ、そういうこと。

だから一人で戻ってきたと」


「まあ、関係ない人に見られるとまずいものね。

これからここで起きることは」


……随分気の早い発言だけれど、

まさか、ここでやる気か?


一対一でやれるなら、

僕としてもそれはアリだけれど……。


「……逆に黒塚さんには、

“お仲間”はいないわけ?」


「パートナーのこと?

ゲームに関係ないやつのことを聞いてどうするのよ」


「それ以外の話なら、

私は他の誰とも手を組む気なんてないわ」


……パートナー?


ABYSS内で、

二人一組で行動しているっていう話か?


その片方がゲームに直接参加することはない――なら、

ABYSSで実際に動いているのは二、三人?


そうなると、昨日ABYSSに襲われた時は、

実働のほぼ全部が集まったってことになる。


……ちょっと、

それは考えづらいな。


『そういうやり方もある』という認識に

留めておくのが正解か。


さておき――


『誰とも手を組まない』という話が本当なら、

今、黒塚さん以外のABYSSはいないことになる。


一対一で交渉できるこの状況は、

まさに僕の待ち望んでいたものだ。


しかも、ここまでのやり取りを見ても、

黒塚さんには話が通じる。


この機会を逃すわけにはいかない。


「単刀直入に言うよ。

これ以上、お互い関わらないようにしない?」


「……何よそれ、新しいギャグ?

悪いけど、全然笑えないわ」


「いや、ギャグとかじゃなくて本気で。

僕は殺し合いなんてしたくないんだ」


「随分虫がいいわね。誰かを殺すのはいいけど、

自分は殺されたくないってこと?」


殺すのはいいけれど……?


おいおい、何だそれ?


ABYSSは、

僕が元暗殺者だって知ってるっていうのか?


「あら、痛いところ突かれてだんまり?

人殺しの笹山晶くん」


「いや……ちょっと、

びっくりしただけ」


まさかABYSSに、

父さんの隠蔽を暴くほどの力があるなんて。


正直言って、怖い。


そんな力を持っている連中に、

僕が挑んだところで勝ち目はあるんだろうか?


……この状況では考える余地なんてないか。


勝ち目がどうこうより、

勝たなきゃ話にならない。


「僕が人殺しかどうかはともかく、

黒塚さんに殺されたくないのはその通りだよ」


「僕は金輪際、君たちに関わらないし、他言もしない。

だから、見逃してくれないかな?」


「くどいわね。あなたはこれまで人を殺す時、

相手の命乞いに耳を傾けてきたわけ?」


「いや……命乞い自体されたことないよ。

僕はこれまで人を殺したことがないから」


黒塚さんの瞳に怒りが満ちる。


『とぼけるな』という鋭い視線が、

ありったけの敵意と共に突き刺さってくる。


でも、ABYSSの調査に上がってないだけで、

僕が人を殺してないのは事実だ。


怯むことはない。


「逆に、黒塚さんはどうなの?

黒塚さんこそ、人を殺してるんでしょ?」


これでダメなら、どうせダメだ。


「それは、本当に殺したくてやってるの?

