再会







「……黒塚さんでしたか」


「森本聖!?」


それは、予期せぬ遭遇だった。


警戒しながらの進行の最中、

長い一本道を真っ直ぐに向かった先に、いた。


朱雀学園のABYSS部長――森本聖。


討つべきだった相手が、憎むべき相手が、

どういうわけかこのゲームに参加していた。


その顔を見ただけで、

黒塚幽という復讐鬼の体にスイッチが入る。


ABYSSを殺すために身をやつした少女が、

仇の同胞を狩るべく疾走する。


「……ちょっと、いきなりですかっ?」


ひらり初撃を躱した聖の顔に浮かぶ困惑/[慍色'おんしょく]。


その顔がまた幽には憎らしくて、

どうにか苦痛に歪めてやろうとさらにナイフを振るう。


ひとまず一撃必殺は諦め、

薙ぎ払いを起点とした隙の少ない連携を選択。


細かな足捌きで距離を詰めつつ、

体術も交えて何が何でも傷を付けにいく。


そうしたところで、やっと驚きから我に返ったのか、

葉が暴走する[相方'かすか]を止めねばと動き出す。


「動かないで下さい!」


そこに、聖の声が飛んだ。


だが、幽と葉にはそう見えているだけで、

実際は聖の背後――角に潜む龍一に向けた制止。


「大丈夫です。

私が止めますから」


ここで龍一が出て来て二対一になれば、

本格的に殺し合いになるという、聖の判断だった。


だが、その言葉を舐められている証左と感じ、

さらに幽の闘志が燃え上がる。


油を注がれた焔のような勢いで、

舐めやがってこの野郎と吠えながら突っ込んでいく。


「くっ……!」


しかし、当たらない。


当てに行っている斬撃はおろか、

牽制を引っかけるような事故もない。


ダイアログを服用していないとはいえ、

服にすら掠らないというまさかの事態。


今まで仕留めてきたABYSSとは比べものにならない

その実力の片鱗に、幽が歯噛みする。


このまま攻撃を続けることの無意味さを把握し、

仕切り直すべく大きく飛び退く。


そんな幽へと向けられる聖の面食らったような顔――

思ったよりも冷静だとでも言いたげ。


さらに募る幽の苛立ち――必殺を決意。


その帰結として胸ポケットに手を突っ込み、

取り出したカプセルを口腔へ放り込む。


「……ダイアログ!?」


聖の今度こそ本気らしい驚愕。


それに『もう遅い、後悔しやがれ』と

心中で幽が罵り――跳んだ。


「ぐっ……!」


聖の左肩に血が滲む

/逃げ遅れた幾らかの髪の毛が散る。


すれ違いざまに見える幽の獰猛な笑み――

やっと一撃届いたことに安堵。


反面、この速度でも躱されるのかという

相手の性能の高さに辟易。


早めにカタを付けなければ、

ダイアログの制限時間にも引っかかってきかねない。


油断せずに押し切る――そう決めて、

幽が着地と同時に次なる突撃へ。


――行こうとしたところで、

幽から全力で逃げ出す聖の背中を見た。


「あっはっ!」


形勢不利を悟った途端に逃げ出す相手へ、

幽の笑声を上げる/喜び勇んで駆け出す。


まさに喜色満面といった様子で、

『ABYSSなんてこんなもんよ』と吐き捨てる。


ダイアログの制限時間を逃げ切るつもりだろうが、

そうはいかない。


聖に追いつくための速度を得るべく、

幽が体を前傾させる。


が――いざ加速の体勢に入ったところで、

立ち止まる聖の姿が視界に入った。


逃げた振りで迎撃かと幽がブレーキ

/同時に聖が振り返る。


その見返った女の唇には、

見慣れた色のカプセル――ダイアログ。


まさかという思考――

“こいつも?”。


見開いた幽の瞳に映る、

カプセルを噛み砕く憎き女の姿。


直後、幽の総身を寒気が貫いた。


そのあまりの強大さと予想だにしなかった展開に、

全身が凍り付いて、しばし動きを忘れた。


そこに、聖の拳が刃物のような鋭さをもって迫り、

幽の鳩尾へと突き刺さった。


幽の体がくの字に折れる

/足が地面から浮き上がる。


その浮いた体を、打ち抜いた聖の拳がさらに運び――

そのまま迷宮の壁面へと叩き付けた。


拳で壁に貼り付けられた幽が、

ぱくぱくと口を動かして、くぐもった呻きを上げる。


が、すぐに力尽きてがくりと項垂れ、

聖が拳を引き抜いた拍子に地面へと落ちた。


「ふぅ……しんどかったぁ。

まさか、ダイアログまで使ってくるなんてなぁ」


強烈な吐き気と苦痛に苛まれる幽の耳に、

仇敵の気の抜けた声が[這入'はい]ってくる。


くそと言おうとしても、横隔膜を強打しているため、

呼吸すらままならない。


また、鳩尾を思い切り打たれたせいで、

