琴子発見1

……ふと気付けば、

足下の影が長く長く伸びるようになっていた。


朝にあれほど賑やかだった公園は、

その姿をすっかりと変えている。


オレンジの光を受ける人の姿はまばらで、

僕らの他は数人しかいない。


朝のイメージが残っているからだろうか、

当たり前の光景なのに、それが酷く寂しく感じられた。


「飲み物、なくなっちゃったね」


「……そうだね」


「ちょっと買ってくるよ。何がいい?」


「いや、別に気を遣わなくていいよ」


「や、単に僕が飲みたいから。

温子さんも付き合ってよ」


困ったような顔をする温子さんへ苦笑いを返して、

自販機へ向かう。


……路地裏で“逃れ得ぬ運命”と遭ってから、

僕らは公園で時間を潰していた。


待っているのは、

黒塚さんのパートナーからの連絡。


本当は、連絡が来てから集合でもよかったものの、

温子さんの傍にいたくて、ずっと二人でいた。


その間に、色んなことを話した。


ABYSSのこと。学園のこと。

そして……それぞれの妹のこと。


特に、妹の話題は、

お互いに話しても話しても尽きなかった。


ただ――


何故だか僕は、

爽の話にあまり興味が持てなかった。





ペットボトルの中身が半分近くなくなった頃に、

ようやく待ちわびていた携帯が鳴った。


温子さんは目を見合わせる。

急いでディスプレイを確認する。


『黒塚幽』


……とうとう来たか。


「もしもし、笹山くんかしら?」


「うん。パートナーから連絡が来たの?」


「……ええ、来たわ。

あなたの妹さんがいる場所、分かったわよ」


「本当にっ!?」


「ええ」


「よかったぁ……」


これで、ようやく琴子を助け出せる。


「ありがとう、黒塚さん!

本当にありがとう!」


「……」


「あれ……黒塚さん?」


何だか黒塚さんの反応が薄いような気がするけれど……

気のせいか?


確かにクールなところはあるけれど、

僕と温度差があるというか。


「……とにかく今から、

その場所の近くで待ち合わせたいんだけど」


「あ、うん。すぐに行くよ。

……あ、温子さんも一緒だけど大丈夫だよね?」


「ええ。危険はないと思うから」


「それに、私一人だと、

どうにもならないかもしれないし……」


……どうにもならない?


危険はないのにか?


「それじゃ、待ってるわ」


急ぐように、電話が切れた。


……何だか、変な感じだな。


「黒塚さんはなんて?」


「あ、うん。琴子の居場所が分かったから、

これから合流したいって」


「そうか……よかったね、晶くん」


辛い思いをしたはずなのに、

まるで自分のことみたいに喜んでくれる温子さん。


その優しさは、凄く嬉しい。


でも――


だからこそ、

さっきの黒塚さんとのコントラストを感じてしまう。


それともこれは、

僕の自意識過剰なのか?


誰にでも祝福されるべきことだと、

僕が勝手に思い込んでるだけなのか?


「……どうかしたのかい?

