死者







――“隠者”の大アルカナは、

那美たちの探索をとても順調なものに変えた。


説明会で指定された小部屋を通過した後、

二つ目の小部屋も見つけ、小アルカナを回収。


クラブの6、スペードの1と12の三枚が、

那美たちの手持ちとなっていた。


「今日一日でいっぱい集まりそうだね」


「ホントにね。

私もちょっとびっくりしちゃった」


那美が足を伸ばして休憩しながら、

傍らに置いた袋を眺める。


バッテリーの予備は二つ。

食料も十分に確保済み。


小振りなナイフで気休めではあるが、

一応は武器まで手に入れた。


温子を探す以外に指針の見えなかったはずのゲームを、

今や那美たちだけで進められてしまっている。


それもこれも、全て“隠者”のおかげであることは

疑いようもない。


ここに来て、ようやく那美は、

“隠者”の途方もない便利さを確信していた。


役割が違うため、単純に比較はできないが、

“恋人たち”よりもずっと有用にすら思える。


怪物に襲われはしたが、初日の早い段階で

その有用性に気づけたことは、まさに怪我の功名だった。


「佐倉さん、怪物は大丈夫……?」


「ああ、それじゃあ調べてみるね」


およそ五分おきに聞かれる怪物の探知に、

那美が快く応じる。


戦闘禁止の部屋に怪物は来るはずもないが、

羽犬塚が安心するならと平穏のために実行――


「羽犬塚さん、大丈夫みたいだよ」


ほら――と、怪物はいないという判定の出た携帯を

那美が羽犬塚へ見せてやる。


「よかったぁ……

あんな怖いの、もう見たくないもん」


「私もそうだよ。怪物って聞いてたけど、

あんな本当に人間じゃないのだと思ってなかったし」


「ゾンビか何かなのかなぁ?」


「うーん、そうなのかな?

“隠者”の説明だと、薬を投与した人間ってあるけど」


「薬で、あんな風に変わっちゃうの?」


「……みたいだね。

でも、ABYSSならあり得ると思う」


鬼塚の人間離れした膂力を、

那美は実際に目の当たりにしている。


そして――那美はそれと知らないが――

獅堂天山というレベルの違う生き物にも出会っている。


そんな那美の経験からすると、

先の怪物の異様は何とか理解の範囲内だった。


「でも“隠者”を見る限りだと、

もっと普通のABYSSみたいな怪物もいるみたい」


「普通のABYSS……噂のあれかなぁ?

黒ずくめで仮面を付けてるやつ」


「多分、それで合ってるんじゃないかな。

でも、普通に見えてこっちも危ないみたい」


「だからやっぱり、怪物には遭わないようにするのが

一番いい対策みたいだね」


「うん……遭いたくない。絶対」


「大丈夫だよ。

私たちには“[隠者'これ]”があるもん」


「でも、ずっと付けっぱなしで、

佐倉さんのスマフォの電池って大丈夫なの?」


「それは……」


知らない振りをしようとしていた部分を突かれ、

那美の顔から笑みが消える。


実際、那美のスマートフォンの電池残量は、

既に二割ほどが減っていた。


ゲーム開始から二時間ほどでこの減りは、

さすがに看過できるレベルではない。


そして、頼みの綱の予備バッテリーも、

最初の部屋で二つしか手に入っていなかった。


「もし、電池が切れちゃいそうなら、

私、頑張って我慢するから」


「でも……大丈夫だよ。

バッテリーが減っちゃっても、また見つければいいし」


「だったら、私のスマフォの電池を使って。

佐倉さんのだけ使うのはずるいもん」


小さな手をぎゅっと握り締めて、

自分なりのファイティングポーズを作る羽犬塚。


が、本人が幾ら顔を引き締め気合いを入れても、

可愛らしくしか見えないという悲しい結果に。


それが那美にはおかしくて、けれど心遣いが嬉しくて、

羽犬塚を慈しむように小さな頭を優しく撫でた。


「ありがとう。

もし困ったらそうさせてもらうね」


「……困ったらでいいの?」


「うん。その代わり、他の電池を使いそうな作業は

羽犬塚さんのスマフォにやってもらうね」


「えっと……カードの管理とかだよね?

それなら任せてっ」


自分にできること/するべきことを提示されて、

羽犬塚が再び頑張るぞと手を握り締める。


そんな少女に微笑みを向けながら、

心の中で決意を新たにする那美。


この可愛いクラスメイトは、

何としても守らなければ――


そうした考えの合間に、ふと、

今の自身と同じことを思っていた人間を思い出した。


『晶ちゃんは私が守らなきゃ』


今となっては信じられないようなことを、

毎日、真剣に考えていた誰かさん。


羽犬塚を目の前にしていると、

その当時を追体験している気分になってくる。


漏れるため息――

“ああ、私って、彼のことばっかり考えてたんだな”。


けれど、何だかその気持ちが無性に懐かしくて、

涙が出そうになった。





――その足音に気付いたのは、

小さな少女が先だった。


二つ目の部屋でたっぷりと休憩を取り、

次なる小アルカナを目指していた道中。


マップに見える小部屋まであと少しというところで、

こつこつという足音が聞こえてきた。


羽犬塚が蒼い顔で那美の袖を引き、

“隠者”で怪物の確認を促す。


その様子を見て、

那美は疑問に思うこともなくすぐさま確認――


『現在周囲に怪物はいません』


意外な結果に目を見開く二人

/だが、足音は依然として止まず。


もしかして、怪物じゃない?


