さようなら








「僕ら以外の生き残りっていうのは、

本当に黒塚さんなのっ?」


「多分、それで間違いないと思う。

でなきゃ、須賀さんが一人で残るなんて考えられないし」


温子さんからすぐ来てと連絡が飛んできた時は、

一体何事かと思ったけれど……そういう事情か。


黒塚さんを止めようって考えなんだろうけれど、

たった一人でそれをするのは自殺行為だ。


何より、止まるわけがない。


僕自身もアビスを飲んだ今だからこそ、

それがよく分かる。


「もう、先輩とは連絡は取った?」


「電話して、こっちに向かってもらってる。

ただ、思ったより遠くにいるみたい」


「じゃあ、僕ら二人で先に行こう。

先輩を待ってる時間はない」


不安げに頷く温子さんから、

須賀さんの携帯を受け取る。


“悪魔”で表示されている光点を見るに、

須賀さんと黒塚さんは接触済み。


かなり速い移動をしているところから、

既に戦闘は始まっているんだろう。


急がないと――





「晶くん、これ……」


道中で、真新しい血痕……

というか血溜まりを見つけた。


出血量からすると、

負った傷の深さは相当なもののはずだ。


温子さんが、何か言いたげに見上げてくる。

不安に満ちた顔で袖をぎゅっと掴んでくる。


それに、答える言葉が思い浮かばず、

黙って道を急いだ。


そこからは、

後を追うのは簡単だった。


血痕と、壁や床に刻まれたナイフの痕跡が、

途切れることなく続いていたからだ。


転んだらしい場所では、

人型に血が付いていた。


小柄な体だった。


僕も温子さんも、

何も言わなかった。


ただ、もう、

“悪魔”を見る必要はなくなっていた。


二人で黙々と、

ひたすら痕跡を辿っていく。


そうしているうちに、

ぴちゃりという水音が聞こえてきた。


音源は曲がり角の向こう。

その端から、投げ出された足が見えた。


恐らく温子さんにも嗅ぎ取れているはずの、

濃厚な血の臭いまで漂ってくる。


何が起きているのかは、

見なくても分かった。


「温子さん、下がって」


怖いくらい冷静な自分がいて、

腕に取り付く温子さんを振り払った。


同時に、背中にふっと張り付いてくる何か。


『晶ちゃんはまた殺すんだね』


耳元での囁きに肯定も否定もせずに、

ナイフを取り出して構える。


と――こちらに気付いたのか、

黒塚さんが角の向こうから顔を出してきた。


その口元が半月型に歪む

/濁った瞳がぐるりと動いて目が合う。


そこには、かつて見た黒塚さんの面影は

どこにもなかった。


ある種の神秘性さえあった彼女の雰囲気は、

今はもう生臭さしか感じない。


だらしなく人殺しの欲を垂れ流し

舌なめずりするその様は、率直に言って下品だった。


……人は、こんなに短期間で

こうも変われるものなのか。


角の向こうから全身が現れると、

そういった印象がより強くなった。


隣で口元を押さえ、

息を呑む温子さん。


その視線の先で、黒塚さんが全身から血を滴らせつつ、

誰もいない隣に向かって語りかける。


「……うん。今ね、二人見つけた。

多分ね、こいつらで全部」


「やっと終わるね。嬉しい?

よかった、喜んでくれて」


黒塚さんがボロボロの顔で笑い――

切れた唇から血が垂れる。


「あれは、何を……言ってるんだ?

