ゲームの始まり1

――[黴'かび]と埃の臭いがした。


あれ、と思って那美が身を捩ると、

ベッドのスプリングがぎしりと音を立てた。


その普段とは違う硬さと肌触りが気になって、

眠たい目を擦り目を開ける。



そこは、六畳ほどの狭い部屋だった。


家具のようなものはベッド以外に一切なく、

目に映るものは貧相な壁と小さな明かりのみ。


その電灯さえ寿命が近いのか、

頼りなく瞬いていた。


見慣れない景色に驚いた那美が、

慌てて自分の体を抱き締める。


だが、それも一時的なもので、

すぐに何があったのかを思い出した。


“ラビリンスゲーム”の招待状が届いたこと。

簡単な手続きをしたこと。


そして、眠らせた状態で

会場へ運び込むと説明されたこと。


「そういえばっ……」


慌てて身の回りを確認する。


と、探していたものはすぐに見つかった。


いつも服用している薬以外で、ゲーム内に一つだけ、

外部からの持ち込みを許可されていた道具。


それこそが、かつて晶に預け/返された、

あのリコーダーだった。


「よかった、ちゃんとあって……」


見慣れた包みを大切に握り締めながら、

那美がホッと息をつく。


ラピスの言葉では、那美の見ていた二つの晶は、

どれも本物ということだった。


あくまで推測という話ながら、

那美も今はその説を信じている。


だからこそ、

あの約束の笛を持ち込んだ。


一つだけというのであれば、

もっと便利なものを持ち込むのが正しい判断だろう。


しかし、もしかするとこの笛があれば、

もう一度彼に会えるかもしれない。


そう思うと、

那美にはこの笛以外の選択肢はなかった。


晶がいなければ意味はないが、

那美には彼がここに連れて来られている予感があった。


会ってどうしたいのかは、

那美自身もまだよく分からない。


謝りたい気持ちもあったけれど、

違う話がしたいような気もする。


公園で守ってくれたことに、

感謝を伝えたい気持ちもある。


晶ちゃんと呼びたい。

那美ちゃんと呼んで欲しい。


笹の葉の下で出会った時のように、

その手を握りたい。


病院で心細かった時のように、

また抱き締めてもらいたい。


考えれば考えるほど、

色んな思いが溢れてくる。


胸がぎゅっと締め付けられる。


「……ダメだ。

考えないようにしないと」


もしもの時のことを考えるのは、

余裕のある時だ。


ABYSSのゲームにおける時間の大切さは、

先のゲームで嫌と言うほど分かっている。


気を取り直して、

那美がベッドから起き出す。


首元に手をやってみると、

予想通り、首輪が付けられていた。


この辺りに関しては、

学園でのABYSSの儀式と変わらないらしい。


それからさらに室内を見回し――

ベッドの脇に置いてあった宝箱に気付いた。


「罠とかじゃない……よね?」


宝箱の本体及びその周囲を調べるも、

特に異常は見当たらない。


意を決して、それでも足で、

おっかなびっくり開けてみる。


中には、スマートフォン、鋏、ミネラルウォーター、

ブロックタイプの携帯食料が二箱入っていた。


これを使って

ゲームをするのだろうか?


とりあえず、スマートフォンを起動してみると、

三つのアプリがインストールされていた。


“小アルカナ”“大アルカナ”