そう思っていた矢先に、

曲がり角の向こうから鋭い声――“おい!”。


「そこの角の向こうにいるやつ、

さっさと出て来なさい」


呼びかけられて、相手が参加者なのだと

ようやく把握する少女たち二人。


相手は声を聞く限り女で間違いなさそう。


けれど、明らかに好戦的/威圧的――

誰が来ても勝てるという自信が漲っている。


羽犬塚の不安げな顔/声にならない質問――

『どうするの、佐倉さん?』。


呼びかけに応じれば相手との対峙は必須。


けれど、こちらの所持する武器は、

武器とも呼べない小さなナイフのみ。


もしも襲われれば、

間違いなく抵抗できずに殺されるはず。


ただ、出て行かなければ

それこそ問答無用で攻撃されそう。


逡巡/迷い――


けれど『相手が殺す気なら出て来いとは言わないだろう』

という希望的観測で、那美が待って下さいと声を投げる。


それから、羽犬塚にスマートフォンを預け、

隠れているように伝えて、曲がり角へ向かった。


「……佐倉那美?」


「黒塚さん……?」


角の向こうにいたのは、

黒塚幽と志徳院葉のペアだった。


「えっと……とりあえず、

私は争う気とかはないからっ」


「そんなの分かってるわよ。

大体あなた、ABYSSでもプレイヤーでもないし」


「プレイヤー?」


「ABYSSと戦ってる人間のこと。

私みたいなね」


「ああ、そういうこと……」


“図書室の魔女”がこの場にいる理由に

ひとまず納得。


「じゃあ、二人ともプレイヤーなの?」


「いいえ、こっちは違うわ。

説明会の会場で一緒になって行動してるだけ」


「葉と言います。

ええと……佐倉那美さんでいいんですよね?」


「あっ、はい。佐倉那美です。

よろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」


ニコニコ笑顔で

那美に向かって小さく手を振る葉。


年の頃は二十代半ばほどに見えるが、愛嬌からか、

年上と接している感じが全くしなかった。


世間知らずのお嬢様がそのまま大人になると、

こういう風になるのかもしれない。


「それで、そっちは一人なの?

誰かと話してたような感じだったけど」


「あーっと……実はもう一人」


半分バレている現状、隠してもいいことはないと判断し、

那美が羽犬塚を手招きで呼び寄せる。


この二人なら、危険な目に遭わせることも

ないだろうという考えでもあった。


「あら、可愛いお嬢さんね。

お名前を教えてもらってもいいかしら?」


「えっと、羽犬塚ののかですっ」


「その子は全然知らない子だけど、

どうしてこのゲームに参加したの?」


「それが、都市伝説の地下迷宮について調べてたら、

いつの間にかここに連れて来られたみたいで……」


「それじゃあ、

私と似たような感じなのね」


「葉さんも、

知らない間に連れて来られたんですか?」


「ええ。私の場合は

知り合いがABYSSの関係者だったみたいなの」


「そんなの全然知らなかったから、

ここに連れて来られてびっくり」


「へー、そうなんですか」


「まあ、その話も朝霧さんの推測なだけで、

本当にABYSSの関係者かは分からないけど」


幽の口から出て来た名前を聞いた瞬間、

那美が飛び上がるような勢いで声を上げた。


「朝霧って、温子さんですよねっ?

黒塚さんって、温子さんと会ったんですかっ?」


「え、ええ……同じ会場だったから」


肩まで掴んできそうな那美の様子に、

幽が『何だこいつ?』とばかりに身を逸らす。


そんな、珍しい相方の焦りを横目に、

葉があっと声を上げて手を合わせた。


「そういえば朝霧さんも言ってたわね。

『佐倉さんを探す』って」


「同じ名前だし、もしかして、

あなたが尋ね人だったり?」


「あっ、はい。そうですっ。

私で間違いないと思います!」


何度も頷く那美。


向こうも自分を探してくれているのだと知り、

嬉しくなる/早く合流したいと焦りが募る。


「今、温子さんはどこにいるんですかっ?」


「私たちと別な出口から出て行ったから、

具体的な場所は分からないの。ごめんね」


「でも、まだそんなに移動してないと思うから、

説明会の会場の近くに行けば会えるかも……」


葉が自身のスマートフォンでマップを提示――

大体の方向と通ってきた道を那美へと示す。


「ありがとうございますっ。

本当に助かります」


「いえいえ、どういたしまして。

朝霧さんと会えるといいわね」


「はいっ」


「あなたたちは朝霧さんと合流して

クリアを目指すの?」


「うん、そのつもり。

もしよければ、黒塚さんたちも一緒に行動しない?」


「なるべく大きな集団を作ったほうが、

このゲームは有利に進められるし」


田西からの受け売りだが、

その論理に疑う余地はない。


どちらにもメリットのある提案だけに、

自信を持って勧める。


「こう言ってるけど、どうする?」


「素敵な提案じゃない?

