その刃は何を映すか









――自分のことを信用できなくなったのは、

果たしていつからだったろう。


森本聖に破れた時からだろうか。

プレイヤーとして活動を休止した時からだろうか。


それとも、切り裂きジャックに扮して、

街の悪党を倒す日々に疑問を感じた頃からだろうか。


ハッキリと覚えてはいないが――

どれも、原因であることは間違いない。



初の派遣先に来た彼のプレイヤー生活は、

極めて順調だった。


超人と聞いていたABYSSと戦って、

いきなり二人の部員を殺すことに成功。


残るABYSSの正体も把握済みで、

後は戦いを挑めばそれで終わりだった。


楽勝だと思った。


こんなに簡単なら、いっそABYSSに乗り込んで、

妹を直に助けてもいいのではとさえ思った。


それは思い上がりだったが、

彼が自惚れるのも無理はない。


両親に実験薬を投与された経緯から、

身体能力は非凡。


そこに、刀一つで名を轟かせていた

切り裂きジャックの技術が加わっていたのだ。


並みのABYSS部員では敵うはずもなく、

以前からあった彼の自信は、より強固なものとなった。


そんな自信が、

旧友の鬼塚の元へ彼の足を運ばせた。


「おい……俺のところに来る意味を、

お前が分かってねぇわけがねぇよな?」


「鬼塚、悪いことは言わん。

ABYSSからさっさと手ぇ引けや」


『あぁ?』と睨み返す鬼塚に、

龍一が真剣な顔で首を横に振る。


「お前じゃ俺には勝てへんよ。

昔遊んだよしみや。見逃したるから引けや」


「……前々から笑いのセンスねぇと思ってたけど、

こりゃもう絶望的だな。可哀想過ぎて逆に笑えるぜ」


「鬼塚ぁ!」


「うるせぇよ。お前もプレイヤーだろ?

