琴子篇

喧嘩の仲裁1

第35場面「続・abyss調査2」からの続きとなります。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883115712/episodes/1177354054883168458


拳を握り締め――


その痛みで、

行きたい気持ちを必死に押さえる。


琴子を見捨てるなんて、

あってはいけないことだ。


分かってる。

当たり前過ぎて議論の余地もない。


それでも――


長い目で見れば、琴子を助けることによって、

琴子に害を及ぼすことになる可能性があった。


今、ここでトラブルが大きくなっても、

きっと琴子のことは誰かが助けてくれるだろう。


でも、ABYSSの件に関しては、

僕以外は誰も解決することはできない。


ここで、僕が鬼塚に顔を見られることにより、

巡り巡って身内までABYSSに狙われたら最悪だ。


「……行かなきゃ」


唇を噛んで、

騒ぎの中心から背を向ける。


と――


「キャッ!!」



悲鳴と地面に倒れるような音が聞こえてきて、

慌てて振り返った。


何か……されたのか?


「調子こいてんじゃねぇぞオラァ!」


続いて聞こえて来る鬼塚の声

/琴子の怯えた悲鳴。


いいのか?

本当に、琴子を見捨てていいのか?


後で、それで後悔したりしないか?


そうして、迷っている間に――


琴子と鬼塚の周りは、

騒ぎを聞きつけた生徒で大きな人だかりができていた。


「……あ? 何見てんだよテメェら。

見せモンじゃねぇんだよ」


人垣よりも頭一つ大きい鬼塚が、

威圧感で固めたような形相で周囲に睨みを利かせる。


が、それで怯みはしたものの、

野次馬がいなくなる気配はない。


むしろ、騒ぎが騒ぎを呼んで、

通りがかった人がどんどん集まってくる。


恐らくは、有名な鬼塚の暴れ方を

一目でも見るために。


「……チッ」


それを鬼塚も感じたのか、

うんざりした顔でガリガリと頭を掻いた。


それから、どけよと声をかけて人垣を割り、

のしのしと歩いて行く。


その自主退場に胸を撫で下ろしつつ、

人の間をすり抜けて、琴子の元へと駆け寄った。


「琴子!」


地面にぺたりと座り込んでる琴子の肩を揺する。


痛がってる様子は特にないけれど、

殴られたりしたわけじゃないのか?


「琴子、大丈夫か?」


呼びかけるも、

琴子は反応を示そうとしない。


まるで、僕の声が聞こえてないみたいに、

鬼塚の去った方向を見ている。


それを不思議に思って、

琴子の顔を真横から覗き込んで――ぞっとした。


琴子の虚ろな目は、今まで僕が見たこともない、

暗い光を湛えていた。


「琴子? おい、琴子っ?」


不安になって、琴子の顔の前で手を振る。

しっかりしろと声をかける。


と、いきなり琴子の肩がびくっと跳ねて、

驚いた顔で僕のほうへと振り返ってきた。


「あ、お兄ちゃん……?」


「琴子? 大丈夫?」


「え? あ、うん。大丈夫だよ。

さっきの人の声に驚いて、転んだだけ」


……いつもの琴子だな。


ちょっとパニクってる感じはあるけれど、

さっきと違って、目がしっかりしてるし。


よかった。何もなくて……。


「……お兄ちゃんが、

助けに来てくれたんだね」


……えっ?


