行方の知れない二人1

「やっほー!」


「ぎゃふっ!」


さすがに今日は大丈夫だろうと近道を進んでいたら、

二日連続で空から女の子が降ってきた。


「こんばんは。また会ったね」


人の腹の上に座りながら、

何事もなかったかのように華やかに微笑む少女。


雰囲気から察するに、

今日は追われているわけではないらしい。


だったらどうして降ってくるんだとか、

色々と言いたいことはあるけれど――


「まず、どいてくれないかな……」


「ああ、ごめんごめん」


「でも、そんなに気にしないでいいよ。

私も気にしないから」


「いや、僕が気になるんで、

是非ともどいて下さいお願いします」


伝説の暗殺者を名乗る少女に上を取られているのは、

精神衛生上よろしくない。


まさか、いきなり殺されたり

しないだろうな……?


「うーん、キミって思ったより座り心地いいんだね。

スプリング入りのベッドみたいな感じ」


そんな僕の心持ちを知る由もなく、

ラピスは無邪気に僕の腹の感触を楽しんでいたり。


「そんなこと言われても、

全然嬉しくない……」


「まあ、重いとは思うけど、

もうちょっとだけ椅子になっててよ」


「そんなに長く話し込むつもりはないし、

話が終わったら、すぐにでもどいてあげるから」


……話すって、

一体何について話すんだ?


そう聞くと、少女は蒼い瞳に真剣な光を点らせながら、

絹糸のような金の髪をさらりと揺らした。


「直接的なヒントは出せないから。

そこは仕方ないと思って」


えっ?


「いいから聞いて」


口を挟まないでね――と、

ラピスが僕の唇に人差し指を当てて来る。


「まず、事態を把握したら、必ず落ち着いて欲しい。

闇雲に連絡はしないほうがいいから」


「それから、

出歩くことも避けたほうがいい」


「会場はほぼ確定だろうけど、キミが動くことで、

ひょっとするとそれも変わるかも知れない」


会場?


何だ、それは?


一体、何のことを話しているんだ?


「キミか相方さんがどうしても我慢できないようなら、

その時は私を探して」


「無理かも知れないけど、

可能な限り動きたいと思ってるから」


「ちょ、ちょっと待って!」


口元の封を破って、体を起こす。


――起こそうとして、

少女の手に止められた。


「質問には答えられない。

今のは私の独り言。キミは椅子なんだ」


……つまり、流しちゃいけない情報を、

敢えて僕に流してるってことか?


「繰り返すけど、会場はまだ確定してない。

私も表立っての協力はできない」


「……結局、できることは、

待つことだけなのかも知れない」


「でもそれは、事態が動いた時に

迅速に行動するための我慢の時だと思って」


そう思わないと、

多分心が折れるから――


そんな声にならない声が、

少女の蒼い瞳から降ってくる。


椅子である僕もまた、

その声に対して返す言葉はなくて――


ただ、路地裏で二人、

見つめ合う時間が続いた。


「……道草もそろそろ限界だね」


ラピスが僕の腹の上から

その身をどかす。


それから僕の手を取って、

地べたに付いていた尻を浮かせてくれた。


「さぁ、帰って。

急いだほうがいい」


「……どういうことだ?」


「帰れば分かるから。

――それじゃあね」


「あ、ちょっ……!」


呼び止める間もなく、

黒いドレスの少女が闇へと融けていく。


その去り際に、

微かに『頑張って』という声が聞こえた。


「いや、頑張ってって……」


一人残され静かになった路地裏で、

言われたいくつかの言葉を反芻してみる。


帰れば分かる?


急いだほうがいい?


……まさか、

琴子に何かあったのか?


