底知れぬ闇









「はー、やっと見つかった……。

想像してた組み合わせとはちょっと違うけれど」


羽犬塚と由香里の探索中――


気配に気付いて拳銃を向けていた先から、

両手を挙げた朝霧温子が大きく息をつきながら現れた。


「朝霧さん、大丈夫だったのっ?」


「一応ね。

でも、かなりギリギリな感じ」


「あなたが朝霧温子?」


「ああ。私も色々と気になるけれど、

その前に大急ぎで大アルカナを移させて欲しい」


「……どういうこと?」


「ちょっとした罠カードを持っててね。

あと一時間もしないうちに爆発するんだ」


ほらこれ――と、

温子が由香里へと“悪魔”を見せる。


それに、由香里は息を呑んだ後、

黙って自分の携帯を差し出した。






“悪魔”を由香里の携帯に移した後、

三人はそれぞれの状況を共有しあった。


晶の件/藤崎の件/高槻の件/幽の件。

それから、現在所持している小アルカナと大アルカナ。


「……それじゃあ、晶くんとも合流して、

今は佐倉さんと仲直りしてもらってるところなのか」


「一応、聞いておくけれど、

上手く行きそうなんだよね?」


「大丈夫なんじゃないか?

元々は仲がよかったって聞いてたし」


「それならよかった。

二人の仲直りはずっと抱えてた課題だったからね」


「でも朝霧さん、

あんまり嬉しそうな顔してないよぉ?」


「……まあ、中々複雑なお年頃なんだよ」


「お年頃なんだぁ……」


やたらと鋭い羽犬塚の指摘から逃げるように、

温子がこっそりと目を逸らす。


それに由香里は気付きつつも、

敢えて何も言うことはしなかった。


「何にしても、これで仲間は五人か。

人数はともかく、カードが大量なのはありがたいな」


「誰も脱出できないってことにはならないだろうね。

全員でと思うなら、さらに頑張る必要はあるけれど」


「まあ、本気でどうしようもなくなったら、

“運命の輪”でも使うとするさ」


温子が、そのいつの間にか入手していた

大アルカナを二人へと見せる。


『“運命の輪”は、

特別な方法で入手する大アルカナである』


『スマートフォン上でカウントをベットすることで、

“運命の輪”を回すことができる』


『ベットしたカウントが多ければ多いほど、

その結果が増強される』


『一時間ぶんのカウントをベットした効果は、

以下の通り』


・残りカウントを1時間増加させる

・残りカウントを1時間減少させる

・一食分の食料を得る。

・武器を1個入手する

(ベットするカウントによってグレードが変化する)

・任意の小アルカナの位置を一枚確認することができる。

 この効果はその小アルカナが消滅するまで有効。

・任意の大アルカナの効果を一枚確認することができる

・運命の輪の所持者の首輪に電流を流す。


『一度回り出した“運命の輪”は、

誰にも止めることはできない』


「ルーレット?」


「そうなるね。多分、ベットを増やせば、

賞品が小アルカナの入手とかに変わるんだと思う」


「そうなんだぁ。じゃあ、これがあれば、

みんなクリアできるかもしれないね」


「そうは言っても、リスクも増えるんだろそれ?

首輪の電流が爆発に変わったら最悪だぞ」


「まあね。だから、あくまで最終手段だよ。

本当に手詰まりになった場合の保険」


「『カードはもうどうやっても確保できないけれど、

カウントだけなら沢山ある状況』を逆転する札だ」


「それ以外でも、大アルカナである以上、

クリア時の順位を上げるのには使えるだろうしね」


「え、じゃあ使わないの?」


「今のところ予定はないかな」


「えー、もったいないよぉ。

一回くらい使ってみようよぉ」


「いや、一回くらいって……」


「まあ、一回くらいならいいんじゃないか?

