data_091:ねじれてからまる線と糸①
ヒナトは今度こそ崩れ落ちそうになりかけた。
それをなんとかこらえ、震える声で、精一杯笑顔を取り繕って答える。
「ちょ、ちょっと部屋で、休んでから、行きます」
ああ、もう限界だ。
ヒナトはそのままタニラを残し、もつれ込むようにして自室に入る。
ドアを施錠したところで精魂尽き果てて、もはや一歩も進むことができず、その場にずるずるとへたり込んだ。
・・・・・+
ヒナトのようすが変だ。
わりといつも何かしら変ではあるが、またさらに今までとは異なる意味でおかしい。
そして、そんなことを考えてしまうあたり、ソーヤもどこかおかしいのかもしれない、と思っている。
ただの班長と班員の関係であれこれ気にしすぎではないか。
いやしかし、そうはいってもやはり毎日同じ部屋で顔をつき合わせるのには違いないのだし、そのあたりの管理もまた班長の職務に含まれるのではないか。
その線引きをどこですればいいのか、最近のソーヤは見失っている。
とにかくヒナトがずっと落ち込んでいるのは確かなようだ。
少なくともここ最近、ソーヤの眼にはそう見えていた。
解放日の前ごろはその準備で楽しそうにしていたが、やはりまだコータとフーシャのことを引きずっているのだろう。
折に触れて彼らのことを思い出してしまうのかもしれない。
あるいは外出先で、何かふたりを連想するようなものでも目にしたのか。
ぼんやり考えこんでいると、そのうち他のソアが食堂に集まってきた。
もうそんな時間か、と顔を上げたところでタニラとエイワがこちらに向かってくるのが見える。
ちなみにソーヤは結局まだエイワにほんとうのことを話していない。
なんやかんだでGHについての話ばかりしているので、それほど過去に想いを馳せるような場面もなく、あっても適当に相槌を打つ程度で済んでいた。
タニラが気を遣ってくれているのもあって、まだバレそうな気配はない。
だからといってこのまま騙しとおすのは無理だろう。
できればふたりだけで話し合える機会を作りたいのだが、皮肉にもそれを妨害しているのもまたタニラだった。
むろん彼女に悪気はない。
ただソーヤを慮っているだけだ。
「ソーヤくん先に来てたのね」
「それなら一言言ってけよなー、探したんだぞ」
「あ、悪い」
一応軽く謝っておいたが、エイワは怒るどころかむしろ嬉しそうに見えた。
ふたりが席に着くのをよそにソーヤはあたりを見回す。
ラボの職員が何人かいる。
それからサイネ、アツキ、ユウラ、ニノリと、ひとり少し遅れてきたワタリ……はいいとして、肝心のヒナトの姿が見当たらない。
配膳が始まり、それを受け取るための列ができてもその中に彼女はいない。
夕食は人数分用意されているので多少遅れても食べ損ねることはないが、時間は決まっているのだから、あまり遅くなると食べる時間がなくなってしまう。
どうにも気になったのでドアを睨んだ。
しかしいつまでたってもそこが開く気配はない。
そのうちドアと時計を交互に見やり、何分経ったら迎えに行こうかと考えているソーヤがいた。
「……ヤくん、ねえ、ソーヤくんっ」
「うん……あ、なんだ?」
「どしたの? さっきからずっとぼーっとしてて、ぜんぜん食べてないけど……」
さすがにタニラに見咎められる。
それもそうかと苦笑いしてスプーンを手に取るが、掬ったハヤシライスを口に運ぼうとして、またソーヤの眼はドアへと流れていた。
固く閉じられたままのそれを見て、どうにも解せない気持ちになる。
知らずスプーンが傾き、ハヤシライスは再び皿の上に戻った。
ぼたりと嫌な音を立てて滴り落ちたそれを見てエイワが怪訝そうな顔をする。
「おいソーヤ大丈夫か? 腹でも痛いのかよ」
「いや……」
タニラがぎょっとした表情でこちらを見たのすら気付かずに、ソーヤはなんともなしに言った。
「ヒナが来ねえなと思ってよ。……どうしたんだあいつ」
「え? あ、……確かにいないけど、ソーヤくんがそんな気にしなくても」
「むしろ夕飯の前まではいたんだよ。ここに。でも部屋戻るっつって……そんときなんかおかしかったんだよな。
あーもーダメだ、やっぱようす見てくるわ。おまえらは食ってろ」
タニラもエイワも驚いているようだったが、それには構わず立ち上がる。
というか他にどうしようもない。
このままでは気になって食事にならないのだから。
もしかするとまた何かのスイッチが入って一人で号泣しているのかもしれない。
そうでなくともようすがおかしかったのは事実で、メンタルではなく体調のほうの不良だとしたら、それはまた別の問題に繋がってくる。
なにせ外出直後だ。
何時間もかけ、嫌というほど外界の雑菌まみれの空気を浴びてきたのだから、何があってもおかしくはない。
いくら体表と呼吸器を洗浄したといってもそれで完全に菌を落とせるわけではないだろう。
ソーヤは食堂を出てエレベーターに向かいながら、考えうる非常事態とその対処のパターンを脳内で列挙し始めていた。
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