容易くない相手2

爽と別れた後、日誌を取りに職員室へ行ったら、

もう既に佐倉さんが回収した後だった。


寄り道したとはいえ、結構早く来たつもりなのに、

佐倉さんはもっと早かったってことか……。


僕を避けるため……なんだろうなぁ。





そんな僕の予想は、

ものの見事に当たっていた。


綺麗に並べてある備品は、恐らく確認済み。

綺麗な黒板は、丁寧に水拭きまでした形跡あり。


日誌に関しても、

こちらに目もくれず現在進行形で記入中。


付け入る隙のないようなあまりの完璧さは、

そのまま明確な拒絶に見える。


でも、だからって、

僕が何もしなくていいわけがない。


自席に荷物を置き、気合いを入れて、

いざ佐倉さんの元へ。


「佐倉さん――」


そう声をかけた瞬間、

佐倉さんが椅子から立ち上がって身構えた。


まるで鳥が飛び立つような大げさな退避に、

出鼻をくじかれる。


「その……おはよう」


それでも、なるべく平静を装って、

目的だった日直としての会話を続行する。


「日直の仕事、先にやっててくれたんだね。

ありがとう」


「後は朝の仕事って何か残ってない?

あるなら僕のほうでやろうと思うんだけれど」


なるべく普通な感じで声をかけたものの、

佐倉さんは俯いたまま、目も合わせてくれない。


壁に向かって話しているというよりは、

砂浜に落とした指輪を手探りで探しているような気分。


それでも、『いつもこんな調子だろ?』と

自分に言い聞かせて、彼女の俯いた顔を覗き込む。


「えっと……なら、この後の仕事は全部僕でやるよ。

そのほうが佐倉さんも楽でしょ?」


「……いい」


「えっ?」


「手伝いとか……要らないから」


「日直とか、そういうの全部、

私が一人でやるから、だから……」


もう私に構わないで――


襟元に手を当て、目に涙を溜めて、

佐倉さんはそんな言葉を口にした。


それに僕は、

ただ曖昧に頷くことしかできず――


後はもう、気を遣った振りをして、

教室から逃げ出すしかなかった。





「気にすることはないさ」


廊下へ出てすぐに、まるで待ち構えていたみたいに

温子さんから声をかけられた。


「温子さん……見てた?」


「途中からだけれどね。

日直の仕事について聞いている辺りから」


ほぼ全部ってことか……。


「客観的に見て、

晶くんは頑張っていると思うよ」


「佐倉さんにずっと辛抱強く話しかけてるだけで、

私だったら花丸を付けてあげたいね」


温子さんの人差し指が、

ぐりぐりと宙に円を描く。


“君は間違っていないよ”“ちゃんと見ているよ”

というそれが凄くありがたくて、思わず泣きそうになる。


でも……。


「……花丸でも、

佐倉さんには全然駄目なんだ」


「まあ、頑張ったからって、

必ず結果が出るわけじゃないからね」


「やるだけやって相手に響かなかったとしたら、

それはそれで仕方ないさ」


「それは……そうだけれど」


「だから、落ち込む必要はないよ。

あと、そんな顔は今だけにしたほうがいい」


「少なくとも、私が晶くんだったら、

佐倉さんのためにそうするね」


「佐倉さんのため……?」


どうして僕の顔が、

佐倉さんのためになるんだ?


「人を傷つける言葉っていうのはね、

普通は言うほうも言われるほうも嫌なものなんだよ」


「だから、言われてもなるべく平然としていたほうが、

相手の負担も小さくなるよ」


「……そうなのかな?」


「晶くんが傷つける側だったらどうだい?」


「それは……確かにそうだけれど……」


僕が落ち込むことで、

佐倉さんが負担を感じるとは思えない。


むしろ『あっちに行け』とまで言える相手のことなんて、

考えたくもないと思うのが普通じゃないだろうか。


なら――佐倉さんのためという温子さんの言葉は建前で、

結局は僕への慰めじゃないのか?