何だか、あんまり嬉しくないように見えるけれど」


「えっ? あ、いや、何でもない。

何でもないよ」


「……ならいいんだけれど」


「とにかく、琴子を早く助けたいし、

早く合流場所に行こう」


「そうだね」


そうだ。とにかく行ってみよう。


そして琴子の無事を確認しよう。


考えるのは、

その後でも十分なわけだから。


そう思って、飲みかけのジュースの中身を、

側溝へと流し込む。


それから、ゴミ箱目がけて、

空のペットボトルを放り投げた。


狙ったはずのペットボトルは、ゴミ箱の淵に当たって、

結局拾って入れ直すはめになった。





着いたら連絡をするという約束だったけれど、

その必要はなかった。


約束の場所には既に、

長い黒髪をなびかせる見慣れた後ろ姿があった。


「あら、二人とも早いわね」


「まあ、早く助けなきゃいけないしね」


「……そうね」


無感情な呟き。


表情もその呟きに合わせて設えたようで、

およそ色というものを湛えていなかった。


それで――電話先の黒塚さんの様子が、

僕の気のせいじゃないということを悟った。


「……どうかしたの?」


不安になって訊ねると、

黒塚さんはかぶりを振って目を伏せた。


「いいえ……どうしたものかと思って。

ただもう、回りくどくする必要もないわね」


ついてきてちょうだい――と、

黒塚さんが先導する形で路地裏を進む。


数分後、昨日の廃ビルのような建物の前で、

黒塚さんは立ち止まった。


「ここに琴子が……?」


「ええ。中に」


もう一度建物を見上げてみる。


どうしてまだ中にいるんだろう――

そんな疑問が浮かぶ。


……いや、そんなことはどうでもいいか。


早く琴子に会わないと。

会って、安心させてあげないと。


「黒塚さん、中にABYSSは?」


「もう……いないみたいね」


それなら、何も問題はない。


二人より先に、

その建物の中へと足を踏み入れた。





中は暗い。


明かりもついていないし、

物音だって聞こえては来ない。


……念のため、人の気配を探りながら進む。


黒塚さんはああ言ったけれど、

ABYSSがいないという保障もないわけで。



人の気配がない。


やっぱり黒塚さんの言うとおり、

ABYSSはいないらしい。



人の気配がない。


人の気配がない。


人の気配がない――のだから、

本当に誰もいないんだろう。


ABYSSも、

片山の仲間たちも。


でも――どうして、誰もいないんだ?


