慌ただしい放課後2





「あ、晶くん。お帰りなさい」


生徒会室に戻ると、

聖先輩が笑顔で迎えてくれた。


「体調は大丈夫なんですか?

鬼塚くんに殴られたって聞いていましたけど」


「あ、はい。今はもう平気ですね」


「それより、残ってるのは聖先輩だけですか?」


鬼塚の件で聖先輩に謝られそうな気配を察して、

早めに別の話題へ。


「私が帰ってきた時にはもう、

真ヶ瀬くんはどこかに行っちゃってましたねー」


「琴子ちゃんは、先に有紀さんってお友達と帰りました。

というか、私が帰したんですけどね」


「本当はもう少し見回りがあったんですけど、

お友達をお待たせするのもなんでしたし」


「なるほど、そういうことでしたか」


「私ももう、今日は帰りますかねー。

晶くんはどうします?」


「あ、僕も帰りますよ。

他に仕事もありませんしね」


「それじゃあ、一緒に帰りませんか?

せっかくですし、たまには……二人きりで」


「ええ、そうですね。喜んで」


首を少しだけ傾けてにんまり笑みを浮かべる先輩に、

さらりと頷いて返す。


「あれ? あんまり慌ててくれませんね……」


「まあ、冗談で言ってるって分かりますしね」


「むむむ……最近はあんまり、

焦ってる晶くんを見てない気がします」


「いやいや、いつも慌ててますよ。

ただ、さすがに耐性はついてきたって感じですね」


聖先輩と知り合って以来、

この手のイタズラは本当に一杯されてるし。


「えー、ダメですっ。

ずっと可愛い晶くんのままでいて下さい」


いや、そんな無茶なこと言われても。





「そういえば――」


「はい?」


「聖先輩って、さっきみたいなイタズラ、

結構好きですよね」


「ふふっ、晶くんが可愛いからです」


「前に話した気がしますけれど、

先輩って可愛い系が好きなんですか?」


「む……本当に慌てなくなりましたね」


「残念ながら」


聖先輩が拗ねたように口を尖らせる。


その様子に思わず苦笑すると、

聖先輩は『してやったり』とばかりに微笑んだ。


「可愛い系、好きですよ」


「あ、やっぱり?」


「と言っても、

弟みたいな感じですけどね」


「だから聖先輩って、

小さな男の子とかよく見てるんですね」


「やだっ。

晶くん、気付いてたんですかっ?」


うわー恥ずかしいですと、

先輩が顔を赤らめる。


「で、でもっ、

別にそういう趣味があるわけじゃありませんからね?」


「えーと……そうだ。

晶くんだって、琴子ちゃんが大好きじゃないですか」


「あー、それはまあ。妹ですしね」


「でも、琴子ちゃんに対しての好きと、

他の女の子に対しての好きは違いますよね?」


「私が可愛い男の子が好きっていうのも、

それと同じです」


「趣味とかそういうのではなくて、

何て言うかこう……愛でる?」


「それを世間一般では趣味というのでは……」


「違います」


先輩の目が微妙に真剣過ぎて怖いです。


「……まあ、弟妹的な何かを大事にしたい気持ちは、

僕もよく分かりますよ」


「ですよねっ? 私も弟がいたら、

それはもう物凄い勢いで可愛がっちゃいますし」


「な、なるほど……」


「ちなみに、晶くんは既に、

私の弟みたいなものですよ」


「なので、もし困ったことがあれば、

ガンガン相談しちゃって下さいね」


『すぐにでもいいですよ?』と胸を張る先輩。


……ホント、

弟とかに憧れてるんだろうなぁ。


まあ、せっかく先輩も乗り気だし、

少しだけ相談してみるか。


幸か不幸か、

人に相談したい悩み事もあることだし。


「……なら、一つ相談に乗ってもらえますか?」


「ええ、構いませんよ。

ドンと来て下さいっ」


「うーん……じゃあ恥ずかしいんで、例え話で」


期待に顔を綻ばせる先輩を横目に、

一つ咳払いをする。


さて、佐倉さんのことを、

どう話したらいいものか。


「えー、凄く危ない宗教があります、と」


「それは、例え話ですよね?」


「もちろんそうです」


「その宗教では、どの人間にも

善と悪の人格がいると定義していて――」


「『悪が主人格だけれど、普段は擬態として

善の人格が外に出てる』と思っています、と」


「で、一人の女の子が

それを信じちゃって……」


「『世の中のみんなは悪だ、私は騙されないぞ』って、

周囲に壁を作っちゃっいましたっていう状況です」


「先輩なら、その女の子と

どういう風に話しますか?」


「ふむー……そうですねぇ」


顎に指を当てながら、

先輩がうんうんと唸る。


……まあ、この例え話の内容こそが、

僕が佐倉さんの異常な態度に抱いた感想なわけで。


佐倉さんは僕のことを、

『晶ちゃんじゃない』と言っていた。


恐らく僕のことを、

極悪非道な別な誰かと勘違いしているんだろう。


ただし、疑心暗鬼どころの話じゃない。

頑なに信じてやまない状態だ。


そんな佐倉さんに、

聖先輩ならどんな切り口で臨むんだろうか……?


