責任の一端2



……三人で片っ端から

仮面を引っぺがしていく。


体を仰向けにして、仮面を剥がして、

ある程度識別しやすいように並べる。


作業だけ見ると単純でも、

実際にやってみると結構な重労働だ。


これを片山一人でやっていたら、

相当時間がかかったかもしれない。


「……そういや片山、

お前に聞いておきたいことがあったん思い出したわ」


「最近、街に“フォール”出回っとるけど、

アレばら撒いてんのお前か?」


「あ? だったらどうした?」


「やっぱお前か……。

ええ加減にせんと殺すぞ?」


「……どういうこと?」


作業の傍らに、

興味本位で聞いてみる。


「最近、街で治安悪うなっとるやろ?

コイツが街に流しとるABYSSの薬が、その原因よ」


「何それ……?

ABYSSも黙ってないんじゃないの?」


「どういうカラクリがあんのかは知らんが、

上手くお目こぼししてもらってんのやろ」


……そんなこと、

あり得るんだろうか?


でも、実際にそれができているんだから、

片山は特別に優遇されているんだろう。


それとも、もしかして……

片山がABYSSの部長なのか?


“判定”を聞く限り、鬼塚よりはずっと弱いけれど、

地位と強さが比例しないなら可能性はある。


ただ、片山が部長だとして――


龍一は、何者なんだろうか?


ABYSSについても詳しいし、

戦闘能力も鬼塚並み。


ABYSSだとすれば辻褄が合うけれど、

話を聞いてる限りじゃそれは違う。


というか、片山の話だと、

ABYSSを二人も殺しているんだったか?


龍一が……という気持ちはあるけれど、

もし本当なら、龍一はむしろABYSSの敵側だろう。


……聞いてみても大丈夫だろうか?


積もる話は後でって言ってたし、

龍一の場合は嫌なら嫌って言うか。


「龍一、あのさ――」


意を決して、

正体に言及すべく龍一の顔を見やる。


と、龍一の背後に、

今まさにナイフを振り下ろさんとしている片山を見た。


「後ろぉ!!」


「っ!?」


龍一が、

振り向きざまに刀を抜き放つ。


その刃の描く弧が、

音もなく背後にあった体を横切った。


片山の目が大きく見開かれる。

その口から、ごぼりと血が零れる。


それから、からりと音を立てて

ナイフが床に落ち――


その後を追うように、片山信二は目を見開いたまま、

自身の血の中へぐらりと崩れていった。


「龍一、大丈夫っ?」


「何とかな……。

晶の声がなかったら間に合わんかったわ」


冷や汗を拭いながら、

龍一がふぅーと長い息を吐く。


それから、足下でぴくりとも動かなくなった、

片山の死体を見下ろした。


「コイツ……

やっぱ悪いこと企んどったな」


「……最初からだまし討ちするつもりで、

仮面を取らせようとしてたのか」


「さぁ、どうやろな?

