新たな関係









「おーっす。

探したぜ、コンチクショー」


「……探しただぁ?」


カジノエリアからそれなりに離れた、

迷宮内の個室――


休んでいる藤崎を見つけた高槻が、

笑顔で部屋の中へと入ってきた。


「って、何見てんだお前?

時計……?」


「っ! うぜぇんだよテメェはよぉ!!」


覗き込む高槻から隠すようにして、

藤崎が懐中時計をポケットに強引にねじ込む。


それから、不埒な侵入に対して、

怒りも顕わに立ち上がった。


「わざわざブッ殺されに来たっつーなら、

今すぐ殺ってやんぞオウ」


「おいおい、ちょっと待てって。

アタシはお前と争う気はねーぞ?」


高槻が両手を上げて、

いきり立つ相手に落ち着きを促す。


「適当な嘘で俺様を騙せるとでも思ってんのか?

どうせ仲間の復讐に来たんだろうが」


「あー、もうあいつら仲間じゃねーんだわ」


「あ? 何だそりゃ?」


「お前がオッサンをブッ殺したせいで、

温子がカジノエリアから動けなくなったろ?」


「カードの枚数に上限があんのに、

動けねー奴を養う余裕ねーから捨ててきたんだよ」


「それに、あいつらと一緒だと、

多分脱出に必要な枚数を確保すんのも手一杯だ」


「一位になんなきゃ死ぬかもしれねーのに、

あいつらの面倒まで看てらんねーしな」


「でも、役立たずを養うことの次くらいに、

一人で戦うのも不利だろ?」


「つーことで、役に立ちそうな奴に

声をかけに来たってわけだ」


「アタシと組もうぜ、朋久」


「……女如きが、人様の名前を

呼び捨てにしてんじゃねーよ」


荒い口調で/鋭い目で、

高槻に敵意を向ける藤崎。


しかし、それが心の底から出て来たものでないことを、

藤崎自身が一番よく分かっていた。


高槻の状況が、

そのまま藤崎にも当てはまっていたからだ。


田西を殺すところまでは想定していても、

追加ルールの発表は完全に計算外。


小アルカナの回収は人の数が物を言うため、

田西を手にかけたことは結果的に悪手だった。


現状のまま進めば、他と差が付くのは確実であり、

誰かを襲って奪う以外に手がない状況――


そんな時に降って湧いた高槻の提案は、

藤崎がまさに今、望んでいたものだ。


だが、それを悟られてしまうと、

相手がつけあがる可能性がある。


だからこその表向きの威嚇――だったのだが、

高槻はもちろんそれを見透かしていた。


「お前がアタシを気に入らねーのは分かるけどさ、

とりあえずお互いの利益を優先しようぜ」


「アタシが求めてるのはこのゲームからの脱出だ。

お前も同じじゃねーの?」


「……脱出だけじゃねぇよ。

気に入らねぇ奴を皆殺しにするのも目的だ」


その中にお前も入ってるんだよ――と、

視線で主張する藤崎。


今度のそれは、

きちんと真実味を帯びていた。


「あー、分かった。

んじゃ、まず二人で小アルカナを集めようぜ」


「で、もう十分だろうってとこまで集まったら、

殺し合いでどっちがもらうか決めるのはどうだ?」


藤崎の望みをそのまま叶えつつ、

かつデメリットのない提案。


落としどころとしては、

ほとんど完璧なものだろう。


それだけに、逆に気に食わない感があったが――

藤崎には、特に断る理由も見当たらなかった。


「分かった。それでいい。

ただしもう一つ条件がある」


「何だよ、一発やらせろとか?

