これからの生き方









「いらっしゃい。

早かったじゃない」


カジノエリアの扉を開けると、

ソファにかけていた女が笑顔で立ち上がった。


「葉さん……」


「お久し振りね、佐倉さん。

それから、羽犬塚さんと黒塚さんも」


「よくもまあ平然と挨拶できるわね。

私を騙してくれた分際で」


「うーん、騙したつもりはないんだけどなぁ。

そう思われてるなら残念ね」


「それより、そちらの彼が笹山くん?

どうも初めまして、志徳院葉よ」


丁寧に頭を下げてくる女。


その慇懃な挨拶もそうだし、

一連の那美ちゃんたちとのやり取りもそうだ。


皆殺しにしようとしている相手を前に、

なお友好的な様子に、逆に不気味さを覚えた。


こいつは、一体どんなつもりで、

僕らにそんな態度を取ってきているんだろうか?


「……そんなに怖い目で睨まないで。

私は何もする気はないから、挨拶しましょ」


「悪いけれど、馴れ合う気はない。

それより三人は無事か?」


「ちゃんと生きてるわよ。

ほら、ちゃんとここにいるでしょ?」


葉が足下を指し示す。


そこには、猿ぐつわを噛まされた温子さんたちが、

三人揃って床に転がされていた。


……意識もちゃんとあるな。


龍一が背中の負傷からかぐったりしているけれど、

ひとまず最悪の事態は避けられたか。


なら、あと確認事項は一つ。


「兄さんはどこだ?」


「さあ? 私も彼のことはよく分からないのよね。

ほら、あの人って無口じゃない?」


……嘘だ。

兄さんを潜めていないはずがない。


カジノエリアは暴力禁止だけれど、

感度は常に最高に保っておかないと。


「困ったわね。

そんなに警戒しなくてもいいのに」


「警戒しないわけないでしょう?

何か変なことしたら命はないと思いなさい」


「あら怖い。彼と黒塚さんは用心棒なのね。

じゃあ、取引は他の二人としましょうか」


葉が那美ちゃんたちへと目を向ける。


と――その視線が、

羽犬塚さんのところでぴたりと止まった。


「あら? その時計……どうしたの?」


「えっ……友達からもらったやつですけど、

どうかしたんですか?」


「ええ。だってそれ、

私が藤崎くんを壊した時にあげたものだもの」


「壊した……? どういうことですか?

ともくんに何かしたんですかっ?」


「別にそう大したことじゃないわよ。

フォールってお薬を一杯あげただけ」


「いっぱい……」


ABYSSの薬の話は、

須賀さんからみんな聞いていたけれど……


“フォール”は確か、大量に摂取すると、

精神に異常を来すって話じゃなかったか?


そんなものを、大量にって……。


「羽犬塚さんは昔の彼とも知り合いなのよね。

じゃあ、彼が宗教団体にいたことは知ってるでしょ?」


「彼ね、その団体では神様そのものだったの。

凄いわよね、神様。みんなは見たことある?」


「私は彼が初めて見た神様だった。

そんなの見たら、色々試してみたくなるでしょ?」


「こいつ……」


「まあ結局、中身はただの人間だったんだけどね。

やっぱり神様なんていないのね」


「そんな、ひどい……」


羽犬塚さんが、

目元を押さえて嗚咽を漏らし始める。


そんな彼女を支えながら、

那美ちゃんが葉をキッと睨んだ。


「葉さん……何でそんなことできるんですか?