誰もいないのに、誰かいるみたいに……」


「黒塚さんの家族に話しかけてるんだと思うよ。

多分だけれどね」


「……えっ?」


温子さんが僕の顔を見てくる

/どうして分かるんだと困惑を浮かべる。


説明をしようかとも思ったけれど、

理解してもらえないだろうなと敢えて無視した。


だって、それは――


『晶ちゃん、

温子さんも殺して欲しそうにしてるよ』


アビスを飲んだ人間にしか、

きっと分からないからだ。


『おら、さっさとその女も殺せよ。

お前なら俺様を殺ったみたいに楽勝だろ?』


そうだな。


『晶ちゃんは人殺しだもんね。

殺さずにはいられないんだよね』


分かってる。


『ほら、早く殺りなよ晶くん。

声が出ないなんて言い訳してないでさ。そして――』


分かってるよ姉さん。


『――早く、晶くんも死になよ』


「……大丈夫。すぐにやるから」


後ろから/耳元で囁かれる願望を背負いながら、

血に汚れきった魔女を見据える。


それと同時に、自分の内側が溶け出て

血管を流れるかのように、力が全身に満ちてきた。


“集中”なんて比べものにならない、

脱皮や羽化にも似た鮮烈な開花。


共感覚でもあるのか、ナイフを前に構えるだけで、

甘い匂いを嗅ぐような快感があった。


その香りを嗅ぎ付けた魔女が、

ごぼごぼと血を零しながら歓喜に噎せる。


変わり果てた姿――

今さらになって同情の念が湧いてくる。


……黒塚さんとは親しい間柄ではなかったし、

命を狙われたことさえあった。


けれど、それは勘違いがあったからの話だ。


ABYSSに無関係でありさえすれば、

黒塚さんは普通に話すこともできた。


あのうるさい爽だって、

無理に追い払うようなこともしなかった。


須賀さんも、恐らくは最後の最後まで、

黒塚さんのことを大切に思っていた。


そんな人が、

元から悪い人間であるはずがない。


きっと、違う出会い方をしていれば。

あるいは、きちんと話すことができていれば。


もっと、別の関係になれていたかもしれない。


ABYSSに関わっていなかったら、

今ごろ友達に囲まれて笑っていたのかもしれない。


でも……もう遅い。


僕らはとっくに、

後戻りできないところまで来てしまった。


修羅の道の奥深くまで踏み込んだ以上、

後はもう、殺し合うだけ。それが――


――僕らの、逃れ得ぬ運命だ。


「黒塚さん」


その名を呼んで、

扉を開け放つ。


途端に溢れ出す深淵。


それが、僕を覗き込んでいるのを感じる

/僕もまたそれを覗き込む。


胸の奥のざわつきが、

自然と喉元を昇ってくる。


やがて訪れる根源的な理解――

誘われるがままに喉を開いた/ナイフを構えた。


これまで何度も見てきた人殺しの記憶を、

今、魔女を前に引き出す。


出すのではなく

色を付けるのだという感覚。


必要なのは、

それを流す扉を開けておくこと。


それさえ思い出せれば、

何も難しいことはない。


世界が暗転し、

闇が命を/運命を/全てを飲み込んでいく。


その中で僕は、もう誰にも憚ることなく、

自分のあるがままの声を出した。


「ごめんね。

――そして、さようなら」


呟くと同時に、

黒塚さんが目の前に迫った。


世界に木霊する“判定”――

黒塚さんの助けを求めるような絶叫。


その音が流れてくるのに任せて、

心臓を穿たんとする刃の軌道から身を逸らした。


即座に反応する魔女の狂気――

けれど、叫べば叫ぶほど道筋がハッキリ見える。


黒塚さんを殺すために、僕が何をするべきか。

黒塚さんは何をしてくるのか。


確信を持って回り込む/飛んでくる蹴りを避ける

/振り下ろされるナイフを受け流す。


そうして生まれた音の隙間に一歩踏み込み――

黒塚さんと目が合った。


自我があるのかどうかも分からない、

願望に呪われた空虚な瞳。


その濁った眼球の表面に映った暗殺者は、

ただ淡々と、胸にナイフを突き込んでいた。


「……ああ」


黒塚さんは、

ゆっくりと目を閉じて。


ようやく安らかな顔になって、

僕にもたれかかってきた。


温かい血が、じわりと、

僕を汚していくのを感じた――







くずおれる黒塚幽の姿を見て、

朝霧温子は小さく呻いた。


眼鏡の奥にある瞳が飛び出んばかりに見開かれて、

