data_092:ねじれてからまる線と糸②
食堂に残されたふたりはしばらくぽかんとしていた。
いや、呑気に構えていたのはエイワだけで、タニラはそうではなかったのだが、このときエイワはそこまで気付けなかった。
タニラは必ずソーヤの向かいに座る。
彼の顔を見たいからだ。
そして自分はソーヤの隣に座ることが多く、今日もそうだったので、タニラを斜め向かいに拝むことができた。
昔から彼女は同期の中でもとびぬけてかわいかったが、今なおその地位は健在だ。
それどころかなお一層美しく成長した。
今日外に出てみてわかったが、外界にも彼女を超える美貌の持ち主はいない。
その滑らかな白い肌や麗しいプラチナブロンドに触れたらどんな心地がするのだろうか。
秋の晴れ渡った空のような瞳に己を映されたらどんな気分になるのだろうか。
想像するだけでも夢を見ているようで、それらをこの世で唯一許されているソーヤという男が天狗になってしまうのも無理はないとさえ思える。
まあ、当のソーヤにその気はないようだけれど。
タニラを見ているだけで心がとろけそうになる。
願わくば、この眼球が腐り堕ちるまで見つめていたい。
けれども今日は、誰より目映く輝いているはずのタニラの顔が、嵐の前のように曇っていた。
「……ソーヤくん……」
かたちのいいくちびるが動き、去っていった男の名前を紡ぐ。
その声は朝空に響く小鳥のさえずりに似て心地よいが、今はどこか泣きそうに聞こえる。
「タニラ?」
「さっき……それじゃ……」
「おい、タニラ、大丈夫か? なあ」
心ここに在らずといったようすで何かうわごとのように呟くタニラに、エイワはそっと手を伸ばした。
ほんとうならこれほど気軽に触れていい相手ではないと思いつつも、この機をみすみす逃すほど、エイワはお人好しでも間抜けでもない。
エイワの手はスプーンを手にしたままのタニラの右手に触れた。
その瞬間タニラの肩が大げさなほどびくついて──それを見てエイワはどうしようもない罪悪感にかられた──零れ落ちた銀色の匙は、皿の上で耳障りな音を立てる。
雑音はしかし、周囲のざわめきにかき消されて思ったほどは響かない。
その瞬間、広い食堂で他のソアたちもいるというのに、なぜか隔絶された小さな空間にいるような気がした。
エイワとタニラのふたりだけ、見えない壁に包まれて周りから遠ざけられているようだった。
「……ごめん、俺」
「う、ううん大丈夫。私ったら、少しぼうっとしちゃってたのね」
気まずそうに微笑みながらスプーンを拾いなおす、タニラの白魚のようなしなやかな指。
それを眼に焼き付けながら、エイワは机の下にやった左手を強く握った。
ソーヤが戻ってくる気配はない。
ふたりはそれから、静かに食事を再開した。
いくら周りから仲が良いと言われていても、中心にいるべき男がいなければ、そこにあまり会話が弾むこともない。
あくまでソーヤが繋げた関係で、ソーヤがいなければ成り立たない。
それをよく理解しているエイワはだから、彼女の声を聞くためだけに、親友をダシにする。
「あのさ、俺が寝てる間ってソーヤのわがまま、ぜんぶタニラが聞いてやってたの?」
「わがままって……ふふっ、もう、ソーヤくんに言いつけちゃうよ?」
「それは勘弁してくれー」
やっと少し笑ってくれる。
枯野にようやく一輪の花を見つけられた蝶のように、エイワはふらふらとそれに縋る。
「でも間違っちゃないだろ。あいつ昔っから神経質っつーか、なんでも細かいし人のことにも首突っ込みたがるし、仕切りたがりなとこが……」
「それがソーヤくんのいいところだよ」
「そう真正面から褒めてやれるのはタニラだけだよ。
なんてったっけ、ヒナ? ソーヤんとこの秘書。あの子もけっこう大変そうだしさ」
ソーヤは王様みたいなやつだ、と評したエイワに笑いながら同意してくれた少女のことを思い浮かべ、なんとなしにそう言った。
言ってしまった。
それが間違いだったのだと、気づいたのもすぐだった。
その名前を聞いた瞬間にタニラの顔がこわばる。
口許にまで持ち上げていた手を下ろし、スプーンが軽く皿を叩いたのは、その肩がかすかに震えていたせいだろう。
「……どうして……私じゃダメなの……?」
零れた言葉が、白いテーブルに黒々とした影を落とす。
蒼い瞳には涙が滲んでいた。
タニラのただならぬようすに気付いたエイワは立ち上がり、そっと彼女の隣の席に移動して、一生懸命に言葉を探す。
「……ソーヤと何かあったのか? 俺でよければ話、聞くよ」
「何もないわ」
「でも」
泣きそうになってるのに、と言いそうになるエイワを遮るようにタニラは首を振った。
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