体を起こそうにもまるで力が入らなかった。


「黒塚さん、大丈夫っ?」


倒れた幽の元に、

ぱたぱたと葉が駆けてくる。


可哀想に――そんな相方の言葉が、

幽を逆に傷つける/恥辱で叫びたくなってくる。


よりにもよって、森本聖にやられたところを、

他の人間に見られたくなかった。


しかし、怒りとは裏腹に、

痛みと酸欠で意識が朦朧としてくる。


「あーっと……

黒塚さんと一緒に行動してる方ですか?」


「はい。葉と言います」


「でしたら、心配しないで下さい。

これ以上、攻撃を加えるつもりはありませんから」


「もちろん、小アルカナを奪うつもりも、

何かを要求するつもりもありません」


「そうなの?

でも、あなたもゲームの参加者なんじゃ……」


「私たちもクリアを目指してはいますが、

できるだけ多くの人に助かって欲しいと思ってますから」


私たちという言葉に反応して、

葉が首を傾げる。


「ああ……今川くん、もう出て来てもいいですよ。

黒塚さんは行動不能にしましたから」


「いや……行動不能にできたっちゅーか、

明らかにオーバーキルですやん」


やり過ぎちゃいますか――と、

龍一が角の向こうからメットを抱えて出て来た。


「相変わらずえっげつないわ……何やあのパンチ?

あんなん喰らったら俺、絶対に泣くわー」


「手加減する暇がなかったんですっ。

こうでもしないと、もっと酷いことになってました」


「あー……俺ん時みたいに、

ナイフを雨あられルートですか」


「今川くんの時のは特別です。

あの構えには、それしか方法がなかったんですから」


「黒塚さんの場合は……多分もっと一杯殴って、

今後に影響が出るダメージになったでしょうね」


「どっちみち、

ダメージは残ると思うんですけどー」


「今回のが最小限だっていう話ですっ。

……たぶん」


「そうだといいんだけれど……

本当に黒塚さんは大丈夫なのかしら?」


気絶した幽の頭を膝の上に載せて、

葉が心配そうに聖に目を向ける。


「彼女も鍛えたプレイヤーですから、

じきに目が覚めると思います」


「ただ、もしかすると薬の副作用が

残っているかもしれません」


「副作用……ですか?

一体、どんな?」


「確実に伝えるために端的に言いますが、

筋力が落ち、性的に高ぶった状態になります」


「ですので、すぐシャワーを浴びられるように、

どこかの部屋で起きるのを待つといいでしょう」


「もし必要なら、部屋まで送ります。

私もまだ動けますから」


「大丈夫よ。

こう見えても私、力持ちさんだから」


「あー、遠慮せんでもえぇですよ?

女の子一人運ぶくらいなら楽勝ですから」


「……そう、ありがとう。

お気持ちだけ受け取っておくわ」


「でも、もしダメそうだったらすぐに言うから、

今のうちに連絡先だけ交換してもらえない?」


「連絡先……ですか?」


「この電話ね、予め連絡先を交換しておけば、

ちゃんと電話できるみたいな」


「もしあなたたちがよければ、

今後も協力したいし。どうかしら?」


「分かりました。

それじゃあ、交換しましょう」


聖と龍一、葉の三人が連絡先を交換する。


そのやり取りを遠くに聞きながら、

幽は『くそっ』と口汚く罵った。


が、それが音にもならない自身の現状に、

どうにもならない無力感が押し寄せる。


これまで、家族の仇を討つため人生を捧げてきたのに、

それを一笑に付された気分だった。


幾多もの苦痛を飲み込み、鍛え上げてきたはずの自分が、

何もしていなかったかのような錯覚に襲われた。


その悔しさも、足場が消えるような浮遊感を伴って、

意識と共に落ちていく。


“どうして、自分はこんなに弱いのか――”


そんな考えを最後に、

黒塚幽の意識はぷつりと途絶えた。


その目の端から、涙がつぅと流れた。








「……佐倉さん?」


「温子さん……やっと見つけた……」


その姿を見た瞬間、那美は、

自身の体からどっと汗が噴き出すのが分かった。


心臓が体の内から

胸を叩いているのを感じた。


久々に走った足は痛いほど強張っていて、

一歩踏み出すのさえ億劫だった。


急に意識に干渉しだしたそれらは、

那美がかなりの距離を走り続けた証左であり――


その苦労がようやく報われた今、那美はもう、

自分の内から溢れ出るものを止められなかった。


「温子さんっ!!」


「うわっ、ちょっ、佐倉さん!?」


那美が、ほとんど倒れ込むように

温子へと抱き付く。


「えっと……どうしたの、いきなり?」


「ずっと、ずっと探してたの!

