ABYSSとの戦い 温子編1

……携帯のディスプレイに表示されている時間は、

二十三時の五分前。


きっちりと指定された時間に、

温子さんと二人で学園へとやってきた。


近頃の物騒な話題もあってか、

街は人気が無く、途中で誰ともすれ違わなかった。


もしかすると、人間の流れが意図的に

制御されていたのかもしれない。


この、目の前にいる男に――


「ふん、間に合ったか。グッドだ」


「片山、お前か……!」


「電話の男だな?」


「その通りだ。

そういうお前は笹山晶で間違いねぇな?」


「ああ、そうだ」


“判定”は――薪が燃えるような音。

その後ろに控える二つの仮面は雑多な音。


どちらも、

音の大きさ的には鬼塚よりも小さい。


なら……ここでやってしまうか?


「おーおー、

今にも飛びかかってきそうな目だなぁ」


「が、そいつぁバッドな考えだ。

何の保険もなしに温子の前に立つわけがねぇだろ?」


「……人質と伏兵か。

ABYSSというのは随分と臆病なんだな」


「勘違いするなよ温子。

俺はゲームをやりたいだけだ」


「わざわざここまで手間暇かけたのに、

ここで無駄死にしてもらっちゃ困るんだよ」


……伏兵の気配を辿る。


が、近くに誰かが

潜んでいる気配はなかった。


となると、

伏兵は恐らくアーチェリーの仮面。


この位置で狙撃でもされたら、

片山を仕留められても温子さんを守りきれない。


ABYSSにおけるこいつの価値が不明である以上、

片山を人質に取るのも得策じゃないな……。


「理解したか?

したなら、ゲームの説明を始めさせてもらうぜ」


「ABYSSの噂は知っていると思うが、

基本ルールはアレのまんまだ」


「温子たち生け贄は学園内を逃げ回りながら、

クリア条件を満たしてもらうことになる」


「本来のクリア条件は三つあるんだが、

今回は例外的にチェックポイントの踏破だけだ」


チェックポイントの踏破……ねぇ。


学園の各所を回っていくのだと思うけれど、

まず間違いなくABYSSの連中が潜んでるんだろう。


「クリア条件を一つに絞る理由は?」


「簡単だ。

そのほうが長く楽しめるだろう?」


「楽しいのはお前だけだ」


「そいつは残念だな。

温子にも喜んでもらえると思ったんだが」


「ただまあ、不満を唱える温子の気持ちも

分からないでもない」


「だから代わりに、

そっちにも有利なルールをくれてやるよ」


「有利なルール……?」


「本来、生け贄には脱走防止で首輪を付けるんだが、

こいつを特別に免除してやる」


「……人質がいるから

必要ないということか」


温子さんが睨み付けると、

片山は嬉しそうに歯を剥いて笑った。


「ちなみにチェックポイントには、

一枚のカードと武器がそれぞれ置いてある」


「このカードがチェックポイント踏破の証になるから、

忘れずに回収しろよ」


「集めたらどうすればいい?」


「妹の携帯に電話してこい。

まあ、集められたらの話だがな」


「さて、ルール説明はこんなところだな」


「基本的に、人間に対しては何をしようと自由だ。

本気で殺しに来い。俺たちもそうする」


「ただ、ABYSSを公にするような行為はやめろ。

人質が大変なことになるぞ?」


「そんなことはしないから安心しろ」


「それより、お前らこそ人質に手を出すな。

もし何かあれば、私はお前らを本当に殺すぞ」


「……なぁ温子、その手を出すなっつーのは、

どの範囲での話なんだ?」


「……どういう意味だ?」


「いやぁ、実はな。

その……言いにくいんだが……」


片山が視線を逸らし、ぽりぽりと頭を掻く。

後ろの二つの仮面がくすくすと笑い出す。


その茶番めいた仕草と笑いに、

嫌な予感がした。


「おい、片山……」


温子さんも同じように感じたのか、

片山へと一歩踏み出す。


けれど、そんな温子さんに対して、

片山は口元を三日月に歪めて――


「いやぁ……出来損ないでも、

なかなかグッドな体と泣き声してるもんなんだな」


「こっ、の……」


「んでもまあ、別に傷つけてるわけじゃねーしなぁ。

血は出てもちょっと擦り剥いたようなもんだろ」


「これくらいならセーフだよな、セーフ。

セーフティ!」


瞬間、目の前が真っ赤になった。


このクズの口を、

二度と開かないようにすることしか考えられなかった。


とにかく、

今すぐに殴り飛ばしたかった。


けれど――


「片山ァ!!」


そんな僕より先に、

温子さんが片山の胸ぐらを掴み上げていた。


「ん~……ルール違反だぞ、温子?」


「ッ――!」


「はぁいストォ~~ップ」


温子さんの振りかざした腕が、

振り下ろされる前に片山に止められた。


それでも、食いつかんばかりに片山を睨み付けたまま、

温子さんが肩を上下させる。


「ここでじゃれ合うのもそれはそれでグッドだが、

勘違いしたアレに殺させるのもたまらないんでな」


おい――と片山が僕のほうへと向き直り、

温子さんを突き飛ばしてきた。


それを受け止め、なおも片山に向かっていこうとする

温子さんをどうにか押さえる。


「早く俺のところに来いよ、温子。

大事な妹とクラスメイトがブッ壊れる前にな」


「ころす……!