使い捨てでもないし、お試しってことで」


「もし目押しが利くようなルーレットなら、

ガンガン使っていけるようになるぞ」


「……確かに、使ってみないと

どういうものなのかは分からないか」


「じゃあ、とりあえず一回だけね」


「わーい、ありがとう朝霧さん!」


嬉しそうに温子から携帯を受け取る羽犬塚。


そして、即座に“運命の輪”を起動した。


「――えっ?」


「えっ、どうかした?」


「いや……てっきり羽犬塚さんの携帯に移して

使うのかと思ってたから」


「あ、そういえば……」


羽犬塚が『やってしまいました』的な顔で、

温子を恐る恐る見やる。


「あー、キャンセルはできないんだっけ」


「だね。まあ、別にいいんだけれどね。

どうせ誰の携帯でも大差ないだろうし」


「……でも、これでもしハズレを引いたら、

朝霧さんの首輪に電流が流れるんじゃないのか?」


「えっ」


「だってそうだろ。

携帯の持ち主と首輪が連動してるんだし」


「そ、それは……確かに」


「ごめんなさい……」


羽犬塚が『怒らないでごめんなさい』的な顔で、

温子をおっかなびっくり見やる。


「い、いやまあ、電流くらいならね。

一度食らったこともあるし、何とかね。うん、何とか」


「顔が引きつってるぞ」


「いや、痛いんだよアレ。

本当に……」


「……まあ、まだハズレを引くと

決まったわけじゃないしな」


「そ、そうそう。羽犬塚さんが当たりを引けばいい。

1時間のベットなら、外れても電流で済むわけだし」


「だから、羽犬塚さんは気にしないで、

気兼ねなくルーレットを回していいよ」


にっこりと笑いかける温子。


が――


「ご、ご、ごめんなさい……」


羽犬塚は『違うのこれは私じゃないの』的な顔で、

温子に戦々恐々と涙目を向けていた。


そのがくがくと震える様を見て、

温子の脳裏に嫌な予感が走る。


「まさか……ベットを、上げた?」


小動物的な仕草で頷く羽犬塚。


「……幾ら?」


「えっと……2時間」


「なんだ、2時間か……」


「……の、十倍、くらい」


「20時間ッ!?」


小動物並みに小さくなって頷く羽犬塚。


「ハズレの効果はっ?

一体、どんな効果になってるんだっ!?」


「え、えっと……」


羽犬塚が携帯へ目を落とす。


「あっ」


「『あっ』って何だ!? 『あっ』って!?

一体どんな効果なんだ!!」


温子が羽犬塚に鬼の形相で詰め寄る

/羽犬塚が真っ青になってぶるぶる震える。


その様子に、ただ事でないと悟った由香里が、

羽犬塚の後ろから携帯を覗き見て――


掌で、顔を覆った。


「す、須賀さん……どんな効果だったんだ?」


「……爆発」


「えっ?」


「首輪が爆発」


「ばっ……」


温子の顔が、真っ青になり、真っ赤になり、

そして真っ白になった。


それから、もんじゃ焼きよりぐちゃぐちゃだった表情が

突然スイッチが入ったように笑顔へと変わった。


「い、イヒひヒヒ……!」


「あ、朝霧さん!? しっかりしろ!

まだハズレと決まったわけじゃない!」


「っていうか、絶対当てろよ羽犬塚さん!

