ABYSSとの遭遇3

……学園を出てからは、

尾行させないために繁華街を歩き回った。


同じところをぐるぐると回ったり、

時間を潰してみたりしながら、追っ手を確認――なし。


無事に逃げ切れたことに胸を撫で下ろし、

公衆電話を見つけて警察に匿名で通報した。


『学園からガラスの割れる音が聞こえてきた』


この程度なら、

通行人の仕業と思われても不思議じゃないだろう。


もっとも、ABYSSの噂はもう疑いようがないから、

絶大な権力とやらで握り潰されるんだろうけれど。


「はぁーっ……」


今になって、どっと疲れてきた。


よく見ればボロボロの制服――

汚れ/血だらけ/穴だらけ。


明日は替えので登校するとしても、

土日を使って直さないとな……。


「そうだ、琴子にも電話しないと」


一番最初に電話をしようと思った頃から、

さらに一時間以上が経過し、日付が変わっていた。


もうどーしようもないし怒られるか、

という開き直りで携帯を緩慢に操作し、琴子へと発信。


――が。


「また出ない……」


もう寝ちゃってるのかな?


それともまさか、ABYSSに僕の家が特定されて、

連中に襲われたなんてことは……。


いやいや、まさか。

さっきの今で、そんなことはさすがに――


……。


「……くそっ」


ないとも言い切れず、家に向かって急いだ。





汗だくになりながら自宅に辿り着いた。


もどかしい気持ちで鍵を開け、

乱雑に靴を脱ぎ捨てる。


そして、板張りの廊下を壁にぶつかりつつも走り抜け、


「琴子!」


居間に転がり込んだ。





「くー……」


「……なんだ。寝てたのか」


ソファで寝息を立てる琴子を見て、

今度こそ本気で力が抜けた。


鞄を下ろして、床にへたり込む。


あーもー、今日はご飯食べたら速攻で寝よう。


「お兄ちゃん……」


よく見ると、琴子は携帯を握りしめたまま寝ていた。


……疲れて寝ちゃったんだろうけれど、

だいぶ心配かけたんだろうな。


申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちで一杯になり、

何かしてあげたくて、その頭をそっと撫でた。


「お兄ちゃん!?」


と、琴子がいきなり凄い勢いで起き上がった。


「お兄ちゃん大変なの!」


「えっ? な、何が大変なんだ?」


「お兄ちゃんが帰ってこないの!

