那美の変化1







一時限目の授業の終わり――


世界史のプリントを集めていると、

やけに小さくなっている佐倉さんが目に入った。


……具合でも悪いんだろうか?


「笹山くん、ほいプリント」


「あ、ごめん」


加鳥さんのプリントを受け取りつつ、

こっそり佐倉さんに目を配る。


うーん……どう見ても、

調子が悪そうなんだよなぁ。


まさかまた、心臓の発作か?


声をかけたほうがいいんだろうか?


「どうしたんだい? 難しそうな顔して」


「あー……っと、

ちょっと佐倉さんの様子が気になって」


「ああ……確かに、

ちょっと体調悪そうな感じがするね」


集めたプリントを僕のほうへと差し出してきながら、

佐倉さんをちらりと窺う温子さん。


「そんなに心配なら、

聞いてみればいいんじゃないか?」


「あー……うん。

まあ、そうなんだけれどね」


「声をかけるのが怖い感じ?」


……はい、仰る通りです。


「じゃあ、私が聞いてきてあげるよ」


「えっ、いいの?」


「だってこのままだと、

晶くんがずっと悶々としていそうだからね」


「う……よく御存知で」


「まあ、大した手間じゃないから、

別に構わないよ」


「でも、交換条件として、

私からも一つお願いしてもいいかな?」


交換条件という言葉に、

思わず背筋がぴんとなる。


一体、何を要求されるんだろうか……?


「ふふ、そう大したことじゃないよ。

今日のお昼だけれど、中庭で一緒に食べよう」


「……それはもちろんオッケーというか、

喜んでって感じだけれど」


いつも一緒にご飯を食べているのに、

本当にそんなのが交換条件になるんだろうか?


「ちなみに、どうして中庭なの?」


「ああ、それは二人きりになるには、

ちょうどいい場所かなと思って」


「二人きりかぁ」


「そう、二人きり――」


「って、いや違うぞ晶くんっ?」


えっ、違う?


「えーとだな、説明すると長くなるんだが、

それをここで言うのは人目がはばかられるというか……」


「大事な話だから、他人に聞かれないほうが、

今後のお互いのためにいいというかであって……」


「くっ! 違う! 今のはナシ!

これじゃあ大して意味が変わらない!」


「う、うん……」


「つまりだな、私が言いたいのは、

晶くんと……じゃない、こっちの論理展開はまずい」


「えー、晶くんが今後充実した学園生活を送るに当たり、

私が何か素敵な手助けをできればなんてことを……」


「って、これも違う!

違うぞ晶くん!」


……一体、何が違うんだろうか?


「いや、ある方面から見れば違わない!

でも、この場合はそうじゃなくて!」


「表現が相応しくないというか、

本来の目的を外れた解釈をされる可能性が……」


「くっ……日本語は難しい……!」


ぶつぶつと呟きながら、

よく分からない壁と戦い始める温子さん。


ここまで焦っている温子さんはかなりレアなだけに、

相手はベルリンの壁よりも高く厚いのかもしれない。


ただ、残念ながら、

のんびりと革命を待っている暇はない。


「あの……お取り込み中に申し訳ないんだけれど、

佐倉さんのこと、お願いしてもいいかな?」


「ん? ああ、そうだねっ。

じゃあ、ちょっと行ってくる!」


回れ右をして、

ぱたぱたと走って行く温子さん。


うーん……温子さんは温子さんで、

大変な相手と戦ってそうだなぁ。





職員室から戻ってくると、

温子さんが僕の席に座って待っていた。


「お帰り。佐倉さんから聞いておいたよ」


「自己申告だと……風邪気味?」


風邪気味? あれが?


「私も、風邪じゃないと思うんだけれどね」


僕の顔から疑心を読み取ったのか、

温子さんは困ったように肩を竦めた。


「でも、私は医者じゃないし、

本人の申告を信じるしかないだろう?」


「そうだけれど……大丈夫かな?