携帯を見てみる。


時刻は午後の七時四十分。

さっき見た時と同じく、誰からの着信もない。


もちろん、遅れることは言ってあるから、

着信がないのは不思議ではないけれども――


「……一応、電話してみるか」


『お兄ちゃん遅いよ』とか、

『早く帰ってきてね』と言われるなら、それでいい。


ただ、もしも出なかった時は――


「……いやいや」


悪い想像を否定しつつ、

電話帳から琴子を選ぶ/通話ボタンを押下する。


『……様のおかけになった電話は、ただいま、

電波の届かないところにあるか、電源が……』


機械の応対メッセージを途中で切って、

ポケットに携帯を放り込んだ。


それから、人目とかそういうのは全部無視して、

全力で走った。


「琴子……!」


頼むから、悪い想像であってくれ――





「ただいまっ!」


噴き出す汗をそのままに、

家の中へと飛び込む。


玄関に鍵がかかっていないという事実が、

背中に冷や汗として流れていく。


が、直後に目に入ってきた光景は、

冷や汗どころか動悸となって全身を駆け巡った。


靴跡。靴跡。靴跡。


玄関に置いてあったマットにも、

板張りの廊下にも、階段にも。


埃に煤けた靴跡が、

押印したかのように存在していた。


そして、それらを浮かび上がらせる傘付きの照明は、

あからさまに斜めに傾いでいる。


まるで、暴漢がやって来たと

言わんばかりに。


「琴子っ!」


靴を脱いで――上手く脱げないのがもどかしくて、

苛立ちつつもどうにか脱いで、居間へと飛び込む。


いない。明かりさえついていない。


「琴子、いないのかっ!?」


ソファーの裏に回り、キッチンを見に行き、

それからテレビの裏まで見て回る。


しかし見つからず、胃が締め付けられるのを感じながら、

祈るような気持ちで二階へと走った。


階段にも足跡。

それが二階の各部屋に向かって伸びている。


僕の部屋にも。


もちろん、琴子の部屋にも。


「琴子っ!

いたら返事してくれ!!」


琴子の部屋に駆け込む。


いない。


部屋のドアを片っ端から開けて回って、

クローゼットも残らず漁っていくものの、誰もいない。


それから僕の部屋。客間。物置。

どこにもいない。


きちんとトイレの中も見た。


お風呂も見た。和室だって見たし、

わざわざ布団まで全部ひっくり返した。


でも、琴子の姿はどこにもなかった。


「嘘だろっ……?」


どうしても信じられなくて、

下へ戻ってもう一度琴子を探す。


それからもう一度上へ。


けれど、琴子はどこにもいなくて。


ようやく、

この状況を認めざるを得なくなった。


廊下に残された靴跡――

大きさからして間違いなく男。


軽く荒らされた室内――

この家の人間なら絶対しない。


どこにもいない琴子――

恐らく浚われた/僕の遊んでる間に。


「やられた……」


じわじわと、

体に痺れるような寒さが染み込んでくる。


手足が震え出す。呼吸が浅くなる。

湯気が見えるかと思うくらい眼球が熱い。


まさか。


まさかという感じだった。


琴子を浚ったのは、

ABYSSと考えて間違いない。


こういう手段に出ることを考えてはいたけれど、

それは無いんじゃないかと――


『まだそういう時期じゃないだろう』と、

どこかで安心していた自分がいた。


大バカだ。


万死に値する。


「何やってんだよ僕は……」


頭を抱えしゃがみ込む。


……どうして僕は、

琴子が一人になる時間を作ってしまったんだ。


琴子を一人にさえしなければ、

今回の件は防げた。


そもそも、本当にまずいと思っていたなら、

琴子に学園を休ませてでも僕の傍にいさせるべきだった。


逆に僕が休んで、

琴子の周りに張り付くことだってできたはずだ。


なのに、僕は。


僕は――


「あぁあああっ!」


壁に拳を叩きつける。


こんな時にまで、

家のことを考えて加減してしまう自分が憎い。


そんな気遣いができるなら、

それを少しでも琴子に分けてやれば良かったのに。


何で僕は、こう、

どうでもいいところでバカなんだ。


くそ、くそっ……!



「……え?」


まさか、琴子かっ?


そう思って表示を見ると、

電話をかけてきたのは温子さんだった。


こんな時に一体なんだろうと思いつつも、

ひとまず通話ボタンを押下する。


「晶くんかっ?」


切羽詰ったような声が

携帯の向こうから飛び込んできた。


「温子さん?