手下が連絡先知っとる言うのは本当かもしれんし」


「ちゅーか、悪い。

大事な情報源を殺してもうた」


「ん? ああ……」


言われて気付いた。


でも、片山の奇襲と龍一の対応のほうが衝撃的で、

情報を失った感覚はあまりなかった。


目の前で見て、初めて理解する。


龍一は本当に、

人を躊躇なく殺せるんだな……。


「……ホンマすまん」


「いや、あの状況は仕方ないって。

龍一が無事でよかったよ」


「それに、片山が動く隙を作ったのは、

僕が仮面を剥がす手伝いをしたからだし」


早く琴子を助けようと動いたことで、

結果的に片山のだまし討ちを許してしまった。


龍一を危険に晒してしまったのは、

僕の責任でもある。


「……急がば回れ、ってことやな。

俺も晶も、ちょいと急ぎすぎや」


「出てくるもんにとにかく飛びつくんやなくて、

まずは足下を固めていかなあかん」


龍一の言う通りだった。


僕も、ABYSSとか龍一の正体とか、

色々余計なことを考えすぎだ。


頭を切り換えて、

琴子のことに集中しないと。


そのためにもまずは、

片山の手下を叩き起こそう――





「……参ったな」


「いや、ホントまさかだよ……」


片山の手下から話を聞いたところ、

琴子を拉致したのは、本当に新入りの男らしかった。


片山のついた嘘は一つ。


その連絡先を知っているのは、

手下ではなく、片山本人だけということだ。


「結局、足で探すしかないのか……」


「アジトの場所は全部聞いたし、

何もないよりはマシやろ」


「……ちなみに、

これが嘘情報の可能性ってないかな?」


「片山の死体見た上で嘘ついとったら、

大したタマや思うで」


なるほど。

確かにそれなら安心だ。


「ほな、手分けして行くぞ」


「了解。何かあったらすぐ連絡で」


そうして、龍一と別れて、

再び琴子を探して夜の街を走り回った。



けれど――


結局、琴子を見つけることはできなかった。





体をソファに預けると、

今日一日の疲労がどっと押し寄せてきた。


仰ぎ見る時刻は深夜の三時。

十時間以上は動き回っていたことになる。


そして、それだけ動き回っても、

琴子を見つけることはできなかった。


僕は……何をやってるんだろうか。


何度繰り返しても、

後悔の念は止め処なく押し寄せてくる。


一番守りたいものを――

守らなきゃいけないものを、守れなかった。


何が元暗殺者だ。

何が、琴子の兄貴だ。


結局、何もできてないじゃないか。


「くそぁ!!」


やるせなさが叫びになって溢れる。


けれど、その気持ちも、

僅かな木霊を残して虚しく響くだけ。


余韻さえすぐに掻き消え、

後には、死んだような静けさが戻ってきた。


そのあまりの冷たさに思う。


この家は、

こんなにも広かっただろうか――


二年前……叔父と叔母が行方不明になった時も、

似たようなことは思ったけれど。


今は、あの時よりもずっと、

寂しさを感じる。


全然、知らなかった。


琴子が帰ってこないだけで、

うちの雰囲気がこんなにも変わるだなんて。


でも……思い返してみると、

当然なのかもしれない。


こっちの世界に来てからは、

僕の傍にはいつも琴子がいた。


佐倉さんでさえ疎遠になったのに、

琴子だけはずっと僕の傍にいた。


それこそ、寝ても覚めてもだ。


「……そうだったな」


親しくなってからはずっと、

僕がどこに行っても引っ付いてきた。


家でも、学校に行っても一緒。

佐倉さんと三人で色々と遊んで回った。


付き合わされた、

と言っていいかもしれない。


何しろ、女の子二人に混じっての遊びだ。

しかも、当時の僕らは幼くもある。


必然的に、遊びはままごとのような、

女の子向けのものだった。


その中で僕は、

一体どれだけ琴子と結婚したことか。


懐かしくて、思わず口元がにやける。


最初はその遊びに何の意味見出せず、

言われるがまま付き合っていた。


けれど、何度か繰り返すうちに、

僕は琴子が喜ぶツボがあることを知り――


いつからか、琴子の笑顔を引き出すのが、

楽しみの一つになっていったんだ。


そうして今では、ままごと以外でも、

琴子がどうすれば喜ぶのかを知っている。


他の人に喜んでもらうことの楽しさを

知っている。


暗殺者の頃は、

ただ褒められることに一生懸命だった、この僕が。


「ああ……」


佐倉さんからも、

色んなことを教わったけれど。


琴子からも負けないくらい、

色んなことを学んだのかもしれない。


どうしてこんな時に限って、

こんなことばっかり考えるんだろう?