「納得行かない顔をしているね」


「ごめん……」


捻くれた考えに自己嫌悪。


ただ、自意識過剰を自覚しても、

上手く切り離せない。


「……佐倉さんとの事情は知らないけれど、

拒まれても構わないと思ったんじゃないのかい?」


「だから、入学してからずっと、

アタックし続けてるんだろう?」


それは……確かにそうだ。


けれど、何故か分からないのに拒絶され続けるのは、

幾ら覚悟があっても辛い。


昔の関係を思うと、余計に。


「……僕、どうしていいのか分からないよ」


「佐倉さんとはまた仲良くなりたいけれど、

僕じゃ何をしても駄目なんじゃないかって……」


「……どうしても傷付きたくなかったら、

彼女に関らなければいいんじゃないかな」


「えっ?」


「彼女を見捨てても、

ウチのクラスには何の影響もないよ」


佐倉さんを……見捨てる?

僕が佐倉さんを?


「元々、いてもいなくても変わらないんだから、

無理して関わる必要なんてないじゃないか」


「佐倉さんも今のままで完結しているし、

晶くんも傷つかなくて済む。完璧だね」


「温子さん」


「なんだい、晶くん?」


「怒るよ?」


「……そういう顔を最初からしててくれたら、

私も嫌われるようなことを言わなくて済んだのにね」


小さく首を振って、

眼鏡を直す温子さん。


その顔は呆れたようでいて、先程までの笑顔とは違い、

どこかホッとするような温かみがあった。


「自信を失っていたみたいだけれど、

そこで怒れるなら、また彼女に話しかけられるさ」


「……そうかな?」


「もちろん。うざったいくらい声をかけられた

本人が言うんだから間違いないね」


「う……あれ、

やっぱりうざいと思われてたんだ」


「かなりね。爽の五分の一くらい」


「その節は大変申し訳ございませんでした……」


「ふふ、当時の話だよ。

今は逆に感謝してるくらいだし」


「まあ、今すぐにじゃないにしろ、

佐倉さんにも同じように頑張ってみるといいよ」


「丸投げされるのは嫌だけれど、

私もできるかぎり協力はするから」


「……うん。ありがとう」


温子さんに言われてみて、

改めて思い知った。


結局、僕はどれだけ冷たくあしらわれても、

佐倉さんと昔の関係に戻りたいんだな。


今回は駄目だったけれど、

またいつか佐倉さんと話す機会を作ろう。


温子さんの時みたいに粘り強く行けば、

また上手く行くかもしれないし。


「それじゃ、晶くんがいつもの顔に戻ったところで、

本題といこうか」


本題……?


「昨日の朝にも話した、

学園に他校の生徒が入ってきてる話だよ」


「何かあったの?」


「目撃証言の追加。うちの部活の子も見てるし、

他の学年でも噂になっているらしいんだ」


「じゃあ、結構な頻度で

出入りしてるってこと?」


「そうなるだろうね。

何の目的があってうちに来てるんだか」


目的か……。


真っ先に浮かぶのはABYSSだけれど、

さすがに違うよなぁ。


見つかっている時点で、

秘密も何もあったもんじゃないし。


「まあ、あってもどうせ下らない理由だろうし、

トラブルさえ起きなければいいよ」


「というわけで、生徒会の議題に上げてね、

っていうのが晶くんへの相談事」


「オッケー、分かった。

放課後にでも先輩に言ってみるよ」


うんお願い――と温子さんが頷く。


そこに聞き覚えのある声が飛んできて、

温子さんが喉に骨を詰まらせたような顔になった。


「お、温ちゃんと晶じゃん。

教室の前で何やってんの?」


「あー、ちょっと大事な話だ。

もう終わったけれどね」


「なになに? 佐倉さんのこととか?

もしかして二人で突撃計画中?」


「っ、このバカ……!」


「いいねいいねー、レッツゴー!