殺さないで済むなら、そのほうがいいんじゃないの?」


交渉決裂を覚悟で、

黒塚さんの罪悪感へ訴えていく。


そんな僕の糾弾に、

黒塚さんは顔を歪め、目を細め――


やがて『そうよ』と小さく零した。


「私も人殺しよ。

私は私のために殺しているの」


呟きと共に現れた

色のない表情を見て理解する。


ああ、覚悟が決まったんだな――


風を裂く音が聞こえたのは、

その直後だった。


危険に対し、

ほとんど本能的に身体が反った。


それより一瞬遅れて鳴る、

トンという着弾音。


それが投げナイフによるものだと認識するのと同時に、

黒塚さんが踏み込んできた。


視界の端で、

二つの無骨なナイフが牙を剥く。


その闇を吸った藍色の輝きを見て、

一目で接近戦はまずいと直感――


手近にあった本棚へと手を伸ばし、

取った数冊をまとめて彼女へと投げつけた。


黒塚さんが怯む/突進が止まる。


その隙に、全力で走り――



図書室から飛び出した。


あんな狭いところでやり合ってたら、

すぐに追い詰められるに決まってる。


でも、ここなら――そう振り返ったところで、

黒塚さんも部屋から廊下へと飛び出してきた。


「逃げ足は速いのねっ!」


言葉とほぼ同時に走ってくるナイフ。


その軌道が、

火花を散らして大きく曲がった。


「悪いけれど、素手じゃないんだ」


彼女が眼を見開いたその一瞬で、今度はこちらが踏み込み、

右手を真一文字に薙ぎ払った。


魔女の回避――

二歩三歩と後ろに下がる。


そこでようやく気付いたのか、

驚きの表情がしかめっ面へと変わった。


「私のナイフ……いつの間に!?」


「さてね」


逃げる際に刺さっていたのを拝借したんだけれど、

それを教えてやる必要はない。


逆に、黒塚さんの実力を教えてもらうために、

離れた距離を詰めていく。


「くっ……!」


彼女の肩へと突き出したナイフが、

二刀の元に弾かれる。


予測通りだったけれど、

やっぱり投擲用のナイフじゃ競り負けるか。


……ここは、下手に勝ちを狙うより、

黒塚さんの力を量ることに徹したほうがいいな。


「調子に乗らないでッ!」


魔女の反撃――身体ごと叩き付けるように

ナイフを振るってくる。


目の前で火花が咲く

/受ける手に衝撃が走る。


その直後――


「おっと!」


死角から、

彼女の持つもう一本のナイフが飛んできた。


それを回避しつつ、間合いを離す――

黒塚さんが追い縋ってくる。


二刀が縦に横にと入り乱れ、

その陰に隠れて突きが急所へと飛んでくる。


想像以上にナイフの扱いが上手い。


昨日の仮面の男みたいに力任せというのではなく、

確かな技術でもってこちらを追い詰めてくる。


一定の型らしきものがあるところを見ると、

誰かに師事したのは間違いないだろう。


ただ、ちょっと弱いな。


「逃げるだけなの!?」


飛んでくる怒声と風切り音。


それに対して大きく引きながら、

一つ、また一つと剣戟を[往'い]なしていく。


「このっ……大人しく死になさい!」


縦に横にとナイフの刃が迫る。


耳元を駆ける風切り音――

懸命に回避する振りをしながら後退と観察を続ける。


……体の[捌'さば]き方は上々。

[膂力'りょりょく]もそこらの男には負けないだろう。


かなり動き続けてるのに、運動量が全く落ちてこないし、

呼吸が大きく乱れている様子もない。


体力も相当あるな。


ただ――これが超人かと言われれば、

答えはNOなわけで。


昨夜のABYSSの連中とは比べるべくもない。

“判定”もイマイチ。


この程度なら“集中”をしなくても、

問題なく勝ててしまう。


……力を隠しているのか?

それとも、特定の条件下でしか力を出せない?


大穴で、黒塚さんはその力を持っていないとか――

と思っていたところで、


「ちょっと、やる気あるの!?」


黒塚さんから、

ナイフと合わせて文句が飛んできた。


「さっきから逃げ回ってばかりで、

最初だけしか攻撃してきてないじゃない!」


「この根性なし!

かかってきなさいよ!」


……クールな人だと思ってたけれど、

意外と気も短いのか?


だったら、

もうちょっと煽ってやるか。


「黒塚さんこそ、

僕にまだ一撃も当ててないだろ」


「……あなたの逃げ足が

速いからでしょう!」


「逆に、黒塚さんが

遅すぎるんじゃないの?」


「なんですってぇ……!」


あ、怒った。


「あのねぇ、私はあなたなんか、

殺そうと思えば一瞬で殺せるのよ!」


「じゃあ、やってみればいいだろ」


「あなた如きに飲むのは

もったいないの!」



……飲む? 今、飲むって言ったか?


それで瞬殺できるっていうことは、

超人になれる薬品のようなものがあるのか。


もったいないという話からすると、

回数や時間、個数といった制限があるのかもしれない。


……やっぱり、様子を見ておいてよかった。


いきなり本気で行って薬を飲まれていたら、

また逃げ出すはめになる。


「――っと」


廊下の端まで到着か。

観察はここまでだな。


後は隙を突いて、

一瞬で終わらせるだけだ。


「さて、もう逃げられないわよ」


黒塚さんが、

獰猛な笑顔を浮かべて二刀を構える。


けれど、僕が特に構えないでいたら、

黒塚さんの顔が怪訝なそれへと変化した。


「どうして抵抗しないのよ?」


「どうしてって……」


カウンターを決めるつもりだったからだけれど……

もしかして、諦めたと思われてるのか?


だったら、これはこれで、

情報を引き出せそうか。


「いやもう、

正直、敵いそうにないかなって」


「……何それ、本気なの?」


うわ、物凄い睨まれた。


さすがに素直に答えすぎか。

これで警戒されたら、元も子もないし。


「……そんなに弱いのに、

どうして一人で来たのよ?」


「えーと……真ヶ瀬先輩を

連れてくればよかったのに、っていうこと?」


「ふぅん、やっぱり真ヶ瀬も

ABYSSなのね?」


はい?


今、何て言った?

先輩“も”ABYSS?


“も”っていうことは、

僕“も”ABYSSだってことだよな?


何がどうなったらそうなるんだ?


「いいわね。

その調子で仲間のことを吐きなさい」


「あー、ちょっと待ってもらっていい?

何かおかしくない?」


「何がおかしいのよ?」


「何ていうか……

物凄く壮絶な誤解があるというか」


もしかして黒塚さんは、

僕をABYSSだと思っている……?


「えーと……黒塚さんは、

どうして僕に仲間がいると思ったの?」


「そんなの、あなたが

ABYSSだからに決まってるじゃない」


「じゃあ、僕を監視してたのは?」


「ABYSSだからよ」


「僕が死ぬとか

僕を殺すとか言ってきたのは?」


「ABYSSだからって言ってるでしょ」


「じゃあ――」


「あなたに関連することは、

全部あなたがABYSSだから!」


「でも僕、ABYSSじゃないよ?」


「……はい?」


「っていうか、もしかして、

黒塚さんもABYSSじゃなかったりする……?」


「はぁああぁっ!? 違うに決まってるでしょ!