頭を抱えて項垂れる。


このやたらと重い頭は、

何故か琴子のことで一杯だった。


こんな時に昔のことを思い出すなんて、

どうかしてる。


それこそ走馬燈みたいで、

縁起でもないじゃないか――


そう思っても、琴子のことを考えるのは、

やめられなかった。


琴子がいないことが、酷く辛い。


気付くのが遅すぎた。


僕がこの家に残ることを決めたのは、

琴子を一人前にするためだったはずなのに。


ままごとみたいな、

仮初めの兄弟だったはずなのに。


いつの間にか、僕のほうが

琴子の傍にいるのが当たり前になっていたなんて。


「琴子……」


何かに縋りたくて、

ソファに顔を埋める。


ああ――


今はただ、琴子に会いたい――







今日は、最悪だった。


自分よりも年下の女の子に、

模擬戦で何もできずに負け。


せめて一矢報いようとしても、

ほとんど触ることさえできなかった。


どうしよう……。


ただでさえ、家族のみんなに

人を殺せないってばかにされてるのに。


こんな結果がお父さんや義兄さんにバレたら、

絶対にがっかりされる。


もう見込みがないからって、

何も教えてくれなくなるかもしれない。


お父さんが帰ってくる前に、

どうにかしないと……。





「さっきの模擬戦、

何で手加減した?」


義兄さんに作ってもらったトレーニング表を

順にこなしていたところで、ふと声をかけられた。


声をかけてきたのは、

さっき僕を負かした女の子。


本気で僕が手加減したと思ってるのか、

むっとした顔で僕を睨んでいた。


「……手加減なんてしてないよ」


「嘘つけ」


「嘘じゃないってば」


どうして嘘だと思うのか、

全然分からない。


それくらい、

僕に手応えがなかったってことだろうか?


違うとしか言えなくて困っていると、

女の子は僕からぷいと顔を背けた。


それから、少し離れたところに腰を下ろして、

僕の訓練をじっと観察し始めた。


……正直言って、

僕はこの子がずっと苦手だった。


例えるなら、

懐かない猫みたいな感じ。


半年くらい前にうちに来たのに、

ずっと馴染まないで、いつも一人だった。


でも、訓練をすれば、

いつも何でもない風に優秀な成績を残していく。


僕と違って、人だって殺せる。


そんな優秀な女の子が、どうして今日に限って、

落ち零れの僕に絡むんだろう?


普段のこの子は、

僕に怖いくらい冷たいのに。



まあ、いいや……。


どうせ気にしてたところで、

この子は僕に答えなんか教えてくれない。


それよりも訓練だ。


せめて、自分より年下の子には負けないように、

頑張らないと。


そう思って、

トレーニング表へと目を戻した時、



普段は聞かない爆発音が響いて、

辺りから鳥が一斉に飛び立っていった。


何だ……今の音?


女の子と、顔を見合わせる。


その間も、

ばたばたと騒がしい音が聞こえてきて――


僕らは急いで、

屋敷のほうへと走った。





――敵の襲撃だった。


それも、一人や二人、

忍び込んだような話じゃない。


少なくとも小隊規模、

それも完全武装の人間を動員していた。


監視カメラの映像には、

とても有名な暗殺者の姿まであったらしい。


さすがにパニックにはならなかったけれど、

誰も笑ってなかった。


僕にいつも

『もっと頑張れ』と言っていたお姉さんも。


僕を見るといつも

溜め息をついていたお祖母さんも。


今は、目の前に迫る危機に、

怖い顔をして動いている。


その様子を眺めながら、僕にも何かできないかと、

大人たちの会話に耳を傾けた。


けれど――聞こえて来る話はどれも、

僕でさえ悪いと分かるものだった。


『守るか逃げるか決めないと』

『勝てると思ってるのか』

『逃げ切れると思ってるのか』

『全滅は避けないと』

『何で一族しか知らない隠れ家がばれた』

『どうして刀がいない時に』

『あの拾い子がいれば』

『死んだあの子がいれば』


……僕らの名前は、一言も出ない。


当然だ。僕は落ち零れだし、

女の子はみんなに好かれてない。


それでも、僕も家族のために何かしたくて、

部屋に戻って武器を取ってきた。


さらに、いつ呼ばれてもいいように準備していると、

僕らに気付いた叔父さんが駆け寄ってきた。


やっと出番が来たのかな?


そんな僕の期待は、

呆気なく裏切られた。


僕らに出された指示は、

家の裏にある森へ隠れること。


今逃げると必ず狩られるから、

落ち着くまで隠れていろということだった。


分かっていたことだけれど。


何も期待されていないというのは、

やっぱり辛かった。


「……はい、分かりました」


求められている答えを返して、

女の子と一緒に小走りで裏口へ向かう。


別れ際に、叔父さんは

『気を付けろ』と僕らに言い――


次の瞬間には、どこかから飛んできた弾で、

右腕の肘から先がなくなっていた。





木の根元にある武器倉庫で、

二人で身を寄せ合って隠れた。


けれど、会話はない。


何度か話しかけたものの全部無視されて、

そっとしておいて欲しいんだなと判断した。


……遠くの音を聞く限り、

相当激しい戦闘をしているように思える。


どっちが勝つだろうか。


家はなくなってしまうんだろうか。


暗くて狭い空間でじっとしていると、

色んな考えが浮かんでくる。


もしも。


もしもみんな殺されてしまったら――


僕らはこれから、

どうやって生きていけばいいんだろう?