「よし、分かりましたっ!」


区画一つほどを歩いたところで、

先輩がポンと手を打った。


「私なら、その子に合わせて会話しますね」


「合わせて、ですか?」


「ですです。ネゴシエーターの基本と同じで、

否定してしまってはダメなんじゃないかなって」


「だって、否定はイコールで、

相手の拒絶になってしまいますから」


……なるほど。


言われてみれば、

確かにその通りかも知れないな。


「だから、否定はしないで、

肯定だけしてあげる、と」


「『世の中には善と悪がありますよね~』とか、

『悪はホントに怖いですよね』って」


「でも、それからどうするんですか?」


「そこから、話題を転換していきます」


「話を聞く限り、善か悪かの判定は、

その人が対人関係で一番最初に通すフィルタです」


「そのフィルタの順番を、可愛いとか格好いいとか、

そういうのと同じくらいの順番に落としちゃうんです」


「そのために、善悪の話と他の話を同列に扱いつつ、

たくさんお話をすればいいと思います」


……なるほど。

それは、上手いやり方かも知れない。


否定はせずに、一番否定したい部分を、

他に交えて希薄にしてやる、と。


それなら、問題になっている部分を、

どうでもいいと考えるようになるかもしれないな……。


「まあ、私は素人なんで、

それが正解かどうかは分かりませんけどね」


「あくまで、

『私ならこうする』ってだけの話です」


「いえ、凄く参考になりました」


僕一人で考えていたら、

きっと出て来なかったやり方だと思う。


「どうもありがとうございます、先輩」


「いえいえ。

こちらこそ、役に立ててよかったです」


先輩は、本当に嬉しそうに笑ってくれた。





先輩を途中まで送ってたら、

日が暮れてしまっていた。


琴子、心配してたかな。






「ただいまー。ごめん、遅く――」


「お兄ちゃん!」


「うわぁ!?」


ドアを開けた瞬間、

琴子が全力で抱きついてきた。


「こ、琴子っ……!?」


「お兄ちゃん、大丈夫!?

顔とか腫れてない!?」


「い、いやまあ、

ちょっとは腫れてるけれど……」


「っ……ごめん、なさい。

琴子が……琴子が悪いことしたからっ……!」


「ちょ、ちょっと落ち着こう? ねっ?」


縋り付いてきて謝り続ける琴子を、

一旦引き剥がす。


んー……何て言って聞かせるべきか。


「……あのね琴子。

琴子は謝るようなこと、何もしてないよ?」


「そんなのウソっ!

だって、琴子のせいで殴られて……!」


「じゃあ琴子は、あの男子生徒が殴られるのを、

止めないほうがよかったって思ってる?」


それは……と琴子が口ごもる。


……言ってて思った。

これは、僕にとっても耳の痛い話だな。


「確かに、相手は凄く怖い人だったよ」


「状況を考えれば、もしかすると、

見ない振りをするのが正解だったかもしれない」


「でも、琴子の助けた人は、

絶対に琴子に感謝してるはずだよ」


「それが謝るようなことだなんて、

ましてや悪いことだなんて、僕には思えない」


本当はこんなこと、

僕に言う資格はないのかもしれないけれど。


それでも――そんな僕だからこそ、思う。


「琴子が困ってる誰かを助けられる人で、

本当によかった」


「琴子は悪くないよ。僕が保証する」


「って、うわっ!?」


また、琴子に勢いよく抱き付かれた。


「お兄ちゃん……ありがとう」


「……うん」


「琴子ね……本当は、怖かったの」


「あの時、助けに入るのも、

怖い顔で怒鳴られるのも、凄く怖かったの」


「そっか……頑張ったんだね」


「ううん。それで、

お兄ちゃんに怪我させちゃったから……」


「『琴子が余計なことしなければ』とか、

『琴子が悪いことしちゃっんだ』とか……」


「授業中も、放課後も、

ずっと、ずっと考えてて……」


「だから……その、

もうよく分かんなくて……」


「……大丈夫。悪くないよ」


琴子を軽く抱き締め返して、

その頭を撫でてやる。


「本当に?

本当に琴子、間違ってないの?」


「うん。間違ってない。

だから、僕だって琴子を助けに入ったんだよ」


「結果的に殴られちゃったけれど……

助けに行かなかったら、多分、一生後悔してた」


「僕も、琴子を助けられるお兄ちゃんでよかった」


「お兄ちゃん……」


「また同じようなことがあったらさ。

今度はお互い、上手くやろうか」


「……うん」


「誰かを助けられる人になろう」


「うん」


……最後のは、琴子に対する言葉とは違う。


琴子はもう既に、誰かを助けられる人間だ。

“なろう”って表現は適切じゃない。


だから……これは、僕の目標。


爽や、温子さんや、

龍一に助けてもらった時にも思ったこと。


当たり前に誰かを助けられる、

そんな人間になりたい。


合理的に判断することが悪いとは思わないけれど、

多少の遠回りがあってもいいはずだ。


自分の手の届く範囲だけじゃなくて、

もう少し自分から動いてみよう。


そうすればきっと、僕は、

みんなと同じになれるはずだから――


「お、お兄ちゃん……」


「うん?」


「えっと……琴子はね、全然嫌じゃないっていうか、

ずっと……こうしてたいんだけど……」


「その……お鍋が吹きこぼれちゃうから……」


「あ、ごめん!」


慌てて琴子の体を解放する。


と、琴子は赤い顔ではにかみながら、

ぱたぱたとキッチンへ入っていった。


……今回は、遭遇は偶然で、

解決も偶然だった。


けれど、ABYSSと関わり続けていく限り、

トラブルとの遭遇は必然的に起こりうる。


そして――偶然解決できるというのは、

さすがに期待できないだろう。


「早く、何とかしないとな……」


もし、今回と同じようなことが起きて、

身内の誰かが巻き込まれたとしたら――


きっと、悔やんでも悔やみきれないだろうから。



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