腹括ってかかって来いよ、バカ」


じゃあな――と、

鬼塚が平然とした態度で立ち去っていく。



その晩、彼と鬼塚は殺し合い――


鬼塚を仕留めようかというところで聖が現れ、

彼は敗北を喫した。


そして、何故か命だけは見逃されて、

休戦協定を結ぶこととなった。



妹を助けるという彼の目標は、

完全に行き詰まってしまった。


協定の期限は鬼塚らの卒業まで。

つまり、あと二年は何もできない。


これまで向かっていた目標がいきなり消失して、

彼は行き先を失った。


学力の違う学園の授業は、何を聞いても面白くなく、

周囲も真面目な人間ばかり。


一部、話の分かるような人間はいたものの、

腹を割って話すまで歩み寄る気にもなれなかった。


元々、ABYSSを倒してしまった後は、

すぐに転校する予定だったのだ。


学園に行く意味を見出せず、

彼は街を彷徨った。


誰彼構わず喧嘩を売りたかったが、

地元であるため顔を知られている。


何より、彼が全力で暴れられるような相手が、

そうそういるわけがない。


フラストレーションは溜まる一方。


そんな折りに、

街に“フォール”が出回り始めた。


絶好の憂さ晴らしの相手だった。


だが、ABYSSが関係しているのは確実で、

表立ってこれを仕留めて回るのはさすがにまずい。


考えた末に――

彼は、師匠の名前を借りることに決めた。


正義の味方は、楽しかった。


ABYSSを倒す時以上に、

悪を倒すという行為の実感があった。


プレイヤーと違い、

助けた人に感謝されるのも大きい。


偽物と言われるのは気に入らなかったが、

自分の噂を耳にするのは気分がよかった。


その気分に水を差すように、

ある日、彼の前に鬼塚が現れた。


「正義の味方ごっこは楽しいか?」


その言葉には、かちんと来た。


ごっこでやっているつもりはない。


実際に正義の味方として、

街に蔓延する犯罪を食い止めている自覚があった。


彼がいなければ、

殺されていたかもしれない人だっていた。


しかし――彼の反論を、鬼塚は鼻で笑った。


「てめぇのなりたかった正義の味方ってのが、

街のゴミ掃除屋だったとは知らなかったぜ」


「何だと、コラ……!」


「お、こりゃあ意外だな。

キレるだけの気合いがまたあると思ってなかった」


「てっきり、ゴミ掃除も必要だとか、

自分を正当化するんだと思ったんだけどな」


「ABYSSなんかになってるお前に、

余計なこと言われたないわ!」


「困ったら俺を極悪人認定か。

まあ、間違っちゃいねーけどな」


「でも、キレる部分は違うだろ。

てめぇの問題とABYSSがどうこうは関係ねーし」


「てめぇが本当にキレるべきなのは、

楽なほうに逃げてるてめぇ自身だろうが」


とうとう我慢できずに、

龍一が刀を抜く。


そんな彼を前に、鬼塚は、

唾を吐き捨てて拳を構えた。


「殺し合いまでやらなきゃ何してもいいって、

聖には許可をもらってるからな」


「安心してブッ倒されに来いよ、オラ」


「鬼塚ぁああああっ!!」


そうして、彼は鬼塚と交戦し――

怒りのままに叩き伏せた。


それは、半年前と似たような結果だったが、

違うところが一つだけあった。


鬼塚は、龍一の記憶にある頃から、

だいぶ強くなっていた。


その次の日から、

しばらく正義の味方としての活動を休んだ。


顔が腫れ上がってメットを被れなかったこともあるが、

それ以上に、痛かった。


言われたこともそうだし、

威力を増していた拳もそう。


ずっと成長していた鬼塚を見て、

自分が立ち止まっていたことに気付いてしまった。


私欲でABYSSに入ったクズだと思っていた鬼塚は、

正義を目指す自分よりもずっとストイックだった。


それは何故なのか――


彼は、プレイヤーになって初めて、

ABYSSのことを真剣に考えるようになった。


幸いなことに、休戦協定は継続していたため、

考える時間はたっぷりあった。


一昼夜ではまるで見えず、一週間でも答えは出ず、

一ヶ月経ってもよく分からなかった。


ただ、鬼塚も聖も、何らかの目的で

ABYSSに所属しているのだろうとは思った。


彼が殺した二人の部員とは異なり、

鬼塚と聖はとにかく真剣だった。


そんな二人の輝きが、

とても眩しかった。


才能や意思の強さには個人差があるということを、

本当の意味で理解させられた気分だった。


偽物のジャックを再開してからも、

彼の心はどこかしら冷めていた。


以前は楽しいだけだったが、深く考えてみると、

正義の味方という存在の無力さが浮き彫りになった。


街のゴミは、

掃除しても掃除しても出てくる。


もちろん、誰かがそれを

やらなければならないのは間違いない。


ただ、もしも見返りも何もなしで、

これをずっと続けるのかと思うとぞっとした。


考える時間が増えると、

正義の味方についてどんどん疑問が出て来た。


いいことをするという行動に、疑問はない。

弱い者のために動きたい気持ちは大きいままだ。


それでも、自分はどんな正義の味方になりたかったのか。

何のためにプレイヤーになったのか。


妹を助けるため。ABYSSを倒すため。

師匠の仇を取るためではなかったのか。


それを思うと、自分がいかに下らない人間か、

意識せずにはいられなかった。


行く力も退く勇気もなく、

流れる時間の中で自分だけが立ち止まっていた。


そうして、ずるずると正義の味方を続けつつ、

学年が上がった。


止まっていると思っていても変化はあり、

いつの間にか、学園にも居場所ができていた。


プレイヤーになる際に、友達の類いは諦めていただけに、

思いもよらず手に入ったそれは嬉しかった。


そして、その心地よさがまた、

彼の道をぼやけさせた。


――こんなはずじゃなかったんだけどな。


何度も繰り返したその言葉が、

口癖になりそうで怖かった。


そんな日々を経て――いつしか、

彼は刀を見るようになっていた。


憧れの師匠がよくそうしていたから、

真似ればどうにかならないかと思ったのだ。


しかし、いつ見ても、

刀に映るのは自身の弱気な顔。


こんなものを師匠が見ていたとは思えず、

まだまだ修行の足りない自分が嫌になった。


さらに、季節は流れ、

新たなプレイヤーらしき転校生がやってきて――


女の子にも関わらず、ひたすらに目的に向かう

その子を見て、彼はさらに自信を失った。


この頃には、切り裂きジャックの名前が

重くなってきていた。


幼い頃に憧れていた正義の味方の名前を、

今の半端な自分が名乗ることが恥ずかしく思えた。


託せるのであれば、

誰かに託してしまいたい。


そんなことさえ考え始めた頃――



「今川。お前に話がある」


再び、鬼塚が彼の前に現れた。


「……久し振りやないか。何かあったんか?