ずっと電話してるけど出ないの!」


「いや、今帰ってきたよ」


ほらほら、と自分を指さして全力アピール。


「でも、電話しても出なくて、電話しなきゃ!」


「あれ? でも電話電話……」


固く握りしめている携帯を探し求めて、

ソファの上を這い回る琴子。


あー、これ完璧に寝ぼけてるな。


「あった! 電話!」


猫型ロボット(未来)の秘密兵器ばりに、

見つけたものを大事そうに掲げる琴子。


残念、それはテレビのリモコンだ。


「お兄ちゃんお兄ちゃん……」


夢の中の僕に電話をかけようとしているのか、

テレビ番組が次々と切り替わる。


見ていて面白いけれど、

さすがにそろそろ琴子の名誉のためにも止めるとするか。


「もしもし、お兄ちゃん?」


「大丈夫だよ、琴子。帰ってきてるよ」


リモコンへのお喋りに、相槌を打ってやる。


「……お兄ちゃん、帰ってきてるの?」


「うん」


「よかった……

じゃあ、気を付けて帰ってきてね」


「うん、分かった」


もう帰ってるけれど。


「それじゃあね、お兄ちゃん。

……だいすきっ」


琴子が電話(テレビの電源)を切って、

ソファの壁面伝いにずるずると倒れ込む。


と思いきや、二倍速巻き戻し映像みたいな

軌道と機敏さで、琴子がいきなり起き上がった。


「お兄ちゃん……帰ってる」


「うん、帰ってる」


「いつ? 今?」


「今さっき」


「……もしかして琴子、

お兄ちゃんとお話ししてた?」


「かなり盛大に」


途端、琴子の顔が真っ赤になった。


かと思えば、僕にくるりと背を向けて、

ソファの背もたれを掘るように爪でかりかり掻き始めた。


が、地底帝国へのトンネル作成は

叶わないと悟ったらしく、ほどなく停止。


液体になったかのようにずるずると滑り落ち、

ソファのクッションへと顔を埋めた。


そして、じたばたとバタ足開始。海は遠い。


っていうかもう、

お兄ちゃん痛々しくて見てられないよ。


「あの……何かごめんね。

きちんと起こしておけばよかったかも」


「……お兄ちゃんが悪い」


「えっ」


涙目の琴子が、

ソファからがばっと起き上がる。


「お兄ちゃんが遅く帰ってくるのが悪いの!」


「う……ごめん。

その件は申し開きできないです、はい」


「別に、言い訳なんか聞きたくないもん。

どうせ遊んでたんでしょ?」


「――って何その傷!?」


今になって僕の状態に気付いたのか、

琴子が物凄い勢いで胸元に飛びついてきた。


「お兄ちゃん、もしかして悪い人に絡まれてたのっ?

だから遅くなってたの!?」


「あーいや、その……」


大体あってる。

けれど、それを言うわけにはいかないのがしんどい。


「実は、生徒会室で寝ちゃってたんだよね」


「それで起きたら遅くなってて、

急いで帰ろうと思ったら思いっきり転んじゃってさ」


「財布も携帯もその時に落としちゃって、

ついさっきまで探してたんだ」


「……本当に?」


「うん、ホントホント」


「本当にカツアゲとかされてないの?」


「されてないされてない。

ほら、財布も携帯もしっかりあるでしょ?」


「……よかったぁ」


空気が抜けたように、

琴子がへなへなとしぼむ。


「心配かけてごめんね」


「ううん、全然そんなことない。

お兄ちゃんが無事なほうがずっといいもん」


「それに……ごめんね、お兄ちゃん」


「えっ? 何で?」


「お兄ちゃんが怪我してたのに、

琴子、自分の都合で怒ったりしちゃった……」


……何だ、そんなことか。


「別に気にしてないよ。

っていうか、早く起こさなくてごめんね」


「でも……」


「僕も実は、寝てる琴子の顔見てホッとしてたんだ。

ほら、財布落としたりして色々苦労してたからさ」


琴子のおかげで、命のかかった殺伐とした世界から、

いつもの場所に戻って来られた実感を得ることができた。


そして、今の僕がいるべき場所は、

こっちなんだって思えた。


琴子がこの家にいて、

本当によかったと思う。


「だからまあ、お互い様ってことで」


「……うん。ありがと」


「それじゃあ琴子、

お夕飯温めてくるね」


「お兄ちゃんは今のうちにシャワー浴びてきて。

上がって来たら、怪我したところ消毒しよっ」


「うん、お願い――」





「ふぅ……」


一日のするべきことを終え、

今日もまたベッドに横になる。


それでも、いつもと違ってなかなか眠気が来ないのは、

やっぱり色んなことがあったからだろう。


自分のほうをじっと観察していた黒塚さん。


爽や温子さん、真ヶ瀬先輩から聞いた、

殺人クラブの噂。


そして――



「……今さら、

昔の世界っぽいところに迷い込んでもなぁ」


笹山の家に来たばかりの頃は、

ずっと元の世界に戻りたいと思ってたけれど、今は違う。


こっちでできた友達と/妹と平穏な生活を送ることが、

今の僕にとって一番大切なことだ。


……今日の厄介ごとは、

解決が難しいかもしれない。


でも、今の僕の生活が脅かされることは、

何としてでも防がなきゃいけない。


「どうしたもんかな……」


あの儀式は間違いなく秘密裏のもの。

目撃者はあってはならないはずだ。


僕に幾ら関わるつもりはないと思っていても、

向こうはそうはいかないだろう。


間違いなく接触してくるはずだ。

恐らくは、それなりの手段で。


そんな連中から平穏を守るために、

僕は何をすべきか。


僕にできることは何か。


そんなことを考えながら、

ゆっくりと瞼を下ろした。


眠りに落ちるまでの時間――


朝に懐かしい夢を見たことを思い出し、

今日もそれを見られるといいなぁと、ぼんやり思った。




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