そして“カウント”。


試しに小アルカナのアプリを

起動してみる。


『現在所持している小アルカナはありません』


「……このアルカナっていうのは、

アイテムか何かなのかな?」


続いて大アルカナのアプリを起動。


こちらには、

“隠者”という項目が表示されていた。


一体何なのだろうと、

“隠者”を選択してみる。


『説明:深い知恵を持つ隠者が

    使用者に知恵を授ける』


『知恵を授ける』というのが曖昧な説明で、

よく分からない。


ただ、それを使うかどうかの選択肢は、

那美は迷わず『いいえ』を選んだ。


よく知らないものを使うことほど、

怖いものはない。


既にゲームが始まっているのであれば、

迂闊な行動は後々に響いてくる可能性がある。


今は、決断の必要ない範囲で

できることをしよう――


そう考え、大アルカナのアプリを閉じて

カウントのアプリを起動。


こちらはタイマーらしいものが表示されていたが、

表示はゼロから動く気配はなかった。


その他、電話を軽く弄ってみたところで、

メールと電話の機能があるらしいことが分かった。


ただし、現状でアドレス帳に登録はなし。


番号でかける機能も死んでいるため、

実質的に使用不可能だった。


「他に何かないかな……?」


スマートフォンをひとしきり弄った次は、

部屋の中を調べていく。


複数ある扉はどうやら施錠されているらしく、

外に出ることができない。


もしかすると、

脱出ゲームのような感じなのだろうか。


となれば、壁にスイッチや仕掛けがないかと、

念入りに調べていく。


那美がここまで落ち着いているのは、

前回、温子と一緒に動いた経験の賜だった。


それに、今頃はきっと、

温子も同じ状況なのだ。


一緒に頑張ろうと決めた那美が、

手をこまねいて待っているわけにはいかない。


が、決意だけでは何も見つからず、

どうしようと焦り始める。


そんな時に、

先ほどの携帯が鳴った。


那美が慌てて電話を手に取り、

画面を確認する。


しかし、着信は電話ではなくメールらしく、

取り逃しの心配がないことに胸を撫で下ろした。


改めてメールを確認すると、

どうやらゲームは今から始まるらしい。


ゲームの内容に関する説明会が、

一時間後に三カ所の会場で行われるとあった。


「じゃあ、もしかして、

今なら外に出られる……?」


ドアのノブに手をかけてみる。


すると、さっきはびくともしなかったそれが、

軽い力であっさりと動いた。



「うわ……」


外の通路は、

部屋の中よりもずっと殺風景だった。


通路の幅および高さは、

学園の廊下と同程度。


ただし窓がなく、打ちっ放しの壁と相まって、

酷く閉塞感があった。


壁を冷たく照らす照明も、室内とは別な意味で頼りなく、

廊下のあちこちに切り取れない闇が残されている。


先が見えず、音もない道は、

一体どれだけの長さがあるのか分からない。


こんな場所を、これから一人で歩いて行くのかと思うと、

気後れせずにはいられなかった。


だが、一時間後と決められている以上、

進まないわけにはいかない。


スマートフォンの時計を確認――

現在は零時三分。


急がなくてはと、

那美が早足で通路を進んでいく。






説明会へ行けば、

温子と会えるかもしれない。


そんな那美の考えだったが、

その道中で予想もしていない人物に遭遇した。


「あっ、佐倉さん!」


「えっ、羽犬塚さん……!?」


どうしてこんな場所で――という前に、

羽犬塚が那美に抱き付いてきた。


「よかったぁ、

知ってる人がいてぇ……」


涙声で、小動物がそうするように、

那美の胸の中へと顔を埋めてくる。


それに戸惑う那美だったが、

何とか頭を撫でて宥める/落ち着けて事情を訊ねる。


「えっと……羽犬塚さんは、

何でここにいるの?」


「……分かんないの。新聞部の調べ物をしてたら、

急に眠くなって、いつの間にかこんな場所にいたの」


「その調べ物っていうのは?」


まさか、ABYSSについて調べていて、

巻き込まれてしまったのではないか――


そう予想した那美だったが、

羽犬塚から返ってきた答えは意外なものだった。


「都市伝説の、

“地下迷宮”の噂なんだけど……」


――地下迷宮。


二十年以上前、巨大迷路ブームが起きた頃に、

とある企業がぶち上げた地下迷路の企画である。


日本最大を売りに、各所に出資金を求めていたものの、

その後の迷路ブームの衰退と同時期に経営悪化。


役員の背任等とバブル崩壊が重なり、

会社の消滅と共に企画も立ち消えとなった。


しかし、実は作りかけの迷宮は存在しており、

そこに迷い込むと二度と出て来られない――


その噂を聞いた時、

那美は特に何も思わなかった。


だが、この状況においてその話は、

思い切り刺さるものがあった。


「……もしかしてここって、

その地下迷宮の中なんじゃないかな?」


「えっ……じゃあ、

二度と出られないの?」


「あっ、違うよ。

怖がらせたくて言ったんじゃないの」


目の端に涙を溜める羽犬塚を、

那美が慌てて慰める。


「そうじゃなくて、もしもその噂の迷宮なら、

私たちの街からそんなに遠くない場所なのかなって」


「あ……そうだね。

もし本当なら、電車で四駅くらいだし」


絶海の孤島などであれば完全にお手上げだが、

国内なら最悪、自力で逃げ出すことも可能かもしれない。


「それに、迷路ってちゃんと分かったなら、

攻略法もあるかもしれないしね」


「迷路の壁に常に左手をつけて歩けば、

いつか出口に辿り着けるみたいな」


もしも謎解きがゲームの課題であるならば、

迷路と把握していることは有利になる可能性がある。


そう考えると、羽犬塚のこの情報は、

那美にとってありがたいものだった。


「佐倉さんは、

どうしてここにいるの?」


「私は、ABYSSのゲームに

巻き込まれちゃった感じかな」


「えっ、あの都市伝説の……だよね?」


頷く那美。


経緯はともかく、首輪を付けてここにいる以上、

羽犬塚もゲームの参加者なのは間違いないだろう。


ならば、もう隠しても意味はないし、

何より超人に対処するには事前知識が必要だ。


これまでの経緯も含め、ABYSSという存在について、

那美は羽犬塚へと全て説明した。


「そういうことだったんだ……」


「うん。だから怖いけど、

羽犬塚さんも一緒に頑張ろう?」


「きっと、温子さんと合流できれば、

何とかなると思うから」


「うん……がんばる……」


胸元で手を握り締め、こわごわ頷く羽犬塚に、

那美がにっこりと笑いかける。


この不運にも巻き込まれてしまったクラスメイトは、

何としてでも生きて返さなければ――


そんな決心を胸に、

那美が会場への足を再び進める。


一人では歩くのも躊躇するような迷宮でも、

二人になると、少しだけ気が楽になった。


誰かと話すことで、

だいぶ怖い気持ちが緩和された。







地図で指定された場所には、

三十分ほどで到着した。


部屋の入り口にあった張り紙を

羽犬塚が読み上げる。


「会場内は暴力行為を禁ずる?」


「……これ、私たちには

凄く助かるルールだね」


ABYSSの強さ/恐ろしさは、

那美はもう嫌と言うほど身に沁みている。


一般人である那美たちにとっては、

この張り紙の存在一つがとてもありがたかった。

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