紫になった唇が小さくわなないていた。


実際に目撃した、二度目の殺人。


けれど、藤崎の時とはわけが違う。


黒塚幽は、同じ学園に通い、

何度も顔を合わせたことのある同級生だ。


そんな少女を、笹山晶は、

躊躇なく刺してみせた。


ある程度、そういうことに理解のある温子でさえ、

その凶行には息を呑まざるを得なかった。


そうして固まっていた温子に、

晶が振り返り――眉の端を下げた。


「あ……」


悲しみを表すそのサインに気付いて、

温子が慌てて口元を押さえる。


少なくとも温子の考える限りでは、

晶の行為には何の落ち度もない。


幽は恐らく殺さなければ止まらなかったし、

止めなければ自分たちは死んでいた。


それはきっと辛い行為であるはずなのに、

敢えて晶が手を汚してくれたのだ。


なのに、温子が怯えるような顔を向けては、

彼は報われなくなってしまう。


そのまずさに気付き、

温子が何か言わなければと言葉を探す。


「ごめん、遅れて。

……っていうか、本当に手遅れだったみたいだね」


ラピスがやってきたのは、

そんな時だった。


「向こうで足が見えてるのは、

由香里ちゃん?」


「……ええ、そうですね。

今確認してみたら、ダメでした」


「そっか……武器を探そうとしてたけど、

あんまり意味がなくなっちゃったね」


元々、武器――というより弾薬と銃器を集めるのが、

晶たちの目的だった。


しかし、それを使う予定だった

由香里はもういない。


残る人間が新たな武器を必要としていない以上、

迷宮を歩き回る必要はなくなった。


「っていうか、由香里ちゃんが死んだのは痛いね……。

飛び道具があると攻撃の幅が広がるのに」


「僕が何とかするんで大丈夫です」


言って、晶がおもむろに

二錠目のアビスを口腔に放り込んだ。


「ちょっと、晶くん!?」


駆け寄ろうとする温子を、

晶が手で制止する。


「……大丈夫。逆に速効性はないって分かったから、

今のうちに飲んでおくしかないんだ」


「それに、須賀さんがいなくなった今は、

アビスしか頼れるものはないし」


「それはそうだけど……本当に大丈夫なの?

丸沢みたいになるんじゃ……」


「黒塚さんの変化を見ても、

いきなりああはならないと思うんで大丈夫です」


「逆に、黒塚さんの強化を見れば、

アビスは十分に賭ける価値があると思ってます」


「でも、だからって、

晶くんばっかりが無理をするのは……」


「先輩の言う通りだ」


「温子さん……」


困惑を顕わにする晶を、

温子が恨めしげに睨み返す。


「晶くんが一人で無理をする必要なんてない。

私も獅堂とやる」


「……さっき、由香里ちゃんに言われたでしょ?

朝霧さんじゃ、来ても無駄だって」


「でも、獅堂を倒さないと、

どのみち私も脱出できないんです」


脱出には死亡者のスマートフォンが必要にも関わらず、

それらは恐らく、全て獅堂に押さえられている。


となれば、脱出のために獅堂を倒すのは、

ほとんどクリア条件に等しい。


「なのに、二人だけ危ない目に遭わせて私は待ってる?

そんなの、できるわけないでしょう!」


「死ぬよ」


「そんなの関係ないです。

逆に、死んだほうがいいくらいです」


「だって、私は自分のミスで、

佐倉さんと羽犬塚さんを殺したんですから」


握り締めた温子の手が、

自身への怒りと後悔とで震える。


死なせてしまった二人の顔を思い出して、

その目に涙が滲む。


「それに須賀さんだって、

私を庇って黒塚さんと戦ったんです」


「そのせいで、ABYSSを倒した後に待ってる、

須賀さんの可能性まで私が奪ってしまって……」


「なのに、私だけがのうのうと生き残るなんて、

そんなの出来るわけがありません!」


ラピスの胸ぐらを掴む勢いで、

温子が一緒にやらせろと訴えかける。


が――そんな温子の熱量とは裏腹に、

ラピスの反応は白けていた。


当然だ。ラピスは勝ちに行くのであって、

心中をしに行くわけではないのだ。


例え勝率が低くとも、

自殺志願に付き合ってる余裕はない。


しかし、放っておけば、

温子が嫌でも付いてくることは間違いなかった。


さて、どうするかと

ラピスが頬を掻く。


「……もういいです!

