琴子、夜の街へ1

それから、数日が経ち――


先週の修羅場が嘘だったかのように、

日常は平穏を取り戻した。


聖先輩との関係も何だかんだで変わらず、

これまで通りの付き合いが継続。


懸念していた黒塚さんからの接触もないため、

上手く話が伝わったんだろう。


変わったことと言えば、

片山が学園に来ていないことくらいか。


こっちはどういう処理になるのかは知らないけれど、

どうなろうともう、僕には関係ない。


やっと、これでいつも通りだ――





――そんなことを思っていたリビングのソファで、

ふと、玄関の開く音が聞こえた。


「……あれ?」


鍵はかけてたはずなんだけれど。


まさか、ピッキングとかされてた?


テレビの音量を少しだけ落として、

玄関のほうへと耳を澄ます。


……物音はしない。


じゃあ一体何故だろうと玄関を見に行くと、

琴子の靴がなくなっていた。


コンビニにでも行ったのか?

だとしても、一声かければいいのに。


黙って行くなんて、琴子らしくない。


「……って、思い込みは危ないな」


先週の件もあるんだから、

念のため色々確認しておこう。





とりあえず、

部屋にいないのは確認。


じゃあ、念のため琴子に電話して――



と思ったら、

ベッドの枕元にあった琴子の携帯が鳴りだした。


ってことは、電話を持たずに出歩いてる?


夜の九時も近いのに、琴子一人で?


しかも、僕に何も言わずに?


「……いやいや、おかしいだろ」


追いかけるか。


琴子が出かけてから、

せいぜい二、三分。


まだ、そんなに遠くには行ってないはずだ。





……家を出てからしばらく走ったところで、

琴子を見つけた。


場所は、最初に予想していた

コンビニに行くルートではなく、通学路。


一体、どこへ行こうとしてるんだろうか?


「……ちょっと、このまま様子を見るか」


何かトラブルに巻き込まれても、

すぐに飛んでいける位置にいれば大丈夫だろう。


それより、僕に黙って

琴子が行こうとしている場所のほうが気になる。






……ホント、

どこに行こうとしてるんだろう?


かれこれ十分くらい歩き回ってるけれど、

一向に目的地に着くとは思えない。


目的地があるのかどうかすら不明だ。


こんな時間にふらふら歩き回って、

琴子は一体何がしたいんだろうか?


と――疑問に思いつつ追いかけているうちに、

琴子に近づいていく酔っ払いを発見。


しかもどうやら、

お酒で気が大きくなっているらしい。


電車にも負けないような大声で、

琴子に下品な提案を始め出す酔っ払い。


……うーん、

追跡はここまでかな。


提案で済んでるうちはいいけれど、

いつ腕を引っ張り出すか分かったもんじゃないし。


そう思い飛びだそうと思っていたところで、

どうしてか酔っ払いがあっさり琴子から離れた。


いや――離れたというか、

直進スイッチがオンになった感じになった。


千鳥足をもつれにもつれさせるその姿は、

まるで一昔前のホラー映画のゾンビのよう。


先ほどの大きな奇声も消え失せて、

ただ前に歩く機能だけが残っているような感じだ。


一方で、そんな酔っ払いに一瞥もくれずに、

再び歩き出す琴子。


……一体何が起きた?


何で酔っ払いが

真っ直ぐ歩く機械になったんだ?


というか、

どうして琴子は平然としてるんだ?


琴子は、酔っ払いとか大声を出す人とかが

とにかく苦手だったはずなのに……。


色んな疑問を抱えつつも、

ひとまずは小走りで琴子の後を追う。


その途中――先の酔っ払いの顔を見ると、

酔いが急に回ったのか、白目を剥いて泡を吹いていた。





「あれ、温子さん?」


「あ、晶くんっ?

どうしてここに!?」


「いや、それは

こっちの台詞なんだけれど……」


琴子を追って繁華街までやってきたところで、

ゲームセンターから出て来た温子さんとばったり会った。


「もしかして、ゲームセンターで遊んでたの?」


「あー……ま、まあアレだよ。

たまにはプライズゲームでもやって息抜きをね」


ふーん……温子さんでも、

こんな遅くまで遊んでるんだな。


「それより、

晶くんはどうしてここに?」


「あーっと、実は……」


これまでの経緯を説明する。


途中からは、琴子を見失わないように

移動しながらの説明となった。


「なるほど……

それは確かにちょっとおかしいね」


「やっぱりそう思う?」


「この前の朝に会った限りだとね。

私も少し興味あるし、このまま尾行に付き合うよ」


「でも、時間はいいの?

