遺書2

「まぁスパッと言っちまうとさ、

俺、ABYSSを倒すためにABYSSに入ったんだ」


鬼塚の言葉に、

少女の目が大きく見開かれる。


「……それ、本当なんですか?」


「ああ。疑う気持ちも分かるけど、

とりあえず聞いてくれ」


鬼塚の落ち着いた物言い。


それに、少女は訝りながらも頷いた。


「俺がABYSSを知ったのは、つい最近だ。

知り合いに教えられてな」


「そりゃあ初めは嘘だと思ったさ。

信じられるわけないだろ? 人殺しのゲームなんて」


「けど、奴らは本当に、

映像の中で“イベント”をやってやがったんだ」


「そのときの生け贄は男だったけど……

正直、吐き気がしたよ」


その時のことを思い出したのか、鬼塚の握りしめた拳が、

白手袋をギリギリと軋ませる。


「……見た後は、ずっと胸くそが悪くて、

見せてきた知り合いを恨んだりもした」


「けど、しばらくして考えたんだ。

何とかして、あいつらを止められないかって」


「それで……ABYSSに?」


鬼塚の首肯――

だが、容易に信じられるわけがない。


「そんなに簡単に入れるものなんですか?」


「いや、普通は無理だよ。

一般人はまずABYSSに接触できねぇし」


「けど、さっき言った俺の知り合いは、

ABYSSを知ってる時点で普通じゃないってわけだ」


「そいつの口添えが効いたらしくて、

凄ぇすんなり入部許可が下りたんだよ」


「ちょうど欠員があった、

ってのもあったらしいけどな」


「でまあ、入ってみて更にビビったよ。

あいつら、こんなイベントを月一でやってたんだ」


「そのたびに死んでいく人を見て、

早くこのクソの集まりをぶっ潰さないとって思った」


「弄ばれて、弔われることもないまま

ただ消えるなんて……あんまりだからな」


「……他人事みたいに言ってますけど、

鬼塚さんは生け贄を浚ってきたことはないんですか?」


「いや、それはない。

つーか、俺たちの役目じゃない」


「本当に?」


「ああ。詳しくは知らねぇけど、

浚ってきてるのは組織の別の奴らって話だ」


「組織……」


鬼塚への糾弾は肩すかしを食らった形になったが、

そのおかげで少女はもう少しだけ冷静になれた。


法律を無視できて、死体も完全に処理できるとなると、

相当に大きな力を持つ団体なのだろう。


非現実的な、漫画めいた発想ではあったが、

実際にこうして巻き込まれていては疑いようもない。


「組織って、

どれくらい大きいんですか?」


「……正直に言うと、

それもまだ全然分かってない」


「何だか、深い谷底を覗き込んでるみたいに、

幾ら知っても底が見えないんだよ」


「それじゃあ……

どうして今なんですか?」


「きちんと調べてから行動した方が、

よかったんじゃないですか?」


しっかりと調べて、自身の安全が確保できてから、

改めてABYSSの打倒を行うのが当然だ。


なのに、今ここで

鬼塚が動く意味が分からない。


「お前の言うことはその通りだよ。

理想を言えば、我慢するのが正解だろうな」


「じゃあ、どうして今……?」


「個人的な都合って言っちまえば、

それまでなんだけどさ……」


はぁ、と鬼塚が溜め息をつく。


「俺、さすがに女の子が殺されるところを見るの、

耐えられそうになかったから」


「――」


危険を孕んだ鬼塚の行動は、

自分を助けるためのもの――


その告白に、

少女の心が波立たされる。


信用したい。


副長から身を挺して助けてくれただけでなく、

秘密まで打ち明けてくれる彼を、全面的に信用したい。


悪夢のようなこの状況を、

共に戦ってくれる仲間が欲しい。


それでも――

一線を踏み超える勇気が出せない。


彼を信じて背中を晒すには、どうしても、

始めの頃の追い詰めるような言動が引っかかっていた。


“もしかしたら今も、自分を弄んでいるだけなのでは”