私は私で、無理にでも付いていきます!」


それに業を煮やした温子が、

ラピスの答えを待たずに歩き出した。


向かう先は、

由香里の骸の横たわる曲がり角。


そこにあるだろう銃を拾いに、

ラピスの横を通り、晶の横を――


――すれ違おうとしたその一瞬で、

急に足下が崩れた。


「……あれ?」


何が起きたのか、

全く分からなかった。


ただ、いつの間にか、

体が迷宮の壁に寄りかかっていて。


それが壁ではなく床なのだと気付いた頃には、

手も足も動かなくなっていた。


何故だろう――考えようとするも、

上手く思考がまとまらなかった。


ぼわっとした耳鳴りと、

黴と埃の臭いがやけに大きく感じた。


動けないはずなのに動いていく視界が、

徐々に暗くなる/それを為す術なく見つめる。


そうして、温子の何もかもが

溶けていく最中――


どこかで『さようなら』という声が

聞こえたような気がした。





……気が付けば、

目の前は白い天井だった。


それが壁でないと分かったのは、真白い蛍光灯があり、

スイッチの紐が自分に向かって垂れていたためだ。


記憶にある限りでは、

こんな景色を迷宮の中で見たことはなかった。


体を起こす温子――

僅かな目眩と吐き気に口元を押さえる。


迷宮の薄暗い景色を見慣れていただけに、

蛍光灯の明かりと白い壁が目に痛い。


「眼鏡は……どこだ?」


ぼやける視界の中で、周囲を見回す。


病室のような内装/清潔そうな掛け布団

/染み一つ無いシーツ/同じく白い枕――


と、その横に、

携帯が置いてあることに気付いた。


今は何時なのだろうと画面をタップすると、

出て来たのは『Congratulation』の文字。


「まさか――」


毛が逆立つのを感じながら、

温子が自身の首元に触れる。


首輪がない。


それでも信じられず、

携帯を操作――所持小アルカナを確認。


そこには、予想通り、

晶の所持していたはずの小アルカナが全て入っていた。


大アルカナも同様に、

“悪魔”“星”“魔術師”の三つ。


どう考えても、晶が何らかの手段で、

温子を脱出させたことは間違いなかった。


また、所持アルカナを全て託されたということは、

つまりそういうことだ。


「晶くん、どうして……」


ぽたりと、携帯の画面に涙が落ちる。


どうしてどうしてと何度も繰り返す。


しかし、その温子の問いに答えるものは、

誰もいなかった。


たった一人生き残った少女が、

たださめざめと泣いていた。







「……本当にあれでよかったの?」


「ええ。温子さんがいたら、

ただ死なせるだけになりますから」


「そうだね。朝霧さんって理性的に見えて、

かなり感情が行動に影響するみたいだし」


……それに、友達が傍にいたら、

きっと僕は普通の世界に帰りたくなる。


でも、僕は人殺しだ。

そんなことは許されない。


だから、余計なことを考えて決意が鈍らないように、

温子さんは帰さなきゃいけなかった。


「……温子さんは、

きっと僕を恨むでしょうね」


「最初はそうかもね。

でも、最初だけだよ。すぐに理解する」


「それより……“愚者”だっけ?