おねーさんに素敵な思い出作って欲しい感じ?」


「この部屋は暴力禁止だ。

テメェの首輪が爆発するぞ」


「……うん。まあ、いい。

おねーさんだから特別に許してやろう」


よくぞ堪えたアタシ――と心の中で自画自賛しながら、

高槻が藤崎に条件の提示を促す。


「俺様とテメェが対等な関係であることだ」


「……別に、今でも対等だと思うけどねぇ?」


「俺様に偉そうな態度を取るなってことだ。

特に、上から目線のクソ女は粉々にしたくなる」


藤崎の握り締めた拳が、

みしみしと軋みを上げる。


それを見て、高槻は、

からかおうと思っていた言葉を喉の奥へと引っ込めた。


どうやら、この男の女嫌いは、

相当なものらしい。


それでも、この同盟が必要なものである以上、

高槻に藤崎の条件を飲む以外はない。


「んじゃ、お前……じゃなかった、

朋久の条件でいい。手を組もうぜ」


「小アルカナが集まるまでだ」


ぶっきらぼうに答え、

食料を囓るのを再開する藤崎。


その様子を眺めつつ、高槻は

『こりゃアタシと相性悪そうだな』と頬を引きつらせた。









「……じゃあ、行きましょうっ」


「い、行きましょうっ」


カジノエリアの扉を開けた二人が、

意気込んで外へと出て行く。


目的は直前に話し合った通り、

仲間と多種の小アルカナを集めること。


そのために、迷宮の外縁に向かって

未踏の場所を開拓していく。


「もし、本当に危なそうだと判断したら、

どこかの部屋に逃げ込んで待つようにして」


「私がカジノエリアから動けるようになったら、

連絡をくれれば迎えに行けるから」


「うん。でも、小アルカナを集めなきゃだし、

出来るだけそうならないようにするね」


「……気を付けてね」


心配そうに見送る温子に二人で手を振り、

カジノエリアの扉を閉める。



と――今まで温かい光に満ちていたのが一転、

薄暗く冷たい石壁ばかりの景色となった。


かび臭いのと湿り気も相変わらずで、

急に空気が不味く感じられる。


その変化を前に、那美と羽犬塚は、

何歩も歩かないうちにカジノエリアへ戻りたくなった。


とはいえ、実際に戻るわけにもいかず、

重い足を持ち上げて迷宮を進んでいく。


「何だか……恐いね」


「うん……」


並んで歩いていた二人が、

どちらからともなく手を繋ぐ。


思えば、頼れる人も“隠者”もない状態で歩くのは

ゲーム開始以来だった。


一人で迷宮を走ったことはあったが、

それは逃げたり探したりと無我夢中でのことだ。


携帯だけは羽犬塚のものがあるが、中身は空。

“恋人たち”も今は田西の携帯に入っている。


怪物や危険な参加者の存在を知った今、

“ただ歩く”というのはとても勇気の要る行為だった。


「あ……佐倉さん。

そろそろ部屋から出て三分だよ?」


「あっ、そうだね。

それじゃあ、ちょっとだけ早歩きで」


「佐倉さんの体、大丈夫?