片山が死んだゆーのは知っとるけど」


「まあ……そうだな。ちょっと色々あって、

お前に頼み事をしようと思って来た」


「頼み事ぉ? おいおい、笑わすなや。

お前はABYSSで俺はプレイヤーやろ?」


睨み付ける龍一に/その言葉に、

鬼塚は特に触れようとしなかった。


その代わり、

色々なことを話していった。


聖の目的。鬼塚の目的。

鬼塚がこれまで調べてきたABYSSの情報。


そして――龍一の妹が、

まだ生きているという情報。


「何でお前がそんなん調べとんのや?

俺の妹なんて、全然関係ないのに……」


「いつだったか、助けたいってお前が言ってただろ?

まあ、ついでってやつだよ」


「そいつを教えてやった代わりに、

聖の力になってやって欲しい」


「……何で俺にそれを頼むんだよ?」


「万が一の場合に備えてだよ。

今のうちに伝えておいたほうがいいと思ってな」


「そうじゃなくて!

何で俺なんだよ!?」


「俺じゃなくて、もっと他にいいやつがいるだろっ?

黒塚幽とか、他のABYSSのやつとか!」


「俺なんかに頼んだところで、

何の役にも立たないのはお前だって知ってるだろ!」


それは、龍一の本心だった。


誰にも言えず、一人悶々と抱え育て続けた、

彼を縛る呪いだった。


誰にも言う気はなかったし、

知られたくなかった部分だった。


なのに、それが勝手に口を衝いていたのは――


「俺に……俺なんかにできることは、

お前の言う通り、ゴミ掃除くらいなのに……」


この目の前の男だけが、ずっと以前から、

彼の負の部分を見抜いていたからだった。


勢いに任せて言った後、

龍一が項垂れる/刀を握り締めた手が震え出す。


恥ずかしさと情けなさが込み上げて、

今すぐにでも逃げ出したい気分に駆られる。


今、鬼塚がどんな顔をしているだろうか。


想像するだけで息が詰まりそうだったが、

確かめるのはもっと怖かった。


そうして固まった龍一に、

鬼塚は頭を掻いて『あー』と唸った。


「……お前はいつもそうだよな。

ずっと前から変わんねぇバカ野郎だ」


「ばっ……!?」


「俺はな、信用できるヤツにしか頼まねぇよ。

お前だから頼むんだよバカ」


顔を上げた龍一/それを待ち受けていた鬼塚の渋面――

三度目のバカを今にも口にしそう。


その呆れ顔に、

龍一がむっと口を結んだ。


「……俺のどこが信用できるっつうんだよ?」


「俺は森本さんよりずっと弱いし、

お前みたいに……ちゃんとやれてもないのに……」


「あのな……何か勘違いしてるみたいだけど、

俺も全然ちゃんとやれてなんかねぇぞ?」


「はぁ? どこが?」


「ちゃんとやれてるんだったら、

お前にケンカで負けねぇっつーの」


「聖だってそうだ。あいつはクソ強ぇけど、

人が見てねぇと思ってるところで泣いてるからな」


「多分、本物の切り裂きジャックだって同じだと思うぜ。

完璧な人間なんて、いやしねぇんだ」


隣の芝生は青いって知ってるか――と鬼塚。


しかし、龍一にはとても

そうとは思えなかった。


周りが色々なものを積み上げていた中で、

彼だけが止まっていたのは事実だったからだ。


「……俺は、違うんだよ。

お前らと同じみたいにできないんだよ」


「不真面目にやってるつもりはないのに、

やることも決まってないし、きちんとできないんだ」


「俺は、お前らとは違うんだよ。

どうしようもない人間なんだ」


再び龍一が項垂れる。


そんな彼に、鬼塚は面倒臭そうにしつつも、

顔を上げるように言った。


「お前が真面目にやれてないって思うのは、

自分に自信がないからだろ」


「自信持てよ。お前は強ぇ。

……死ぬほど努力してる俺よりずっとな」


「それでも自分に自信を持てねぇなら、

誰かが常に自分を見てると思えよ」


「誰かの目がある間は、案外ブレねぇもんだ。

俺もそうして、歯を食いしばってやってきた」


『全然結果は出てねぇけどな』と自嘲する鬼塚。


それに龍一が何も言えずにいると、

鬼塚は『クソッタレ』と地面を蹴った。


「とにかく、お前はもっと自分を信じろ。

そうすりゃお前はできるよ。何でもな」


「ま、お前がどうしても無理だっつうなら、

俺が見ててやるよ。だから自信持て。逃げんな」


「お前がなりたいと思った正義の味方ってやつから、

絶対に目を逸らすんじゃねぇぞ」






「ああ……せやったな」


縋る思いで刀を見ていたところで、

龍一は鬼塚の言葉を思い出した。


鬼塚の言う通りならば、

今もどこかで見られているに違いない。


そう思うと、決戦を前に強張っていた体が、

少しだけ緊張を忘れてくれた。


彼がこれから挑もうとしているのは、

アーチェリーの怪物――レイシス。


その正体が、実妹である今川美里であることは、

既に十分に確認している。


というよりも、追い立てられている最中といったほうが、

今の状況としては正確かもしれない。


遮蔽物のない通路で敵わないことは、

聖と二人でいた時に学習済み。


勝負するのであれば広い場所――


そんな判断でコロシアムまで誘導してきたのだが、

実際は命からがら逃げてきたようなものだ。


妹は、武器相性を抜きにしても、

どうしようもないほど強かった。


先の接触から推察するに、聖と同等、

もしかするとそれ以上まであるかもしれない。


だが、洗脳されているらしい彼女を助けるには、

何としてでも倒す必要がある。