温子さんのことを探してたのっ!」


「よかった……会えてよかったよぉ、

温子さん……」


感極まって半ば泣きながら、

探し求めていた友達の名前を繰り返す那美。


その勢いの激しさに、温子が珍しく慌てる

/何とか話をしようとしがみついてくる那美を離す。


「ちょっ……うん、分かった!

分かったからとりあえず落ち着こう、ねっ?」


「おー、モテモテだなー温子」


「先輩は黙ってて下さいっ」


「っつーかそいつ、佐倉那美だっけ?

お前と一緒に片山のゲームに勝ったやつだよな」


「ええ、そうですけれど……」


「だったら、心臓悪かったんじゃねーの?

そんな走ってきてやばくねー?」


「……確かにそうですね」


那美が自身との合流を試みていただろうことは、

温子も予測はできていた。


だが、冷静になって考えてみると、

心臓のリスクを押してまで合流を急ぐのはおかしい。


「もしかして、何かあったのかい?

怪物に襲われて逃げてきたとか」


温子が那美の顔を覗き込む。


『私にできることがあるなら言って欲しい』と、

いつものように問題の解決の意思を提示する。


その先の儀式の時と全く変わらない頼もしさに、

那美の気がさらに緩み、涙となって零れた。


そうして、涙声でごめんなさいとしゃくり上げながら、

那美が真っ赤になった泣き顔を上げる。


「温子さん、実は――」







「――お。どうやら佐倉さんが、

温子さんとやらを見つけたようだぞ」


迷宮内、カジノエリア――


那美と別れて以来、ずっと携帯を眺めていた田西が、

突然、嬉しそうに声を上げた。


「んじゃ、あの女がもうすぐ来るのか?」


「いや、それはさすがに難しいはずだよ。

カジノエリアからはだいぶ離れた位置だしねぇ」


「それに、佐倉さんの移動速度を考えると、

恐らくはずっと走り続けていたはずだ」


「休憩を挟んでから行動すると考えれば、

少なくともあと一時間はかかりそうだな」


「んじゃ、少し寝とくか。

連中が来たら起こせ」


「分かった。

ゆっくり休んでくれ給え」


豪奢なソファにどっかりと腰掛けたまま、

田西が手を上げて藤崎にお休みを告げる。


それに、藤崎は特に何を答えることもせずに、

ベッドルームへと入っていった。


田西が藤崎の休息を認めたのは、

ひとえにこのカジノエリアが戦闘禁止のためだ。


怪物も進入禁止となっているため、

一切の暴力が必要ない。


もし力に訴えれば、警告の電撃か、

程度によっては即死まであり得るだろう。


その安全保証の恩恵を、

羽犬塚もまた受けていたのだが――


一方で、この場での安全確保に、

あまり意味がないことを少女は知っていた。


暴力の心配がないということであれば、

田西たちと一緒に迷宮を歩いている間も同じだ。


彼らは、怪物が現れれば撃退し、

悪意のある参加者もきっと追い払うだろう。


羽犬塚を連れ歩く価値を認めている間は、

危害が及ばないようにするに違いない。


だが、ひとたび必要になれば、

躊躇なく羽犬塚を殺すのも間違いなかった。


これまで、世の中には悪人がいないか、

いたとしても自分は関係ないと思っていた羽犬塚は――


ここに来て、自分の身近にも悪人はいるのだと、

ようやく理解することができた。


となれば、このまま悠長に捕まっていれば、

その先にあるのは破滅だけだ。


携帯を取られているという弱みはあるが、

彼らと一緒にいたところで返してくれる保証はない。


逆にこのまま残れば、携帯のみならず自分の身柄まで

取引の材料に使われてしまう。


故に、何とか逃げ出す必要があったが、

問題が一つあった。


手足を縛られている羽犬塚には、

這って回る以外に動く手段がないことだ。


縄を解こうと色々と動いてみたものの、

羽犬塚の力ではびくともしなかった。


トイレを要求して解いてもらうことも考えたが、

あの用心深い田西を騙せる気がしない。


飲み物のコップからガラス片を手に入れるにしても、

目立つ動きは即座に田西に咎められてしまうだろう。


項垂れる羽犬塚――

“やっぱり、佐倉さんを待つしかないのかな”。


頑張って頭を使い、逃げ出す必要性に辿り着いたのに、

肝心のその手段がないのではどうにもならない。


溜め息をついて、苦しくなってきた体勢を変えるべく、

カジノエリアの床を転がる。


そうして――

あっと声を上げた。