苦しくない?」


「ありがとう、大丈夫だよ。

ちゃんとお薬も持ってきてるしね」


薬に関しては、プレイヤーの薬同様、

必要な品という形での扱いだった。


そのため、那美の持ち込んだ笛とは違い、

各人一つの持ち込み品には該当していない。


幸い、今のところは発作も起きていないため、

量を心配するようなこともなかった。


「実はね、激しい運動をしても、

発作が起きるかもってだけなんだ」


「だから、危ない時はちゃんと走るよ。

病気で死んじゃう前に殺されてたら、意味ないしね」


「でも、ちゃんと苦しくなったら

言わなきゃダメだよぉ?」


「うん。羽犬塚さんも、

何かあったらちゃんと言ってね?」


学園ではほとんど接点のない二人だったが、

今では色々とお互いのことが分かってきていた。


那美の病気のこと。簡単な晶との関係。

羽犬塚の“選べない病”に、直球で物事を言う癖。


急速に仲良くなっていく中で、自然と共有される

『もっと早く仲良くなってれば』という思い。


「……そういえば、羽犬塚さんって、

友達になんて呼ばれてるの?」


「えっ? えっと、羽犬塚さんとか、

はいぬーとか、ののちゃんとか……かな?」


「じゃあ、私も羽犬塚さんのこと、

ののちゃんって呼んでもいい?」


「うん、もちろんっ。

じゃあ、佐倉さんのことは何て呼べばいい?」


「えっと……そうだなぁ」


友達に呼ばれるあだ名――となると、

那美は昔から一つだった。


「那美ちゃん、かな。

……って、自分で言うと結構恥ずかしいね、これ」


「那美ちゃん……

うん、これからそう呼ぶね」


「ありがとう、ののちゃん。

それじゃあ、駆け足よーい」


「すすめー」



そうして、二人は怪物と遭遇しつつも、

幾つかの部屋を経ることで逃げ延びていった。


それらの部屋では、既に踏破した参加者がいたらしく、

宝箱の中身もカードもなし。


落ち込むも、お互いに励まし合って、

どんどん迷宮を進んでいく。


その努力が実ったのは、

迷宮の端へと移動する途中の部屋だった。


入手したのは聖杯ハートの6の小アルカナと、

食料、そして大振りのナイフ。


温子曰く、武器は持たないようにという話だったが、

やはり心細さもあり、使わない前提で回収した。


それらの成果に気をよくしつつ、

休憩を挟んだ後、さらに探索を継続――


「っ! ののちゃん、隠れてっ」


その道中で、何やらキョロキョロと落ち着かない、

背の高い男を見つけた。


「他の参加者、

とうとう遭っちゃったね……」


「男の人だぁ……」


ナイフ程度しか武器のない今、

もし力尽くで来られたらどうしようもない。


ただ、幸いなことに見つけた男は、

藤崎のように粗暴には見えなかった。


那美が観察している限りでは、

むしろ間が抜けていそうという印象。


どうにも緊張感が薄いというか、

命のかかったゲームに参加しているようには見えない。


「声、かけてみよっか?」


「うーん……でも、

怖そうな人じゃないかなぁ?」


「……あの人が?」


「うん。何となくだけど……」


羽犬塚の意外な反応に、那美が言葉に詰まる

/男と羽犬塚の間で視線を行き来させる。


が、那美にはどこが危険なのか、

結局分からなかった。


むしろ、これまで遭遇した他の参加者と比べて、

一番声をかけやすいのではないかと思えるほどだ。


この男で怖いと感じるとなると、

大半の男がダメ判定になるのではないか――


「あっ、でも本当に何となくだから、

那美ちゃんが声をかけたいならかけてもいいよ」


「うーん、私も別に、

どうしてもって感じじゃないんだけどね」


那美が声かけを提案した理由は、

彼がくみしやすそうというだけだ。


羽犬塚がどうしても反対というなら、

別に彼である必要はない。


ただ、仲間を増やすのは、

勝つためにどうしても必要なことだった。


この先、まともな人間に出会える確率を考えると、

彼を逃すのは惜しい気がする。


向かい合って

『うーん』と唸る少女二人。


果たして、

彼に声をかけるべきか否か。


「あのー……つかぬ事を伺いますけどー」


「ひっ……!?」


いきなり横から聞こえて来た声に、

那美と羽犬塚の体がびくりと跳ねる/そのまま固まる。


その怯えきった視線の先に映るのは、

ちょうど話題になっていた男の緩い笑顔。


その顔が、那美らの表情を見て、

何かを悟ったように『ああ』と呟いた。


「えっと、もしかして僕、怯えられてます?

違いますよ、怖い人じゃないですよー」


ほらほらと笑顔の横で手を振って、

男が無害をアピール。


それを見た那美と羽犬塚が、

ゆっくりと顔を見合わせて――


お互いに大丈夫だろうと判断した後、

栓を抜いた風船のようにへなへなと脱力した。




「……じゃあ深夜さんは、

本当に説明会に参加していなかったんですか?」


「そうみたいですね……。

一応、参加したのに覚えてない可能性もありますけど」


男――深夜拝が、

頭を掻きながら他人事のように呟く。


いや、実際に記憶喪失となると、

自身の事柄でも余所の出来事のように感じるのだろう。


大アルカナまで気軽に見せてきた以上、

嘘をついているとはとても思えない。


「でも、参ったなぁ。あの放送が本当なら、

このままだと僕、死んじゃうんですよね」


「ちなみに、佐倉さんたちは

大丈夫なんですか?」


「私たちも似たような感じです。

このままだと脱出するのも怪しいかなって……」


「それで、小アルカナを探すのとついでに、

協力できる人を探してたんです」


だよね――と、那美が羽犬塚に同意を求める

/頷きが返ってくる。


「ああ、でしたら僕を、

佐倉さんたちの仲間に入れてもらえませんか?」


「まだよく分かってないんで、

ご一緒させてもらえると助かるかなーって」


「本当ですかっ?

やったね、ののちゃん!」


「でも、深夜さんって、

小アルカナを持ってないんだよね?」


「もし仲間になったら、

逆に四枚多く揃えなきゃいけなくなるよぉ?」


「あ……」


那美の笑顔が固まる。


深夜本人の前で口にしたのは無礼だったが、

羽犬塚の言う通りだった。


小アルカナを持っていない人間を入れたところで、

コストが逆に増すばかり。


仲間にするのであれば、最低でも、

単独でクリアできるような人間でなければいけない。


那美たちが仲間を必要とするのは、

あくまで一位を取るためなのだ。


ただ単に仲間を求めていただけの那美が、

自身の浅薄さを痛感して顔を俯ける。


「あーっと……小アルカナは持ってませんけど、

人海戦術ならお手伝いできますよ」


「それに、別に最後まででなくてもいいです。

途中まででもご一緒できたらなって」


『それでどうですかねー?』と、

深夜が羽犬塚に向かってにっこり手を振る。


が、判断を求められても困る羽犬塚が、

慌てて那美の袖に取り付いた。


その小さな手を握りつつ、

那美が顔を上げ、深夜へと困惑を向ける。


「……本当にいいんですか?

