data_002:三者三様

 ココア、いやコーヒーを淹れるべくヒナトは給湯室に向かった。


 給湯室は決められた階にしかなく、残念ながらヒナトたち一班のオフィスのある四階はそこに含まれていないので、階段で三階に降りる。

 エレベーターもあるにはあるが近距離で使うと叱られるのだ。


 三階には給湯室のほかに第二班、第三班のオフィスが入っている。


 当然ほかのオフィスの秘書たちもここで飲み物を調達するので、時間帯によっては順番待ちになったり、その間世間話や噂話に花を咲かせることもある。

 そして今日も先客がいるらしく、何やら甘い香りがヒナトの鼻に届いた。


 ココアだ。


「あ、ヒナちゃん。おつかれさまー」

「お疲れさまでーす……よかった、アツキちゃんか」

「ん? ん? どったの」


 アツキは三班の秘書だ。

 ちなみに三班には副官がいないので、二人班と呼んだりもする。


 ほっとした表情のヒナトを見てアツキは不思議そうな顔をした。

 それもそうだろう。

 ヒナトは三班の班長についてよく知らないが、噂によればとても仲がいいそうだから。


「あたしは今日も元気に叱られてますよーというお話です」

「ははは、ソーヤくん生真面目だからねあれで」

「まあ原因はあたしなんだけど……この状況でもしここにいたのが二班の秘書さんだったら、あたしのメンタルが持たないと思って」

「タニちゃん? そんなきつい子だっけ?」

「やー、彼女はあたし限定で厳しいみたいで」


 そうなのー? とアツキの返答は心もとない。


 そしてココアが冷めてしまうからといって、すぐに給湯室を出ていってしまった。

 ので、ヒナトはひとり四苦八苦しながらコーヒーを淹れるのだった。


 しかもワタリには紅茶にしないといけないし、自分はココアを飲みたいので、余分に手間がかかる。


 問題は苦みも渋みもヒナトにとっては大の苦手であることだった。

 味見ができないのがネックになってなかなか上達しない。


 だから毎度毎度ソーヤにけちょんけちょんに言われてしまうのだ、人間とココア以外は壊してる、と。


 というわけで今日もコーヒー色をした謎の液体Xを、同じく紅茶っぽい何かやココアとともにお盆に載せて階段を上る。


 前に段差に躓いたことやお盆を傾かせてこぼした経験があるヒナトは、今日はそういう粗相がないように……と慎重になった。

 そのせいで、十四段ある階段を上りきってオフィスに辿りつく頃には、飲み物は総じてほんのり温くなってしまっていた。


 震える片手で扉を開けると、さっそく「遅っせーな」の一言。


「こぼさないよーに細心の注意をはらってたんですっ!」

「へーへー。とにかく早くくれ、待ちくたびれて喉がカラカラなんだよ」

「そんなこと言って、ちゃんとジェイムズは直してくれたんですか」

「当たり前だろ俺様を誰だと思ってやがる」


 Xコーヒーを受け取ったソーヤがほれ、と偉そうな仕草で指す先には正常そうな稼働音を鳴らしているジェイムズもといコピー機の姿があった。


 ディスプレイにはきちんと待機中画面が表示されている。

 いつでも印刷してやるぜ! と言わんばかりの頼もしさだ。


 ヒナトは思わず感動の眼差しで振りかえる。

 顔をしかめながらコーヒーのような何かを飲んでいるソーヤと眼が合った。むむっ。


「どうすりゃこんなまずいコーヒーが淹れられるんだよ……とにかく礼だ、礼」

「あ、ありがとうございますう!」

「ところでヒナトちゃーん、僕にもお茶ちょーだーい」


 いっそ感謝よりも強くソーヤへの怒りがつのるヒナトであった。


 それでもここはぐっと堪え……きれてはいないが、ワタリに紅茶もどきの入ったカップを渡す。

 本来ならアールグレイの優しい香りがするはずのそれからは、ほのかに草っぽい臭いがした。


 だがまあワタリはソーヤと違って直接口で文句を言うタイプではない。

 しいていえば一口だけ口をつけて、そのあとはもくもくと仕事に戻っていた。


 ヒナトも自分のデスクに戻る。

 卓上のちっちゃなコンピュータの画面には、何か複雑そうなことをつらつらと書いたものが表示されていた。

 隣にココアを置いて作業に取りかかる。


 この場合ヒナトがすることは、この表示されている文面をソーヤとワタリどちらに送るべきか判断する、たったそれだけなのだった。


 ちらりと隣に眼を遣る。


 一班オフィスの席順は入り口に近い側からヒナト、ソーヤ、ワタリとなっている。

 だから最初に眼に入るのはソーヤの仕事風景なのだが、さっきまでコーヒーがまずいだなんだと悪態をついていた彼も、今は真剣な表情をしてデスクトップに向かっているので、もはやちょっとした別人だ。


 まっすぐの黒髪は少し長めで、前髪がワイン色の眼にかかってしまっている。

 本人が言うにはそれで「男前が引き立つ」らしいのだが、実際わりと整った顔立ちなのがなんだか嫌味であり、ある意味で彼らしいとも言える。


 その奥にいるワタリは色みの薄い髪を肩の横で束ねた優男だ。

 瞳はきれいな孔雀色をしているが、残念ながら右目は眼帯をしている。

 なんでも視力がほとんどないらしい。


 こうして見ているだけだと、ふたりともちょっと恰好いい……かもしれない。


「おい、俺に見とれてないで仕事しろ」

「見とれてません。その自信はどっからきてんですか?」

「顔」


 ……前言撤回。班長さまの性格は最悪である。


 ヒナトは気を取り直して、さっさと仕事に戻ることにした。


 一瞬でも恰好いいかもなどと考えた自分が馬鹿だった。やっぱりソーヤはソーヤなのだ。

 とにかく腹が立つから早く忘れてしまおう。


 だが、ものの数分もしないうちに悲劇は起こってしまった。


「あ」


 がーがー、と今度はヒナトのコンピュータ(名前はキャロライン、ヒナト命名)が悲痛な声で泣き始めた。



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