何の病気にしても、具合悪そうなのに」


「保健室に連れて行くか聞いてみたら、

薬があるから構わないって断られたんだよね」


「一応、嘘の可能性も考えて

薬も見せてもらったんだけれど、ちゃんと持ってたよ」


「あーっと、それが白い小さめの錠剤なら、

風邪じゃなくて別な薬かも」


佐倉さんが常備している心臓病の薬を、

風邪薬だと偽って出した可能性がある。


「いや、私が見せてもらったのは、

それとは違うやつだね」


「煙草の箱みたいな紙箱に入っていた、

カプセル系のやつかな」


ってことは、本当に風邪薬なのか。


「まあ、これ以上は心配しても仕方ないさ」


「分かってはいるんだけれどねー」


「あんまり心配なら、今日いっぱいは、

彼女の様子に注目しておけばいい」


「もし見過ごせない程度の異常が出たら、

首に縄を付けてでも保健室に連れて行けばいいだろう?」


にっこりと笑う温子さん。


大変おっしゃる通りなんですが……

首に縄はさすがに怖いです。とても。





「お、来たね」


「遅れてごめん」


「ううん、私も今来たところだから」


それじゃあとベンチに腰掛けて、

膝の上に乗せたお弁当箱を開ける。


おお……!

太陽の下だと、こうもお米が輝くのか。


蛍光灯の明かりでは決して見られない鮮やかさに、

思わず感心する。


「たまにはこういうのもいいなぁ」


「そうだね。

今の時期なら、そこまで暑くもないし」


「今日は話があってここにしたんだけれど、

たまには外で食べるようにしようか」


……どうして中庭なのかと思ったけれど、

他の人に聞かれたくない話があったってことか。


「ちなみに話って、何か相談とか?」


「いや、相談じゃないよ」


相談じゃないとすると……何だろう?


「あー! いたいた!」


瞬間、温子さんの顔が凍り付いた。


こ、この声は……。


「ちょっとー。

中庭で食べるなら誘ってよねー」


「せやで。俺のオカズが貧弱になるやんか」


「爽に龍一……どうしてここに?」


「購買でメシ買っとったら、

なんや宇治家と三橋がおってな」


「学食組が珍しー思てたら、俺と爽捕まえて、

『中庭へ行け今すぐだ!』言うから来てみたんよ」


「あんの二人か……!」


「あれ? でもさー龍一、

あの二人には名前出すなって言われなかったっけ?」


「せやったか? 記憶にないわ」


「妨害する気満々だったってことだな。

でも、まさか教室で盗み聞きされてたとは……」


あー、ごめん温子さん……。

ここに来る直前に二人に話したの僕です。


でも、温子さんにそれを言うと怒られそうだし、

知らんぷりしてご飯食べてよう……。


「ちゅーか、

二人は何でこんなところに来たん?」


「あー……それはだなぁ」


「たまに気分を変えてみようかってことで、

中庭で食べようって話になったんだ」


「だったら、

何であたしを誘ってくんなかったのさー?」


「それはまあ……生徒会の件で相談があって。

学園祭の件についてだよ」


とりあえず適当にフォロー。


だよね――と温子さんに目配せをすると、

『ごめんね晶くん』とばかりに苦笑が返ってきた。


「ふーん。つまんねー」


「世の中そんなに

面白いことばっかりじゃないよ」


「そんなの分かってるってば。

何事も楽しむ心が大事なんだし」


「というわけで、

あたしも楽しくお昼を食べたいなぁーチラッチラッ」


「……しょうがないから、

みんなでご飯を食べようか」


「そうだね。そうしよう」


「いぇーい!」


「いぇーい!」


何の話か聞けないままだったけれど、

温子さんがそれでいいなら、僕に異存はない。


中庭でのお昼休みを満喫するとしよう。






「そういえばさぁ、

最近あんま出かけてなくない?」


「あー……言われてみれば、

そうかもしれないな」


「最後に出かけたのっていつだっけ?