暗殺者になろうと思っても、

僕には人を殺せない。


殺せない暗殺者なんかに、

仕事を頼む人なんているわけがない。


じゃあ、別なことをして生きていく?


……無理だ。


そんなの、

どうやったらいいか分からない。


「何とかならないかな……」


お父さんが帰ってくるとか、

義兄さんが帰ってくるとか……。


実は思ってたより相手が弱かったとかで、

襲ってきたやつを追い返せないかな。


そうすれば、

ずっと今のままでいられるのに。


「無理だよ」


「えっ?」


「だって家のやつらより、

襲ってきたやつのほうが強いし」


「これだけ派手に襲ってくるんだから、

援軍も期待できない」


……何も言い返せなかった。


女の子の言ったことは、

全てが全て、その通りだったから。


でも――


僕には、この家しかないんだ。


人を殺せない暗殺者でも、

色々言われるだけで済む、この家しか。


他の場所に行っても、

生きて行ける気がしない。


僕は、ここを離れたくない。


そう考えていたら――

隠れている意味が、途端に分からなくなった。


だって、

どうせ余所では生きていけないんだ。


だったら、今ここで頑張って、

家を守るか死ぬかをしたほうがいい。


「……どこ行くんだ?」


「僕も戦ってくる」


「死ぬぞ?」


「いいよ、死んでも」


僕が行っても、

何も変わらないことは分かってる。


けれど、僕はこの家しかないんだ。


「……ちょっと待て、本気か?」


もちろん、本気だった。


自分の身と、家族を守るためには、

自分で動かなきゃいけない。


殺せないと言っていないで、

今度こそは殺さないと。


「やめろ!」


「……何で止めるの?」


「何でって……無理だからだろ!」


「大丈夫だよ、死ぬとしても僕だけだし。

ここに隠れてれば、君は助かると思うから」


「それはっ……そうだけど……」


女の子が、何か言いたげに唇を噛む。


けれど、その言葉を待つ意味はないと思って、

『じゃあね』と別れを告げた。


後ろから追ってくる声を振り切って、

隠れていた穴を飛び出した。


そうして僕は、戦場へ向かい――



――また、意識を失った。


次に目が覚めたのは、ベッドの上。


いつものように、

お父さんの顔が目の前にあった。


何が起きたのかは分からない。


分かるのは、

またやってしまったのだということだけ。


けれど、無力感に浸る時間はそうはなく、

お父さんは僕に言った。


これからは、

普通の人として暮らすんだ――と。





……いつの間にか寝てたのか。


外がぼんやり明るいけれど、今何時だ?


「五時半過ぎ……」


寝てたのは一時間半くらいか。


しかも、あんな昔の夢まで見て……。


でも――


「……あんな子いたかな?」


夢に見ておいてなんだけれど、

実家に僕より年下の女の子がいた記憶はない。


色々考えていたから、

ごちゃごちゃ混ざった夢になったんだろうか。


寝る前に考えていたのは、

ちょうど小さかった琴子と、昔のことだったし。


そうして思い返してみると、さっきの子は、

どことなく琴子と似ているような気がしないでもない。


「……って、

そんなの考えてる場合じゃないな」


頭をぶんぶん振って、目を覚ます。


夢の子に、

琴子の面影を求めてる暇なんてない。


急いで用意をして、

早く現実の琴子を探しに出ないと。



そう思っていた時に、

インターホンが鳴った。


来客……こんな時間に?


一体誰がと思いつつ、

インターホンの受話器を取る。


そこから聞こえてきた声を聞いて、

思わず受話器を取り落としそうになった。


信じられない。


けれど、夢じゃない――!



「琴子っ!!」


「っ……!」


「よかった……本当によかった……」


琴子の小さな体を抱き締めて、

髪の毛に顔を埋める。


泣きそうになった。


というか、気付いたら涙が出てた。


まさか、琴子が無事で

帰ってきてくれるなんて……。


「というか、無事だよね?

怪我とかしてないよね?」


「……ああ」


あれ……琴子?


何か、微妙に話し方がぎこちないか?


「本当に大丈夫?

お兄ちゃんに気を遣って隠す必要なんてないよ?」


「大丈夫。平気」


「本当に?」


子供みたいにこくりと頷く琴子。


……本当に、大丈夫なんだろうか?


