遺書3


「わ、わりぃ……」


鬼塚が慌てて手を離す。


少女の掴まれていた肩が、痛みから解放される。


けれども、そこに熱は残ったまま。


その熱さを確かめるように、

少女が肩をさすりながら鬼塚を見る。


「あの……」


「う……ええと、何だ?」


「どうして……最初は冷たかったんですか?

味方だって言ってくれればよかったのに……」


「いや、それだとまずいんだ。

ここまでの映像は、部長に渡すつもりだったからな」


「俺はいつも通りに行動して、

図書室であんたに襲われた」


「結果、カメラは破損、

生け贄には逃げられてしまった――」


「そう思わせなきゃ、

俺の裏切りがバレるだろ?」


「それは……確かに」


「ただ、結局は首輪があるから、

外に逃げることはできないんじゃ……」


それに、人質である良都のこともある。


少女一人だけ助かっても、

弟が無事でなければ意味はない。


「いや、逃げるんじゃない。

戦って勝利すればいいんだ」


「戦ってって……ABYSSと?

そんなのできるんですか?」


「作戦通りやればな」


作戦――その言葉に、

少女の顔が引き締まる。


「まず、俺はこれから部長にデータを届けて、

あんたが逃げたと説明する」


「そうすることで、撮影係の俺も、

あんたを追うって建前で自由に動けるようになるわけだ」


「そしたら俺は、他の誰かと一緒に行動する。

ま、妥当なところで副長かもう一人の男だな」


「自由に動けるのに、他の部員と……?」


「ああ。そいつと一緒に、

あんたを発見するためにな」


「そんでもって、発見したら、

その一緒の部員にあんたを殺す権利を譲る」


「殺す権利って……ちょっと待ってください!

全然助けてないじゃないですか!」


「大丈夫だよ。

あんたはすぐには殺されない」


「男の部員が

女の生け贄をすぐに殺すはずがない。だろ?」


「まさか……いかがわしいことを

させるつもりなんですかっ?」


「させる。

が、する前に俺が殺す」


「な――」


鬼塚の殺人予告に、

少女は思わず目を見張った。


「あんたに襲い掛かり、

隙だらけのところを俺が殺す」


「そうすればあんたは、部員を殺害するっていう

勝利条件を満たすことができるってわけだ」


「もし、それで人質を助けられなかったら、

その後に改めて救出を目指せばいい」


「それは……でも……」


「不安か?」


「……はい」


「気持ちは分かる。

でも、信じて欲しい」


「もし、一撃で仕留められなくて逃げられでもしたら、

俺の裏切りを隠してきたのが無意味になっちまうんだ」


「だから、殺すやつには何としてでも、

致命的な隙を晒してもらう必要があるんだよ」


「その隙が……私を襲ってる時?」


『ああ』と鬼塚が頷く。


「……分かりました」


「でも、私が自分の手で殺さなきゃ駄目だとか、

そういう制限はないんですか?」


「大丈夫だ。あんたが殺すために使った武器が、

たまたま俺だったって話になるからな」


「ただ、目の前で人が死ぬことになるから、

そこだけは我慢して欲しい」


「それは……はい。大丈夫です」


「でも、鬼塚さんは、

ABYSSの人を殺しても平気なんですか?」


「……まあ、俺は元々、

ABYSSをブッ殺すために入ったようなもんだしな」


「それに、あいつら散々悪いことやってるんだ」


「同じ学園のヤツではあるけど、

別に友達じゃねぇし、躊躇はねぇよ」


「同じ学園……?」


「そうだ。

基本的にはみんなこの学園の生徒だよ」


「でもそれなら、別に今じゃなくたって、

鬼塚さんはABYSSを殺せたんじゃないですか?」


「というか、部員の正体が分かってるなら、

わざわざABYSSに入る必要もなかったんじゃ……」


単に殺すだけなら、幾らでも隙を探せる日常のほうが、

簡単に事が進むのではないだろうか。


少女がそんな疑問をぶつけると、鬼塚は首を横に振って、

窓の外に広がる夜の闇へと目を向けた。


「ABYSSに入らないで殺したら、

俺は犯罪者だ」


「あ……」


「でも、今日この場でなら、

人を殺しても罪には問われないんだよ」


「別に、逮捕されることは構わねぇと思ってる。

ただ、一人殺しただけじゃ何の意味もねぇからな」


「まあ、ABYSSを潰すまで、

目一杯ABYSSを利用させてもらうさ」


「……」


「それと、免罪符を手に入れる他に、

もう一つABYSSに入った理由があるんだ」


鬼塚がマントの中から

小さなケースを取り出す。


入っていたのは、

幾つかのカプセル錠だった。


「それが、超人になれる薬だよ」


「副長の力は知ってるだろ?