もう二十二時過ぎてるんだけれど……」


「ああ、家には連絡しておいたから大丈夫。

それに、晶くんが一緒にいるしね」


え、僕?


「何かあったら守ってくれるんだよね?」


「ああ……それはもちろん」


胸を張ってみせると、

温子さんは満足げに笑みを浮かべた。






それからさらに経つこと三十分。


けれど、依然として琴子に止まる気配ない。


「……確かに、どこに向かってるのか

ちょっと分からないね」


「でしょ? ずっと歩いてるだけで、

何がしたいんだろう?」


「あちこち見て回ってる感じはあるから、

何かを探しているのかも?」


「人か物か……

でも、この時間帯である必要はないか」


「そうだね。探し物をするなら、

日中にやったほうがいいと思うし」


「上手く前に回って、

どこを見てるのか確かめられないかな?」


「んー、ちょっと厳しいかも?

さっき距離を詰めたら、微妙な反応があったし」


気配を消してすぐ離れたからよかったものの、

あのまま近づいたら恐らく気付かれてたはずだ。


「もしかして、

尾行を警戒されてるのかな?」


「いや、本気で警戒してるなら、

振り返って何度も確認すると思う」


「ああ、それもそうか」


「多分、気付かれそうになったのは、

僕が割と雑に尾行してたからだろうね」


「今も話しながらだから、

もう少し距離を詰めたらすぐだと思うよ」


「ふーん……晶くんって、

随分と尾行慣れしてるんだね」


「あー……ええと、それはアレ。

生徒会で真ヶ瀬先輩にやらされたことがあって」


「ああ、あの生徒会なら

それくらいのことはやってそうだね」


……危ない危ない。


龍一も僕が普通じゃないって気付いてたみたいだし、

変なところでボロ出さないようにしないと。


「でも、琴子ちゃんも尾行慣れしてるとしたら、

このままじゃ何かを得るのは難しいかもしれないね」


「誰かが琴子ちゃんに声をかけてくれるなら、

そいつを捕まえて話を聞くこともできるんだけれど」


「んー……もう少し早い時間ならともかく、

今の時間帯だと勘弁して欲しいかなぁ」


「……危ないやつしかいないか」


打つ手がないまま、

尾行は続く。


かたや、あちこちに目を向けながら歩き続ける、

観察対象の琴子。


飲み屋の軒先にある派手な電飾で足を止めて、

横たわる路上生活者を眺めながら角を曲がり――


「――あ」


「どうかした?」


「いや、まずいと思って。

この辺の路地裏は治安が悪いって話だから」


琴子が入っていった曲がり角の先は路地裏、

ひいては片山のアジトがあったはずだ。


しかも路地裏は、

フォールを使った人間が徘徊している可能性もある。


温子さんを連れて、さらに琴子から離れた状態で、

両方を守りましょうというのは結構キツい。


「尾行はここまでかな」


「あ。でも、琴子ちゃんの足も止まったよ」


『えっ、本当に?』と見てみれば、

確かに路地裏の入り口で琴子は足を止めていた。


「もしかして、ここが目的地……?」


「いやいや……まさかでしょ」


こんな場所に何かがあるとは思えない。


「誰かと待ち合わせでもしてるなら、

話は別だけれど……」


「まあ、後はもう、

本人に聞いてみればいいんじゃない?」


「……それもそうか」


別に怪しい何かがあったわけじゃないし、

琴子に直接聞いても構わないか。


「おーい、琴子」


「あれ、お兄ちゃん?

あと……ええと、朝霧先輩?」


こんばんは――と、

挨拶を交わす温子さん&琴子。


「でも、どうして、

先輩とお兄ちゃんが一緒にいるんですか?」


「あー、琴子を追いかけてる途中で

たまたま会ってさ」


「追いかけて……」


「……そういえば、

何でここにいるんだろ?」


……はい?


「ここ、通りのほうだよね?」


「琴子……もしかして、

どうしてここにいるのか覚えてない?」


「えっと……そうかも?」


自信なさそうな琴子の答えに、

温子さんと顔を見合わせる。


小声で相談――“夢遊病?”


“かもしれないね。原因に心当たりは?”


“さあ、どうだろう?”