絶対だからな!!」


「そ、そんなこと言われても~~っ……」





結局、ルーレットを回さないわけにはいかず、

羽犬塚が泣きじゃくりながらルーレットを開始。


一応、目押しを試みるも意味がなく、

ルーレットの針は滑りに滑って予測不能に。


それでも、日頃の行いか、はたまた悪運か、

何とかハズレから一マス隣の“持ち時間倍”が当選――


どうにかこうにか、

温子は生き延びることができたのだった。





「……もう金輪際

“運命の輪”は禁止だからな」


「はい……ごめんなさい」


場所を部屋へと移し、憔悴しきった三人組が、

それぞれ壁やベッドに体を預ける。


たった二時間ほど前の出来事なのに、

まるで二十年も経過したかのような燃え尽きぶりだった。


「“悪魔”もそうだし“運命の輪”もだし、

罠カードは結構あるもんなんだな……」


「まあ、どっちも上手く使えば、

有用であることには間違いないけれどね……」


「ただ、こうして複数の大アルカナが揃ってみると、

やっぱりある程度は傾向が見えてくるか」


「タロットの暗示と効果が似てる、かな?」


温子の問いかけに、

由香里が携帯を弄りながら頷く。


「“恋人たち”“運命の輪”はそのままだし、

“月”“隠者”“悪魔”もすぐ理解できる」


「“女教皇”“魔術師”は、ゲーム性を持たせた機能を

それらしい暗示に割り当てた感じか」


「これなら、他の大アルカナの機能も

ある程度は予測できそうだな」


「……って、今見てみたら、

“月”の大アルカナの効果が変わってるぞ」


「本当かい?」


身を乗り出してくる温子へと、

由香里が携帯の画面を見せる。


『所持者から顔を隠した怪物を遠ざける。

ゲーム開始から60時間経過で自動的に変化する』


「怪物寄せが怪物避けになったんだな。

ということは……」


「そうだね。“大陽”は

この逆になってるんだと思う」


「それまた酷い罠カードだな。

誰だか知らないけど“太陽”の持ち主はご愁傷様だ」


「まあ、万が一持ち主に遭遇したら、

小アルカナ何枚かで引き取ってあげるとしよう」


「手元にある“月”と同時に所持するなら、

恐らく効果は打ち消されるはずだからね」


「地獄の沙汰も金次第か。

えげつないな」


「いやいや、人聞きの悪い。

人助けは立派な慈善事業じゃないか」


「大アルカナをタダでもらうどころか、

小アルカナまで付けてもらう慈善事業だけどな」


ふふふ、と笑い合う二人。


それを見て、羽犬塚は『うわぁ……』と

怯えるように小さくなった。


「話を戻して、他の大アルカナの効果だな。

他にどんな効果がありそうか」


「ああ、高槻先輩の“節制”の機能は分かるよ。

消費済み小アルカナの複製だ」


「コストは複製するアルカナの三倍だけれど、

こいつは是非とも確保しておきたい」


「1を四枚揃えて脱出を目指すって感じか。

確かに有用だな」


「そうだね。“女教皇”も一緒に使えば、

相手の抱えた1を強制的に消費させることも可能だし」


「ホントに朝霧さんはえげつないな……。

笹山くんを拾っておいてよかったよ」


こんなのが敵だなんて勘弁だ――と、

引きつった笑顔を浮かべる由香里。


「まあ、判明してる大アルカナは別として、

他にやばそうなのは“塔”“死神”辺りか?」


「あ……そういえば、

深夜さんの大アルカナが“死神”だったよ」


「確か、大アルカナを一回だけ

壊しちゃうやつだったと思った」


「大アルカナの破壊ね……。

まあ、首輪の爆破とかじゃないだけマシか」


「あー、藤崎の大アルカナが多分、

その首輪の爆破だ」


「……マジで?」


「マジだよ。でなきゃ、

カジノエリアで田西を殺せるわけがない」


「カジノエリアは暴力禁止だから、

大アルカナの効果はその枠外ってことだね」


「となると、藤崎はやっぱり危険だな……」


「ともくんは悪い人じゃないよっ」


「羽犬塚さんのその言葉を仮に信じるとしても、

危険な大アルカナを持ってることには変わりないだろ」


「まあね。本人の性格を見ても、

騙し討ちで仕留めるのが最善だとは思うかなぁ」


「そんなぁ……」


「まあ、冗談だよ。

さすがにそこまで恩知らずじゃないさ」


「それより、藤崎から連絡はあった?

終わったら連絡を寄越す予定なんだよね?」


「あ、そういえば……」


携帯を取り出して確認してみるも――

着信/メールともに未だなし。


接触があってから二時間は経っているだけに、

さすがにそろそろ終わっていてもいいはずだった。


「電話とかしてみたほうがいいのかなぁ?」


「……藤崎の安全だけを考えるなら、

やめておいたほうがいいとは思うな」


「もし誰かから隠れてるような状況なら、

相手に着信で気付かれる可能性はあるから」


「それに、もう既にメールは送ったんだろ?