当たって砕けろ!」


「いやー、既にしてたりして……」


「え、何を?」


「玉砕……」


爽の笑顔が固まる。


「あ、あはは……。

もしかしてあたし、まずかった……?」


固まった笑顔のままで、爽が数歩後ずさる。


そこに、温子さんの蹴りが飛んだ。


「このっ、死ねっ!

晶くんに死んで詫びろ!」


「痛たたたごめん! あたしが悪かった!

ホントごめん許してってばー!」


「いや、別にいいんだけれどね……」


「晶くん、

こんな妹でホントにすまん……」


「あたしも、ごめん……」


「いや、気を遣われるとかえって困るし、

そんなに謝られても」


「でもそれじゃ、あたしの気が済まないっていうか!

何かして欲しいこととかない? 何でもいいよ!」


「そう言われてもなぁ……」


弱みを盾に爽に何かを要求なんて、

しようとも思わないし。


……あ。でも、

一個だけお願いしたいことがあったか。


「じゃあさ、

ちょっと爽にお願いしていい?」


「え、なになにっ?」


「黒塚さんに会いたいんだけれど」


「……はぁ?」


「僕がいきなり行っても断られそうだから、

面識ありそうな爽に仲介をお願いしてもいい?」


「う、うん……」


お、オッケーか。よかった。


黒塚さんは僕を監視してる気配があるし、

僕一人じゃ絶対に警戒される。


その点、黒塚さんと知り合いらしい爽が一緒なら、

少なくとも話すところまでは行けるだろう。


「……一応、聞いておきたいんだけどさ。

晶、本気?」


「え? それはもちろん本気だけれど……

それがどうかした?」


「いやー……まさか晶から、

女の子紹介しろって言われると思わなくてさぁ」


……はい?


「魔女子さんはおもっくそ美人さんだから、

会いに行きたい気持ちは痛いほど分かるんだけどね」


魔女子……?

えーと、黒塚さんのことだよな?


「でもでもっ、何ていうかこう、

晶にそういうのは似合わないっていうか……」


「もっとこう、ガツガツしてる感じじゃなくて、

身近な女の子とくっついちゃう系だよね、っていうか」


何だか微妙に堅い笑顔を浮かべる爽の横で、

温子さんが『うむ』と深々頷く。


……というか、どうしていきなり、

そういう話が出てくるんだ?


もしかして、誤解されてる?


「……言っておくけれど、別に黒塚さんを

異性として紹介して欲しいんじゃないよ?」


「えっ、じゃあなんで?」


「お仕事。真ヶ瀬先輩に頼まれて、

ちょっと黒塚さんに話を聞くことになってたから」


そもそも、今回の件で下心全開なお願いをしたら、

佐倉さんをダシにしてるみたいで凄く嫌だし。


仮に、幾ら僕が黒塚さんに興味を持っていたとしても、

それだけはやっちゃ駄目だろう。


と――爽は納得したのか何なのか、

べちんべちんと僕の背中を叩いてきた。


「いやー、やっぱり晶はそうじゃないとね!」


「軟派な晶はダメ、ゼッタイ!

ヤギさんみたいに草をもしゃもしゃしてないと!」


「草食系で悪うございましたね」


「私は最初から信じていたぞ、晶くん」


「温子さんも、

爽の意見に深々と頷いてたよね……」


まあ、誤解を招く言い方をした

僕も悪いんだけれどさ。


「何にしても、そういうことなら

安心して魔女子さんを紹介できるよ」


「あのね……僕ってそんなに信用ない?」


「信用するとかじゃなくて、心配みたいな?

魔女子さん美人さんだし」


「うむ」


「そんなに心配しなくても大丈夫だってば。

爽から黒塚さんを取ったりなんかしないから」


そう口にした途端、ぽかーんと口を大きく開けたまま、

爽と温子さんが固まった。


あれ……もしかして僕、

また何か変なこと言ったのか?


「温ちゃん……これ草食系っていうか、

むしろ草じゃない? 植物系」


「だとすると、唐変木という種類だろうな。

間違いない」


いや、植物系って……。


二人にここまで言われるなんて、

僕が何か悪いことをしたんだろうか……。



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