でも、後からじゃダメかしら」


「いえ、全然構いませんけど……

どうして後からなんですか?」


「最初から固まって動くと、

小アルカナを集めづらいと思って」


ああ――と那美が納得/頷く。


“隠者”の情報によれば、小アルカナは、

基本的に一部屋に一つ。


部屋を見つけるのが二人だろうが四人だろうが、

得られる小アルカナは一枚しかない。


となれば、なるべく手分けして探索したほうが、

リスクはあるがリターンも大きいだろう。


「その代わり、

カードの交換なら今すぐでも大歓迎ね」


「カードの交換……

小アルカナの交換ってことですよね?」


「ええ。もし、お互いで

都合のいいものがあるならだけど」


『ちょっとやってみない?』という

好奇心満点の葉の微笑み。


確かに、カードのトレードは

那美も経験しておきたいところではあった。


小アルカナの総数は五十六枚。


それを、十人以上の参加者で分け合うのだから、

迷宮から回収できるのは単純計算で五枚しかない。


それ以後は交渉や戦闘で――となると、

交渉に不慣れでは話にならない可能性もある。


「どう、羽犬塚さん?

やってみない?」


二人で集めた小アルカナだからと、

相方に意見を聞こうと話を振る。


「えっ? えっと……

佐倉さんが決めちゃっていいかなぁ」


『私よく分からないの』という風な羽犬塚の返しに、

那美がちょっと驚く/本当にいいのかと念押し。


それでもお任せされたことで、

若干の後ろめたさを覚える。


「……そういえば、

そっちは相談とかしなくていいんですか?」


「私はそういうの考えるの面倒臭いから、

志徳院さんに全部任せることにしてるの」


「それでも、何か引っかかるところがあったら、

言ってもらっていいんだからね?」


「ええ。その時は私も

遠慮なく言わせてもらうわ」


壁に寄りかかり、退屈そうにスマートフォンを弄る幽

/そんな幽に『困った子ねぇ』と言いたげな葉。


なるほど、役割分担の一つだと思えば、

意思決定を相手に委ねるのもありなのかもしれない。


「分かりました。

どういう風にやりましょう?」


「そうね……交換してもいいカードを言って、

必要なものがあれば欲しいって言うのはどう?」


「分かりました。

それでお願いします」


それじゃあと羽犬塚からスマートフォンを借りて、

那美が集めている小アルカナへと目を落とす。


クラブの6と、スペードの1、12。


現時点ではどれも交換に出してよさそうだったが、

絵札の12はこの中では明らかに数字が大きい。


残り時間に変換すれば120時間にもなるため、

これをトレードに出すのは抵抗があった。


「こっちが出せるのはクラブの7ね。

佐倉さんはどう?」


「私はクラブの6とスペードの1です」


「ああ、それならスペードの[1'エース]をもらってもいい?