ゲームをクリアする方法も考えたが、

既に他の参加者とは埋めがたい差が付いているだろう。


それならば、捕まえて洗脳を解くほうが、

確率はまだ高そうに思えた。


洗脳が解ける根拠も何もないが、

残された手段がそれしかない以上、信じるしかない。


勝てることを、信じるしかない。


「……自分を信じるとか、

一番苦手なんやけどな」


龍一が苦い笑顔を作る。


それでも、刀に映った自分の顔を見ていると、

自然と表情が引き締まった。


――自分に自信を持て。


――常に誰かが見ていると思え。


――なりたいと思った正義の味方から目を逸らすな。


刀身に映る自分に見つめられながら、

鬼塚の言葉を再度思い出す。


その最中に、

ふと、気付いたことがあった。


もしかすると、師匠たる切り裂きジャックも、

同じようによく不安を抱いていたのかもしれない。


そんな時に、刀に映る自分と向き合うことで、

自分を見つめ直していたのではないか。


誰も見ていなくとも、

自分自身が見ていると確かめるために。


なりたいと思った正義の味方から、

目を逸らさないために。


「……なんや、こんなん考えられるようになるとか、

自分もちょっとは師匠に近付けたんかな」


師匠の謎に自分なりの答えを出せたことで、

刀身に映る顔がにっこりと微笑む。


小さなことだったが、緊張がほぐれ、

少しだけ自信が湧いてきた。


刀を鞘に収め、深呼吸する。


それから、妹のことを考えていると、

コロシアムの扉が開いた。


当然、姿を現すのはアーチェリーの少女。


その虚ろな瞳を湛えた妹に、

龍一が本当の名前を呼びかける。


「美里……今、助けたるで。

ちょっと痛いかもしれんけどごめんな」


レイシスはそれに応えることなく、

ゆっくりと弓に矢をつがえた。


追われている最中からずっと呼びかけていたものの、

相変わらず無反応のまま。


洗脳の綻びも見えないその様子に、

どうにも不安になってくる。


果たして、妹に勝てたとしても、

その先に希望はあるのか否か。


龍一が刀を抜き放つ――

レイシスがそれに呼応するように弓を引き絞る。


その動きを注視しつつ、

眼前に刃を持ち上げて、そこに映る自身と向き合った。


それから、自分が刀を手に取った理由を、

もう一度思い返した。


ABYSSを倒すため。師匠の仇を取るため。

そして――妹を助けるため。


「いや……忘れんなや。

もう一個あったやろが」


始めた当初は、

純粋な動機ではなかった。


つい最近まで、

惰性であったことも否定はできない。


それでも、一番最初にあった目的は、

確実にそうなることだった。


そう――


「俺は、正義の味方に……

切り裂きジャックになりたかったんだよ!」


なりたいと思った正義の味方。

妹によく語って聞かせていた希代のヒーロー。


ABYSSと呼ばれる組織にいた、

どんな悪にも負けない、最強の剣士。


かつて抱いていた憧れは、

今も褪せることなく龍一の中で輝いていた。


悩んで、迷って、苦しんだ末に、

やっとそのことを思い出した。


目の高さに持ち上げていた刀を下ろす

/ゆっくりと正眼に構える。


そうして、小さな頃から妹に言っていたことを、

自信を持って宣言した。


「俺は切り裂きジャックになるぞ、美里」


願いを口にした途端に、

力が滾ってくるのが龍一自身でも分かった。


これまで抱いてきた不安の一切が

消し飛んでいた。


絶対に助ける――そんな意思の篭もった目で、

刀の向こうに立つ妹を見据える。


と、アーチェリーを構えた少女が、

初めて瞳を揺らし、唇を震わせた。


「切り裂きジャック……」


微かに届いたその言葉に、

龍一の目が零れんばかりに見開かれる。


その驚愕はすぐに驚喜へと変わり、

龍一の呵々大笑を呼び起こした。


「よぉし、待ってろ美里!

今、この正義の味方が助けたるからな!」


強気な笑みを浮かべて、

龍一が姿勢を前傾させる。


そうして、飛来した矢を弾き飛ばしながら、

龍一は溌剌と妹の元へ飛び込んでいった。








「チッ……遅ぇぞあのオッサン」


藤崎が苛立たしげに壁を蹴りつける。


それを勘弁してくれという気持ちで眺めながら、

温子が携帯へと目をやる。


時刻は午後の二十三時過ぎ。


田西が遅くとも――と言っていたのは二十二時であり、

もう一時間も過ぎていた。


おかげで、藤崎の機嫌は大荒れであり、

さっきから室内の器物破損を繰り返している。


いつその矛先が向いてくるか分からず、

温子は恐々とした気持ちのまま、ひたすら俯いていた。


もちろん、何もしていなかったわけではない。

その間に考えていたのは、今後のこと。


ひとまず聖にはメッセージを託したが、

持っていたカードの枚数は非常に少ない。


何より、田西が強大すぎる。


仮に、田西と葉を除いた全ての参加者で結託しても、

カードで勝負することは敵わないだろう。


二人のうち、どちらかの勝者に対して、

実力行使を図るしかない。


幸い、障壁となっていた藤崎/高槻の両輪のうち、

高槻のほうは離脱してくれた。


藤崎一人であれば、高槻の評価からしても、

聖がいればどうにかなる。


田西もいない今のこの機会に、

藤崎の目をごまかすことができれば――


「おい、女」


そう思っていたところで声をかけられ、

温子が慌てて顔を上げた。


「テメェの携帯に“悪魔”が入ってたな?