という疑念が、ねっとりと足の裏にへばりついていた。


「いい人、なんですね」


そんな内心を表に出さないように、

少女が優しい笑みを浮かべる。


しかし鬼塚は、その賞賛を喜ぶことはせず、

ただ小さく横に首を振った。


「いや、そんなんじゃねぇよ。

本当にいい人なら、最初から殺しを止めてる」


「……俺はもう、

四人を見殺しにしてるからな」


悔しそうに語り、鬼塚が天井を仰ぐ。


そして歩き出し、少し離れた机の前まで移動すると、

上に乗っていた何かを拾い上げた。


一枚のカードだった。


「この部屋には武器はないみたいだな。

まあ元からあんまりアテにはしてなかったけど」


「あの……それは?」


「チェックポイントを通過した証だよ。

これを五枚集めればあんたの勝ちだ」


「勝ち……」


鬼塚から受け取ったカードを、

少女がまじまじと眺める。


「五枚、集められると思いますか?」


「無理だ。チェックポイントのどこか一つには、

ABYSSが必ず待ち伏せてるからな」


「……だったら、

他の勝利条件ならクリアできるんですか?」


「いや……結局のところ、どの条件でも、

必ずABYSSと遭遇するようにできてる」


「つまり、ABYSSに勝てない限り、

クリアは不可能だ」


少女の質問に、

鬼塚がきっぱりと答える。


分かっていたつもりでもショックは大きく、

少女は表情を曇らせて項垂うなだれた。


「だから、俺が勝たせる」


「……は?」


信じられない言葉を耳にした少女が、

目を丸くして顔を上げる。


「勝たせるって……私を?

それが、『ABYSSを倒す』ってことですか?」


『ああ』と頷く鬼塚。


その首肯を前にして、

少女の理性が呟く――“止めておけ”。


言いたいことがあった。


だが、続きを口にして得られるものは、

自己満足以外にない。


対して失う可能性のあるものは、

敵であれ味方であれ、鬼塚を利用できる可能性。


何としても弟を助けて生き残りたいのであれば、

ここは黙って男を信じる/騙されるのが正解だ。


が――


「女の子が殺されるのを見たくないって、

言ってましたけど……」


言わずにはいられなかった。


「鬼塚さんは、ABYSSに入った時に、

私みたいな子を殺す可能性を考えなかったんですか?」


「これまでも四人、

見殺しにしたんですよね?」


「それは……」


「その人は男の人だから無視できて、

私は女だから無視できないんですか?」


「それとも、今回は撮影係だったから、

目の前で殺されるのを撮るのが辛かったんですか?」


「人殺しの集団を相手に戦うっていうのに、

凄い力を持ってるABYSSを倒すっていうのに――」


「どうして、

人を見殺しにする覚悟ができていないんですか?」


言い出したら、止まらなかった。


理に適っていないと思った部分を、

全部口にしてしまっていた。


「お前……」


「だから……」


やっぱり、

腹の探りあいなんて自分には向いていない――


自身の不器用さに泣きそうになりながら、

少女が鬼塚の瞳をまっすぐに見つめる。


「嘘、なんですよね?」


「勝たせるなんて嘘で、私が希望を持ったら、

嘘だよって笑うつもりなんですよね?」


「違う。俺は――」


「いいんですよ。分かってます」


「あなたはきっと命令されてるだけなんですよね?

私に希望を持たせるようにって」


「だからっ、俺は――」


「そうですよね……私が簡単に諦めたら、

ゲーム的に面白くないですから――」


「聞けよっ!!」


「っ!?」


目の前の言葉を遮って、

鬼塚が少女の肩を掴む。


その力強さに、

少女は顔を歪め声を上げそうになった。


けれど、悲鳴は音にならなかった。


白面の奥に光る鬼塚の瞳が

/掴まれた肩の熱さが――


まるで少女の喉を鷲掴みにしているかのように、

彼女の口を噤ませていた。


いや――


彼女に、鬼塚の話を聞かせていた。


「俺は……」


目の前で目を見開いたまま固まる少女へ、

鬼塚がゆっくりと口を開く。


「俺はお前からすると、

確かに覚悟が足りねぇかもしれねぇよ」


「ABYSSを倒すっつって入ったのに、

人が死ぬのに抵抗があるなんて、バカかもしれねぇ」


「適当なことやって満足してる、

偽善者に見えるかもしれねぇ」


「嘘つきに見えるかもしれねぇ」


「けど! けどよ!」


「俺だって……人間なんだよ……!」


「……!」


「ABYSSを潰したい気持ちは間違いねぇ」


「やり方はお粗末に見えるかもしれねぇけど、

潰したいっつうのは俺の本心だ」


「でも、目の前で人が死んでいくのを、

何にも思わねぇで見てるなんて無理なんだよ」


「しかも、お前みたいな! 弟のことばっか気にして、

自分はどうでもいいなんて言えるやつが――」


少女のことを口にした、

そこで初めて――


「あ……」


鬼塚は、目の前の少女が、

自分を驚いた顔でじっと見つめていることに気付いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る