相手はさすがに気付いてるはずだよ」


「そっかぁ……」


項垂れる羽犬塚。


藤崎のことは心配していなかったが、

早く彼に会ってお礼を言いたかった。


そして、できればみんなに、

彼のことをちゃんと知って欲しかった。


藤崎朋久という人間が怖いのは、

あくまで表面だけ。


一歩踏み込めば、昔のままの優しい彼が、

そのまま顔を出してくれる。


そんな彼のままであれば、

もしかすると協力して脱出できるかもしれない。


それが不可能だったとしても、

きちんと報酬は払いたかった。


『一発やらせろ』という要求に関してだけは、

思い出すだけで赤面してしまうが――それはそれ。


無力な自分にも手を差し伸べてくれた彼には、

誠実な対応をしたい。


そんな思いを胸に、

羽犬塚が預かった懐中時計を見つめる。


上品かつ精緻な細工の美しい、

重みを感じる逸品。


彼の服装とは全くセンスが異なっているため、

恐らくはもらい物なのだろう。


お守りと言っていたが、

誰から受け取ったものなのだろうか――


「ただいまをもって、ゲーム開始から

七十二時間の経過をお知らせいたします」


そう思っていたところで、

唐突に放送が入った。


「……もう三日目が終了か。

密度が濃すぎて、時間が経つのがあっという間だな」


溜め息をつく温子/それに同意する由香里。


そんな二人を余所に、

放送は続いていく。


「それでは、現時点での参加者の脱出状況と、

死亡者の発表をいたします」


「脱出成功者は現時点ではおりません。

次に死亡者です」


「――藤崎朋久」


「……えっ?」


息を呑む声が聞こえた。


その部屋にいる全員が、

スピーカーの仕込まれた天井を見上げた。


それから、一歩遅れて――


懐中時計が、

かちゃりと音を立てて床の上を転がった。








――違和感を覚え始めたのは、

息が切れ始めた頃だった。


藤崎らのいる袋小路は、怪物の待機所であるためか、

次から次へと新たな怪物が戻ってくる。


もちろん、混戦を狙ってこの場を選んだのだから、

それは狙い通りではあった。


ただ、数が増えれば増えるほど対応は厄介になり、

深夜を攻撃する機会が減っていく。


あまりに増えすぎた場合は、

排除しなければならない――


そんな予定だったのが、藤崎はふと、

自分が一度も怪物を殺していないことに気付いた。


殴り蹴りはしているものの、

それはあくまで追い払うため。


止めを刺すほどのものでは決してなく、

すぐに起き上がってくることがほとんどだった。


なのに、一度に視界に入る怪物の数が、

五体から決して増えないのは何故か。


その理由を考え、

周囲を見回した時――


藤崎は、ようやくその異常に気付いた。


「テメェ……」


そう。深夜拝という殺人鬼の作った死体が、

足下に幾つも転がっていた。


さらに、藤崎の見ている目の前で、

深夜がもう一体、怪物の首を撥ね飛ばす。


その転がってきた怪物の首を、

藤崎が勢いよく踏み潰す。


「俺様から必死で逃げ回ってる分際で、

怪物相手にヒーローごっこか?」


「……舐め腐ってんじゃねぇぞオラァ!!」


藤崎が手の中の剣を振りかぶり、

睨み付けた獲物へと全力で投げ飛ばす。


が――


「!?」


藤崎の標的の目前で、

蝿のように叩き落とされた。


剣が床の上でぐわんと音を立てるのを、

藤崎が飛び出んばかりの眼球で見つめる。


その視線の先で、

深夜の体が――踊った。


鮮烈な光景だった。


目にも止まらぬ速さで体の軸が動いたかと思うと、

次の瞬間には怪物の首が飛んでいた。


そこに迷いや焦りのようなものは一切ない。

汗一つかいている様子もない。


殺す機能だけが組まれた機械のように、

淡々と粛々と、手にしたナイフを振るっていく。


そうして、四体もの怪物が、

息つく間もなく崩れ落ち――


気付けば、首のない死体から噴き出した血の雨の中で、

深夜拝がだらりと手を下げて立ち尽くしていた。


その様子を目の当たりにした藤崎は、

言葉をなくしていた。


これまでとは違うのは明らかだった。


まとっていた雰囲気も、殺しの呼吸も、

体の捌き方も一連の動作も、何もかもが違う。


