信じられない光景2



「片山……お前、今日は呼んでねーだろ?

何でここに来てんだよ?」


「しかも、終点だぁ?

舐めた用だったらブチ殺すぞ」


「別に大した用じゃねぇよ。

テメェをちょっと、殺しに来ただけだ」


「は? 意味分かんねーぞ」


「テメェが温子を殺したからだ」


「温子って……」


「何で殺した?」


「……あのなぁ」


お前に構ってる暇はないんだよ――


そう言いかけた高槻だったが、

僅かのところでその言葉が止まった。


本来ならば、怒鳴りつけて殴り飛ばして、

先を急ぐところだ。


だが、今思えば、

片山が来たのは好都合だった。


それに、同じ温子を知る者として、

殺す前に片山に聞いてみたいことがあった。


「なあ片山、

アタシが殺したのは温子だよな?」


「あ?」


「実はアタシが殺したのは妹のほうで、

本物の温子は今日の生け贄だなんてことはないよな?」


「……テメェ、ふざけてんのか?」


「まあ……だよな。ふざけてるよな」


そう、ふざけている。


この状況も、朝霧温子だとしか思えない爽の行動も、

何もかもがふざけている。


こんな酷い間違いは、

あってはならない。


「テメェのウジの湧いた頭はどうでもいい。

それより、何で温子を殺した?」


「あ? 何でもクソもねーよ。

ABYSSだからだろ」


「そんなのは分かってんだよゲロカスが。

俺が聞きてぇのはそういうことじゃねぇ」


「どうして、温子を生贄に選んだ?」


「あー、アイツがアタシの言うことを

聞かなかったんだよ」


「せっかくABYSSに誘ったのに、

断られたら殺さなきゃいけねーだろ?」


「この早漏野郎が、先走りやがって……。

何を勘違いしてんだ、あぁ?」


「アレは、テメェがどうこうしていい存在じゃねぇ。

俺のモノだ。俺が温子を食うんだよ」


「はぁー?

いつから温子がお前のモンになったんだよ?」


「テメェは言葉が通じねぇのか?

俺が予約してたっつってんだろうが」


「ンなもん知るかバーカ。

そんなに大事だったら、しっかり守ってろ」


「ハ……つくづくバッドな野郎だなテメェは」


「鳥は庭先で鳴くからいいんだろうが。

籠の中の鳥に満足する時点で終わってる」


「仮に殺すとしても、それは俺だけの役割だった。

俺以外には許されない行為だった」


「なのに、ソレをテメェがやった?

バカかテメェ? クソビッチ風情が、分を弁えろ!!」


拳を血が滲むまで握り締め、

窓が震えるほどの大声で片山が叫ぶ。


しかし――その叫びを前にして、

高槻は白けきっていた。


「……お前さぁ。

アタシが急いでんの分かってんのか?」


「昔のよしみで言ってやるけど、

お前死ぬぞ?」


「テメェがな」


「……大した恋心だね。

温子が聞いたら泣いて嫌がるだろうよ」


「俺が温子に恋心だ?

勘違いしてんじゃねぇよバカ」


「いや、どっからどう見ても恋心だろ」


「……オイ、ビッチ。

テメェに夢はあるか?」


「夢だぁ?」


「自分の命を賭けても構わないと思った夢だ」


「別にねーよ。だから?」


「俺にはあった」


遥か遠き故郷に思いを寄せるように、

男が虚空に視線をやる。


「なあ、知ってるかビッチ野郎?