どうしてずっと隠してたの?」


「そんな便利な大アルカナがあったなら、

もっと早い段階から脱出させられたじゃない」


“愚者”――

僕が初期に配布されていた大アルカナ。


その効果は『愚者の大アルカナは、

好きな小アルカナと同じものとして扱う』だ。


つまり、任意の小アルカナとして使える、

ワイルドカードそのものだった。


「……隠してたのは、須賀さんと温子さんとで、

争いになる可能性を考えてのことです」


「それに、もし“愚者”がバレれば、

温子さんは奪ってでも僕に使いかねないですし」


「ああ、それもやりそう。

彼女、いざとなったら手段を選ばないしね」


ほら、化学室を爆発させたり――と、

先輩が無邪気に笑う。


それに、僕も釣られて笑ったところで、

背中から『楽しそうだね』と声をかけられた。


……そうだな。

僕は、笑ってる場合じゃない。


「コロシアムには、

まだ行かないんですか?」


「……晶くんの状態を考えたら、

もう少し待つのが無難だと思うよ」


「気付いていないかもしれないけど、

こうして話してる時でも、いきなり暴れ出しそうだし」


「……いや、何となく分かります」


実際のところ、呼吸の乱れと、

目の痛み……というか熱さは感じていた。


ただ座っているのが落ち着かなくて、

すぐにでも殺すか死ぬかしたくなる。


それに……背中の声。


最初は時々聞こえるだけだったのに、

今はもう、ほとんどひっきりなしだった。


最初はその正体が分からなかったけれど、

二錠目を飲んだ今となってはよく分かる。


これはきっと、

僕の記憶が今までに出会ってきた“死”だ。


それが、僕の記憶と混じって、

色んな人の形と声を取って出て来ているんだろう。


『違うよ。私は晶ちゃんが約束を破ったから、

文句を言いに来たんだよ』


『私は晶くんに殺されたから。

お前が死ねばよかったのに』


『お母さんを見捨てて逃げるなんて、

晶は恥ずかしいと思わないの?』


『このガキが』『この屑が』『出来損ないが』

『せめて早く死ねよ』『死ね』『殺せ』


「……晶くん? 大丈夫?」


「大丈夫です。

……でも、ちょっと落ち着かない感じですね」


「もしよければ、落ち着くまで、

先輩に何か話しててもらえませんか?」


「……分かった。

それじゃあ、獅堂について少し話そうか」


これからの戦いの役に立つと思うし――


そう言って、先輩はベッドにもたれかかりながら、

溜め息をついて語り始めた。


曰く、獅堂天山は、

“獅堂”と呼ばれる一族の末裔らしい。


“獅堂”は“師堂”とも書き、一族には、

四つの家を意味する“肆堂”を取りまとめる役割があった。


「……そして、その四つの家“肆堂”の中に、

うちの“御堂”も入ってる、と」


ということは、獅堂と御堂は、

昔は繋がりがあったという話だ。


さすがに親戚はないにしても、元は同じ里に住んでいた、

一つの暗殺者集団とかだったのかもしれない。


「まあ、それは余談みたいなもので、

本当に大事なのは、獅堂の系譜の特性だね」


先輩が言うには、獅堂の系譜の人間は、

どれも優れた身体能力を持っているらしい。


文献によれば、七世紀頃に鬼と交わることで、

それまでとは全く違う強靱な肉体を得た――と。


眉唾物の話ながら、獅堂のDNAを解析した結果、

それを裏付ける証拠が出て来たとのことだった。


何でも、古代南アフリカの戦闘部族の特徴が

七世紀頃に突如現れ、今も色濃く残っているらしい。


つまり、鬼というのは

黒人なのではないかという話だ。


日本と南アフリカの距離を考えれば信じがたいけれど、

鬼と交わるよりはずっとあり得るだろう。


ともあれ――そうして獅堂が獲得した身体は、

怪物さながらだったらしい。


さらに、獅堂はその怪物に優秀な母を掛け合わせ、

選別と淘汰を繰り返す品種改良を繰り返した。


その強さの追求/純化に明け暮れた歴史の果てで、

奇跡とも言われた傑作が、獅堂天山だという話だった。


「……本当に戦うために生まれてきたんですね、獅堂は。

それなら、あの強さも納得です」


「いや……品種改良だけじゃなくて、もう一つあるんだ。

獅堂には特筆すべきものが」


「なんですか、それは?」


「傷の遺伝」


曰く、歴代の獅堂の後継者が強敵との戦いで負った傷が、

全て次の代に受け継がれるのだという。


獅堂の一族にとっての傷は、名誉であると共に、

戦いの記録でもあり――


それを受け継いだ後継者は、

傷を得た攻撃に対して耐性ができるという話だった。


「じゃあ、獅堂天山は色んな攻撃に対して

耐性があるってことですか?」


「……うん。実際に私も色々やってみたんだけど、

全部ダメだった」


「毒はほとんど効果がないし、

暗器も初見で全部防がれて通じないんだ」


「今回はこれまでと全然違うのを用意して来たけど、

これも通じるのかどうか……」


「刃が通らないわけではないんですよね?」


「ある程度以上の鋭さを持ってるなら、かな。

それでも、常人より遥かに硬いのは間違いない」


「私のワイヤーが皮膚で止まることから考えると、

角度とか速度をきちんと整えないと無理だろうね」


……単純に肉と皮膚の強さな気もするけれど、

それも含めて耐性って感じか。


何にしても、斬るほうは期待できなさそうだな。

きちんと骨と肉を意識して突いていかないと。


「……そういえば、傷が耐性の象徴なら、

傷口はやっぱり避けて攻撃したほうがいいんですか?」


「いや、それは考えなくていいよ。

全身が傷だらけで、隙間を狙うのは無理だしね」


「ちなみに、その無数の傷の中で、

獅堂自身が受けた傷は二つしかないらしい」


「しかも、そのうちの一つは、

御堂刀が付けた傷らしいんだ」


……父さんが?