藤崎さんに悪いと思わないんですか!?」


「もちろん悪いことだと思ったわよ。

優しい子が凶暴になっちゃったし」


「だから、彼にはお礼にその懐中時計をあげたの。

まさか、まだ持ってたなんて思わなかったけどね」


「羽犬塚さんはそれを、

彼の死体から拾ったの?」


その問いに、羽犬塚さんは答えなかった。

答えられなかった。


那美ちゃんに支えられながら、

ただその胸の中で泣いていた。


「あらあら、泣いちゃった。

私、悪いことを言ったみたいね」


「それじゃあ、お詫びにその時計はあげるから。

元気出して、ねっ?」


にこにこと羽犬塚さんに微笑みかける女。


そのあんまりにも無粋な態度に、

文句を言おうと口を開けたところで、


「黙りなさい」


黒塚さんが、先に声を上げた。


「もう喋らなくていいわ。

あなたと話してても不快なだけだから」


「しょうがないわね。

それじゃあ、交換をしましょうか」


葉が携帯を取り出す。


けれど、それよりも一歩早く、

黒塚さんが携帯を取り出し操作を始めた。


もちろん、

カードのやり取りをするわけじゃない。


黒塚さんが携帯を弄る理由はただ一つ。

それは――


「“戦車”の大アルカナを使うんでしょ?」


「……えっ?」


「“戦車”の効果『首輪の無効化』を使って、

私を殺しにくるつもりだったんでしょ?」


予定していた行動をズバリ言い当てられて、

黒塚さんが――というより全員が固まる。


そんな僕らに、

葉は『ほら当たった』と笑いかけてきた。


「ダメよ、黒塚さん。あなたの大アルカナの効果は、

私と組んでた時にバレちゃってるじゃない」


「そんなものを切り札にしたら、

簡単に防がれるに決まってるわよ」


葉が手を挙げる。


同時に、黒塚さんが『あっ』と声を上げた。


「どうしたの、黒塚さんっ?」


「使おうとしてた“戦車”の大アルカナが……

いきなり消えたの」


「……消えた?」


っていうことは、もしかして――


「はい、正解。

もう出て来てもいいわよ、数多」


葉が呼びかけると、その後方からゆっくりと、

兄さんの姿が浮かび上がってきた。


……そうだ。

深夜拝――御堂数多の大アルカナは“死神”。


その効果は『対象の小アルカナ、もしくは大アルカナを

一枚だけ無条件に破壊する』。


切り札の“戦車”が消されたということは……

もう、この場で葉を殺すことはできないということだ。


「というわけで、懸念材料が消えたところで、

改めて取引と行きましょうか」


「朝霧さんたちの身柄と、

そっちのカード全部とを交換しましょう」


にっこりと微笑む葉。


その横で、猿ぐつわを噛まされた三人が、

訴えるような目で僕らのことを見てくる。


「……」


息を吸って、吐いた。


分かってる。

三人が何を言いたいのかは分かってる。


多大なリスクを負う覚悟は、

みんなで決めてきた。


こういう状況は想定済みだ。


そう。

分かっていた。


さっき葉が言っていた通り、

バレている大アルカナは切り札たり得ない。


となれば、葉と一緒に行動していた黒塚さんの

“戦車”が通じないだろうことは自明の理だ。


でも、逆に言えば――


深夜拝の持っていた“死神”の大アルカナが、

僕らに通じないということでもある。


“死神”は、対象の小アルカナ、もしくは大アルカナを

一枚だけ無条件に破壊する。


けれど、その能力は

ゲーム中に一度しか使うことができない。


つまり“死神”が来ることが分かってさえいれば、

“戦車”以外の大アルカナは通るという話だ。


「……あら?」


と、どうやら向こうも、

ようやく気付いたらしい。


「私の携帯から、

カードが減ってる……?」


ハッとなって、

葉がこっちに顔を向けてくる。


その顔を見て、

黒塚さんが堪えきれないとばかりに噴き出した。


「気分爽快ね。

こんなに上手く行くなんて」


「私のカードに何かやったの?」


「カードじゃありません。携帯です」


「葉さんの携帯と私の携帯の中身を、

“正義”でそっくりそのまま入れ替えました」


“正義”の大アルカナ――


『対象と自身のスマートフォンの情報を

完全に入れ替える』


この完全にというのは、カードや連絡先だけでなく、

所有者の情報も全てという意味だ。


この“戦車”と“正義”の二段構えが、

僕たちの起死回生の策だった。


「今、葉さんの手元にある携帯は、

私のものであって葉さんのものではないです」


「逆に、葉さんの携帯は、

私の手の中にあるこれです」


那美ちゃんが携帯を掲げる。


――そこに唐突に伸びてきた兄さんの手を、

すんでの所で掴み取った。


「悪いけれど、掠め取るなんてさせないよ。

僕が全力で警戒してる以上はね」


「……離せ」


兄さんが舌打ちをして僕の手を切り、

葉の隣へと戻っていく。


全く……油断も隙もない。


「那美ちゃん、その携帯は大事に仕舞っておいて。

ペナルティ覚悟で取りに来る可能性があるから」


「うん、分かった。

ありがとうね、晶ちゃん」


「お礼なんていいよ。

那美ちゃんは僕が守るって約束でしょ?」


「うん……でも、嬉しかったから。

ありがとう」


「あ、うん……どういたしまして」


こそばゆい思いを抱えながら、

再び黒塚さんの隣に並んで葉の前に。


「……ふーん。

随分と格好いいじゃない笹山くん」


「べっ、別にそんなんじゃないよ。

普通だし、普通」


「じゃあ普通でいいわ。

これからも普通に佐倉さんを守りなさい」


「もちろん分かってるよ」


佐倉さんだけじゃない。

みんなもそうだ。


全員でこの迷宮から生還するためなら、

僕は、どんな苦労も厭うつもりはない。


「それじゃあ、お互いに人質を抱えたところで、

改めて取引をしようか」


決意を秘めて、葉の顔を見据える。


「……その前に、

黒塚さんに質問したいんだけど」


「私に……?