そんな、こっちの都合ばっかり優先してもらって」


「まあ、このまま一人で行っても、

どうせ死んじゃうでしょうしねー」


「だったら、少しでもチャンスがあるように、

一緒に行動するほうがいいかなって」


笑って話す深夜を見て、

那美の心がちくりと痛んだ。


できれば全てを分かち合いたいというのが、

那美の正直な意見だ。


しかし、それをすれば、

明らかに温子や羽犬塚の足を引っ張ることとなる。


だからといって、深夜を一方的に利用するのは、

どうしようもなく良心が痛んだ。


“何故、こんなことで

悩まなければいけないのか”


“望んで参加した人以外は、

全員助かってもいいじゃないか”


みんなで手を取り合えないのが悔しくて、

涙が出そうになる。


けれど、今の那美にはどうにもできなくて、

結局は深夜を搾取する以外になかった。


そんな無念が、那美の顔に滲み――


「……佐倉さんは、

優しい人なんですね」


深い憂いを感じ取った深夜が、

頭を掻きながらしみじみと呟いた。


「初めて会った僕のことまで、

そんなに心配する必要なんてないのに」


「だって、深夜さんだって命がかかってるのに、

私たちだけ得な関係になるなんて……」


「いやいや、さっきも言った通り、

僕もメリットがあるから行くんですよー?」


「でも、私たちのメリットと比べたら、

全然公平じゃないじゃないですか」


「もっと違うやり方だってあるはずなのに、

私たちが沢山得するやり方しかできなくて……」


「それなのに優しいなんて言われたら……

私、どうしていいか分からないです」


「っていうか、私は大切な友達を傷つけてた、

最低な人間なんで……」


「那美ちゃんは最低なんかじゃないよぉ」


「……ええ、羽犬塚さんの言う通りです。

真剣に悩むことができるのは、優しい証拠ですよ」


「傷つけたり、何もしてあげられなかったり、

佐倉さんは色々と重く受け止めてるみたいですけど……」


「いいじゃないですか、誰かのことを考えるだけでも。

少なくとも僕は素敵だと思いますよ」


「僕みたいな薄情者だと、記憶まで消え去って、

忘れちゃいますからねー」


あははと笑って、

頭をがりがりと掻く深夜。


「……僕に誰かのことを思い出させてくれる人は、

みんな優しい人なんですよね」


「だから、佐倉さんが僕を心配してくれるのは、

凄く嬉しいですよ。ありがとうございます」


「いえっ、そんな、私……」


「じゃあ、仲間になることで得られる僕のメリットを、

もう一つ佐倉さんにもらってもいいですか?」


「私に……? 何でしょうか?」


「佐倉さんをモデルに、

絵を描かせてもらえませんか?」


いきなり飛び出てきた言葉に、

那美の目が大きく見開かれる。


そこに畳みかけるように、

深夜が鉛筆を握って那美へと迫った。


「休憩の時とかでいいんです。

そんなに手間も取らせませんから」


「画材もほら、鉛筆ならありますし、

書くのは持ち物を入れる袋とかでも何とか」


「でも私、モデルなんて

美術の時間にしかやったことないし……」


「別にいいですよ。僕が書きたいのは

芸術的なポーズじゃなくて、佐倉さんですから」


「……本当に、そんなことでいいんですか?

命がかかってるのかもしれないのに」


「何がかかっていようと、

僕は佐倉さんをどうしても書きたいんです」


お願いします――と、

深夜が熱烈に那美に訴えかける。


そのあまりの真剣さに慌てふためいた那美が、

深夜に考えを改めてもらえるように言葉を尽くす。


が、どうやっても深夜の熱意は収まらず、

結局は首を縦に振ることになり――


那美の人物画を描くのを条件に、

深夜拝のグループ加入が正式に決定したのだった。









「いたい、痛い、クソ――!」


銃弾をしこたま撃ち込んだはずの丸沢が、

素早く廊下を駆けて逃げていく。


その驚異的な生命力に面食らった由香里だったが、

それ以上に、怪物が言葉を話したほうが気になった。


しかもその内容は、

自分の相方である笹山晶への恨み言。


「何だか、随分と恨まれてるじゃないか」


「そんなこと言われても……一度遭っただけだよ?