「私も詳しいことは分からないんだけど、

ABYSSの代表が暗殺された時があったんだ」


「当時、処理班のトップだった獅堂が、

この襲撃者と警護のために戦ったって話」


「その襲撃者が、

父さんだったってことですか」


噂だけどね――と、先輩が頷く。


「その時のABYSSの代表は三代目だったんだけど、

御堂の里を壊滅させたのはこいつの代なんだ」


「だから、暗殺された理由はその報復が最有力で、

やった人間が御堂刀だって言われてる感じだね」


「それに、御堂の人間でもなければ、

獅堂が警戒している中に入り込めないだろうって」


……あり得る話だとは思う。


父さんは、基本的に復讐には反対だったけれど、

狙うなら頭を潰せってことを言っていたし。


それに……もし僕が父さんの立場なら、

同じようにABYSSに報復したと思う。


そういう生業だとはいえ、

家族を全部殺されて、怒らないわけがない。


「当然、その一件で獅堂の責任も問われた。

警護対象を暗殺されるなんて大問題だからね」


「でも、最終的にはお咎めもなく、

何故か後釜で獅堂が四代目に就任した」


何故かね――と強調する先輩。


……確かに、作為めいたものを感じるな。


実績は色々あるんだろうし、本人も化け物だけれど、

トップをみすみす殺されるなんて大失態だ。


そんな人間が、次期代表だなんて、

何かの後押しがなければあり得ない。


多分その辺りの黒い部分が、

先輩の言っていた派閥争いってやつなんだろう。


まあ、それはいい。


「獅堂の言っていたことで、

思い出したことがあるんですけれど」


「獅堂の……? なに?」


「先輩も、御堂の襲撃に

関与していたんですよね?」



確信を持って訊ねると、

先輩は目を丸くして――小さく頷いた。


「そうだね。

隠すつもりはなかったんだけど」


本当に隠すつもりはなかったのか、

先輩は僕から目を離そうとしなかった。


「私は仕事だからやった。

でも、晶くんから見れば、憎むべき仇だろうね」


「だから、もしも復讐したいっていうなら、

私を晶くんの好きにしていいよ」


先輩が腕を広げて、胸元までの道を空ける

/ほらおいでと微笑んでくる。


不思議とそれは、ナイフを受け入れる用意というより、

抱き締めようとしているみたいに見えた。


「……別に、先輩を責めようとか思って

言ったわけじゃないですよ」


「そうなの?

晶くんならいいかなって思ってたのに」


「いやいや、獅堂に挑む前に

僕に殺されてどうするんですか」


全くもう……

本気なんだか、冗談なんだか。


「僕が御堂の襲撃について聞いたのは、

先輩が僕の記憶に残ってなかったからです」


「もし、先輩が僕の前に立っていたなら、

絶対に殺し合いになってたと思うんで」


「いや、殺し合いにはならなかったと思うよ。

きっと私が殺されてた」


あれは無理無理――と、

先輩が苦笑いと共に顔の前で手を振った。


先輩曰く、御堂の襲撃に参加したのは、

暗殺者十六人と兵士が数十人。


そのうち、僕とミコを狩る側に回ったのが、

先輩を入れて六人の暗殺者と二十人弱の兵士とのこと。


少人数の子供しかいないことは割れていて、

先輩は楽勝だと踏んでいたらしい。


「でも、先に出ている兵士たちからの連絡が消えて、

何かおかしいって思ったんだよね」


「それで隠れて見てたら、晶くんが出ては消えて、

こっちの部隊をばたばた殺していったんだ」


「もうね、神出鬼没ってしか表現しようがなかった。

でも、だからこそすぐに分かったよ」


「ああ、これが噂の

逃れ得ぬ運命なんだ――ってね」


まるで、生徒会室で悪巧みをしている時みたいに、

目を輝かせて語る先輩。


その様子に苦笑していると、僕の反応に気付いたのか、

先輩ははにかんで咳払いをした。


「結局、部隊は二十分で全滅したんだけど、

それは大人の仕業にして報告することにしたんだ」


「どうせ私は襲撃なんて気が進まなかったし、

晶くんに死んで欲しくもなかったしね」


「まあ、そのせいで私が

次の逃れ得ぬ運命になっちゃったんだけど」


「どういうことですか?」


「実績を積み上げてもらった称号みたいな感じ。

その世代で一番優れた暗殺者ってところなのかな」


「獅堂や晶くんを差し置いて、

そんな風に呼ばれても微妙なだけなのにね」


「でもまあ、晶くんに名前を返せると思えば、

私が名前を守ってたみたいな感じなのかな」


「……別にそんな名前なんていいですよ。

先輩がそのまま持ってて下さい」


「謙虚だなぁ、晶くんは」


「でも……こうして再会できて、

本当によかったと思ってるよ」


「佐倉さんと並んで歩いてる晶くんを見かけた時は、

本当にそのまま抱き付きそうになったくらいだし」


「でも、さすがにまずいと思って、

尾行と次の日からの監視に留めておいたんだけどね」


「そんなことしてたんですかっ?」


佐倉さんと並んでってことは、

学園に入る前の話か?


生徒会に誘われた時も強引だったけれど、

そんなに前から、先輩に目を付けられていたのか……。


「っていうか、何でそこまで

僕のことを気にしてたんですか?」


「それはまあ、憧れもあるけど、

一番は晶くんの力が欲しかったからかな」


「例の、獅堂の暗殺ですか?

それにしても、どうしてそこまで……」


「……そうだね。晶くんにだけは、

ちゃんと話しておこうか」


先輩は、目を逸らして少しだけ考えた後、

うんと頷いて口を開いた。


「今から半年後にはね、

私の自由がなくなるんだ」


……自由がなくなる?

四ヶ月後っていうと、卒業後だよな。


「ABYSSに縛られるみたいな話ですか?