それがあると、[1'エース]が二枚目になるの」


「いいですよ。

こっちも大きな数字と交換できますし」


しかも一応、

クラブの6と7とで連続した数字にもなっている。


もしも連番に関する脱出条件があったとしたら、

有利になる可能性があった。


「そういえば、カードの残り時間への変換って、

もうやってみたりした?」


「いえ、まだですけど……」


「もしやる時が来たら、

その時は大きな数字からやるのがお勧めよ」


「カードの数字の大小が一番有利に影響するのって、

数字を時間に変換する時だから」


「一応、大アルカナのコストにも使えるけれど、

大きな数字はコストとして使いにくいでしょう?」


「ああ……そういえばそうですね」


説明会で聞いた限り、大アルカナのコストは、

お釣りが出ない仕様だ。


端数の余りやすい大きな数字は、

時間に変換したほうが効率はいいだろう。


「ごめんなさいね、話を横に逸らしちゃって。

でも、7を渡すから、ついでにって思って」


「いえ、そういう情報は大歓迎です。

ありがとうございます」


「お役に立てたなら幸いね。

それじゃあ、交換もしちゃいましょうか」


えいっ、と声を出して、

葉がスマートフォンをタップする。


と、羽犬塚の画面に

『小アルカナの交換を申し込まれました』と出た。


「これって、どうやったんですか?」


「カードを見る画面でカードを選んで、

交換っていうのをタップしたの」


「黒塚さんと試したんだけど、

範囲選択もできるみたいよ」


「へー……ありがとうございます。

覚えておきます」


葉に感謝を伝えつつ、

那美もスペードの1を選択/交換を押下。


と、携帯の画面に、

お互いの提示したカードと最終確認が出た。


提示されたカードは、

当然クラブの7。


この人が騙したりする人じゃなくてよかったと思いつつ、

最終確認にYESと返答――交換が完了した。


「はい、これでおしまい。

交換ありがとう、佐倉さん」


「あ、いえっ。

こちらこそありがとうございます」


二人で丁寧に頭を下げ合う

/つられて羽犬塚も隣でお辞儀。


と、そんな三人に気付いたのか、

一人だけお辞儀をしなかった幽がやってきた。


「終わったの?」


「ええ。つつがなく」


「それじゃあ、もう行くわよ。

さっさとしないとカードを取られちゃうわ」


「あ、待って。

その前に連絡先を交換しておきたいから」


「あ、そうですね。

みんなでいいですか?」


「ええ、もちろん。

黒塚さんもいいでしょう?」


「まあ、別にいいけど……」


幽は渋るも、

どうにかして四人で連絡先を交換――


「それじゃあ。

佐倉さんたちもせいぜい死なないようにね」


そんな、苦笑を浮かべたくなる挨拶を最後に、

幽たちは去って行った。


二人の姿が消えたところで、

羽犬塚が那美の袖を引く/不思議そうに見上げる。


「佐倉さんって、

図書室の魔女さんのこと怖くなかったの?」


「えっ? ああ……そういえばそうだね。

怖い噂があったんだった」


羽犬塚がやけに静かだったのはそういう理由かと、

今さらながらに納得する。


「でも、実際に話してみたら、

あんまり怖い感じじゃなかったしね」


「やっぱり、怖い噂とか見た目じゃなくて、

ちゃんと話さないとダメなんだなぁって」


「それは……うん、そうだね。

佐倉さんもそうだし」


「えっ、私も……?」


「うん。佐倉さんってずっと暗そうだったから、

こんなに優しいなんて思わなかったよ」


羽犬塚から飛び出てきた予想外の言葉に、

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする那美。


そんな那美を、

羽犬塚がつぶらな瞳で真っ直ぐに見つめてくる。


その水面のような目に映る自分の姿を見て、

那美の内に戸惑いが生じる/引け目を感じる。


動揺する心が思考――

“違うの、羽犬塚さん”。


“自分はそんな、綺麗なものじゃないの――”







「……ひとまず、

先輩の見解を聞きたいですね」


「あ? 何でアタシよ?」


「だって、こういうのは餅は餅屋じゃないですか。

私はさすがに見慣れていないもので」


「あー、そりゃまあそうだろうな。

逆に、お前が見慣れてたらアタシが怖いわ」


「それで、どうなんですか?」


「あー……そうだな」


高槻が面倒臭そうに屈み込む

/何だかんだで手を伸ばし真剣に調べていく。


そうして、出した結論は――


「ま、死んでから五、六時間くらいじゃねーの?

あちこち関節の硬直が始まってるみてーだし」


「五、六時間ですか……となると、

説明会が終わってすぐ辺りですね」


「首輪つけてる以上、参加者なのは間違いねーな。

ブッ殺したのは誰だか分かんねーけど」


「[殺'や]り方は、首をへし折りましたって感じだな。

パッと見で他に傷はねーから、後ろから一瞬だ」


「そんなに簡単にできるんですか?」


「ABYSSなら余裕だろ。

後ろ取って、首に腕を絡めるところまで行けばな」


「ただ、コイツの体の鍛え方を見ると、

多分プレイヤーなんだよな」


「正面からだと、そう簡単には

首を折るところまで行かせてくれねーとは思うぜ」


「じゃあ、背後から奇襲ってことですか」


「そうなるな。殺ったヤツが、

怪物だか参加者なのかは分かんねーけど」


「いや……怪物はどうでしょう?

この殺し方はできないと思うんですが」


「いや、余裕だろ。

あいつら、元ABYSSだぜ?」


「つーか、力だけなら並みのABYSSより[強'つえ]ぇよ。

理性消し飛ぶまで薬ぶっ込んでんだから」


「それです」


高槻のどういうことだという怪訝な顔

/輪唱――“それ?”。


「理性を飛ばしてるなら、

後ろから首を折って一撃はないと思うんです」


「先輩が仕留めた怪物も打撃オンリーでしたし、

関節技はまず考えられないでしょう」


「……なるほど。そりゃ一理あるな」


「するってーと、アレか?

こいつをブッ殺したのは参加者ってことか?」


「可能性の一つです。

他にも、理性のある怪物がやった可能性もあります」


「例えば、アーチェリーの怪物なんかがそれですね。

あの先輩の忠実な部下らしい女の子です」


「お前な……ねちっこ過ぎだろ。

つーか、ちょっとは先輩を敬えよ」


「もちろん尊敬してますよ。

――で、あの子ならこの犯行は可能だと思いますか?」


「そりゃあ、余裕だよ。

アタシよりちょっと弱いくらいだからな」


「……ということは、怪物の可能性もあると。

もちろん、アーチェリー以外の子ですが」


アーチェリーの怪物であれば、

背後を取った時点で問答無用で狙撃するだろう。


それ以外の理性ある――恐らく特別な怪物と、

まだ見ぬ参加者が、この殺人の犯人だ。


だが、このゲームも序盤という状況で、

他の参加者を殺す意味は薄い。


そういえば――と、温子が男の死体の傍に屈み込み、

服の上からあちこちを叩いて調べる。


しかし、ない。


在るべきはずの物が、

温子の手に触れてこない。


「何してんだよ、お前?