しかも、僕が一方的に狙撃されただけだし」


「それにしては、

尋常じゃない感じだったけどな」


噂に聞くラビリンスゲームの普通の怪物は、

薬の影響で全て理性を失っているという話だった。


にも関わらず、先の丸沢が感情を発露したのは、

一体何が原因だろうか。


強烈な思いがあるからなのか。

それとも、血をある程度流したからか。


痛みや負傷が切っ掛けとなって、

元に戻った可能性もある。


「……胸を狙うんじゃなくて、

足を撃って捕獲しておけばよかったかな」


「捕獲して……どうするの?」


「事情聴取と実験」


えっ――と声を上げて、

実験という言葉にドン引きする晶。


そのつまらない反応に背中を向けつつ、

由香里が丸沢の消えた廊下を見やる。


アビスを投与されたという丸沢が、

あれだけの理性を取り戻したのは実に興味深い。


アビスはとにかく危険とされていて、

作戦を立てる際に考慮もしなかった薬だが――


もしかすると、アビスを服用しても、

人格を保ったままでいられるのではないか。


あるいは、何かしらの方法で、

人格を取り戻せるのではないか。


もし、それが可能なら、

獅堂攻略に強力な材料が入ってくることになる。


現状では、獅堂には実力行使で挑む他ないため、

確率を上げられるなら何でもいいから試したかった。


「……何だかよく分からないけれど、

丸沢を追ってみる?」


そんな由香里の気持ちが伝わったのか、

晶が通路の先を指差して、判断を窺ってくる。


その察しのいい相方の評価を、

由香里が少しだけ上方修正。


怪我をしてまともに戦闘はできそうにないものの、

これなら足を引っ張ることはなさそうだ。


ともあれ――


丸沢に関しては、アビスの件の他に、

事前に負っていた傷も気になっていた。


それを確認するためにも、

追いかけてみる価値はあるだろう。













「くっ――!」


ほとんどゼロ距離で放たれんとする矢から、

聖が神にも祈るほど必死になって軸をずらす。


その一瞬後、聖の肩を僅かに切り裂いて、

黒色の矢が背後の壁へと突き立った。


辛うじて離脱――が、そこは決して安息の地ではなく、

追い立てるように幾つもの矢が降り注ぐ。


それを転げ回り、躱し、体を起こして弾いたところで、

やっと龍一が援護を開始。


だが、その刀の輝きは、

いつもよりも明らかにくすんでいた。


実の妹が生きていることが分かり、

しかもその相手が今、自分たちを殺しに来ている。


龍一からすれば混乱するのは当然だったが、

自我の消えた相手にそんな事情は関係ない。


レイシス――今川美里が、

容赦なく龍一を追い詰め矢を放っていく。


甘い斬撃は牽制にすらならず、

むしろ相手との距離を空け不利を作るばかり。


迷いが行動の一貫性のなさとして現れ、

聖との連携もちぐはぐなまま。


迷宮の通路は狭く、一度距離を取られてしまうと、

後はもうアーチェリーの天下だ。


その正確無比の狙撃をかい潜って攻撃など、

できようはずもない。


「ダメです、逃げましょう!」


二対一で薬を使えば勝てると聖は踏んでいたが、

想定外の兄弟関係があまりにも痛すぎた。


この場ではどう足掻いても無理と判断し、

なし崩しに始まった戦いをやめ逃走を選択。


温存していたダイアログを噛み砕き、

龍一の前へ出て飛来する矢を止めにかかる。


「ここは私が食い止めますから、

今川くんは部屋までの道の確保を!」


「くっ……了解!」


一方で龍一は、ままならない自身の心の

不甲斐なさを痛感していた。


鬼塚から託された本来の役割とはまるで逆。

龍一が聖に守られている有様だ。


それでも、妹の前に立って役に立つとも思えず、

与えられた役割を遂行するべく通路を走る。


その途中、仮面をつけた怪物を一体見つけ、

問答無用で叩き切った。


それからさらに周囲を警戒するが、

怪物や参加者の姿は見当たらない。


「森本さん、大丈夫です!