ボーリング行った時?」


「あー、せやせや。

爽が奇跡の200超え出した時やな」


「あれは正直できすぎだよ。

その前の二つは50と70だったんだから」


「ふっふーん。温ちゃん負け惜しみ?」


「い、いやいや……アベレージで勝ってるのに、

負け惜しみも何も」


「だいたいお前のは、50から200の振れ幅の中で、

最大を引いた感じだろう?」


「温ちゃんのコンスタントに110よりは、

ロマンがあって面白いと思うけどねー」


「こら、爽!

コンスタントに二桁の人間をディスるのはアカン!」


「誰とは言わへんけど。

なぁ~晶~?」


「いやそれ、

思いっきり言ってるから……」


「晶ってさ、運動系苦手だよねー。

バッティングセンターの時も全然ダメだったっしょ」


「んー……まぁね」


「そういや、授業でもパッとせぇへんしなぁ。

意外っちゅーかなんちゅーか」


「あー、あれでしょ? 体育のサッカーで、

いっつもディフェンダーやってるタイプ」


「全くもっておっしゃる通り」


でも、世間的には

そのほうがやりやすいから仕方ない。


小学生の頃、うっかり五十メートル走で

日本記録を出した時、その辺の面倒臭さは学習した。


「じゃあ、今度はフットサルにでも行かない?

晶をバリバリ鍛えよう!」


「フットサルかぁ。

やったことないけれど、サッカーと同じ感じなの?」


「大体はそうみたいだね。

元々は室内でやるサッカーらしいし」


「人数は確か、チームで五人やったか?

まあ、三橋とか入れればどうにかなるやろ」


「もし足りなかったら、

余所のチームに勝負を挑めばいいじゃん」


「あー……でも僕、足引っ張ると思うよ?」


「アホか。そんなんどーでもええやん」


「そそ。てゆーか晶を鍛えるんだし、

むしろ失敗しまくれって感じ」


「別に鍛える必要はないと思うけれど、

失敗も含めて楽しめればいいんじゃないかな」


「……うん。ありがと」


「よし、じゃあ決まりね!

あたし応援歌作ってく!」


「却下。何が悲しくて、

わざわざ恥をかきに行かなきゃいけないんだ」


「あたしは恥ずかしくないしー」


「周りが恥ずかしいんだ。

そもそもお前はなぁ……」


そこから温子さんのお説教が始まり――


二人で食べるはずだった昼食は、

いつの間にか、普段通り賑やかな感じになっていた。


爽のヤブヘビ下ネタが、

温子さんの怒りにがっつりと燃料を注ぎ込んでいく。


それを龍一と一緒になって笑っている間に、

僕の弁当からおかずが消えていたりして。


けれど、どうしてか、

それも含めて笑えてきて――


何だか、時間が過ぎるのを

もったいなく感じる自分がいた。


いつか行くだろうフットサルも、

きっと楽しいことになるんだろう。


その先にあるクリスマスも、お正月なんかも、

きっときっと全部。


毎日人の殺しかたを考えていた頃とは、

及びも付かないくらいに。


もっとみんなと、色んなことをしてみたい。


みんなと過ごす時間が、凄く楽しい。


ずっとこの時間が続いて欲しい。


そのために、僕にできることは――




「――晶くん」


中庭からの帰り道、温子さんが爽たちに聞こえないよう、

小声で呼びかけてきた。


「どうしたの、温子さん?」


「放課後、吹奏楽部の部室へ来てくれないか?」


「それって、もしかして……?」


うん、頷いた温子さんの顔は――


「さっき、ここで話しそびれた件で」


さっきまでの和やかな雰囲気を裏返したかのように、

とても真剣な顔をしていた。


大きな雲が太陽にかかり、

ぼんやりと、中庭が薄暗くなった。

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