男の体に興味津々なお年頃か?」


「違います。スマートフォンがないんです。

それと、この男が持ち込んだはずのものも」


「……つーことは、

ブッ殺して回収してったってことか?」


「殺した人と回収した人が同じとは限りませんが、

誰かが持っていったことは間違いないですね」


もし、殺した人間と盗んだ人間が同じならば、

大アルカナを目的としていた可能性が高い。


そうでなければ、怨恨や通り魔など、

殺すことを目的として殺されたのだろう。


スマートフォンを持ち逃げしたのは、

その後に死体を発見した他の参加者になる。


実際、この場にもしもスマートフォンが残っていれば、

温子も同じことをしたはずだ。


ともあれ――


躊躇なく、しかも開始早々に他人を殺せる人間が、

参加者の中にいるということは分かった。


その危険さへの憂慮が、

溜め息となって温子の口から零れる。


ここまで順調にやってきて、

気が抜けかけていた自分の甘さを痛感する。


「……次に部屋を見つけたら、

少し休んでおきましょうか。長く動きましたし」


「ん? ああ、そうだな。

歩きっぱなしだったし、寝られるうちに寝ておくか」


そうしましょうとだけ返して、

温子が死体へと背を向ける。


そして、次の部屋を探す道中で、

もう一度、溜め息をついた。


やはり、このラビリンスゲームも、

ABYSSのゲームなんだな――と。









携帯のアラームと共に、

佐倉那美の意識がまどろみから戻ってきた。


体を起こし、眠い目を擦る

/欠伸と共に携帯に目を落とす。


首輪が爆発するリミットまで、

あと十時間ほど。


つまり、開始から十四時間ほどが

既に経過していることになる。


「羽犬塚さん、起きて。起きてっ」


「ん……佐倉さん……?」


「もう六時間経ったみたい。

そろそろ起きて動き出さなきゃ」


八時間ほど緊張しながら歩き続けた疲労で、

六時間の睡眠はあっという間だった。


汗を流したい気持ちもあったが、

今はまだ我慢できる。


それよりは、早く食事を取って、

次の部屋を目指して動くべきだろう。






ブロック状のやたら甘い非常食を食べるに当たって、

二人は食事の重要性を痛感していた。


率直に言って、

今回の食事は恐ろしくまずい。


非常食だからか、食事というよりは

生命を維持するための燃料という感じだ。


「……小アルカナだけじゃなくて、

なるべく美味しいご飯も探そうね」


「うん……」


最初に食べた[野戦食'レーション]がかなり美味しかっただけに、

その差が余計に際立ち、なかなか食も進まなかった。


だが、今後のことも考えると、

食べないでいるわけにはいかない。


味のことは考えないようにして、

少しずつ、水で無理矢理流し込む。


「そういえば、

これからはどうするの?」


なるべく食べるのを引き延ばしたい羽犬塚が、

時間稼ぎに/気を紛らしに話題を投げる。


「うーん、これまでと同じかな。

小アルカナを集めながら、温子さんを探す感じ」


「それがクリアに必要だと思うし、

温子さんも危ない目に遭ってるかもしれないしね」


「そっか……

向こうには“隠者”がないもんね」


「うん……もっといい大アルカナがあって、

それで何とかなってるならいいんだけど」


ただ“隠者”ほど有用なものが

そうそう存在しているとも思えない。


もしも温子が困っているなら、

これまでの恩を返したい。


そう考えると、やはり温子を探すことが、

那美にとって最優先だった。


「後は、そろそろ小アルカナを

時間に変換しないとまずいかなって」


本当は温子と合流してからにしたかったが、

残り十時間で動くのはさすがに怖かった。


もしもの時のことを考えると、

余裕のあるうちに時間を確保しておきたい。


「それじゃあ、ハートの10と

スペードの12を変換するんだぁ」


「そうだね。

羽犬塚さんが12のほうでいいよ」


「えっ……でも、佐倉さんはいいの?