隙見てこっち来て下さい!」


ひとまず道を確保したところで、

聖が後退してくるのを誘導――


追いつかれそうになったところでさらに前へ進み、

さらに部屋までの道を確保していく。


聖から聞いていたダイアログの制限時間は、

およそ三十分ほど。


だが、時間が経てば経つほど、

効果は少しずつ薄れていく。


それが尽きる前に、

何とかして部屋まで逃げ込まなければ――









「那美ちゃん……大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。

丸沢くん、ちゃんと言葉も分かるみたいだし」


那美が包帯と絆創膏を使って、

丸沢の傷口をとりあえず覆っていく。


切り傷や銃創などが複数あったが、

どれも既に傷口が塞がりかけていた。


その、灰色に変色し針金を編み上げたような腕に触れ、

那美が目を細める/小さく息をつく。


完全に彼は、

人とは違う生き物だった。


同じなのは、

温かみがあることだけ。


それ以外は何もかもが違っていて、

見ているだけで悲しくなった。


別に、彼と那美の間に、

そう大した接点があるわけではなかった。


クラスが同じになったこともない。

たまたま、廊下で見かけただけ。


彼が虐められているのを見て、

どうしても我慢できず、止めに入った程度だ。


後で彼が、那美の所へお礼を言いに来てくれたが、

その時も特に何かを話したわけではなかった。


だが、それ以降――

那美は、時たま丸沢を見ていた。


みんなが面倒がってやらない掃除を、

一人で丁寧にやっていたり。


公園で小さい子と遊んであげていたり、

猫へにゃーにゃーと話しかけていたり。


そんな彼が、今の姿に変えられたのだと思うと、

同情の念を禁じ得なかった。


ABYSSなのだから自業自得だとしても、

怪物にされるなんてあまりにも酷いと思った。


今、丸沢は一体、

どんな気持ちなのだろうか。


気になったものの、那美には、

かけてあげられる言葉が見つからなかった。


丸沢も何も言わなかった。


ただ黙々と、二人で向かい合って、

丸沢の傷の手当てをしていった。


「那美ちゃん、大丈夫かなぁ……」


「大丈夫じゃないですかね?

普通の怪物じゃないのは確かでしょうし」


「それに、何かあったとしても、

僕が絶対に佐倉さんは殺させませんから」


鉛筆を動かす手を止めて、

深夜が羽犬塚へとにっこり微笑む。


確かに、深夜はこれまでに幾度も、

襲ってきた怪物を退けていた。


その戦い振りは下手なABYSS顔負けで、

まるで高槻が一緒にいた時のような安心感があった。


「そういえば、深夜さんって、

どうしてそんなに強いのぉ?」


「えっ? あー、どうしてでしょうね?

僕もよく分からないんですよね。記憶喪失なんで」


「逆に、記憶喪失だと弱くならない?

漫画だとそういうの多いし……」


「その辺りは上手く説明できないんですけど、

自転車の乗り方とかを覚えてるみたいな感じです」


「絵の描き方もそうですね。

身につけた技術は、体が覚えてるんだなぁって」


「あー、それは分かるかも」


一応の納得の行く説明に、

羽犬塚が『なるほどなぁ』と頷く。


ともあれ――


深夜による安全のお墨付きに、羽犬塚は顔を明るくして、

ようやく彼の隣へと腰を落ち着けた。


少女の目に映る那美と丸沢は、

美女と野獣といった見た目ではあったが――


印象としては、怪我をした弟を

甲斐甲斐しく世話する姉といった風に思えた。


そんな二人へと目を向けて、

鉛筆を黙々と動かす深夜。


彼の目には、

二人はどんな風に映っているのだろう?