ころしてやるっ……!」


片山が目を細め、頬の肉を歪ませて、

にたりと笑みを浮かべる。


「おい笹山。

テメェの妹は別の場所にいる」


「こっちも大事な大事な妹なんだろう?

助けたいなら、まずはゲームをクリアすることだな」


「ゲーム開始は今から五分後だ。

それまでは動かないことをお勧めするぜ」


じゃあな――と片山が手を上げて、

校舎の中へと戻っていく。


その背を憎々しい思いで見送りながら、

今すぐ突っ込みたい気持ちと懸命に戦った。


そんな心の綱引きを何とか終えた頃――


ふと、腕の中にいる温子さんが、

抵抗を止めていたことに気付いた。


「温子さん……?」


「……大丈夫だ。

今、作戦を考えるから……少し待っててくれ」


温子さんは、これまで見たこともない

能面のような顔をしていた。





「まず、武器の確保からだ」


「チェックポイントを闇雲に目指したところで、

そこで待ち伏せされていたら使う前にやられてしまう」


「連中が本物だろうと偽物だろうと、

武器がなければ有利には戦えないからね」


温子さんの立てた作戦を聞きながら、

無人の校舎を小走りで移動する。


音を出すことに抵抗はあったけれど、

とにかく早く爽を解放してやりたかった。


悠長に歩いている暇はない。


「ただ……こっちが連中を攻撃したら、

爽たちに危害を加えられたりしないかな?」


「それは大丈夫。片山は生かしておけないクズでも、

ゲームのルールだけは絶対に守る男だから」


「なるほど……」


片山に対してそういう視点を持てるのであれば、

温子さんもだいぶ落ち着いてくれたと思っていいか。


……さっきは、

本当に怖いくらいだったからな。


あそこから作戦を立てられるまで持ち直す辺り、

やっぱり温子さんは頼りになる。


「それじゃあ、どこで武器を手に入れよう?

調理室はもう過ぎちゃったけれど」


他に候補があるとすれば、

運動部系の部室や職員室だろうか。


「行き先は生徒会室だ」


あー、なるほど。


「噂によれば、真ヶ瀬先輩が

コレクションを溜め込んでいるんだろう?」


「できるだけ強力な武器が欲しいから、

それをちょっと拝借したい」


「いいと思う。ダイヤル錠がかかってるけれど、

そのパスワードなら僕が知ってるし」


「それは助かるね。

ロッカーをぶち破る手間が省けた」


言いながら、

階段を駆け上がる温子さん。


さすがに息が上がるものの、

それでもペースは落とそうとしない。


爽を助けたい一心なんだろう。


僕も琴子が同じように浚われているから、

その気持ちは痛いほどに分かる。


早く。より早く。


それだけを思って、

生徒会室に飛び込む。





――そこに、二つの仮面が待ち受けていた。


「なっ……!?」


「温子さん!」


こっち――と手を引いて、

慌てて生徒会室の入り口へ走る。


が、部屋の外に隠れていたらしいもう一つの仮面が、

素早く入り口に立ちはだかってきた。


「あーらら、ホントに来ちゃったよ」


「片山さん、確保しました」


仮面の一人が、電話先に報告を投げる。


まさか……僕らの行動を読んで、

待ち伏せされてたのか?


「ええ、二人揃ってますよ。代わります?」


はい、はい――と二言三言交わして、

仮面の男が電話を温子さんへと差し出してきた。


「片山さんだ」


訝しげに電話を見つめながらも、

それを受け取る温子さん。


ハンズフリー通話になっているのか、

電話先から雑音が聞こえて来る。


その上から、一際大きな片山の声。


「おいおーい、マジで来ちまったのか?」


「片山……」


「いやいや……まさかって感じだな。

あの温子が、こんな単純な待ち伏せに引っかかるか」


「幾ら妹が拉致られたからって、

ちょっと取り乱しすぎじゃないか、んん?」


温子さんが歯を鳴らす。


その顔を見て、ようやく、

温子さんがまだ冷静じゃなかったことに気付いた。


でも……よく考えれば当たり前の話だ。


妹が酷い目に遭わされて、あれだけ片山に挑発されて、

落ち着いていられるわけがない。


そこに気付かなかったのは、

僕のミスだ。


「おいおい、そこは悔しがるんじゃなくて、

大変申し訳ありませんって謝るところだろう?」


「せっかく手間暇かけて組み上げた手を、

台無しにされた気分なんだぜーこっちは」


けれど、まだ片山の言うように、

全てが終わったわけじゃない。


僕のミスは、僕が取り返す。


……“判定”は、全員が片山以下。


狙撃される怖れもないこの状況なら――


「あーあー。こうなっちまった以上、

俺の苦労は笹山の妹に払ってもらうしかねーな」


笹山の……妹?