どうかしたの、何かあったの?」


「爽が帰ってこないんだ。

電話をかけても出ないし、全然連絡が取れなくて」


……は?


「親が言うには、六時頃帰るって

メールがあったらしいんだけれど……」


「晶くんのところに、爽は行ってない?」


爽が……

まだ、帰ってない……?


いやでも、温子さんがABYSSに関わったのは、

今朝からだったよな?


そんな、目立った活動のない状態で、

温子さんの家族が巻き込まれるなんてことは……。


「……晶くん?」


「あ――大丈夫、聞いてる」


「それより爽だけれど、電話をかけても出ないの?

電池が切れてるとかじゃなくて?」


「電源か電波っていうメッセージが流れてくるけれど、

爽に限って電池切れはあり得ない」


「携帯にかなり依存してるから、

予備のバッテリーも常に持ち歩いてるし」


「それじゃあ、電源の届かない場所にいるのは?

地下のカラオケとか」


「だとしたら、メールを寄越すはず。

予定が変わったって」


……確かに、六時に帰るってメールで連絡しているのに、

予定の変更を連絡しないのは考えづらい。


となると、これは……。


いやでも、

それしか考えられない。


「……ABYSSだ」


「えっ?」


「実は、うちの琴子もいないんだ」


「しかも、家には土足で進入された形跡まであった。

明らかに琴子じゃない、男の靴で」


「何それ……家の中に入ってきて、

拉致されたってことかい!?」


……想像したくもないけれど、

きっとそういうことなんだろう。


「三日前、僕はABYSSの人間に顔を見られてるし、

そこから自宅まで調べられたんだと思う」


電話の先から、

温子さんの息を呑む声が聞こえてくる。


「っていうことは、爽もか?」


「昼間に、黒塚さんと話していたからか?

でも、あれ以外には考えられないし……」


「……いや、

まだそうと決まったわけじゃないから」


「でも、妹さんに関しては、

そうとしか思えないんだろう?」


「だったら、爽も同じように浚われたと考えたほうが、

ずっと自然だよね?」


そんな温子さんの話を――


僕は、肯定も否定もできなかった。


自然というのであれば、

それが一番可能性が高いことは明白だ。


でも、それを信じたくなくて。

言葉にしてしまうことが怖くて――


お互いに、

沈黙を選んだ。


そのまま、

呼吸が一つ。二つ。


「探しに行こう」


ぽつりと、

温子さんが呟いた。


「ABYSSが犯人としては最有力なんだろう?

だったら、その候補に当たっていこう」


「片山、丸沢、鬼塚先輩。

それから、森本先輩も真ヶ瀬先輩も」


「……そうだね」


「私たちの動きが向こうにバレるだろうけれど、

それはそれで好都合だ」


「まずは片っ端から連絡していって、

あちらさんの家族も巻き込んだ状態にしてやろう」


そうだね――と言いかけて、


「片っ端から連絡……?」


その聞き覚えのある言葉に気付いた。


思い出した。


そうだ。黒い少女から、

さっき忠告をもらったばかりだった。


「まず、事態を把握したら、必ず落ち着いて欲しい。

闇雲に連絡はしないほうがいいから」


あの時は、

何のことかよく分からなかった。


けれど、今この状況になってみて、

何を言っていたのかがようやく理解できた。


となると、あのラピスって子も、

ABYSSと何らかの係わりがあったってことか……。


でも、だとすれば

どうして僕を殺さなかった?


どうして僕に忠告をくれた?


「……温子さん、聞いて」


「晶くん……?」


黒い少女に言われたことを思い出す。


貝殻が音を溜め込むように椅子として記憶した言葉を、

そのまま出力する。


そう――


「とりあえず、落ち着こう。

闇雲に連絡するのもやめておいたほうがいい」


「それから……

出歩くことは避けた方がいいかもしれない」


「会場はほぼ確定だろうけれど、僕らが動くことで、

ひょっとするとそれも変わるかもだから」


「会場……?