「あの、笹山くん。

琴子ちゃん、だいぶ疲れてるみたいだから」


「えっ? ああ……ごめん」


ずっと抱き締めっぱなしだった琴子を解放して、

椅子への着席を促す。


それから、改めて佐倉さんへと向き直った。


「佐倉さんが見つけてくれたの?」


「……うん。そんな感じ」


「私が片山くんの話に乗ったせいで、

琴子ちゃんが危ない目に遭ってたみたいだから」


「いや……それは片山が悪いんだから、

佐倉さんが気に病む必要はないよ」


「でも、大丈夫だったの?

物凄く危ないことになってたはずなんだけれど」


「うん。危なかったんだけどね。

切り裂きジャックが助けてくれたの」


「切り裂きジャックが……」



有紀ちゃんが言ってた、

あの正義の味方か。


よくある都市伝説程度に考えていたけれど、

本当にいたんだな……。


「何にしても、琴子が無事でよかったよ。

今からも探しに行こうと思ってたところだし」


「じゃあ、

ちょうどいいタイミングだったんだ」


「そうだね。もう少し遅かったら、

すれ違ってたかも」


「っていうか、

無事だったなら連絡くれればよかったのに」


「私もそうしようと思ったんだけど、

電話が取られたり壊されたりしてたんだよね」


ああ、そういうことか。


じゃあ、学園に潜伏してる最中の琴子からの電話は、

片山からだったんだな。


多分、琴子の携帯で僕を呼び出して、

何かやらせようとしてたってところか。


「せめて早く帰ろうと思ったんだけど、

すぐに帰ると危ないって……その、ジャックさんが」


「ああ、それはいい判断だったかも。

見張りがいたら、尾行されてた可能性もあるし」


「でも、公衆電話からでも何でもいいから、

早く連絡して欲しかったかな」


「本当にもう、

死にそうなくらい心配してたから」


「ああ……晶ちゃんは昔から、

琴子ちゃんに過保護だったもんね」


……えっ?


「あれ、違ったっけ?」


「あ、いや……

その通りだとは思うけれど」


今、晶ちゃんって言ったよな?


ずっと笹山くんだったのに、

何で昔の呼び方で……。


そう思っていたところで、

佐倉さんも呼び名を間違ったことに気付いたらしい。


『あっ』と小さな声を上げた後に、

気まずそうに俯いた。


「ごめん……」


「いや……別に謝ることじゃないし」


「そっか……それもそうだよね」


佐倉さんが

はにかみ笑いを浮かべる。


……琴子が帰ってきたことがとにかく嬉しくて、

全然気にしてなかったけれど。


よく考えてみると、

何だか佐倉さんもおかしいぞ?


昨日の夕方までは、最近の佐倉さんの態度というか、

もっと警戒心があった。


なのに今、こうして話している佐倉さんは、

僕に対して凄く普通だ。


変わってしまう前の、

昔の佐倉さんみたいだ。


何か……あったのか?


「それじゃあ、私もう帰るね」


「あ、うん……お疲れ様。

送っていくよ」


「ううん。大丈夫だから、

笹山くんも寝直していいよ」


えっ?


「寝てましたって、顔に書いてある」


言われて、慌てて顔を擦ると、

佐倉さんはくすくすと笑った。


「あと、琴子ちゃんもだいぶ疲れてるみたいだから、

今日は休ませてあげてね」


「うん、分かった。

本当、ありがとうね」


最後にお礼を言うと、

佐倉さんは手を振って帰っていった。


……疑問に思うところはあるけれど、

何だかんだでいい方向に進んでるのかな。


琴子も無事だったし、

佐倉さんとも上手く話せたし。


ABYSSとは本格的に交戦になりそうだけれど、

またそれは後で考えればいい。


今はとりあえず、

無事に夜が明けてくれた安心に浸りたい。


「寝直すか……」


風呂とかご飯は後でいい。


龍一に無事だったメールだけ送って、

とりあえず寝よう。


……っと、その前に、

もう一つやらなきゃいけないことがあった。


部屋に向かいかけてた体を反転させ、

室内へと足を戻す。


それから、すーすーと寝息の聞こえる机の前に立ち、

琴子の頭をそっと撫でた。


「おかえり、琴子」


安らかな寝顔に、

自然と顔がほころぶのを自覚する。


それじゃあ、この眠り姫を起こさないように、

部屋まで運ぶとしよう――



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