興味を抱いた羽犬塚が、背と首を一所懸命伸ばして、

深夜の絵を覗き込む。


「……あれ?」


「はい? 何でしょうか?」


「あ、いえっ、何でもないです」


伸ばした背中を丸めて、

羽犬塚が那美たちへと視線を戻す。


そうして、

再び深夜の絵を思い返してみて――


『何かが足りないような気がする?』と、

一人首を傾げていた。









――明らかに理性が欠けていた。


目の前にいきなり現れた黒塚さんは、

とんでもない脅威だった。


以前に屋上で戦った時とは

比べものにならないほどの身体能力。


そして、変わり果てた“判定”。


僕や須藤さんが呼びかけても、一切反応する様子がなく、

機械のように容赦なく苛烈に攻め立ててきた。


まるで怪物――いや、戦闘に関する機能で言えば、

明らかに先の丸沢を超えているか。


そして何より問題なのが、

二人は恐らく知り合いだということだ。


「須藤さんは……

きっと実弾で黒塚さんを撃てないだろうな」


僕の背中で気を失っている、

華奢な女の子の重みへと意識を向ける。


この人は表面上は淡々としているけれど、

実際はどうにも優し過ぎる。


いざナイフを黒塚さんに向けることになっても、

それすら、ちゃんとできるかどうか。


対する黒塚さんは、僕らに容赦がない。

その上、麻酔弾をあれだけ撃ち込んでも動いていた。


殺さずに止めることが

許されるような相手じゃないだろう。


辛うじて退けることはできたけれど、

もし、次に会ったらどうなるか……。


「……怖いな」


このゲームの仕組みを聞いた時も思ったけれど、

黒塚さんと遭遇して、さらにその気持ちが深まった。


他の参加者は、怖い。


誰がどの派閥に属しているかも分からないし、

そうでなくても生き残るために必死だ。


黒塚さんみたいな

理性をなくした参加者までいる。


そんな中を、那美ちゃんたちが扱えない武器を手に

歩いているのかと思うと、胃が絞られるように痛んだ。


早く助けに行きたい。


早く、那美ちゃんに会いたい。


僕は那美ちゃんまで殺しかけた、

どうしようもない人殺しだ。


今さら会いたいと贅沢を言う資格なんて、

どこにもないのかもしれない。


どんな顔をして会えばいいのかも、

全く分からない。


けれど――それでもとにかく、

那美ちゃんに会いたかった。


罵られてもいい。無視されてもいい。

僕はそうされるだけの理由がある。


むしろ、それを全部

正面から受け止めたかった。


悪行を忘れていた僕に那美ちゃんが抱いていた気持ちを、

きちんと飲み込まなければいけないと思った。


そうじゃないと、僕は那美ちゃんの一年半に

謝ることができない。


その結果が何を生み出すのかは、

どうでもよかった。


那美ちゃんの元気な顔を見られればそれでいい。

生還させてあげられれば十分過ぎる。


でも――

もしもワガママが許されるのであれば。


僕が、那美ちゃんに許されるのであれば。


また……笹の葉の下で出会った時みたいに、

那美ちゃんに僕の手を握って欲しかった。


そうすれば、もしかするとだけれど、

もう一度やり直せるような気がした。


“よく分からない何か”だった僕が、

“普通の人”になれたみたいに――


こんな人殺しの僕でも、

また、普通の世界で生きていけるかもしれない。


那美ちゃんに、

僕の手を引いてもらえれば――











「……もうすぐ時間だな」


ポーカーテーブルに座っていた温子が、

ディーラーへと話しかける。


田西との勝負に関する取り決め――

“制限時間に関しては、どのゲームでも二十四時間”。


“時間を迎えた時点の有利不利で勝敗が決まる。”


“行われている途中のゲームの勝敗も、

時間を迎えた時点の有利不利として計算される。”


このため、田西が死ぬことで中断された勝負は、

温子は既にフォールドを選択済み。


ブラインドぶんの20枚が田西に行くが、

それでも温子の有利は変わらないまま。


逆に、携帯が解放されたら即座に動き出すために、

ゲームは終了させておく必要があった。


その他、待ち時間を使って、

この先の展開の予想と取るべき行動を整理済み。


睡眠もたっぷり取り、食事も済ませ、

後は早く早くと時間を待つだけ。



そう思っていた矢先に、

いきなりテーブル上の携帯が鳴り始めた。


しかも、アラームのような類いの音ではなく、

明らかな警告音。


一体何の音だと、

温子が身を乗り出すと――


「“悪魔”を所持してから二十四時間が経過しました。

譲渡が行われなければ、六十秒後に首輪を作動します」


――那美の携帯から、

とんでもない音声が流れてきた。


温子が『はあっ!?』と声を上げる

/椅子から立ち上がって携帯へと手を伸ばす。


が、その手が携帯へ届く前に、

ディーラーに掴まれて止められた。


「離せっ!

何で止めるんだっ!?」


温子が怒鳴り立てるも、

ディーラーはただ首を横に振るだけ。


あくまで冷静に、ルールを預かる者として、

時間が来るまで時計を見ていた。


「っ……いいから離せ!!