何を聞きたいのよ?」


「焔くんの仇討ち、したくない?」


ぴくりと、黒塚さんの眉が動いた。


「もしあなたが望むなら、

数多と一騎打ちをさせてあげる」


……さっき、兄さんが珍しく仕事の話をしてきたのは、

これを切り出すのが目的か。



何かあった時に、

黒塚さんを切り崩すため――


「……黒塚さん、罠だよ」


「分かってるわよ。

引っかかるわけないでしょう」


「別に引っかけてるつもりはないわよ。

これは交渉とは別の話だから」


「じゃあ、どうしてこの場面で

そんな話を切り出すんだ?」


「だって、私と数多がここで脱出したら、

もう彼女は永遠に仇討ちできないじゃない」


「黒塚さんにはお世話になったから、

選択肢くらいは与えてあげようと思ったの」


「人の事を利用しておいて、

お世話になったもクソもないわ」


「だいたい、そんなことをして、

あなたに何のメリットがあるのよ」


「ないわよ」


「だったら、

何でそんなこと言い出したの!?」


「だって、人生を復讐に捧げてきたのに、

それが全部無駄になるなんて、あんまりじゃない」


くすりと葉が微笑む先で、

黒塚さんが目を見開いたまま固まる。


「もちろん、今のままじゃ数多には勝てない。

それは、あなた自身が分かってるわよね?」


「だから、それもセットで付けてあげる」


葉が懐から取り出し/投げた小さなケースが、

黒塚さんの足下へと転がる。


「それって、まさか……」


「ええ、黒塚さんが飲み逃したアビスよ。

今、手元にある薬はこれで最後」


「どう? 焔くんの仇、取ってみたくない?

これが最後のチャンスよ」


「あなたが今までどんな思いをしてきたのか、

私には分かるわ」


「でも、辛くて苦しいプレイヤーを続けてきたのは、

そうしないと前に進めなかったからよね?」


「黒塚さんの時は、お兄さんが死んだ時から、

ずっと止まったままなのよね?」


「その時を動かすのは……

仇を取るしかないんじゃない?」


ごくり、と――


黒塚さんの喉が鳴ったのが分かった。


「黒塚さん……ダメだ」


「あら、何がダメなの?」


「そんな提案、罠に決まってる。

善意で悪意を梱包してるだけだ」


「だいたい、三錠目のアビスを飲んだら、

もう二度と元に戻れないんだろう?」


「元に戻れないって話なら、黒塚さんはもうとっくに、

元に戻れないところに来てると思うけどなぁ」


「……アビスを二錠目まで

服用したからってことか?」


そういう意味じゃないわ――と葉。


「彼女は普通の人生を投げ捨てて、

プレイヤーになって仇討ちを目指してたの」


「時間、才能、青春……ぜーんぶ復讐にぎ込んで、

もう引き返せないところまで来てるのよ」


「だから、彼女はこう思ってるはずよ。

私の新しい人生は、家族の仇を取ったら始まるって」


黒塚さんの体が、大きく揺れた。


「っていうか、逆に考えてみたら?

黒塚さんは仇を取れなかったらどうすればいいの?」


「彼女に仇討ちを諦めろっていうのは、

彼女に新しい人生を歩ませないのと同じなのよ」


「それは、彼女に死ねって言ってるのと、

何が違うの?」


「笹山くんは、黒塚さんのことを

よく知らないんでしょう?」


「それは……」


「でも、私は黒塚さんのことはよく知ってる。

プレイヤーとしての彼女も、人としての彼女も」


「だって黒塚さんは、

私の夫、須賀刀也の教え子の家族だもの」


「だから、私のことを手伝ってくれた黒塚さんに、

せめてものお礼でチャンスをあげてるのよ」


「さっきも言ったけど、私にメリットはない。

逆に、数多を手放すことになるかもしれない」


「対して、黒塚さんは勝てば望むものが全部手に入る。

それでも、私はそれを手助けしたいの」


「そんなの……矛盾してるっ」


「ええ、矛盾してるでしょうね。

でもね笹山くん、それがABYSSなの」


「ABYSSを憎むプレイヤーに、

敢えて投資していくのがABYSSなのよ」


女が、まるで聖母のような微笑みを浮かべる。


矛盾や憎しみを平然と飲み込まんとするその表情に、

言葉が上手く出て来なかった。


こいつは……何だ?