先の深夜の動きは、

修練の結晶以外の何者でもない。


だが、それはおかしい。


深夜拝というアマチュアの殺人鬼は、

身体能力任せに暴れるはずだったではないか。


そんなものを持っているのであれば、

最初から出さない理由がない。


なのに何故、今さらになって――


そんな藤崎の狼狽を横目に、

深夜が携帯を取り出す/どこかへ電話をかける。


深夜が何を言っているのかは

声が小さくて聞き取れなかった。


ただ、電話の向こうの声は、

どんなに小さくとも藤崎の耳朶をしたたかに叩いた。


それは、藤崎にとっては、

致命的な毒だった。


「ぐっぎ、がっ……」


藤崎の顔が怒りにつり上がる/悲しみに萎む

/困惑に揺らぎ絶望の笑顔が浮かび上がる。


まさに情動の渦――全ての感情が一度に表出し、

キュビスムじみた歪な顔に。


それに引きずられるように、

藤崎の全身に力が漲り――


「がぁあああああぁぁっ!!」


流されるままに、

傍にあった壁面を叩いた。


鈍い音と共にコンクリートの壁がひび割れ、

ばらばらと崩れ落ちる。


そして同じように、腕が/拳が壊れて、

骨と肉の隙間から血が噴き出す。


とんでもない自傷行為。


だが、そうでもしないと、

自分でなくなってしまいそうで恐ろしかった。



苦悶の中に過ぎる記憶――経済に置き去りにされた田舎

/宗教組織/神の御使い/拝んでくる人々。


甘いお菓子/沢山のおもちゃ/なのに満たされない心

/許してくれない遊び/虫取りをしたい/木に登りたい。


遊びたい/川で泳ぎたい/遊びたい/魚を捕りたい

/かけっこをしたいかくれんぼをしたいあそびたい。


ぼくを神様として見ていた大人たち/ぼくを友達として

見てくれた女の子/ぼくを笑顔で見ていた女の人。


病室/綺麗な指/一粒のカプセル――

口の中でとろける腐るような甘さ。


“あなたは神様なの”/“また今度会おうね、ともくん”


“――さて、神の御使いも悪魔に変わるのかしら?”



「ぎ、ぎぎぎっ……!!」


藤崎の脳裏に毒が回る

/体中を熱が駆け巡る/全身が震え出す。


かつてニコチン依存症だった患者が、

数十年ぶりの一服で依存症を再発するように――


久方ぶりに注がれた毒は、藤崎朋久という存在を

隅から隅まで焼き尽くそうとしていた。


だが――


“そろそろ殺していきましょう”


その言葉を前に、

くたばるわけにはいかなかった。


「やめろ……」


ぜひぜひと荒げる呼吸の合間に、

深夜へと制止の言葉を投げる藤崎。


しかし、劇毒と通話していた殺人鬼は、

取るに足らないとでも言わんばかりに一瞥をくれるだけ。


「何でもない。今、向かう」


電話を切り、袋小路から出るべく、

死体の山を淡々と踏み越えて歩き出す。


「待てオラァ!!」


そこに、藤崎が襲いかかった。


乱れた心で/体で敢行したそれは、

身につけた技術を泣かせる動物的な突撃だった。


それでも、次期エースの迫力と超人の膂力を持って、

深夜を仕留めんと肉薄する。


あいつの元へは絶対に行かせないと、

決死の覚悟で止めにかかる。


その意思が、無残にも切り裂かれた。


すれ違いざまの一閃。

やられた藤崎でさえ認識できない珠玉の一撃。


そのあまりの鋭さに、藤崎の体は、

事切れてなお勢いのまま走り続けた。


そして、袋小路の終着点へとぶつかり、

首が落ちてからようやく制止した。


行き場をなくした人たちが寄り添い/崇めた、

無害な宗教組織のご神体――


その最期は、生きる術を失った怪物たちの死体の中で、

ゴミのように埋もれて終わった。


「無駄な労力だ」


餞の言葉は、

殺人鬼がうっそりと吐き捨てた。











「羽犬塚さんは?」


「さっきようやく寝たよ。

相当ショックだったみたいだな」


「ののちゃん、藤崎さんのこと

相当気にしてたみたいだしね……」


「まあ、正直私もびっくりしてるよ。

まさか、あの藤崎が死ぬと思ってなかったし」


「……田西が言うには、

藤崎はこのゲームの中で最強クラスだったか」


「ああ。ABYSSで十本の指に入るのは

間違いないと思っていい」


「死体作家……深夜拝だっけ?