そいつでカジノエリアにいるやつを調べろ」


「……分かった。

ちょっと待っててくれ」


何をされるかと身構えていただけに、

藤崎の常識的な要求は温子に安堵の息をつかせた。


この藤崎という男、どうやら従順でありさえすれば、

そうそう無茶なことをすることはないらしい。


そのことに希望を見出しつつ、

“悪魔”の大アルカナを起動――


カジノエリアに目をやったところで、

『えっ』という声が温子の口から漏れた。


「……何があった?」


「それが……カジノエリアから、

二人の姿が消えてるんだ」


藤崎の顔色が変わる

/鬼気迫る表情で部屋を飛び出して行く。


そうする藤崎の気持ちは、

温子にも十分に理解できた。


何故なら、田西が約束を守らずに、

カジノエリアから姿を消したということは――


田西が温子たちを裏切り、

全てのカードを持って脱出した可能性があるからだ。





それを確かめるためにカジノエリアまでやって来ると、

カジノエリア壁面に大きな破壊の跡があった。


何かあったのかと思ったものの、

戦闘禁止エリアの壁を破壊する意味はない。


藤崎がやったのだろうと判断し、

温子がポーカーテーブルへ向かう。


「田西たちはどこへ行った?」


ディーラーに尋ねるも、返答はなし。

参加者の位置情報に当たるためだろう。


だが、テーブルの上には、

勝負していた二人の最後のカードが残されていた。


片方はAのスリーオブアカインド。キッカーはK。

言うまでもなく、凄まじく強い。


そして、もう片方のハンドとコミュニティカードを見て――

温子は苦い記憶を思い出した。


「……それ以外は何もないか」


携帯や荷物が置いてある様子はない。


やはり、脱出してしまったのだろうか?