世の中はな――凡人はな」


「優秀な人間を見ると、

排斥したがるんだ」


「実に下らねぇと思うが、テメェが[脅'おびや]かされると思って、

世界は強者を常に邪険にするんだ」


「テメェの愚鈍さを差し置いて、

強いやつに『合わせろ』っつうんだよ」


「テメェと同じレベルに引き摺り下ろすか、

排斥しにかかるんだ。マジでクソだろ?」


「……何の話だ?」


「俺の話だ。

ガキの頃、俺はそれに気付いた」


「確か、クソムカつく委員長だかが、

俺にケチ付けてきた時だったかな?」


「小一だったと思うが、ガキの分際で調子こいでっから、

アバラ折れるまで蹴り続けたことがあんだよ」


「……大した小一だね」


「だろ? だけど、親も教師も俺を叱り、

クラスメイトは全員、俺を避けるようになった」


「リミッターのない俺が、

周囲から浮いてることに気付いたんだ」


「ザケんなって話しだよな。

あいつら、俺を欠陥人間だと思ってやがるんだぞ?」


「俺から言わせれば、限界を超えてる

素晴らしいことだと思うんだがね」


そこまで一気に喋ると、

片山は一息ついて、肩を竦めた。


「……とにかく俺は、

クソつまんねー人生を送っていた」


「中学に入ってからはゲームを覚えて、

多少はマシになったが、それだけだ」


「大半が上手く行き過ぎて、

生きることに飽き飽きしてたんだよ」


周りから浮く生活――暗黒の少年時代。


だが、それは決して珍しいことではない。


優秀な人間の不遇は、

歴史上でしばしば見受けられる。


個々の才能が画一的な教育の中で埋もれるのは、

最近でもよくある話だろう。


もちろん、彼の『暴力への歯止めが利かない』性質が、

優秀かどうかはまた別の話だ。


社会通念的には、

彼の性質は矯正されるべきものである。


それ故に、優秀というよりは、

欠落と見做されるのが当然。


だが、それはあくまで、

今の日本社会から見ての話だ。


別な社会に行けば、あるいは彼の性質も、

優秀という評価が下される可能性はある。


ともあれ。

優秀か欠落かは別として――


彼は、自身が優秀であるという意識の元で、

社会に嫌われていた。


形だけは馴染んでいるように見えても、

その本質は周囲から大きくかけ離れていた。


「そんな時に俺は、温子に出会った」


「地元のゲーセンだったかな。

一発でイカれたぜ」


「俺より冷めた目で、何の抵抗さえも許さずに、

あっという間に俺のキャラをボコりやがったんだ」


「ああ……あの時は人生初の屈辱で、

パンツを[濡'ぬ]らしそうだったことも覚えてる」


「当時の俺には、ゲームも現実もほとんど同じだった。

楽勝過ぎて、反吐が出そうだった」


「そんなトコに、温子が来て、

呼吸するくらいの自然さで俺をボコってったんだ」


「分かるだろ? この感動。

全能感の喪失と、絶対的存在の認識が同時に来たんだ」


「俺も人間だったんだなって、

ようやくにして理解できたんだよ!」


「そう、まさにグッド! まさにベター!

まさにベスト!!」


「俺はコイツに会うために生きてきたんだって、

生きてて良かったって、マジでそう思えたんだ!」


「柄にもなく、

運命とか感じちまったんだよ!!」


鳳のように翼を広げ、鶯のような声で囀り、

孔雀の如き優雅さを持って喜びを表す片山信二。


その恍惚とした表情は、

清らかにさえ見えなくもない。


それほどまでに、

彼は朝霧温子のことを思っていた。


「……それから一ヶ月、

俺は毎日、温子でシコった」


「最初はもう、クソ生意気に凍った[面'ツラ]を歪めるために、

ひたすら脳内で襲った」


「押さえつけて、服を一枚一枚剥ぎ取って、

ありとあらゆる所を弄くり回して」


「温子の冷めた瞳を徐々に、

怯えと劣情の混じる瞳に変えるのが大好きだった」


「それはそれで、至上の征服感だったが、

後半からは、逆に温子に尽くさせた」


「俺を敬わせ、俺を崇めさせ、

俺のためにその身体と心を使わせた」


「こっちは、征服感というよりむしろ、

生きてるって感じだったか」


「とりあえず、

得も言えぬ充足感があったのは間違いねぇ」


「……大した変態だよ、お前。

温子が聞いたらドン引きだわ」


「黙れビッチ。

――ともかく、俺は温子が欲しかったんだ」


「ああ、これはもう夢だったと言っていい」


「温子に勝ち、温子を奪い、温子を手に入れ、

温子と一緒にABYSSをやりたかった!」


高槻に向けられていた視線が、

一瞬にして険しくなる。


「それを……テメェが食い潰した」


そして、片山は、

懐から鈍色のナイフを取り出した。


「……生かしちゃおけねぇ」


深く腰を落とし、空いている手を腰に回し、

前方へとナイフを向ける。


無駄のないその様が、

彼の本気を体現していた。


だが、当のナイフを向けられた高槻は、

鼻を鳴らすだけで身構えようともしなかった。


「いいのかよ、そんなんで」


「あ?」


「温子の件は、二万歩くらい譲って、

まあアタシが悪かったとしよう」


「だとしても、そんな夢を追って、

お前が命を捨てに来る意味あんのか?」


「言っとくけど、お前、

アタシには天地がひっくり返っても勝てねーからな」


「だからどうした。

それが、温子を食われて黙ってる理由になんのか?」


「お前のそういう、自分の命も粗末にできる辺りを、

アタシは買ってる」


「……」


「正直言うとさ、アタシはお前を殺したくねーんだ。

アタシの数少ない昔馴染みだしな」


「だから、思い直せよ。

温子のことは忘れろ」


「このままABYSSにいれば、

お前は超人として新しい楽しみを見つけられる」


「世の中がつまんねーっつってたけど、

その世の中自体を変えられるかもしんねーぜ?」


「でも、お前がこのままアタシに牙を剥けば、

お前の楽しみも将来もここで全部なくなる」


「もし、奇跡的に生き残ったところで、

お前はABYSSから離れなきゃいけない」


「そうなったら、お前は凡人に戻るぞ?