抜けたいのに、役職に縛られるみたいな」


「役職っていうか、役割だね」


……役割?


「卒業したらね、私、

獅堂の子供を産むことになってるんだ」


「はぁ!?」


「優秀な子供が欲しいんだって。

その確率を上げるには、優秀な母体が必要でしょ?」


「そのために、私は家から連れ出されて、

ABYSSで仕事をしながら鍛えられたんだ」


さっき言ってた、

獅堂の品種改良の話か……。


「まあ、実家も私のことを持て余してたみたいだし、

連れ出されたっていうか売られた感じだけどね」


「他にも私と似たような子はいたみたいだけど、

みんなふるいにかけられたみたい」


「私だけ何とか生き残ったはいいけど、

おかげで卒業後の進路が内定しちゃった」


「ばかみたいだよね。

強さだけ求めて子供を産ませるとか」


「私の意思とかはぜーんぶ無視で、

私の性能だけしか見てないんだよ、あいつ」


「でもね……逆らえないんだ。

本気で殺しに行っても、全然敵わないから」


「逆に『殺しに来い、俺を楽しませろ』って

本人から言われてる始末だよ」


「……逃げ出すとかはできないんですか?」


「私が逃げたり死んだりしたら、

私と親しい人を皆殺しにするって言ってるからね」


「もちろん脅しじゃない。

あいつは実際、私の実家も滅ぼしてるし」


「御堂の家みたいに……?」


先輩が歪な笑顔を浮かべる。


「私のためだけにってわけじゃないけどね。

獅堂でも、そんな理由でABYSSは動かせないし」


「単に、脅威になりそうな力を持つ家を、

芽を摘む感じで潰していっただけだと思う」


「まあ、私はABYSSに売られた身だから、

実家がどうなろうと、どうでもいいんだけどね」


「私がいても何も変わらなかっただろうし、

死んだ人間に何ができるだけでもないし」


「……って、余計な話だったね。

主題がぼやけるぼやける」


ごめんねーと、顔の前で手を振る先輩。


「まあそんなわけで、獅堂を暗殺する目的は、

私が自由になることだよ」


「ABYSSを止めるためだとか、

悪を許せないだとかいう崇高な目的は一切なし」


「本当に単純に、利己的に、

私が助かりたいだけなんだ」


「そのために、耕平を誘って、聖ちゃんを拾って……

沢山の人を巻き込んできた」


「そういう経緯があった上で、それでも、

晶くんにお願いしたいんだ」


「私のことを、助けて欲しい」


……先輩の言うことの中には、

一つ、嘘があった。


『獅堂から逃げ出せない』ということだ。


そんなことはない。

どうしてもと思うなら、逃げ出してしまえばいい。


先輩の居場所だった生徒会はもう卒業を迎えるし、

先に名前の挙がった友達はもういない。


残るのは、

せいぜい琴子くらいなもの。


先輩の鎖の先についていた縁は、

もうほとんど終わってしまった。


それに、行く先だってある。

先輩自身が僕に言っていたじゃないか。


『ABYSSでも簡単に手が出せない組織がある』

『そこに逃がしてあげられる』って。


なのに、逃げ出すことをしないのは――


獅堂天山を倒したいという思いが

あるからじゃないのか?