そいつ、絶対に単なる殺人鬼じゃないぞ」


「ABYSSだってこと?」


「そうじゃないと説明が付かない。

……って言いたいけど、ここにも例外がいるしなぁ」


須賀さんが

僕にじろりと視線を向けてくる。


「まあ、少なくとも現役のABYSSじゃないな。

ABYSSもプレイヤーも学生限定だから」


「そういえば、

卒業後のABYSSはどうなるの?」


「基本的には裏方に回るらしい。

儀式の運営とか処理班とか」


「後は、関連会社に就職するとか進学とか、

比較的表に近い進路もあるって聞いてる」


「どのルートでも、卒業後もABYSSに

関わり続けるのが大半で、秘密も守り続けるんだ」


じゃあ、殺人鬼なんていう目立つルートは、

ABYSSだと考えづらいってことか。


深夜が脱走兵みたいな立場って可能性もあるけれど、

秘密を知る人間をABYSSが放置するとも思えない。


「となると、何か強力な武器があったとか?

大アルカナでもいいけれど」


「武器はパッと見で持ってなかったよ。

怪物を倒す時に使ってたのも、ナイフだけだったし」


「大アルカナに関しても、

相手を殺害する類いのは藤崎が持ってたんだ」


「他の大アルカナの機能は重複していないし、

多分、重複するものは存在してないと思う」


「あと考えられるとしたら、仲間か。

伏兵を潜ませて藤崎を仕留めたとか」


「私が“悪魔”を見ていた時間は結構長かったし、

それもないと思うよ」


そうなると、本当に一対一で、

藤崎を仕留めたってことか……。


「まあ、できるだけ警戒するしかないな。

幸い、こっちには“悪魔”もあるし」


「まだ佐倉さんを狙ってる可能性はあるけど、

少なくとも奇襲は回避できる」


「どうしても交戦が必要な場合でも、

その時は笹山くんが佐倉さんを守る。――だろ?」


「そうだね。そこは任せてよ。

絶対に守ってみせるから」


「……」


「……真面目に回答されると、

それはそれでムカつくな」


「えっ、なんでっ?」


僕、何か悪いことした!?


「まー熱血笹山先生は放っておいて、

あとは今後の方針だな」


「基本は脱出を目指すで問題ないと思う。

つまり『多くの小アルカナ、大アルカナを集める』だ」


「私もそれは賛成。後は難易度が高いけど、

特別な怪物を倒しての報酬狙いかな」


「ああ、そういえば、

倒すともらえるって説明会で言ってたね」


「後は、さっきも話した

高槻良子の“節制”の奪取が優先度高いと思う」


「現時点でも結構な数の小アルカナがあるのに、

四枚揃ってるのは一種類もないんだよね」


「……七並べみたいに、

誰かが止めてるってこと?」


「可能性がある、って話だけれどね。

もしそれをやってるなら、まだ遭遇してない参加者だ」


「私が今まで会った人のカードを“女教皇”で見ても、

まとめて抱えてる人はいないみたいだしね」


未知の参加者か……。

話の通じる相手だったらいいんだけれど。


「あと、クリアに直接関係はない目標としては、

森本先輩との合流かな。確実に戦力も増えるし」


「……あいつもABYSSだけど、

本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫だと思うよ。片山くんの儀式の時にも、

森本先輩に助けてもらったことがあるから」


「そうだね。それに、聖先輩がいれば、

黒塚さんをどうにかできるかもしれないし」


「黒塚さんを助けるつもりなのかい?

