data_090:動悸息切れ眩暈立ちくらみ
こちらはどうだったのかと聞かれ、ヒナトは一瞬回答に詰まる。
……いや、最後の騒動に触れなければいいだけの話で、それ以外の部分はちゃんと楽しかった。
「あたしは、百貨店に連れてってもらって……あ、ブローチ買ったんです。今はクリーニング中ですけど、戻ってきたら制服につけようかなって思って……」
「ふーん。どんな?」
「ひまわりの花の形で、キラキラしてるっていうか。そんな高いのじゃないですけど。
アツキちゃんが、あたしとひまわりが似てるって……自分じゃわかんないけどそうなのかなって思ったんですけど、ソーヤさんは……どう、思います?」
言いながら、これは笑い飛ばされるか思い切り否定されるか、という想像をした。
そういう確信があったというよりは、先に悪い予想をすることで実際に言われたときのショックを減らそうというつもりだった。
似合わないって言われないかな。
無駄な買い物って呆れられないかな。
そういうものを制服につけるなって怒られないかな。
卑屈なつもりはないけれど、今まであんまりにも褒められた経験がなさすぎて、そうそう肯定してもらえる気がしなかったのだ。
しかし身構えるヒナトの予想とは裏腹に、ソーヤはふっと微笑んで言った。
「たしかに似てるかもな。色とか」
からん、と氷が音を立てた。
ヒナトはコップを握りしめたまま、その手が震え始めたのを誤魔化すように、ぐいとミルクココアの残りを一気に煽る。
心臓が、なぜだかはち切れそうになっていた。
胸が痛いし喉もひりついて上手く息ができないし頭ががんがんするし、冷たいココアが胃を刺すようだし、もうわけがわからない。
そんな状態で何も起こらないはずがなく、案の定ヒナトは噎せた。
えずくヒナトにソーヤが声をかける。──おい、大丈夫か?
その声を聞くことすら今は辛い。
突然襲ってきた謎のしんどさの原因すらわからないまま、ヒナトは必死で呼吸をする。
「……ヒナ、おまえ今日、なんかあったのか?」
「なん、ですか、急に」
「いやその、……帰ってきてから、妙に顔が暗いような気がしたんでよ……」
しかも何やらソーヤに心配されていた上に、ちょっと方向性がズレていた。
今この状態を気にしてほしいような、むしろそっとしておいてほしいような、というふたつの矛盾した感情がヒナトの内を駆け巡る。
しかし今日のあの顛末について、どう説明すればソーヤに伝わるのかわからない。
というか相談するほどのことではないような気もする。
それに今は話すどころか、息をするのすらやっとなヒナトは、黙って噎せながら首を振るしかなかった。
しばらくしたら喉は落ち着いてきたものの、心臓はまだまだ痛かった。
それどころか何気なく顔を上げたらばっちりソーヤと眼が合ってしまい、その瞬間また胸がぎゅんと締め付けられたので、むしろここにいると悪化しかしない気がする。
ココアも飲み干してしまったので、ヒナトは退散することにした。
「じゃ、じゃあ、あたし部屋に戻りますねっ……」
逃げるようにして食堂を後にする。
もともとは、ココアを飲んだらフィットネスルームに行こうかと思っていたのだけれど、もうそんなことは頭から消し飛んでいた。
なんなんだろうこれは?
部屋に戻る道すがら、ヒナトはずっと考えていた。
こういうときに限ってエレベーターのかごが下りてくるのが妙に遅くて、後ろからソーヤが来たらどうしよう、と考えてしまい余計胸が苦しくなる。
意識して深呼吸をするも、頭がくらくらして視界がちかちかする。
エレベーターの中でもそのままへたり込んでしまいそうになり、壁に手をついてやっとのことで身体を支えた。
どう考えてもまともな状態じゃない。
(まさか、まさかこれって……アマランス疾患の症状だったり、しないよね?)
そんなことを真剣に考えてしまうくらいおかしかった。
ようやく自室のあるGH宿舎階に辿り着き、転げそうになりながらエレベーターを降りる。
とにかく部屋で休みたい。
できれば今日はもう誰にも会わずに、一人で大人しくしていたい──寂しがり屋のくせにそんなことを考えていた。
しかしこれまたこういうときに限って廊下に誰かがいる。
よりにもよってそれは、蛍光灯の明かりを美しいプラチナブロンドに反射させた、あのタニラだったのである。
「あら……どうしたの? 顔がすごく赤いわよ」
向こうから話しかけてくれた上に、内容がとても優しくて、もういっぱいいっぱいだったヒナトはそれだけで泣きそうになった。
最近はまともに話せる相手になってくれてほんとうに嬉しい。
でも、今は正直あまりありがたくない。
「だ、だいじょ、大丈夫です」
「そう? ところで……今お部屋に戻っても、すぐお夕飯の時間よ?」
何気なく彼女が口にした言葉はつまり、また食堂に戻らなければならないという意味だった。
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