「よかった、お兄ちゃんが来てくれて」


「琴子、凄く怖くて、

途中で怖くて目を瞑っちゃったから」


「ああ……」


どうしてこうなったかを知らない、

ってことか。


まあ、琴子にとっては嫌な体験だろうし、

変に説明する必要はないだろう。


でも……。


琴子にその嫌な思いをさせたのは、僕だ。


もちろん、

自分の判断が間違っていたとは思わない。


もしあのまま乱入していれば、鬼塚はきっと、

僕がABYSSの敵であることに気付いただろう。


それを回避できたのは、

琴子を見捨てるという選択をしたからだ。


それでも――分かってはいても、

やっぱり辛いものは辛い。


琴子が僕に向けてくる感謝の気持ちに、

物凄く後ろめたさを感じてしまう。


「お兄ちゃん?」


琴子が、何も知らない綺麗な目で、

僕の顔を覗き込んでくる。


「……いや、何でもないよ」


首を傾げる琴子に、曖昧な笑顔を返す。


後悔したところで、

琴子に話すことはできない。


二兎を追う者は一兎をも得ず。


だったら、さっきの件は仕方ないと割り切って、

それ以外の部分で琴子に尽くすべきだろう。


それが正しいと、思うしかない。


「念のため、保健室に行こうか」


「えっ? 大丈夫だよ、別に」


「怪我した直後は痛くなくても、

後から痛み出すことはよくあるんだってば」


それに、さっきの琴子の様子も気になる。


落ち着いてるように見えても混乱してる可能性はあるし、

教室に戻るのはもう少し後がいいだろう。


「今見たら、膝も擦り剥いてるみたいだし。

ほら、ねっ?」


「……うん、分かった」





「ねえ、琴子。どうしてわざわざ、

ケンカの仲裁に入ったの?」


「どうしてって……」


「だって、もしも力ずくで来られたら、

琴子じゃ止めようがなかったでしょ?」


昼休みだからか、

先生もいない保健室――


琴子の擦り傷の手当てをしながら、

ずっと気になっていたことについて話を振った。


「琴子は知らないかもしれないけれど、

あの鬼塚って人は、危なくて有名な人なんだ」


「琴子がこんな怪我で済んだだけでも、

相当運がよかったと思う」


「それは……うん」


「ケンカを止めるのは立派な行動だと思うよ。

僕も、そこは否定しない」


「でも、琴子に危ないことはして欲しくないのが、

僕の正直な気持ちかな」


「幾ら生徒会の人間としての役割があっても、

僕らはそれ以前に普通の学生だからさ」


「自分にできる範囲で、

職務とか道徳観に忠実であればいいと思うんだ」


素直に自分の考えを伝えると、

琴子は困ったように顔を俯けた。


「お兄ちゃんの言いたいことは、

分かるよ」


「っていうか、琴子だって、

怖いから本当は声かけたくなかったもん」


「じゃあ、

どうして声をかけたの?」


「だって……困ってる人がいたから」


「生徒会の人間の義務ってこと?」


「私が生徒会に入ってなくても同じだよ」


「誰かが助けなかったら、

その人はずっと困ったままだから」


「それに……那美ちゃんなら、

あそこで止めに入ったと思うしね」


……ああ。


確かに佐倉さんなら、

相手が鬼塚だろうと止めに入ったと思う。


それでもって、何だかよく分からない理由で、

上手く場を収めたに違いない。


そう考えると、

僕って自分が思ってるより冷血なのか?


合理性だけじゃなくて、

もっと周りのことも考えるべきなんだろうか。


うーん……。


「どうしたの、難しい顔して?」


「いや、ちょっと思うところがあって」


とはいうものの、

ここで余計なことを考えても仕方ないか。


僕の判断が間違っていないというのは、

さっきから再三、自己確認してるところだし。


「……まあ、アレです。

佐倉さんは特別だから、あんまり真似しないように」


「那美ちゃんは特別かぁ。

……うん、特別かも」


思い当たるところがあったのか、

琴子が確かめるように何度も頷く。


「そういえば那美ちゃんって、

どうしてあんなに人と仲良くなれるんだろうね?」


「あー……何でなんだろうね?

物怖じしないで話しかけられるからとか?」


「あとは細かいところに気がつくっていうか、

その時、相手が一番求めているものをくれる感じ」


「ああ、そうだね。

しかも、本人は全然狙ってないんだよね」


「そうそう。

あれって何なんだろうね?」


「うーん……才能なのかなぁ」


首を傾げて、真剣な顔で悩み始める琴子。


……とりあえず、話している間に、

だいぶ落ち着いたみたいだな。


「まあ、続きはベッドで

ゆっくり考えたら?」


「えっ?

そこまでしなくても大丈夫だよ」


「いや、確か琴子の次の授業って体育でしょ?