そう思っていたところで、二十四時を迎えたのか、

三日目終了の放送が始まった。


「それでは、現時点での参加者の脱出状況と、

死亡者の発表をいたします」


「先ほど、初の脱出に成功した参加者が出ました。

現状ではこちらが一名となっております」


一名――その言葉に、

温子がぎくりとなった/冷や汗が噴き出た。


ということは、予想通り、

田西が脱出したのではないか。


「脱出者が出たことにより、今回の放送から、

参加者の名前の発表は控えさせて頂きます」


「皆さんに最後まで真剣にゲームに

取り組んで頂くための処置ですので、ご了承下さい」


「また、今回の死亡者は二名となっております。

それでは皆さん、頑張って下さい」


放送が切れた後――温子が口元に手をやって、

切羽詰まった顔で思考を始める。


もし、田西が脱出していたとすれば、

相当数のカードを持っていったのは間違いない。


記憶の限り、二人の所持カードの合計は、

大アルカナが十二枚、小アルカナが二十八枚だ。


小アルカナの総数は五十六枚なので、

ちょうど半分が二人の手の中にあったことになる。


温子の知る限りの生存者は、温子、那美、龍一、聖、

幽、田西、葉、藤崎、高槻の九人。


この人数がそれぞれ一回、

小アルカナをカウントに変換してたとしても九枚。


羽犬塚や他の死亡した参加者、

まだ見ぬ参加者を数人見積もれば十五枚辺り。


その他、大アルカナのコストや抱え落ちも考えれば、

恐らく二十枚ほどの大アルカナが消費されている。


となると、残りは八枚しかない。


八枚で、果たして何人が脱出できるのか。


「嘘だろ……」


最悪の状況に目眩を覚えて、

温子がポーカーテーブルに寄りかかる。


その拍子に、積み上がっていたチップが崩れて、

音を立てて床へと散らばった。


しかし、ぶち撒けたそれを、

どうにかしようという気にはなれなかった。


というより、

立っているだけで精一杯だった。


もう、後二人しか脱出できない。


他の脱出条件にしても、

小アルカナを十枚集めることは既に不可能。


世界の大アルカナは田西が持っていき、

大アルカナ十枚も怪物の打倒が必須。


こういう事態になる前に何とかする必要があったのに、

もはや完全に手詰まりになってしまった。


把握している中で、どうにかして助けたいのは、

温子じぶん、那美、龍一、聖、幽の五人。


このうち、二人を選ぶしかない。


さもなくば――全滅だ。


「くそっ……!」


考えれば考えるほど、

田西に破れたあの勝負が悔やまれる。


何度も思い返し、何度もベストを尽くした、

相手が上手だったという結論に至ったが――


この結果を見れば、

そんな言葉で甘えること自体が間違いだった。


例え相打ちになろうとも、

田西を強引にでも殺しておかなければならなかった。


けれど、幾ら反省しようと、

もう遅い。


足下に散らばったチップを見つめ、

温子が唇を噛み締める。


そうしているうちに、じわりと視界が滲み、

迂闊にも嗚咽が漏れそうになる。


「……朝霧温子?」


名前を呼ばれたのは、そんな時だった。


温子がハッとなって顔を上げる

/涙の滲んだ目元を擦る。


そうして見やった先には、

四日目にして初めて見た参加者が立っていた。


「やっぱり当たりか。朱雀学園二年で、朝霧爽の姉。

片山信二と高槻良子の旧友で合ってるな?」


「何で……そんなことを知ってるんだっ?」


初対面の相手に自分の素性を並べられたことで、