私だけ得してずるいよぉ」


「んー……じゃあ、ジャンケンで決めよっか。

これなら公平でしょ?」


那美の提案にこくこく頷く羽犬塚――

まるで子犬が尻尾を振るよう。


その可愛らしさに那美の目尻が下がる

/反面、心中でそっと反省。


この子はこの子なりに頑張ろうとしているのに、

その機会を未然に奪ってはいけない。


幾ら善意からの行為でも、

優しい虐待になっては逆効果だ。


色々してあげたい気持ちがあっても、

ぐっと堪えなければ。


そんな思いを抱きつつ、

ならば勝たねばという気持ちでジャンケンポン――


結果、見事に羽犬塚に勝利して、

那美は残り時間120時間をゲットしたのだった。







「あっ、何も入ってない……」


新たに見つけた個室――


わくわくしながら開けたその部屋の宝箱には、

食料や備品の類いは一切入っていなかった。


期待に満ちていた羽犬塚の顔が、

一瞬でしょんぼりと萎む。


その後ろから那美が箱を覗き込む

/事情を知って羽犬塚の頭を撫でて慰める。


「ホントに何もないね……。

今までのは全部、何か入っていたのに」


「もしかして、

何もない部屋もあるのかなぁ?」


「うーん、そうなのかも。

せっかく美味しいご飯に期待してたのにね」


肩を落とす羽犬塚に共感しつつも、

負の気持ちを薄める笑顔を浮かべる那美。


まるで、向かったレストランがたまたま休業中で

落ち込む妹に対し『また来ようね』と手を引く姉の姿。


対する妹は、それにぐずりつつも、

何とか親に頼まれたおつかいを忘れない――


そんな風情で、羽犬塚がカードリーダーを引っ張り、

その上にスマートフォンを置く。


が――


「……あれ? 落ちて来ないよ?」


いつまで経っても、

小アルカナはダウンロードされてこなかった。


「えっ、ホントに?」


うんと頷いて、羽犬塚がもう一度、

カードリーダーへとスマートフォンを置き直す。


が、それでも落ちてくる気配はない。


念のため、那美のスマートフォンでも試したが、

結果は同じだった。


「何でなんだろぉ……?」


『私、何も悪いことしてないよ?』と、

羽犬塚が那美を見上げてくる。


それに、笑顔で理解を示しつつ、

那美が原因について考察――


カードリーダー、スマートフォンの故障がないとすれば、

答えは一つしかないだろう。


「私たちよりも先に、他の誰かが

ここの宝箱を開けたんじゃないかな」


「あー、だから、

何も入ってなかったんだぁ」


「うん。多分だけど、

先に全部持って行かれちゃったんだね」


「そっかぁ……まだ始まってから

一日も経ってないのにねー」


「でも、この部屋のを持っていったのは、

温子さんかもしれないよ?」


「あ、それもそうだね」


「うん。だから、この部屋に何もないのは、

逆にいい発見なのかも」


「じゃあ、早くここを出て、

朝霧さんを見つけなきゃ」



「そうだね。そうしよう」






しかし、温子は見つからないまま、

さらに二時間ほどが経過――


道中でもう一つ部屋を見つけたが、

そちらも既に誰かが入った後だった。


そうして、誰かのいた痕跡に当たるたびに、

那美は温子を追うリスクについて考え始めていた。


空振りの部屋は近づいている証拠とは言うものの、

近くにいるのが本当に温子なのかは分からない。


ならばと“隠者”に頼りたいところだが、

備えているのは仮面をつけた怪物の探知のみ。


参加者に関しては、

直に会って判断するしか方法がない。


だが、もし出くわした相手が凶悪な参加者であれば、

那美と羽犬塚など一捻りだろう。


それを避けるにはどうすればいいのか。

今のところ、有効なアイディアは浮かばなかった。


ただ、このまま進めば誰かに接触するため、

何か考えておかねば。


そんな心配の一方で、把握できる脅威への備えとして

“隠者”で怪物を探知する。


今や十五分間隔ほどの頻度になったそれは、

半ば電池を消耗させるための行為となっていた。


――この時までは。



「……!」


那美が息を呑む

/慌てて羽犬塚の肩を掴み、自分の元へ引き寄せる。


「えっ……どうしたの?」


不思議そうに見返る羽犬塚に、

まずはジェスチャーで沈黙を促す。


それから、手にしていたスマートフォンの画面を、

羽犬塚に見えるように掲げる。


『怪物が近くに迫っています』


瞬間、羽犬塚の顔色が真っ白に変わった。


震えだしたその肩に手を置いて、

那美が視線で告げる――“急いで逃げよう”。


ただ、最寄りの部屋は先ほど出て来たところで、

既に五分ほど歩いてきている。


移動は音を立てずに早歩きで確定だが、

急いで戻っても三分ほどはかかるだろう。


その間に何とか

見つからないことを祈るしかない。


「……行こう」


既に涙目の羽犬塚と頷き合って、

移動を開始する。


中身がぶつかって音を立てないように、