何なんだこいつは?


深淵の底の底を見た気分。


上品な笑顔/華奢な外見/優しげな微笑みに、

迂闊にも惑わされそうになるけれど――


こいつはやっぱり、

ABYSSを創った人間なんだと思い知らされる。


こいつが、心底恐ろしい。


獅堂天山を見た時と同じ。

こいつも、全く違う生き物だ。


そんな僕の戸惑いを見透かしたかのように、

葉は『ふふっ』と声に出して嗤った。


「そういうわけだから、復讐の意思があるなら、

黒塚さんは足下の薬をどうぞ」


「それはABYSSという組織からの、

黒塚幽というプレイヤーへの贈り物よ」


葉が手を差し出す

/その足下で、ばたばたと須賀さんが暴れ出す。


けれど、そんな須賀さんが目に入らないのか、

黒塚さんは葉のことを凝視していた。


これは……まずい!


「黒塚さ――」


「黒塚さん、ダメだよ!!」


僕の声を遮って、

後ろから那美ちゃんの声が飛んできた。


それが予想外だったからか、大きな声だったからか、

その場の全員が那美ちゃんへと視線を向けた。


「……そのダメだっていうのは、

誰の利益を優先した言葉なのかしらね」


「黒塚さんの大切なものをおもんぱかってるのは、

私とあなたのどっちだと思う?」


「それは……

私じゃなく、葉さんのほうかもしれません」


「でも、間違ってる道に進もうとしてるなら、

本人の意思に関係なく止めるべきです」


「それが、本当の意味での気遣いだと思います」


「じゃあ、佐倉さんは黒塚さんに、

復讐を諦めろっていうの?」


「……完全に諦めろとは言いません。

それは、個人の自由ですから」


「でも、大事なのは、

誰のために、何のために復讐をするかです」


「もし、それが死んだお兄さんのためじゃなくて、

黒塚さん自身のためなんだとしたら――」


「私は、他の全てを犠牲にしてまで

それを成し遂げるのは、間違ってると思います」


「佐倉さんは復讐したい相手がいないから、

そういうことが言えるのよ」


「そうかもしれません。

でも、黒塚さんの気持ちは分かるんです」


「私も……黒塚さんと違って自業自得ですけど、

一年半の時間をぎ込んできましたから」


「那美ちゃん……」


「その時間は……もったいなかったと思います。

その時間があれば、もっと色んなことができました」


「でも、どれだけ後悔しても、

過ぎた時間は戻って来ないんです」


「だから私は、これまで使った時間を考えるより、

これからのことを考えることにしました」


「一年半だからそう思うのかもしれないわよ。

もっと長ければ、そのまま続けるんじゃない?」


「黒塚さんは、人生の何分の一とかいう単位だもの。

佐倉さんとは本質的に違うと思うんだけど」


「割合で言うなら、私も同じです。

逆に、私のほうが短いかもしれません」


「私……病気を抱えてますから。

今は落ち着いてますけど、いつも死ぬのを覚悟してます」


「でも、例え短かったとしても、

私はこれからを楽しく過ごしたいと思ってます」


「黒塚さんにだって、

これからの生き方があるはずなんです」


「那美……」


「私は、ここから意地でも生きて帰って、

これからの時間を大切にするつもりです」


「その中で、黒塚さんとも友達になって、

もっと色んなことを知りたいと思ってます」


「だから……」


那美ちゃんが葉から目を外して、

黒塚さんへと向ける。


「黒塚さん、ちゃんと考えて欲しいの。

黒塚さんのこれからのことを」


「先に進むために復讐をしようと思ってるなら、

ここで全部使っちゃダメだよ」


「でも、もしもお兄さんのために、

どうしてもそれをしたいっていうなら……」


「私は、お兄さんの代わりに、

黒塚さんを殴ってでも止めるから」


「妹の人生を台無しにしてまで復讐を求める兄弟なんて、

いるはずがないんだから」


「……」


「……だそうだけど、

どうするの黒塚さん?」


「決まってるわよ」


黒塚さんが、鼻で笑って――


足下の薬のケースを、思い切り踏み潰した。


踵でぐりぐりとねじり込むように、

それはもう念入りに。


「黒塚さん……!」


「那美と友達になってやらなきゃいけないんだから、

こんなものを飲んでる暇はないわよね」


「それに、私は無敵だから、