……なんて、とぼけはしたものの、

心当たりはもちろんある。


片山に浚われた、先週の一件だ。


それまでは一度もこんなことはなかった以上、

その時のトラウマが引き金になった可能性はある。


「お兄ちゃん……私、変なのかな?」


「いや、そんなことはないよ。

疲れてると、たまにこういうこともあるし」


「そうだね。いつの間にかご飯を食べてたとか、

私もしょっちゅうあるかな」


心配することはないよと、

温子さんと二人で琴子を元気づける。


が、琴子の顔は陰ったままだった。


まあ、幾ら慰められたところで、

不安はそうそう消えないよな……。


僕だって、琴子と同じように、

記憶にない行動をしていたら怖いと思うし。


でも、その不安が引き金になって、

さらに症状が悪化したら元も子もない。


何とかしな――


「――」


突然、ぞわりという、

産毛を逆撫でされてるような悪寒が走った。


……誰かに見られてる?


方向は……後ろ!?



「あ――」


「晶くん?」


「……あれ?」


「どうしたんだい?

後ろに何かあったの?」


「あ、いや。ちょっと今、そこに……」


ABYSSの白い仮面が、

そこに浮いていた気がしたんだけれど――


「そこに……何かあるの?」


温子さんが背伸びをして、

僕の背中越しに件の現場を覗き込んでくる。


「……そこの電柱の影に、

誰かがいたような気がしたんだよね」


「ふーん。

でも、誰もいないみたいだよ」


温子さんが電柱の周りをぐるりと一周して、

こっちに戻ってくる。


「『幽霊の正体見たり枯れ尾花』

ってところかな?」


「……なのかなぁ?」


今は完全に気配も感じないし、

気のせいだろうと言われれば……否定できない。


うーん、僕も疲れてるんだろうか?


「まあ、気のせいだったでいいんじゃないかな?

もう、だいぶ遅くなっちゃったしね」


「……そうだね、もう帰ろうか。

温子さんも家まで送っていくよ」


「うん、ありがとう」


「それじゃあ琴子、帰ろう」


浮かない顔をしている琴子に、

手を差し伸べる。


すると琴子は、

その手を驚いたようにまじまじと見つめ――


「うん……そうだね。帰ろっ」


最後には笑顔で、僕の手を取った。


琴子の手はいつもと同じで、

柔らかくて小さかった。






「そういえばさー、温ちゃん聞いた?

片山が何かやばいことになってるんだって」


「片山が?」


「うん。全然学園に来てないし、

先週から家にも帰ってないらしくてさー」


昼休み――


いつものように三人で昼食を食べていたら、

爽が最近よく聞いた名前を出してきた。


「あ。晶は知らないと思うけど、

片山って温ちゃんが昔遊んでたやつね」


「その言い方は晶くんが誤解するだろっ」


「あの、アレだ晶くん。

片山とは何がどういうわけじゃないから」


「……よく分からないけれど、

とりあえず昔馴染みってことね」


「そそ。でさー、あいつのクラス、

もー色んな噂で持ちきりだよ」



「片山は実はもう、薬のやりすぎで死んでるだとか、

抗争してる相手に殺されただとか」


……だいたい合ってる気が

しないでもない。


まあ、噂なんて大抵は“ありそうな話”だから、

どこか掠ってる感じなのは当然か。


「あのバカがそんな下手を打つとは

思えないんだけれどね」


「あと、何か片山が学園の外でつるんでた連中が、

片っ端から行方不明になってるとかって話」


「そんなはずないだろ。

人が一人いなくなるって、影響範囲相当だぞ?」


「あたしもそう思うけどさー。

そういう噂話があるって話じゃん」


「こういうのって話のタネにさえなれば、

別にホントか嘘かなんてどーでもいいでしょ」


「まあ……それはそうだけれど」


「それとも、もしかして温ちゃんって、

片山が悪く言われるのって結構気にする系?」


「私がアレを気にすると思うか?」


「……ないなー。

自分で言っといてなんだけど」


「あと、片山たちがたむろしてた辺りを

昨日通りがかったけれど、別に何もなかったぞ」


警察もいなかったし――と温子さん。


「ふーん。

それじゃやっぱ、噂話って感じなのかな」


「そういうこと。

突っ込みどころが多かったから突っ込んだだけだよ」


「夢がないなー温ちゃんは」


……片山の手下が行方不明、か。


まあ、僕らはABYSSへの不可侵を約束してるし、

向こうから何かをしてくることはないだろう。


むしろ心配なのは、琴子のほうだ。


昨日、琴子が立ち止まった辺りなんかは、

片山が拠点にしていた場所から結構近かった。


もし、昨日みたいに知らないうちに歩き回って、

ABYSSの粛正に巻き込まれでもしたら堪らない。


もっと注意深く、

琴子のことを見ておかないとな……。


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