物語の始まり1




誰も認めてはくれないけれど――

僕だけが感じていたことがあった。


そう。


人殺しは、声みたいだ――と。



僕の家は、殺人を生業としていた。


家族はみんながみんな人殺し。


お金をもらえば/訓練があれば/敵と対峙すれば、

誰もが平然と人を殺す。


そんな家庭環境で、僕だけがただの一度も、

人を殺したことがなかった。


“どうしてこんな簡単なことができないんだ?”


そう家族に言われたのは、当然だったと思う。

僕だってそう思っていた。


けれど、どうしても駄目だった。


殺そうと思って相手に近寄ると、

決まっていつの間にか意識がなくなってしまう。


訓練でも仕事でも、結果は全て同じ。


何度やっても、

僕が目を覚ますのはいつもベッドの上だった。


目覚めた僕の頭を、

お父さんの大きな手が撫でてくる。


「お前は少し変わっているな」


怒られているのかと思って『ごめんなさい』と返すと、

お父さんはただ曖昧に笑った。


思い返せば――

お父さんに叱られたことはほとんどなかった。


勉強をしろとか、早く寝ろとか、

生活の中では色々と言われていたけれど。


訓練に関して注意を受けたような記憶は、

ほとんどない。


他の兄弟へそうするように、

僕にも厳しく叱ってくれればよかったのに。


僕も何とか殺さなきゃって、

頑張れたのかもしれないのに。


でも、そんな僕の気持ちとは反対に、

それ以降もお父さんが何かを言ってくることはなかった。


それが嫌で、頑張った。

がむしゃらに、できることは全てやった。


そしてその度に、

ベッドの上で目が覚めた。


お父さんは何も言わない。


他の家族は、僕を出来損ないと笑いながら、

ひたすらに僕のできない殺人を重ねていく。


僕だけが、殺したくても殺せない。


それは、声を出したくて喉を震わせても、

息だけが漏れるようなもどかしさだった。


目の前の何でもない会話に混ざろうとしても、

僕だけが声を出せないような疎外感だった。


結局、僕は、

ずっと人を殺せないまま。


絶叫や歌、ささやき、泣き声、言葉遊びのような、

色々な家族の殺し方こえを、僕は黙って聞いているだけ。


“ああ、人殺しって声みたいだな――”


暗殺者の一家の中で、ただ一人落ち零れの僕は、

いつもそんな風に感じていた。


けれど、いつでも溢れていた家族の声は、

ある日に断末魔へと変わった。


敵の襲撃だ。


きっと、

お父さんがいない時を調べたんだろう。


かなりの数だった。

とても有名な暗殺者の姿もあった。


仕事としてではなく、

生きるための殺し合い。


暗殺者同士と言えども、

そのことに変わりはない。


殺さなければ死ぬ。


自分の身を守るために、

そして家族たちを守るために。


僕も、今度こそは殺さないといけない。


けれど――


気がつけば、僕はベッドの上にいた。


知らない部屋だった。

天井の模様も、匂いも、何もかも覚えがない。


ただ、一つだけ分かったことがあった。


僕はまた、

こえせなかったんだ……。


「目が覚めたか」


呼びかけられて目を向けると、

お父さんが僕を見下ろしていた。


「ここは……?」


「知り合いの病院だ。

襲われることはまずないから、安心していい」


「よかった……お母さんとかは?」


「……生き残ったのは、二人だけだ。

他は全員死んでいた」


「えっ……」


信じられない言葉に、

嘘でしょうと聞き返したくなった。


でも、お父さんが僕に向けてくる目は、

今まで見たことのない悲しい目で――


結局、僕は、

声を出すことができなかった。


「……生きていてくれてよかった」


お父さんが、優しく撫でてくれる。


そして、何があったのかを、

ゆっくりと話してくれた。


お父さんの話によると、

僕はやっぱり、意識を失っていたらしい。


屋敷から幾らか離れた場所で、

一人で眠っていたということだった。


……多分、僕は逃げたんだ。


戦わなきゃって思っていても、

知らない間に、家族を見捨てて逃げたんだ。


覚えてないけれど、

きっとそうに違いない。


「ごめんなさい」


悲しくなって、恥ずかしくなって、

涙が出てきた。


どんどん視界がぼやけて、体が震えて、

溢れた涙がこめかみを伝って落ちた。


お父さんは、何も言わなかった。


今まで失敗してきた時と同じように、

僕を叱ることはしなかった。


けれど――


あきら、お前は叔父さんの家に行きなさい」


今日は、違った。


予想もしていなかった言葉に驚いて、

お父さんの顔を見る。


「聞こえなかったか?」


「あ……う、うん」


本当は聞こえていたけれど、流されるままに

/聞き間違いであることを祈って、頷きを返す。


「お前のことは、

叔父さんの家に預けることにした」


聞き間違いじゃ……なかった。


“叔父さんの家に行け”って、

それは、つまり――


「お前は暗殺者には向いていない。

これからは、普通の人として暮らすんだ」


……誰にも期待されていないってことは、

ずっと前から分かってた。


けれど、実際にお父さんにそれを言われると、

凄く惨めな気持ちになった。


「……うん、分かった」


それでも、

何とか言葉を絞り出した。


お父さんに呆れられたくなくて。


聞き分けのいい子だって――褒めて欲しくって。


「僕、叔父さんの家に行くよ」


お父さんは短く呟くと、

淡く笑って僕の額に手を乗せてきた。


けれど、それもほんの僅かな間だけ。


温かく大きな手はすぐに離れ、

目に映る景色は広い背中に変わった。


それが別れ。


暗殺者だったお父さんは、

振り返ることもなく僕の前から姿を消した。

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