「琴子!」


妹の名前を呼びかける。


狭いビルの中に声が反響する。


だけど、返事はどこからも返って来ない。


人の気配がない。


ABYSSの気配も――琴子の気配も。


「琴子! 琴子、どこにいるんだ!?」


怖くなって、妹の名前を叫んだ。


伏兵とか、そういうのはもう一切関係なしに、

とにかく声の届かないところがないように叫んだ。


それでも不安は埋まらなくて、走った。


暗いビルの中で、体がぶつかる。

足下の壊れた備品で転びそうになる。


それでも、怖くて、怖くて、

琴子の名前を叫びながら走った。


そして、突き当たりにぶつかって、

それがドアだと知って──とにかく開けた。





――床の上に、

何かが転がっているのが見えた。


目をよく凝らす。


瞬間、呼吸が止まった。


眩暈がした。


心臓の音が、やたらと高く聞こえた。


嘘だと思った。


というより、

これが嘘でなくて何なのか。


こんなものはあり得ない。

あってはいけない。


嘘だ。


こんなものは信じられない。


なのに――

震えが止まらなかった。


怖くて、上着の腕の辺りを思い切り握り締める。


でも、幾ら強く握っても、

服が破れるくらい引き寄せても、体が震えた。


息が苦しくなってきて、

鼻から熱を吐いた。


吸って、吐いて。吸って、吐いて。


それでも、苦しさは収まらなくて、

とにかく必死に息をした。


浅く速い自分の鼻息がうるさかった。


でもそのうるさい音は、

頭の中を一杯にしてくれた。


だから――そのリズムを作るためだけに、

ひたすら呼吸を繰り返した。


でも、それでも苦しくなってきて。


呼吸が、鼻だけじゃ追いつかなくなって、

口でも呼吸を始めた。


息をする度に体が大きく動いた。


なのに全然足りなくて、

とにかく、とにかく息を吸った。吸って吐いた。


それでも、全然駄目だった。


もう駄目だった。


堪えられなかった。


噛み締めたがちがち鳴って、

その隙間から、唾液と息と呻き声が漏れて――


「あぁあああああああーーーーっっ!!」


走った。


つんのめった。


もどかしくて四つ足で駆けた。


赤い琴子を抱き上げた。


ずっしりと重くて冷たかった。


そして――僕の嫌いな臭いがした。


「こっ……」


名前を呼ぼうとした。


その代わりに、歯がかちかちと鳴った。


琴子は、寝ているみたいだった。


でも、その胸には、

ごまかしきれないものが深々と突き立っていた。


「琴、子……」


それでも、ごまかされたかった。


騙されたかった。


こんなのは嘘だよと、

誰かに言って欲しかった。


だから――


「……琴子、迎えに来たよ」


優しく、いつも朝に起こすのと同じように、

ゆっくりと身体を揺すった。


「ほら、もう起きないと。

何もこんな時まで、寝坊することないだろ?」


でも、声だけはいつも通りにいかず、

どう頑張っても震えた。


「だから、そろそろっ、おっ……」


それが悔しくて、言葉に詰まった。


「起き、てよっ……」


僕は、致命的に演技が下手くそで。


「ことこっ……」


どうしようもないくらい、

嘘が下手くそだった。


「……見つけたときにはもう、

亡くなっていたのよ」


僕の呟きに答えるように、

背後から暗い声が聞こえてきた。


いつの間にか、黒塚さんと温子さんが、

僕の後ろに立っていた。


「晶くん……」


温子さんが、

泣きそうな顔で僕を見ていた。


でも、僕は温子さんに、

そんな顔をして欲しくなかった。


そんな顔をされたら、

もう、何も嘘にできなくなる。


でも――そう思うこと自体が、

酷い嘘だった。


分かってる。


本当は、出来損ないとはいえ暗殺者としての僕が、

何もかもが本当だって判断してた。


分かりたくなくても――分かってしまってた。


それを、その自分の冷たい部分を、

温子さんに押しつけようとしているだけだ。


悪いのは僕だ。


そう、悪いのは僕。


そんなことは、

琴子がいなくなったあの時から分かってた。


あの日、ABYSSに関わっていたくせに、

僕は琴子を一人にしてしまった。


一人にするべきじゃなかったのに、

琴子から離れてしまった。


いや、そもそも、

ABYSSなんかと関わってなければ。


それ以前に、僕が笹山の家にやってこなければ、

こんなことにはならなかった。


でも――幾ら後悔しても、もう遅い。


冷たい床の上で横たわる琴子。


もう、お兄ちゃんと呼んでくれない。


何も言ってくれない。


寝ぼけたまま朝ごはんを食べたりもしない。


学校にも一緒に行けない。


それが、辛くて。

悲しくて。


悔しくて惨めで、

何もかもが許せなくて――


「あぁあああああっ!」


思い切り、床に拳を叩き付けた。


「くそっ……」


「くそっ!」


「くそおっ!!」


「やめてくれ晶くんっ!」


「温子さん……」


「もういいから……もう……」


「だって……僕が悪いんだよ!?」


「違うよ、晶くん」


「何が違うんだよ!? 全部、僕が悪いんだ!

琴子が死んだのだって、爽が殺されたのだってっ!」


「違う!」


「僕が悪い、僕が……僕さえいなければっ!

僕が――」



突然、頬に痛みが走った。


じわりと痛み、やがて熱を持ち始めたころになって、

温子さんに頬を張られたのだとようやく気づいた。


「……晶くんが悪いわけじゃないよ。

悪いのはABYSSだろう?」


「だから……

そんなに自分を責めないでくれ……」


お願いだからと、

温子さんが縋り付いてくる。


いつの間にか血の滲んでいた僕の拳に、

手を添えてくる。


それでようやく、

温子さんが泣いていたことに気付いた。


同時に、

全身から力が抜ける感覚があった。


……終わった。


何だかもう、全てがどうでもよくなった。


誰が悪いとか、

誰のせいだとか、関係ない。


琴子が死んだ。それだけだ。


「晶くん……」


「……大丈夫。もう大丈夫だから」


心配そうに見つめてくる温子さん。


その視線を振り切って、立ち上がった。


でも、立ってる気が全然しなかった。


「……朝霧さん。

あなたたちは、今後もABYSSを追うの?」


「それは……」


「あのゴスロリの子の言ってたことが本当なら……

ここが抜け時だと思うわ」


「私は、処理班が来る前にここを調べるけど、

もう抜けるなら、ここは私一人でもいいから」


「……いや。付き合うよ」


「抜けるかどうかを決めるのは、後からでもいい。

でも、ここを調べるのは今しかできないからね」


「……確かにそうね。

それじゃあ笹山くんを外に出してから――」


「僕も調べるよ」


「晶くん? 大丈夫なの?」


「大丈夫。大丈夫だから」


……本当は、大丈夫かどうかも分からない。


でも、僕だけ琴子に関われないのは、嫌だった。


「……ならいいけど、

気分が悪くなったら外に出なさいよ」


僕が頷くのを確認してから、

黒塚さんは琴子の傍にしゃがみ込んだ。


「心臓への一突きが致命傷みたいね。

それ以外は、掠り傷くらいかしら」


「血だらけなのにかい?」


「ええ。……片山の手下が殺された時に、

傍にいたんじゃないかしら」


「片山の手下が……?」


「パートナーからの情報だと、隣の部屋には、

片山の手下の死体が転がってるらしいわよ」


「ここから隣の部屋まで、点々と血の跡が続いてるから、

そこで何かの争いに巻き込まれた可能性が高いわね」


「周りで片山の手下が殺されて、自分も胸を刺されて、

ここまで逃げてきたところで力尽きた……とか」


「……確かに、

その可能性が高そうだね」


「そういえば、ここにはあともう一人、

朱雀学園の制服を着た女の子がいるらしいけど……」


「……片山たちに捕まっていた子とか?」


「さあ。とりあえず見てみましょう」

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