鞄はお腹の下辺りで抱き締めて固定。


焦るとすぐに足音がなるため、

足下に集中して歩を進めていく。


靴を脱ぐことも考えたが、

見つかった時や怪我の可能性を考え却下。


というより、

羽犬塚にそうできるほどの余裕がない。


とにかく見つからないように祈りながら、

安全地帯となる部屋を目指す。


が――


「うそっ……!?」


最悪なことに、ばたばたという足音が聞こえてきたのは、

那美たちの進行方向からだった。


それに付随する悲鳴――男のそれ。


那美の足が止まる/思考が止まる

/どうしようと悲鳴を上げそうになる。


けれど、同様にパニックに陥りかけている羽犬塚を見て、

辛うじて理性が踏み止まる。


自分が何とかしなければという使命感が、

怯えて竦み上がる羽犬塚の手を握る。


「逃げよう!」


恐怖を克服するための鋭い叫び――

沈黙が最善だがさすがに堪えきれず。


それでも/とにかく、動いた。


荷物を投げ捨て、羽犬塚の手を引いて、

迫ってくる足音と悲鳴から逃げ出す。


固まって死を待つのではなく、

見つかることは覚悟した上での逃走。


しかし、相手の速度のほうがずっと上なのか、

二人と悲鳴の距離がぐんぐん縮まってくる。


追われる恐怖に焦りが燻り、

心が火だるまになりそうになる。


そんな必死の逃走の中で、

とうとう悲鳴がすぐ後ろに迫ってきた。


走りながら振り返った先には、

手を伸ばして助けを乞うてくる男の参加者。


その今にも倒れそうな足取りに、

危うさを感じていた時――それが伸びてくるのを見た。


鈍色の筋肉で編まれた竹細工のような[腕'かいな]。


その先端で大きく開いた鋭利な五指が、

ワニの顎のように男の肩に食いかかる。


「見ちゃダメぇっ!!」


羽犬塚の腕を無理矢理引っ張る那美――

後ろを見る余裕もないほどに加速。


自身も決して後ろは見ないと決めて、

前だけを見つめて走る。


けれど、耳は塞ぐことができず――

遠ざかりつつも、聞きたくもない音をぶっかけられる。


恐怖に塗れた男の喚き/倒れ込む音/くぐもった声

/聞き慣れないごきりべきりぶすりという怖気の走る音。


何が起きたのかは全く分からないのに、

どうなったかは嫌なほど想像ができる。


耳に突き刺さる阿鼻叫喚が恐ろしくて、

涙が止め処なく溢れてくる。


なんて酷い悪夢。


だが、乱れた呼吸と暴れ回る心臓の苦しさが、

これが現実であることを叩き付けてくる。


角を曲がったところで、背後の絶叫が消散――

何が起こったのかは明白過ぎて想像の余地もない。


泣き喚きそうになる口元を押さえる

/ぼろぼろ涙が零れる目を硬く瞑る。


死んだ。

さっきの参加者が殺された。


初めて見た全く知らない男だったものの、

その恐怖に満ちた表情は目に焼き付いていた。


いまわの際の助けを求める声が、

耳の中にへばり付いたまま離れなかった。


那美にとって、

同様の経験は二度目。


けれど、前回とは違い、

罪悪感はなかった。


それよりも、

ひたすらに恐ろしかった。


何故なら、今回は――


次が自分たちの番であることを、

最初から知っていたからだ。


「ひうっ……!」


背後から聞こえてきた足音に、

羽犬塚が悲鳴を漏らす。


迫り来る破滅の予感に、

身が竦みそうになる/足がもつれかける。


そんな、今にも転びそうな相方の様子を見て、

この逃走が続かないことを悟る那美。


そもそも、男の足で逃げ切れなかった怪物から、

自分たちが逃げ切れるわけがない。


早急にどうにかする必要がある。

だが、一体どうやって――?


何も決まらず息が上がる中で、

どんどんと近づいてくる足音。


先の怪物と遭遇した時のように、

今回も見逃してもらえるとは到底思えなかった。


今回の怪物は目の前で参加者を殺している。

自分たちも間違いなく殺されるだろう。


迷宮内の部屋に逃げ込めば助かるが、

その場所を地図で確認するだけの余裕がない。


仮にあったとしても、そこまでかかる時間は、

五分を下回ることはないはずだ。


そうこうしている間に、

足音が迫ってくる。


一方で、羽犬塚も那美も走るペースが落ち始め、

そろそろ体力の限界が近い。


もう、手段を選んでいる暇はなかった。


「羽犬塚さん」


苦しい呼吸の中で、何とかその名前を呼ぶ――

羽犬塚が死にそうな顔で那美を見上げる。


「別れよう」


「……えっ?」


「分かれ道に当たったら、

別々の方向に逃げよう」


「そうすれば、どっちか片方だけを追いかけて、

一人は助かるはずだから」


「そんな……」


「でも、もう、そうするしかないよ」


那美が羽犬塚を見やる――

苦しいでしょ?/お願い分かってと視線に込める。


ぎゅっと握って引っ張っていた手から、

そっと力を抜く。


そんな那美に向けられる羽犬塚の戸惑い――

何で一緒じゃダメなの?/私が邪魔なの?