こんなものに頼らなくても余裕で数多に勝てるわよ」


『舐めないでくれる?』と、

黒塚さんが葉と兄さんに啖呵を切る。


それに、葉は観念したかのように、

ふぅと大きな溜め息をついた。


「しょうがないわね。

このまま取引するしかないか」


……やっぱり罠だったのか。


今思えば、黒塚さんの踏み潰した薬が

アビスだという保証すらない。


毒を飲ませて、黒塚さんを排除した上で、

実力行使ということも十分にあり得た。


でも、先の言葉の通り、

さすがにここまで来たら打ち止めだろう。


この先は、見えている情報を並べての、

対等な交渉の時間だ。


向こうの手札は、人質三人と、

那美ちゃんのを含むスマートフォン四台。


対するこっちの手札は、

志徳院葉の携帯一台と大量のカード。


これを、どうやって

上手く交渉に使っていくか……。


「そうね……それじゃあまずは、

大アルカナの情報をもらいたいんだけど」


「……どうして、

大アルカナの情報が欲しいんだ?」


「また奇襲を仕掛けられたら困るもの。

条件としては悪くないと思うけど?」


……確かに、こっちは実質の出費なしで、

人質一人を取り返せると思えば大収穫か。


みんなの賛意を目で確かめる――

全員が賛成で一致。


「分かった。それじゃあ、

こっちの所持している大アルカナの情報を全部渡す」


「その代わり、

こっちは龍一を返してもらおう」


温子さんを先にとも思ったけれど、

まずは怪我人の龍一からだ。


早めに手当てをしないと、

命に関わるかもしれないし。


「いいわよ。取引成立で。

大アルカナは一人の携帯に集めて見せてね」


「奪ったりしないだろうな?」


「カジノエリアでのやり取りは

ちゃんと保証されるから安心して」


それなら――と、

僕の携帯に大アルカナを集めて葉へと提示する。


その確認をしている間に、

龍一の縄が解かれてこちらへ戻って来た。


「龍一、大丈夫?」


「おー。背中はクッソ痛いけど、

まー何とか歩けんこともない感じや」


「でも、凄く痛そうな顔してるよぉ……?」


「んー……まあせやな。正直しんどい。

ちょっとソファで休んでていいか?」


「いいよ。この交渉も

いつまでかかるか分からないし」


ほんじゃ――と、

龍一がソファに倒れ込む。


そこに那美ちゃんが駆け寄って傷を看ている間に、

葉から携帯が返ってきた。


「それじゃあ、次の取引をしましょうか。

今度の要求はそちらからどうぞ」


「温子さんの身柄だ」


ここで温子さんが解放されれば、

この先の交渉は温子さんも参加できる。


その次に須賀さんを解放で、

ひとまずの目的は達成だろう。


気になるのは、

相手の要求だけれど――


「“正義”“塔”“女教皇”みたいな、

小アルカナを強制移動させるカードの使用禁止で」


予想外のところが来て、

ちょっと驚いた。


いやでも、よくよく考えてみると、

大アルカナの使用禁止は理に適ってるか。


取引を上手く成立させたとしても、

大アルカナでひっくり返される怖れがあるし。


特に“塔”の機能――


『所有の如何に関わらず、全ての小アルカナは

ランダムに再配置される』はその最たるものだ。


今回の“正義”で懲りたっていうのも

あるんだろう。


「さあ、どうする?」


もし、これを呑んだとしたら……

後で挽回ができなくなるのか。


保険がかけられないのはちょっと怖いな。


「……他の条件に変えて欲しい」


「それはダメ。ここで変えたら、

私が一番最初に取引した意味がなくなるじゃない」


まあ、それもそうか。


「だから、他の条件に変えるなら、

ここで取引は終了にするから」


「私たちは今すぐに脱出できるけど、

あなたたちは無理よね」


「聞いていた“愚者”も

無かったみたいだし?」


葉がにっこりと黒塚さんに微笑みかける

/黒塚さんが目を背ける。


……確かに、ここで脱出されたとしたら、

僕らは四枚組以外での脱出が必須だ。


携帯を取られてる人質三人は死亡確定だし、

僕ら四人も“節制”を駆使してギリギリだろう。


結果、得点争いでも負けて、

結局は皆殺しにされかねない。


呑むしかない……か。


念のため全員に考えを説明しても、