男女差があるとはいえ、おかしいとは思わなかったか?」


「この薬を飲んでる……から?」


「そういうことだな。

あいつらを殺すには、自分もこの薬を飲む必要がある」


「けど、こいつを手に入れられるのはABYSSだけだ。

だから、俺はABYSSに入るしかなかった」


「……まあ、どんな理屈を並べても、

結局は俺も連中と同じなんだろうけどな」


人を殺すことが目的なんだし――と、

鬼塚が自虐的な苦笑を漏らす。


そんな鬼塚に対して、

少女は首を横に振った。


「鬼塚さんは、

部長とか副長とかとは違いますよ」


「だって、鬼塚さんは――人間だから」


「……」


「私が、この悪い夢みたいなところで、

初めて会えた人間だから」


少女は――


ABYSSのことを、

化け物だと思っていた。


部員は例外なく快楽殺人者で、

少女のことを獲物としてしか見ていないと思っていた。


だからこそ、鬼塚の本心を聞いた時、

自分と同じ人間がいることに酷く驚いた。


そして、会話を積み上げていく中で、

彼が人間であるということを確認できた。


少女はもう、嘘も矛盾も感じない。


彼は命を賭けて、

自分を助けようとしてくれている。


となれば――もう躊躇はない。


「私、鬼塚さんを信じます」


「……いいのか?」


「私も考えましたけど、

鬼塚さんの計画なら、きっと上手く行くと思いました」


「だから……鬼塚さんに迷惑をかけてしまいますけど、

私のことを助けて下さい」


お願いします、と少女が頭を下げる。


「……ああ、もちろんだ」


「迷惑なんかどうでもいい。

お前は俺が日常に返してやる。必ずな」


「ありがとうございます」


「いや、こっちこそありがとう」


「もしも信じてもらえなくて、

今の話を部長達に漏らされたら、俺も死んでた」


鬼塚がホッと息を漏らし、頭を掻く。


相手も同じく綱渡りだったことを知り、

少女は鬼塚へ余計に親近感を覚えた。


「それじゃあ、動き出す前に

もう少しだけ情報を整理しておくか」


「ABYSSは五人。

だから、俺と部長を除いた三人が作戦の標的だ」


「……どうして部長も除くんですか?」


「あいつは生け贄が女の時には参加しないんだよ。

なんつうんだっけ? あの、ガキの男が好きなやつ」


「ショタコンですか?」


「ああ、多分それだそれ。さすがだな」


「……どーいう意味ですか?」


「いや、知ってるのかなと思っただけだよ。

知ってただろ?」


「たまたまです!」


「あー、分かった分かった。

話を戻すぞ?」


「実質の敵は三人。

そのうちの二人、副長と男の部員はなんとかなる」


「副長を……何とかできるんですか?」


「別に階級が強さじゃないしな。

部長は無理だけど、副長なら負ける気はしねぇよ」


そういえば、と、

少女は鬼塚と副長が対峙した時のことを思い出した。


あの時、副長が引いたのは仲間割れの回避だと思ったが、

鬼塚のほうが強いという事情もあったのだろう。


撮影係が鬼塚でよかったと、

改めて胸を撫で下ろした。


「だけど――」


弛緩した少女の意識が、

鬼塚の硬い響きが混じった声に引き戻される。


「最後の一人、これは女だけど、

こいつは無理だ」


「女の子なのに?

どんな人なんですか?」


「部長がどっかから連れてきたやつで、

詳しいことは分からねぇ」


「分かってるのは、うちの学園の生徒じゃねぇことだな。

というか、恐らくうちの学園に通える年ですらねぇ」


「そんな華奢な女の子なのに、

寒気がするくらい人殺しが巧いんだ。他の誰よりもな」


「そんなに……ですか」


「正直、ありゃあ化けモンだよ。

ABYSSの俺が言うのもなんだけど、普通じゃねぇ」


「下手したら部長よりやばいぜ、あれ」


「部長よりって……」


「だから、もしアーチェリーを持った女がいたら、

なりふり構わず逃げろ」


なぶることもしないで、

完全に殺すためだけに攻撃してくるからな」


「いえ、誰がいても逃げますけど……」


「……そりゃそうだな」


言われてみれば確かにと、

鬼塚が深々頷く。


その様子がおかしくて、少女がくすくすと笑うと、

鬼塚は面倒臭そうに溜め息をついた。


「ま、話せることはこれで全部だ。

後は何もなければ動き始めるけど、何かあるか?」


「あ……一つだけ、お願いしたいことが」


もしここで死ねば、行方不明になる――


図書室に来る以前、鬼塚にそれを聞かされた時から、

少女はずっとその“もしも”について考えていた。


子供が二人とも行方不明。


それは、遺される親からすると、

死んだと宣告されるよりも実は残酷なことかもしれない。


少女の母は仕事が忙しく、

姉弟とは最低限の関係しかなかった。


けれどそれは、自分たちを育てるためのことだと、

少女もきちんと理解していた。


だから、もしも少女が死んだと知れば、

母はきっと悲しんでくれるだろう。


ただ、いつまでもそれにこだわらず、

自分たちに縛られない母だけの人生を歩んで欲しい。


けれど行方不明では、何年も、何十年も、

悶々とした時を重ねさせることになりかねない。


その事を考えるだけで、

少女の胸は張り裂けそうだった。


ならば、せめてそんなことにならないように、

何かを残してあげたい。


そう考えた時に、

真っ先に思い浮かんだのは――母への言葉だった。


「遺書を書きますから、

私が死んだら、母に届けてもらえませんか?」


「……遺書、か。

あんたを殺させるつもりはねぇぞ?」


「私だって死ぬつもりはありませんよ。

何ていうか……覚悟の証みたいなものです」


「というか、

死んだら弟を助けられませんし!」


ただ――そんなつもりは毛頭なくても、

そうなる可能性は充分にある。


だから、悔いのないように、

書き残しておきたかった。


「そうか。そうだな」


鬼塚は頷いた後、

紙とペンを図書室の中から探し出した。


受け取った少女が、頭を捻りながら言葉を考え、

少しずつ遺書を書き綴る。


そうして完成した遺書は、

少女の手によって鬼塚に大事に手渡された。


短い、たった五行だけの文章。


それが少女の遺言であり、覚悟の証だった。


「間違いなく、これはあんたの家に届ける」


少女が頷くのを確認して、

鬼塚は紙をマントの中へとしまった。


それから、二人は改めて顔を見合わせて頷き合い、

静かに図書室を後にした。



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