が、これまでの那美の優しさと、

目の前の那美の悲壮な瞳を見て思い直す。


この人は自分を嫌いになったんじゃなくて

そうするしかない状況なんだと悟る。


それでも、分かってはいても、

ぼろぼろと目から涙が溢れ出す。


胸の芯が絞られるように苦しくなる。


「わたしっ……そんなのやだよぉ……」


「私もそうだけど……これしかないから」


死ぬ人数を減らすのは、

これしかないから――


「でもっ……!」


そう羽犬塚が言いかけたところで、

T字路が見えた。


まともな分岐が先にあるかも分からない以上、

このチャンスを逃す手はない。


那美が繋がっていた手を切るようにして離す

/戸惑いと悲しみの混じった羽犬塚の顔を見る。


「それじゃあ、羽犬塚さん。

また会おうね」


「佐倉さん……」


「うん。ここでお別れ」


無理矢理の笑顔を作って、

羽犬塚に手を振る那美。


それに、羽犬塚が首を振ろうとしたところで、

とうとう怪物が視界に入ってきた。


以前、襲われかけた怪物と同じような身体的特徴。


しかし、身につけた仮面は以前のものとは違い、

破損してはいない――恐らくは別個体。


ということは、予想通り、

また見逃してもらえる可能性はないだろう。


怪物が低い唸り声を上げて、

T字路に差し掛かろうとする那美と羽犬塚に迫る。


その様子におののく羽犬塚――

ひっくひっくとしゃくり上げ、涙をぼろぼろ零した。


怪物の姿を目の当たりにして、

もうどうしようもないことを、とうとう理解した。


そうして、行き着いたT字路――


「それじゃあね、羽犬塚さん」


「う……わぁああああん!!」


羽犬塚は、大声で泣きながら、

那美と違う道を選び駆けていった。


その様子を、那美が背中越しに見送る

/遠ざかっていくのを眺める。


そうして、羽犬塚が振り返らないのを確認して――

那美が足を止め、回れ右をした。


それから、怪物のやってくるだろうT字路に歩み出す

/ポケットに入れてあったナイフを手に取る。


羽犬塚には別々に逃げようと言ったものの、

実のところ、最初から逃げる気はなかった。


那美が選択したのは、

羽犬塚を確実に逃がすための時間稼ぎ。


それは、他人には到底理解できないような、

ヒロイックな自己犠牲にも見えた。


どうしてそんな選択をしたのか――


混乱しかけた頭で、

しかも短時間のうちに考えたからかもしれない。


心臓に病を抱えており、

自身の死を軽く見ているからかもしれない。


あるいは、この一年半で彼を傷つけてきたことの

罪滅ぼしもあったのかもしれない。


どれも、要因の一つとしてはあるだろう。


だが――那美が明確に意識していたのは、一つだけ。


“何が何でも羽犬塚を助けたい”ということだった。


それほど深い関係があったわけでもないが、

どうしてもあの子を死なせたくなかった。


あの子が死んで、自分だけ生き残るというのが、

那美には想像できなかった。


あるいは、人助けなんて、

そんなものなのかもしれない――


そんな思いをふぅという吐息に変えつつ、

那美が怪物の前へと姿を晒す。


死が普段から身近にあったこともあり、

覚悟が決まるのは早かった。


後は、どれだけ時間を稼げるか。


先ほどの男のやられた様子を見る限り、

恐らくは掴みかかってくるのだろう。


ならば、掴まれている間にナイフで足を刺し、

その機動力を少しでも奪う。


そうすれば、自分が殺される時間も含めて、

羽犬塚が逃げ切る可能性は上がるはずだ。


変わらぬ速度で近づいてくる怪物。


那美が息を止め、低く構えて、

ぐっとその時を待つ。


そうして、

怪物が那美の目の前へと迫り――


ふいに、その向きを変えた。


「……えっ?」


予期せぬ挙動に呆然とする那美。


が、怪物はそんな那美の隙が見えていないかのように、

那美に背を向けて走り出した。


その進路はもちろん、

泣き喚きながら羽犬塚が逃げていった道――


「ちょっと……何で!?」


慌てて那美が手を伸ばすも、

既に止められる位置に怪物はいなかった。


それでも諦めずに走り出すも、

体力の尽きかけた那美では怪物には敵わない。


ぐんぐんと距離を離されて、

あっという間に置いて行かれた。


「嘘でしょ……」


角の向こうへ消えていかんとする怪物の背を、

那美が信じられない思いで見つめる。


何故、目の前にいる獲物を置いて、

逃げる羽犬塚を追っていったのか。


その理由は、この怪物にプログラムされた、

追跡の優先度の条件にあった。


『怪物の探知圏内において、

最も早く動くものを追う』


迷宮内を座標化し、参加者の首輪の移動速度を

モニタリングした上で、怪物に情報を送信――


怪物を中心とした索敵範囲の中で、

最も早く動くものを襲うという仕組みだった。


五感の欠けた一部の怪物にのみ仕込まれた、

ゲーム的な遊びの要素である。


もちろん、それを知る由もない那美には、

怪物の奇行にしか思えないのだが。


「……行かなきゃ!」


困惑しながらも、那美が何とか我に返る

/怪物の後を追いかける。


しかし、果たして間に合うのか――



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