何を言ってるんだ、晶くん?」


「会場っていうのは、

恐らくABYSSのゲームの会場だと思う」


「……例の、学園で生け贄を狩るっていうあれかい?

何で、いきなり晶くんがそんな話をするんだ?」


「実は僕、帰り道で会ったんだ。

昨日の、ジャックに追われていた女の子に」


「それで……事態を把握したら必ず落ち着け、

闇雲に連絡するな、迂闊に出歩くなって忠告された」


「……それは、

私たちを陥れようとしているだけじゃないのか?」


「聞く限り、手遅れにしようとしている風にしか

思えないんだけれど」


「それはないと思う。手遅れにするって、

本来なら浚われた時点で手遅れだし」


「それにもし、目的が僕らを殺すことなら、

今こうして僕が生きているほうがおかしい」


「だって、僕は既に、そのABYSSらしい女の子に

待ち伏せされていたんだから」


「……なるほど」


筋としては、通っているはずだ。


だから、ラピスっていう子は、

恐らく敵じゃない。


味方かどうかは分からないけれど――

少なくとも敵じゃない。


なら、僕らより状況を把握した上でのその助言は、

行動を決定する上で参考にする価値はあるはずだ。


「晶くんの言うことは、分かったよ。

でも、やっぱり私は探しに行きたい」


「成り行きに任せて、

爽の無事を祈るだけなんてまっぴらだ」


「私は、私のできることを全部やりたい。

爽のために何でもしてやりたい」


「でないと……

結果を受け止められる自信がない」


「温子さん……」


「怖いんだ。凄く。凄く怖い」


「晶くんに妹さんの話を聞いてから、

ずっとお腹の辺りが絞られてるみたいに痛むんだ」


「でも、きっと、爽はもっと怖い思いをしてる。

そう思ったら、じっとなんてしていられないだろう?」


縋るような温子さんの声。


そんなのを聞かされたら、

もう、止められる気がしなかった。


「……分かった。探しに行こう」


「晶くん……」


僕自身を、

止められる気がしなかった。


温子さんと同じく、僕も怖い。


琴子のために、

じっとなんてしていられない。


何をしてでも探し出さないと。


「温子さんがさっき言ってたみたいに、

ABYSSの候補に当たっていってみよう」


「ただ、ABYSSと全面的に敵対はまずいから、

存在を公にするような方法はなしで」


「分かった。

もし見つけたら、連絡した上で尾行かな」


「そうだね」


少なくとも、

人気のない場所に誘導するまでは。


「それじゃあ、何か進展があったら、

その時はお互いすぐに連絡しよう」


「うん、分かった」


「……頑張ろうね、晶くん」


それじゃあ――と電話が切れた。


残りの電池が十分にあるのを確認しつつ、

携帯をポケットの中へ放り込む。


それから、

少女の言葉の続きを思い出した。


「キミか相方さんがどうしても我慢できないようなら、

その時は私を探して」


「無理かも知れないけど、

可能な限り動きたいと思ってるから」



……探してとは言われたけれど、

あの子にもう一度出会えるとは思えなかった。


よしんば探せたところで、

積極的な協力を望めないなら意味はない。


だったら、他のABYSS候補を締め上げるほうが、

ずっと確率は高いはずだ。


「……武器が欲しいな」


包丁……強度的に打ち合いは怖いな。


ナイフなら行けるけれど、

この時間だと職務質問に遭う可能性がある。


逃げ切ることは不可能じゃないにしても、

余計なことで手間を取られるのは避けたい。


となれば――


「これでいいか」


引き出しの中から、

鉄製のヤスリを取り出す。


厚さは五ミリ、長さも三十センチ近くあるから、

これなら鈍器として事足りるだろう。


制服の内ポケットに、

タオルでくるんだヤスリをねじ込む。


それから、自分が荒らした室内に振り返って、

改めて琴子がいないことを噛み締めた。


……大丈夫。

必ず連れ戻してみせる。


それだけ誓って、

薄暗い部屋を後にする。


時刻は午後の八時過ぎ。


夜は、始まったばかりだった。

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