手に負えない状態なんだろう?」


「……まあね。あいつバカだけど、

こんなところで死んでいいやつじゃないし」


「そんな余裕はないのかもしれないけれど、

できるなら何とかしたいと思ってるよ」


「なるほど。ただ、そうなってくると、

少し立ち回りが複雑になってくるかな」


「難敵を回避するなら簡単だけれど、

その中から黒塚さんだけを識別するのは難しいから」


「結局は、リスク込みで

片っ端から当たっていくことになると思う」


「……どうにか、

少しでも安全にする方法はないのかな?」


「んー……難しいかなぁ。

戦ってるところをこっそり見に行くくらい?」


「しかもそれでさえ、

狙われる可能性が下がるかもしれないだしね」


「本当に少しでもなんだね……」


「その少しでものチャンスが、

ちょうど来たかもしれない」


“悪魔”を確認しているらしい須賀さんが、

神妙な顔で携帯の画面に目を落としながら呟く。


「今、二つの光点が接触するところだ。

片方は動いてないから、待ち合わせか待ち伏せか」


「場所はどこ?」


「結構近い。

――コロシアムだ」














「よォ――ここで会ったが百年目ってやつか?」


「やっぱり、ここにいましたか」


扉を開けた途端に飛んできた宿敵の声に、

聖が目に力を込めて前方を見据える。


そこには、彼女の呪いが、

げらげらと大口を開けて立っていた。


「しっかし、ここなら誰か来るだろーと思ってたら、

まさか聖が一番最初に来るとはねぇ」


「あなたの性格を冷静に考えたら、

きっとここで待つだろうと思ったんです」


「はっ、どこが冷静だよ。

火が出るみたいな目で睨んできてる癖によー」


「そんなにアタシをブッ殺したいのか? ん?」


「……ここまで来たらもう、

化かし合いをする必要はありませんね」


ニヤニヤと笑う高槻に、

聖がふぅと溜め息をつく。


それから、握り締めた拳を鳴らして、

一歩、前へと踏み出した。


「高槻良子――今からあなたを殺します」


「……いいね。そう来なくっちゃなぁ。

アタシも茶番には飽きてきたところなんだ」


「でも、お前って根性あんのなー。

とうとう最後まで尻尾出さねーとは」


「内心では、はらわた煮えくり返ってたんだろ?

よくキレねーなと思ってたよ」


「私の屈辱なんて、良都の怒りに比べたら、

些細なものですから」


「……ま、やっぱ仇討ちだよな」


「この時を待っていました」


聖がポケットに手を突っ込み、

迷宮に持ち込んだものを取り出す。


それは、かつて聖を

悪夢の夜から掬い上げてくれた蜘蛛の糸。


一つは当然、ダイアログ。


そしてもう一つは、聖にとっての復讐の証――

小さく無骨な戦手袋フィスト


「ナックルダスターかい」


「ええ。私があなた……

タカツキリョウコだった時のものです」


未だに鈍く輝くそれに、

聖がゆっくりと指を通す。


今まで様々な武器を試してきたものの、

これ以上にしっくり来るものはなかった。


この戦手袋を身につけるだけで、

当時の闘争心が蘇ってくる。


ABYSSの人間を皆殺しにしたいという気持ちが、

全身に熱となって循環していく。


「私はこれから、あの夜に戻ります」


「力の無さを恨んだ日をやり直すために、

もう一度、タカツキリョウコに戻ります」


聖がダイアログを口腔へと放り込み、

勢いよく噛み砕く。


「そして、あの日に成し遂げられなかった――」


「高槻良子、お前を!

弟の仇のお前を、今度こそブッ殺してやる!!」


「……いいねぇ!」


垂れ下がった前髪をかき上げて、

高槻が剣呑な笑みを浮かべる。


目の前の復讐鬼へ、

いいねと何度も吠え立てる。


「あぁ、やっぱりお前を生かしといてよかったよ、聖。

お前のそういうトコがアタシは好きなんだ」


「お前、いっつも冷静なツラしてるけど、

内面でグツグツ煮え滾ってるだろ?」


「そういうのは、人の醜さを体現してるみたいで、

思わず勃起しそうになる。マジでたまんねぇよ」


「……私は、あなたを殺したくてたまらなわよ!!」


「ああ、いいよ。

かかって来やがれバーカ!!」



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