温子の警戒センサーが最大になる。


そんな温子に、見知らぬ誰かは

『ちょっと落ち着けよ』と両手を上げてみせた。


「私は須賀由香里。今、笹山晶と一緒にいるんだけど、

できれば一緒に来てもらえないか?」








「美里っ!?」


目を覚ました龍一が

体を慌てて起こし、傍らを見やる。


そこには、気絶したレイシス――今川美里が、

ちゃんと拘束された状態で横たわっていた。


額に浮いた汗を拭いつつ、

龍一がホッと息をつく/先の死闘を思い出す。


率直に言って、勝てたのが不思議なほどの

ギリギリの戦いだった。


龍一の作戦は、

相手の矢が切れるのを待つこと。


それ自体は上手くいったものの、

思惑とは逆に、そこから妹の動きが極端に良くなった。


近距離戦であればチャンスがあると思っていた予定は、

おかげで全てご破算に。


最後はもう、ぐちゃぐちゃに入り乱れての、

体でぶつかるような肉弾戦だった。


殺さずに勝ち、拘束できたのは、

龍一自身にも運が味方したとしか思えなかった。


「まあ『最後まで諦めんかったから』ってのが、

勝因だって言ってもええのかな」


決して刀の刃を使うことなく、

最後まで自分を信じて戦い抜いた。


そんな自分を褒めたくて

/誰かに褒めて欲しくて、仕方なかった。


とはいえ、この迷宮でそれをしてくれそうなのは、

聖くらいしか心当たりがないのだが。


「そういや、森本さんに連絡せんとな……」


終わったら向こうを手伝うという約束だったのだから、

いつまでも寝ているわけにはいかない。


そう思い、取り出した携帯に目をやったところで、

『うそぉ!?』と素っ頓狂な声を上げた。


時刻は既に、二十四時前。


三日目ではない。

四日目の二十四時少し前だった。


昨日の同じような時間に戦闘を始め、

終わってから今の今まで寝ていたことになる。


消耗し尽くしたとはいえ、

さすがに寝過ぎたことを後悔。


が、体はそれでも癒えきっておらず、

少し動いただけで全身が痛んだ。


あちこちの筋肉が熱を持っていて、

だるくて膝をついた。


あるだけの力を注ぎ込んだ結果だけに、

この反動はどうしようもない。


「こんなんで合流したら、

森本さんの足を引っ張るだけちゃうか……?」


完全に動けないわけではないが、

平常時のような動きは見込めないことは確実。


それでも、いないよりはマシだろうと思い、

肉壁にでも何にでもなる覚悟で聖へ電話をかける。


「もしもーし。今川龍一です。

こちら森本さんの携帯でよろしいでしょうか?」


「ええ、それで合ってます。

どうかしましたか?」


「うちの妹、

ようやっと捕まえましたよ」


「本当ですかっ?

どうやってあの子に勝ったんですか?」


「そこはほら、隠された力を解放しまして。

ボッロボロですけど、何とかなった感じです」


「それで、終わったほうが手伝うゆー話でしたから、

こうして電話した感じです」


「森本さんのほうは、

まだ終わってないんですよね?」


「……ええ。私のほうはまだ、

高槻良子を見つけられていません」


「ほんなら、それを探すの手伝いますよ。

戦闘はしんどいですけど、探すのはできるんで」


「とりあえず今、俺はコロシアムにいるんですけど、

どこに行けば合流でき――」


ますか、と言いかけて――固まった。


コロシアムの扉の重苦しい音と共に、

とんでもないものが視界に飛び込んできた。


「……今川くん?