「お前……!」


「何だよ、ゲームに負けたんだぜ?

そうなることくらい想像してんだろ?」


お前らが琴子に手を出す……?


「もちろん、温子にも奉仕してもらうぜ。

たぁ~っぷりとな」


爽たちまで、

そんな風に滅茶苦茶にしておいて。


その上、温子さんと琴子まで?


「このっ……クズ野郎っ……!」


「んっんー、いい声だな温子。ベリーグッドだ。

いつまでもそういう態度でいてくれ」


「つーわけでお前ら、

温子と笹山を引っ張って来い」


「あーい、了解っす」


「触るなっ!」


「おいおい、そんな心配すんなよ。

お前はほとんど片山さん専用になるだろうしな」


「まあ、俺たちゃ笹山の妹のほうを

たっぷりと使わせてもらうさ」


「――ふざけろ」


「……ん?」


その間の抜けた声が漏れ出た場所に、

満身の力を込めて拳を振り抜いた。


生徒会室の棚のガラス戸が砕けて、

大きな音を立てた。


「……は?」


静まり返った室内で、

誰かがまた間の抜けた声を零す。


それから一拍遅れて、棚にめり込んだ男が地面にずり落ち、

穴の開いた顔をごとりと床に落とした。


「う……おぉおぉっっ!?」


途端に叫び出す男二人。


その声があまりに汚くて/手早く黙らせたくて、

手近な男の頭を掴みスチールのロッカーに叩き込んだ。


ロッカーがひしゃげ、

中から真ヶ瀬先輩のコレクションが顔を覗かせる。


割れた仮面の下から、

夥しい血が吹きこぼれる。


「何だ? 何があった?」


あと一人――


慌てて逃げだそうとする男の襟首を掴んで、

生徒会室の中に引き戻す。


「おい、答えろ! 何があった!?」


さらに右手で男の首を握り締めて壁に叩きつけ、

そのまま昆虫標本のように張り付けた。


男の手が、僕の腕を引き剥がそうと掻いてくる。

宙に浮いた足がじたばたと暴れる。


けれどそれも、首元に爪を食い込ませてやると、

すぐに大人しくなった。


「おい、クソ共ッ! おい!」


「温子さん、それお願い」


床に転がったまま

うるさく喚きっぱなしの電話を目で示す。


それで察してくれたのか、

温子さんが頷く――電話を拾い上げる。


「温子か?

おい、何をやりやがった!?」


「ああ。その……ちょっと、

奥の手を使わせてもらったよ」


『これでよかったんだよね?』

という温子さんの視線に、頷きを返す。


僕の力は、片山に知られていないほうが

色々とやりやすい。


この後、片山は奥の手を警戒するだろうけれど、

あの様子だとまさかそれが僕だとは思わないだろう。


「……で、こういう時は

何て言うんだったかな?」


「こういう時?」


「確か、大変申し訳ありません……だったか?」


「っ、テメェ……!」


先ほどの意趣返し――

ニヤリと笑う温子さん。


「ゲームはまだ続行だ。

首を洗って待っていろ」


温子さんが吐き捨てるように呟くと、

電話の先から歯軋りが聞こえてきた。


が、それも一瞬。


片山の歯軋りはすぐに笑声に変わり、

さらにはゲームを心から楽しむような言葉へ化けた。


……まあ、

今のうちせいぜい笑っておけばいい。


もう後は、この張り付けにしてる仮面から、

片山の居場所を聞き出すだけの作業だ。


「……ん?」


と――ふいに、

電話先の片山が笑いを止めた。


「何だ、どうした?」


「おい、何を騒いでんだお前ら?」


「……片山?」


温子さんが問いかけるも、

片山の反応はない。


お前らっていうことは、

電話の向こうで仲間にでも呼びかけてるのか?


「ぎゃあああああああああ!!」


「っ!?」


なんだ……今の?

悲鳴……?


温子さんと顔を見合わせる

/二人で携帯に視線を移す。


けれど、既に通話は切れており、

温子さんがリダイヤルしてみても出る様子はなかった。


「……あの悲鳴、

どう考えても普通じゃなかったよね?」


「ああ。何かあったのは間違いないと思う。

急いだほうがいいかも」


なら――さっさと口を割らせるか。


今まで壁に張り付けていた男を引き剥がし、

床へと投げ捨てる。


それから、げほげほと噎せる男を仰向けに蹴り転がして、

無理やりこっちを向かせた。


「……温子さん、

ちょっとだけ外に出ててもらえる?」


「そいつに吐かせるのかい?」


「そうだね。

時間もないし手荒く行くから」


「だとしたら、

私にやらせてもらえないか?」


「温子さんに?」


「ああ。すぐ終わるから――」

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