幾ら『死んだ人間に何かできるわけではない』と

口では言っても、心は制御できない。


僕だってそうだ。


今はそれが優先されないだけで、

那美ちゃんの仇を取れるものなら取りたい。


龍一や聖先輩、羽犬塚さんを殺した獅堂に――

家族を殺したABYSSに、後悔させてやりたい。


僕がそう思っているんだから、

先輩だって思っていても不思議じゃないだろう。


だって先輩は、僕と同じく家を滅ぼされて、

同じく友達を奪われたんだから。


なのに、どうして先輩は嘘をついて、

その気持ちを隠そうとするんだろうか。


先輩を見る。


一点の曇りもない碧眼に、

嘘を差し挟んでいるとは思えない真剣な面持ち。


目の色や姿は見てきたものと違うけれど、

一年半の付き合いで、分かる。


これは本気だ。


ということは、もしかすると先輩自身、

自分の気持ちに気付いていないのかもしれない。


……家族や鬼塚先輩、聖先輩のことは、

先輩の思う以上に大切だったということに。


生きてる生きていないに関わらず、その人たちは、

もう先輩から切り離せないということに。


先輩の居場所は、

そこにあるんだということに。


「……先輩って結構、鈍感なんですね」


「うわ……晶くんに

それを言われたくないんだけど」



頬を引きつらせる先輩――その顔を見て、

たまには先輩をやり込めるのも悪くないなと思った。


生徒会室では、

いつも僕が振り回されてばっかりだったからな……。


「……そうだ。鈍感ついでにさ、

その先輩っていうのはもうやめない?」


「その呼び方をしてると、

いつまでも真ヶ瀬扱いしかされなさそうだしね」


「何がついでなのかは分からないですけど、いいですよ。

それじゃあ……ラピスさんですかね?」


「……実はね、ラピスは獅堂に付けられた名前で、

本当の名前があるんだ」


「そっちで呼んで欲しいかなって思ってたんだけど、

やっぱりやめておこうか」


「獅堂を倒したらって決めてたし、

今言ったら、それで満足しちゃいそうだから」


「分かりました。

じゃあ、とりあえずラピスさんですね」


「さんは要らないよ。ラピスって呼んで」


了解と頷き返したところで――

一息ついた。


先輩の事情は分かった。

獅堂との因縁も、その力の途方のなさも。


その上で、僕の気持ちは変わらない。


「僕はラピスを助けるよ」


温子さんはもう脱出させたし、

後はラピスを助けられればそれでいい。


依頼に私情は挟まない。

これは御堂晶の正式な仕事だ。


「……うん。ありがとう、晶くん」


ラピスは笑顔で頷いて、

そのまま顔を上げずに僕の手を握ってきた。


それと同時に――来た。


僕の背後に、色々な死が。

地獄の蓋が開いたかのように、わらわらと。


恐らくは“準備完了”。


体が、三錠目の――

最後のアビスを飲み下す準備ができたんだと判断した。


それを悟られないように注意しながら、

ラピスの手を離す。


「それじゃあ、

そろそろコロシアムに行きましょうか」


「そうだね。じゃあ、最後に作戦の確認。

……って言っても、ろくな作戦じゃないけどね」


決まり悪そうに目を逸らし、

頬を掻くラピス。


どうしてそういう顔になるのかは、

僕もよく分かっていた。


「作戦って、どうせ肉弾ですよね?」


獅堂が傷の遺伝によって種々の耐性を得ているなら、

ほとんどの小細工は通用しないはずだ。


「……本当はね、由香里ちゃんか聖ちゃんがいれば、

もう少し別のやり方もあったと思うんだ」


「でも、私と晶くんの二人しかいないんじゃ、

単純なことしかできないんだよね」


「だから、お互いが死なないようにカバーしつつ、

上手く隙を作って止めを刺しましょうってだけだね」


「シンプルでいいと思いますよ。

でも、一つだけ変更させて下さい」


「変更って……何を?」


「隙を作るのは僕が前衛でやります。

ラピスは安全圏からの牽制と、止めの担当で」


途端、ラピスの顔がぎょっとなった。


「いや、そんなの無理に決まってるってば。

晶くんは獅堂を舐めすぎじゃない?」


「役割を固定してやってたら、

すぐに前衛が削られてどうしようもなくなるよ」


予想通り、反対されたか。


でも、こればっかりは譲れない。


「いいからやらせて下さい。

勝機もあります」


「私はそうは思わない」


「ラピスがどう思おうと、僕はそれで行きます。

何があっても前線から引く気はないんで」


「あのね……」


「これで納得してもらえないなら、

僕一人で獅堂のところに行きます」


『そうだよ、晶ちゃん。

ラピスなんて殺しちゃいなよ』


『こんなの殺して一人で行きなよ。

晶くんには私たちがついてるし』


囁きかけてくる背後の声。


鬱陶しいそれをとにかく追い払いたくて、

殺す気で目を横に向ける。


『わぁ、怖い。やっぱり人殺しだ』


くすくす笑いながら消えていく那美ちゃん。


自分の記憶が生み出しているとはいえ、

ここまでこけにされると腹が立つ。


次に出て来たら、

本気でその首をへし折ってやろうか……?


と――気が付けば、

ラピスが僕の前から部屋の隅へと移動していた。


「どうしたんですか?」


「いや……晶くんに殺されるかと思って」


蒼い顔で額を拭うラピス。


……後ろの連中に向けていた殺意が、

周囲に漏れていた感じか。


脅かすつもりはなかったんだけれど、

これで要求が通るならそれでいい。


「僕が前衛でいいですね?」


「……分かった。

じゃあ、その作戦で行こう」


しぶしぶといった感じでラピスが頷く。


これで、用意は調った。


後は、コロシアムに向かい、

待ち受けているだろう悪鬼を仕留めるだけだ。







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