「ん? どうした?」


田西が急に騒がしくなった羽犬塚に気付き、

首を伸ばして様子を伺う。


「……ああ。

体勢を変えて頭をぶつけたのか」


見れば、羽犬塚がテーブルに頭を付けて、

縮こまってぶるぶると震えていた。


『大人しくしてい給え』と言いつけて、

田西が再びソファへと戻る。


そのギシリと腰掛ける音を確認してから、

羽犬塚は止めていた息を吐いた。


そして、声を上げる原因となったものへと、

再び目を向ける。


――小振りのナイフ。


それが、テーブルの下で、

ひっそりと息を潜めていた。


どうしてそこに落ちていたのかは分からない。

誰かが隠したのか、はたまた無くしたのか。


いずれにしても、死角に入っていたこともあって、

清掃の手を免れてそのまま残っていた。


幸いなことに、テーブルは固定されておらず、

体で押すだけで何とか動かすこともできる。


このナイフを使えば、脱走に当たって最大の障害となる

ロープも容易く切断できるだろう。


その後は田西に追いつかれないよう、

隙を突いて走って逃げればいい。


ある程度、距離が離れてしまえば、

藤崎なしで無理に羽犬塚を追うことはしないはずだ。


こうなると俄然、

脱出が現実味を帯びてくる。


だが、だからこそ、

羽犬塚はそのナイフを手に取るのを躊躇した。


このまま捕まっていればろくなことにならないのは、

羽犬塚も既に考えて結論を出している。


機会があるならば、

脱出しない手はない。


だが――それはあくまで思考実験。

プラスになることだけを考えているだけだ。


現実に行動に移した場合には、

様々なリスクが付きまとう。


例えば、羽犬塚が逃げることで、

怒り狂った田西が携帯を破壊するのではないか。


自分のだけで済むならまだしも、

那美の携帯まで破壊してしまうのではないか。


それ以前に、ちゃんと逃げ切れるのか。

藤崎は追ってこないのか。逃げた後はどうするのか。


逃げ切れなかった時に、田西は一体、

自分に何をしてくるのか――


そう考えると、テーブルをどかすはずの体は、

金縛りに遭ったかのように動かなかった。


頭では相手を殴り返せばいいと分かっていても、

虐められている人間には容易にそれを実行できないように。


これまで自分で何一つ決断してこなかった少女もまた、

リスクを取ることができずにいた。


那美が絶対に助けに来ると言っていたのも、

羽犬塚の決断を鈍らせる要因だった。


何しろ、このまま待っていれば、

状況は改善するのかもしれないのだ。


どころか、羽犬塚が動いてしまえば、

田西は那美が来ても何も起きなくなるかもしれない。


本当に、どう転ぶのか分からない。


どんな決断をしても――いや、決断をしなくても、

良い未来、悪い未来のどちらもがあり得る。


どうしよう、どうしようと心中で繰り返しながら、

羽犬塚がテーブルの下のナイフを見つめる。


果たして、このナイフを取るべきなのか、

取らないべきなのか――





それから三十分以上経ったところで、

田西がふいにソファを軋ませて立ち上がった。


何事かと羽犬塚が目を向けると、

田西と目が合った。


「トイレだよ。別にどこにも行きやしない。

もちろん、携帯は持っていくがね」


歯を剥いて笑って、

田西がエリアの隅にあるトイレへと歩いて行く。


チャンスだった。


今、カジノエリアにいるのは、

ディーラーの仮面と田西、そして羽犬塚の三人。


だが、仮面は当初から無言を貫き続けており、

ゲームに干渉してくる様子はない。


もし、羽犬塚が脱出を試みたとしても、

田西や藤崎に知らせることはないだろう。


脱出の際にクリアしなければならない壁が、

また一つ羽犬塚の前から消え去った。


必要なものは全部揃い、

後は、覚悟を決めるだけ。


羽犬塚の心臓が、

どくりと一際高く鳴る。


内蔵が捻れ迫り上がってくるような感覚に、

軽くえずきそうになる。


千載一遇とも言える機会だが、

いつまでも時は決断を待ってくれない。


田西がトイレから戻ってくるまでに、

ナイフを回収してロープを切る必要がある。


恐らく、もう既にギリギリだろう。

いや、あるいは手遅れか。


悩んでいる時間はない。


羽犬塚の下した決断は――






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