今みたいな楽しみはなくなるぞ?」


彼が服用している“フォール”は、

ABYSSを離れれば手に入れることはできなくなる。


それはつまり、彼がABYSSに加入してから

手に入れたものを――


生贄、法律を超えた儀式、

そして薬を撒いて手に入れた部下をも失うことになる。


彼が言う、つまらない世界へと

逆戻りすることになってしまう。


「そこまでして、

アタシにケンカ売る理由はないんじゃないのか?」


「……テメェに二つ質問だ」


「なんだ?」


「テメェ、温子をABYSSに入れたがってたな。

勧誘できるなら勧誘してぇって」


「……まあ、そうだね。それが?」


「テメェは――ABYSSは、

温子を手に入れられたかよ?」


「それは……」


それは――NOだった。


ABYSSの力をもってしても、

朝霧温子は決して[靡'なび]かなかった。


「ABYSSは俺にとって手段の一つだ。

だが、温子は俺にとって、たった一つしかない目的だ」


「それを並べて考えんのが、

テメェの限界なんだよ」


「そして二つ目の質問だ」


片山が、ニヤリと頬を歪ませる。


「テメェ、俺に責任を擦り付けるつもりだろ?」


「……!」


「よっぽど焦ってんだなぁ。

あんなあからさまに俺に媚びてくるとはな」


「俺の知ってるテメェなら、

俺のことも温子のこともバカにして終わりだ」


「まあ、アレだ。どうせ媚びるんだったら、

俺のケツでも舐めてみたらどうだ?」


「慈悲深いこの俺様が、哀れな良子ちゃんに、

ションベンくらい恵んでやるかもしれねぇぞ?」


「こ、の、野郎ッ……!」


高槻が歯噛みして、片山を睨み付ける。


「あぁー、いい。その顔だ。

俺はそういう顔をテメェにさせるためにここに来た」


「うっせぇんだよ弱ぇ分際でよォー!!」


片山の体が、高槻の右拳で吹っ飛ぶ。


水たまりの上にべしょりと落ちて、

抵抗もできずにごろごろ転がる。


そこからの追撃は――なかった。


殺すことは簡単だが、

高槻はこの男に何とか泣きを入れさせたかった。


「あー……」


だるそうに唸って、片山が立ち上がる。


彼は、血と水と泥でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、

乱れきった髪をかき上げ――笑った。


「よかったなぁ、ビッチ野郎。

これがクソキャラ使える[現実'リアル]でよぉ」


「あ?」


「もしも格ゲーだったら、

テメェ、俺に瞬殺だぜ?」


「おい……!」


「しかし、やっぱ[現実'リアル]ってのはクソゲーだな。

バランス調整サボり過ぎだ」


「――まあ、それでも[殺'や]るんだけどよ」


片山が、唾を吐き捨てて、ナイフを構える。

怒り任せに突進してくる怪物を迎え撃つ。


そうして、放たれた高槻の蹴りに合わせて、

前へと滑り出し――





「きったねぇな、クソ!」


血塗れの拳をぶるぶると振るって、

高槻が地面に転がる肉塊を蹴飛ばす。


勝負自体は楽勝だった。

片山に影すら踏ませないほどの圧勝だった。


だが――

一瞬で終わるはずが、予想以上に粘られた。


温子への執着が、

そのまま彼の原動力になっていたのだろうか。


彼は、ほとんど人間じゃなくなってもなお、

高槻へ向かってくることをやめなかった。


「気持ち悪ぃんだよ、お前……」


高槻が浮かない顔で肉塊を見下ろす。


不快しか残らない勝利は、

その代償として高槻の時間を奪っていた。


そう大した時間ではない。


一分か二分――片山と出くわした時から考えても、

五分は経っていない。


しかし、その短い時間で、

確実に事態は変化していた。



「う――」


高槻の携帯が鳴る。


嫌な予感はしたが、

電話を取らざるを得なかった。


「……もしもし」


「状況はいかがでしょうか?」


「ぼちぼちだ。どうした?」


「処理班がそちらへと向かうことになりました」


「はぁ!? 待ってろっつっただろーが!

なに勝手に動いてんだ!?」


「人質の笹山琴子が、

何者かに連れ去られたためです」


「……は?」


「そのため、

上が処理班が必要だと判断しました」


「上……?

死神か? それともラピスのクソガキか?」


「――です」


「……は?」


「ですから――」


思考が止まった。

耳を疑った。


信じられなくて、もう一度聞き返した。


だが、返ってきた答えは同じだった。


「嘘だろ……?」


「残念ながら、事実です」


「恐らく責任を取らされることになると思いますので、

覚悟しておいて下さい」


「それから、屋上から出火しました。

生け贄が火をつけたものと思われます」


「屋上はスプリンクラーの効果が及ばないため、

ただちに消火に向かって下さい」


それでは――と、電話が切れる。


にも関わらず、高槻はしばらくの間、

携帯を耳から離さないまま立ち尽くしていた。


もう、どうしようもない。


ごまかしようのないところまで、

事態は進んでしまった。


笹山晶のせいで。朝霧爽のせいで。

片山信二のせいで。


そして――その大本を辿れば、

朝霧温子のせいで。


「本気で温子に呪われてんのか……?」


高槻が、引きつった笑顔で独りごちる。


笑っている場合じゃないと分かっていても、

もはや、笑うしかなかった。




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