何言ってくれてんの!?」


「は、はいっ! すみませんっ!」


向けられたナイフに頭を下げる。


でも――この反応からすると、

間違いない。


黒塚さんは、

ABYSSじゃない。


「っていうか何?

あなたがABYSSじゃない?」


「死ぬ間際になって、

嘘ついてでも生き残りたくなったわけ?」


「いや、そういう保身とかじゃなくて、

本当に違うから違うって言ってるの!」


「黒塚さんもさっき言ってたでしょ。

思ったより弱いとか、どうして一人で来るのかって」


「それは……」


黒塚さんは続く言葉を口にせずに、

考え込むように俯いた。


強さは、黒塚さん自身が口にした疑問だし、

僕が黒塚さんに対して抱いた疑問でもある。


ABYSSが超人的というのは、

やっぱり基準の一つなんだろう。


……何にしても、

とりあえずこれで誤解は解けたかな。


ただ、敵意はだいぶ薄れたけれど、

まだまだその顔は晴れない。


きちんと説明しておいたほうがいいか。


「黒塚さん。

ちょっと落ち着いて聞いて欲しい」


「さっきも言ったけれど、僕は黒塚さんのことを、

ABYSSのメンバーだと思ってた」


「でもって、多分黒塚さんも、

僕のことをABYSSだと思ってた。だよね?」


「まだ……あなたがABYSSじゃないと

決まったわけじゃないわ」


……黒塚さん、

あんまり嘘が上手くないな。


まあ、口でどう言おうと、

頭の中で理解しててもらえるなら十分だ。


「とりあえず、

昨日からの流れを言っていくね」


「まず、昨日の夜。

僕はABYSSに襲われたんだ」


「昨日の夜?

それって、あなたが遅くまで残っていた時?」


「うん。生徒会の用事で残っていたんだけれど、

余所の学園の女子を連れた仮面にばったり遭って」


「その場はどうにか逃げ切ったんだけれど、

顔も見られちゃったんだよね」


「でも、そのまま放置するのはまずいでしょ?

だから、ABYSSを調べることにしたんだ」


「黒塚さんを怪しいと思ったのは、監視されてるのと、

誰とも関わらない転校生って立場からかな」


本当は、図書室で『近いうちに死ぬ』って

言われたのもあるけれど。


まあ、あれは疑ってからの出来事だから、

敢えて言う必要はないだろう。


「大体の経緯はそんな感じ。

とにかく、僕はABYSSじゃないよ」


「……信じられないわね」


「そう言われたところで、仮に拷問されたとしても、

僕からは何も出ないよ」


だから、とりあえず信じて欲しい――


そう言うと、黒塚さんは唇を尖らせながらも、

構えていたナイフを下ろしてくれた。


僕のことを

信じてくれたんだろうか?


「言っておくけど、

勘違いしないでよ」


「勘違い?」


「あなた程度ならいつでも殺せるから、

今は見逃してあげるだけ」


「あなたの話については、

調べてから結論を出すから」


……ってことは、間違った情報を握ったりしたら、

その時はまた僕を殺しに来るってことだろうか。


それはさすがに困る。


「まあ、当分は手を出さないつもりだから、

安心してていいわよ」


「……当分じゃなくて、

永遠だと助かるんだけれどね」


「面倒じゃないから、

私もそっちのがいいわね」


黒塚さんが大袈裟に溜め息をついた後、

僕に背を向けて歩き出す。


「あ、ちょっと待って!」


「……まだ何かあるの?」


「いや、僕についてはさっき言った通りだけれど、

黒塚さんはどうしてABYSSに関わるのかなって」


黒塚さんは、

どうしてかABYSSを殺そうとしてる。


その理由次第では、

もしかすると、協力できるかもしれない。


「可能であれば、

教えてもらってもいいかな?」


「……私が“プレイヤー”、

ABYSSと敵対するものよ」


ABYSSと……敵対?


「じゃあね、笹山くん」


せいぜい気をつけて帰りなさい――と言い残して、

黒塚さんは廊下の闇に融けていった。


その様は、確かに魔女のようであって、

どこかしら不気味なものを感じてしまう。


でも――


「気をつけて……か」


さっきまで殺されそうな相手に心配されるのも、

微妙な気分だよなぁ。


それと“プレイヤー”。


昨日の夜に遭った仮面が言っていた言葉の意味が、

ようやく分かった。


あの仮面もまた、

僕をABYSSの敵対者だと勘違いしてた、と。


「みんな勘違いばっかりだな……」


思わず苦笑いが浮かぶ。


まあ、こういうのを一つ一つ解いていけば、

今の状況もずっとよくなって行くんだろう。


黒塚さんから命を狙われる心配が、

たった今、ほぼ無くなったみたいに。



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