どうしましたか?」


「森本さん……すぐ来て下さい。

多分、探してるやつです」


「探してるって……もしかして、

高槻良子がそこにいるんですかっ!?」


――その聖の呼びかけに応える間も惜しんで、

龍一は思い切り横に跳んだ。


その判断が功を奏して、

間一髪のところで高槻の拳を回避する。


しかし、その一撃だけでは終わらない。


高槻のげらげらという下品な笑い

/猛烈なラッシュ――


血に汚れ指が幾つか欠けた拳で、

龍一のでかい図体に次々と激痛を叩き込んでいく。


急襲に対処できず、龍一が転げ回る

/地面を這って逃げ回る/丸まって攻撃を凌ぐ。


そんな龍一に、高槻がなおも執拗に

打撃を繰り返し――


一瞬の隙間を見計らって飛んできた前蹴りに腹を抜かれ、

反吐を吐きながら数歩よろめいた。


その間に、何とか起き上がる龍一。


けれど、ダメージはかなり大きく、

刀を杖にしていないと膝が笑う有様だった。


「ふへへ……思ったよりやるじゃんか、

このヤロウ……!」


「高槻……良子だな?」


「おやぁ? お前はアタシの名前を知らないはずだろ?

どこのどいつが教えたんだよ」


「つーか、さっき探してるとか言ってたな?

お前が電話してたのって聖か?」


答えるべきか迷ったものの、

龍一は沈黙を選択。


が、高槻はお見通しらしく、

『あいつもしつけーな』と獰猛な笑みを浮かべた。


「そういや、あいつここに来るっつったよな?

んじゃ、お前をブッ殺してりゃ聖にも会えんのか」


「……アホか。

誰が簡単にやられるかボケェ」


「ちゅーか、お前かてボロボロやのに、

俺と森本さんを相手にできると思ってんのか?」


龍一が何とか足だけで立ち上がって、

高槻を見据える。


その女は、ざっと見る限り、

どこも無事な部分がなかった。


頬は大きく切り裂かれ、指は欠け、

体中のあちこちから血が滲んでいた。


誰と戦っていたのかは分からないが、

互角の相手と殺し合いをしてたのは間違いなかった。


そんな龍一の視線に/思考に気付いたのか、

高槻が決まり悪そうに唾を吐き捨てる。


「言っとくけど、今のアタシは超ご機嫌斜めだからな。

楽に死ねると思うんじゃねーぞ」


「だから、誰がやられるかゆーてるやろ。

切り裂きジャックは誰にも負けんのや」


必勝を誓って、

龍一が名乗りを上げる。


そう――勝たねばならなかった。


逃げようにも、カジノエリアの隅には、

やっとの思いで捕まえた妹が転がっている。


ここで龍一が逃げだそうものなら、

高槻は妹に何をするか分からない。


絶対に勝って追い払わなければならない。


しかし、そんな龍一の意思を/正義の味方の名前を、

高槻はげらげらと笑い飛ばした。


「何や、随分と楽しそうやないか。

とうとう頭までイカレたんか?」


「いやー、切り裂きジャックなんて

聞いちまったもんだからさぁ」


理解できずに、眉を寄せる龍一。


そんな彼を見て、

高槻はさらに腹を抱えた。


「実はさー、アタシって、

本物の切り裂きジャックをブッ殺してんだよね」


「――はあっ!?」


「つーか、切り裂きジャックが誰にも負けない?

いやー、冗談がうめーなーお前はよー!」


「あのオッサン、クッソ弱かったぜ。

サンドバッグもいいとこだよ」


「アタシがボッコボコにぶん殴ってんのに、

まるで抵抗しねーの。頭おかしいんじゃね?」


「結局、持ってた刀も全然使わなくてさー。

何が切り裂きジャックだって話だよ」


「……!」


「っていうか、もしかしてその刀、

あのオッサンの持ってたやつか?」


龍一の持っている刀を見て、

高槻が口角を持ち上げる。


「抜けもしねーなまくらなんざ、持ってる意味ねーだろ。

アタシがついでに今からブチ折ってやるよ」


アタシって優しいだろ――と、

高槻が醜悪な笑みを浮かべる。


それが、龍一のスイッチを入れた。


高槻良子は聖が倒すと言っていたことも忘れて、

刀を引き抜く/その刃を高槻へと向ける。


「おー、いいぜ。かかって来いよ。

憂さ晴らしの相手を探してたんだ」


「本物と同じボコボコのツラにしてやっから、

泣いて喜びやがれってんだ!」


「うるせぇ!

お前は絶対に俺が殺してやる――!」


高槻が/龍一が、

相手に向かって疾走する。


お互いに血を流しながら、

凄まじい勢いで削り合う。


そんな中、時刻は二十四時になり――

五日目の放送が始まった。





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