結論に変化はなし。


「分かった。それでいい。

ただ、幾つか条件を付けたい」


「禁止するのは小アルカナを弄る行為だけで、

その他の機能に関しては使わせて欲しいんだ」


「具体的には“女教皇”の、

会ったことのある参加者のカードを覗く機能とか」


「それと、禁止はお互いの同意の上で解除できることと、

有効期限は葉が脱出するまでにして欲しい」


「そうね……それくらいならいいかな」


取引成立――

温子さんが解放されて戻ってくる。


「お帰り温子さん。

怪我は大丈夫?」


「うん。私と須賀さんは無事だったから。

それより、交渉凄かったね」


「“戦車”と“正義”をちゃんと使ってくれて、

本当によかった」


「黒塚さんが時間を稼いでくれたおかげだよ。

三十分だけだと、多分気付く余裕がなかったし」


「まあ、当然よね」


「ありがとう、黒塚さん。

あと、みんなは怪我とかは大丈夫ないの?」


「兄さんに襲われたけれど、

そっちも黒塚さんと二人で何とかって感じ」


「ああ……そうか。

あれが、晶くんのお兄さんなんだね」


温子さんが、

ちらりと兄さんに目を向ける。


「……ちなみに、

懐柔とかはできそうにない?」


「あー、絶対無理だね。暗殺者は信用命だし。

裏切る暗殺者は使えないでしょ?」


「それもそうか。

じゃあ、やっぱり正攻法でいくしかない、と」


温子さんが、

今度は葉へと視線を移す。


「それじゃあ、次の取引と行こうか。

順番的に、そっちが先に条件を提示する番かな?」


「そうね。じゃあ、

私の携帯を返してもらおうかしら」


「いいだろう。その代わり、

こっちは佐倉さんの携帯を返してもらう」


「えっ……何で私の携帯なの?

須賀さんじゃなくて?」


「須賀さんを取り返したとしても、

携帯が向こうにある限り、実質は人質が減らないんだ」


「携帯と身柄は基本的に、

どっちか一つだけじゃ脱出できないからね」


「だったら、まずそこを減らすために、

携帯を回収していかなきゃいけない」


「だから、本当は私じゃなくて、

さっきは龍一くんの携帯を回収すべきだったかな」


助けられておいて言うのも

なんだけどね――と温子さん。


「そう、ご明察ね。

でも、取引は朝霧さんの身柄で正解だったと思うわよ」


「他の子じゃ、今の朝霧さんみたいな考えも

なかったみたいだし」


「それが本当かどうかはともかく、

私を取って正解だったと思われるように頑張るだけだ」


温子さんが毅然と宣言して、

携帯同士の交換を成立――


とうとう、

こっちに取引の駒がない状況になった。


対して、向こうが抱えるのは須賀さんの身柄と、

龍一、温子さん、須賀さんの携帯。


ということは、ここから先は、

いよいよ小アルカナでの取引になる。


「はい、今度はそっちの番よ」


「そうだな。それじゃあ……」


「小アルカナを賭けて、

ゲームで勝負するのはどうだ?」


「……ふぅん。そう来たか」


「そっちは当初の予定と違って、

小アルカナを全部寄越せとは言えないだろう?」


「私たちは須賀さんとはこの迷宮で会った仲だ。

最悪、見捨てることもできなくもない」


「携帯は依然として人質のままでも、

私と龍一くんが覚悟を決めれば無意味になる」


「だったら、いっそお互いに全部を賭けて、

ゲームで決着を付けてもいいだろう?」


温子さんが身振りを交えて、

相手に『さあやろう』と誘いかける。


「いいわね。ゲームは好きよ」


それに葉は、

初めて見る強気な笑みを浮かべた。


「決定だな。

それじゃあ、取引はここまでだ」


「競技はどうするの?」


「二人で順番に案を出していくのもいいけれど、

何なら携帯一つで買ってもらってもいい」


「もちろん、お互いにある程度は

勝負できる競技であることが前提だが」


「ふぅん……じゃあ、

買わせてもらおうかしら」


葉が、龍一の携帯を差し出してくる。


それを受け取り/確認してから、

温子さんが『どうぞ』と頷いたところで――


「それじゃあ、

競技はテキサスホールデムにしましょうっ」


目の前に、無邪気な笑顔が現れた。






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