無理に動かないほうがいいよ」


「それに、どうせ見学するなら、

保健室でゆっくりしてても同じだしね」


「でも……」


「いいからいいから。

僕から先生に言っておくから。ねっ?」


「……うん、分かった」


しぶしぶといった感じで頷きつつも、

上履きをつっかけてベッドのほうへ向かう琴子。


ベッドが軋むのを確認し、

それじゃあと保健室を出ようとしたところで――


「ありがとね、お兄ちゃん」


仕切りのカーテンから首と手を出した琴子が、

ばいばいと手を振ってきた。


それに、僕も手を振って応えてから、

保健室を後にした。





五時限目の授業が終わり、次の用意をしていたところで、

爽と温子さんがやってきた。


「ちょっと晶、琴子ちゃんが鬼塚に絡まれたんだって?

大丈夫なの?」


「……情報早いね」


まあ、あれだけ騒ぎになったんだから、

二人の耳に入ったところで不思議はないか。


「一応、大丈夫といえば大丈夫だよ。

怪我も、膝をちょっと擦り剥いたくらい」


「ん~……ムカつくけど、

不幸中の幸いって感じかぁ」


「ただ、パニックになりかけてたみたいだから、

今は保健室で休ませてるよ」


「じゃあ、あたし、

後でお見舞いに行ってくる!」


「気持ちは嬉しいけれど、

そっとしておいてもらえるとありがたいかな」


「そうだぞ、爽。お前が行ったら、

琴子ちゃんは逆に気を遣うだろ?」


「えー、全然気を遣う必要なんてないのに」


「爽がそう思ったとしても、

対応するのは相手側だからね」


「でもさー、お見舞いがダメなら、

あたしは琴子ちゃんに何すればいいのさ?」


「他に琴子ちゃんにできることなんて、

鬼塚に復讐しに行くくらいしかなくない?」


「お願いだから、

それは絶対にやめて!」


「何もしないことが一番いいこともあるんだ。

琴子ちゃんのことは、晶くんに任せよう」


温子さんが肩を叩くと、

爽は唇を尖らせながらも同意してくれた。


「でも、鬼塚先輩か……」


「あれ、温子さんは知ってる感じ?」


「有名人だったからね。

出身も同じだし、爽も知ってるはずだよ」


「そういえばさー、鬼塚って何か変わったよね。

前はもっとまともだったっていうか」


「そうだな。少なくとも、

琴子ちゃんに暴力を振るう感じじゃなかった」


「へー……何か意外だね。

お昼に見た時は、完全にヤバい人だったのに」


「まあ、当時から先生方の評判はよくなかったよ。

でも、生徒側からはそんなに悪い感じじゃなかった」


「弱い人への暴力を許さなかったし、

基本的には明るいバカをやってた感じだからね」


「よく、友達とトラブルに首を突っ込んでは、

解決して回ってたよ」


「あー、いたねー鬼塚軍団。集まって騒いで、

ゴミ拾いして帰ってくみたいなやつら」


「そういえば、

あいつらってどうしたんだろうね?」


「さあ? 鬼塚先輩だけ学園うちに入ったから、

疎遠になったんじゃないか?」


「あー、勉強できたのって鬼塚だけだっけ。

ゴリラのくせに勉強できるとか、信じらんねー」


「お前がこの学園に入ったのも、

散々奇跡って言われてただろ……」


「あ、あたしは実力だってば!」


胸を張る爽に、

冷ややかな目を送る温子さん。


そのささやかな姉妹喧嘩を傍で眺めながら、

僕は鬼塚の変化について思っていた。


もしかすると鬼塚は、ABYSSに入ったから

変わってしまったのではないか――と。







「カトちゃん、一緒に帰ろう!」


「はいはい、教室出るまでね」


「くっ……せ、せめて昇降口まで!

昇降口までお願いします!」


「……いつも大変だなぁ」


不屈の心と鉄壁のガード、双方に感心しながら、

手早く荷物をまとめる。


もう大丈夫だとは思うけれど、

早いところ琴子を保健室まで迎えに行かないと――





そう思って保健室に来てみたものの、

そこには誰の姿もなかった。


早退したんだろうか?

それとも、六時限目の授業に出た?


「……電話にも出ないな」


電源が切れているわけではないものの、

電話に出てくれない。


まさか、どこかで倒れてたりしないだろうな?


変なトラブルに巻き込まれたとは

考えたくないけれど……。


「……とりあえず、

琴子の教室に行ってみるか」






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