佐倉さんを殺す気かお前はっ!!」


掴まれた手を引き剥がそうと上下に振りながら、

さらにディーラーを怒鳴る温子。


と、そうこうしているうちに、

携帯から聞こえて来るカウントが三十を経過。


温子の真っ赤な顔が、

真っ青に変わる。


本気で那美の死が目の前に迫っている事実に、

卒倒しそうになる。


なのに、何もできないまま、

どんどんカウントが減っていく。


と、そこでようやく、

ディーラーが手を解放した。


大慌てで携帯に飛びつく温子――

残りカウントは二十強。


パニックになりかけている頭とは裏腹に、

凄まじい速さで携帯の操作を開始。


“悪魔”という情報から大アルカナだと当たりをつけ、

那美の携帯の大アルカナ画面を起動――


残る温子と田西の携帯を一斉に引っ掴んで、

近場の通信先候補に上から順に送信を実行する。



「はあぁあああああ……」


“悪魔”の送信が成功したのか、

ようやく警告が停止した。


がっくりとテーブルに脱力しつつ、

改めて“悪魔”を移した携帯でその機能を眺める。


『“悪魔”は、

特別な方法で入手する大アルカナである』


『“悪魔”を所持する参加者は、

残りカウントが減少しない』


『“悪魔”を所持する参加者は、

全ての参加者の位置を知ることができる』


『“悪魔”を所持する参加者は、

他の参加者と連絡を取ることができない』


『“悪魔”を所持したまま二十四時間が経過した場合、

所持者の首輪が作動する』


『“悪魔”は同じ参加者が

二度以上所持することはできない』


「……ばば抜きのばば、ってことか」


他人になすり付けることを前提とした罠カード。


とはいえ、罠以外の機能は十分に有用で、

特に全参加者の位置情報が手に入るのは素晴らしい。


「……っと、やっぱり

カジノエリアに近づいて来てる参加者がいるな」


“悪魔”の大アルカナにより地図上に示された光点が、

カジノエリアへ向かって急速に移動していた。


個人の識別はできないが、

十中八九、高槻か藤崎で間違いない。


温子の携帯が解放される時間が来れば、

必ずカードを奪いに来るだろうという予測通りの行動。


もちろん、

事前にここを離れる準備はできている。


「残りの検証は、

どこかの部屋に避難してからか」


近場でやり過ごすことも考えたが、

高槻が藤崎と組んだケースも温子は想定していた。


その場合、相手が高槻でも“悪魔”の存在を

知っている可能性が出てくる。


やはり、できる限り遠くの部屋へ

行かなければならない。





そうして落ち着いたところで、

温子が“悪魔”の検証を再開――


「まずは、問題の罠機能か……」


同じ参加者が再び持てないということは、

二十四時間ごとに他の携帯へ移す必要がある。


試しに田西の携帯へ移そうとしたものの、

こちらはエラーが出て不可能だった。


「……名字が朝霧でよかったな。

渡辺とかなら、田西がリストの一番上だった」


もし、田西の携帯へ移すことを最初に試していたら、

間に合わなかったかもしれない。


その事実に肝を冷やしつつ、

次の連絡機能の実験へ。


まずは温子の携帯から那美の携帯へ――

通話もメールもできず。


その逆を試してみても、

同様に不可能だった。


では、遠い場所にいるだろう羽犬塚の携帯へと、

電話をかけてみる。


「……通じないな」


温子の携帯はダメで、

那美と田西のもので試してもダメ。


ということは、所持の判定は携帯、

連絡機能の封印は個人で識別と見て間違いない。


恐らく、首輪に通信機能抑止装置が内蔵されていて、

“悪魔”を所持することでこれが作動するのだろう。


「これは面倒なことになってきたな……」


連絡を取れないということは、

足で追いかけて合流するしかないということだ。


“悪魔”があるため、何とかなるとは思うが、

個人を識別できない以上は危険も付きまとう。


複数で移動している光点に会いに行って、

高槻と藤崎でしたとなればどうしようもない。


いや、他の悪意ある二人組だとしても、

同じことだろう。


復帰早々に前途多難。


しかし、朗報もある。

田西の携帯の中のデータが生きていたことだ。


携帯のアルカナ使用周りは機能停止しているが、

データさえ移せれば問題ない。


所持している小アルカナは9枚。


大アルカナは“女教皇”“恋人たち”

“隠者”“悪魔”“月”の五枚。


これならばまだ、

一位を取れる希望はある。


何より、那美と羽犬塚だって頑張っているのだから、

ここで温子が腐るわけにはいかない。


温子が立ち上がり、

再び“悪魔”を起動――


那美たちとの合流と、小アルカナの回収を目指して、

勢いよく迷宮への扉を開いた。



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