data_093:ねじれてからまる線と糸③

「……何も、ないのよ。私とソーヤくんとの間には、何も、ないの……」


 そのときタニラはたぶん、笑おうとしたのだと思う。

 けれど白い頬に無理やり浮かべたそれはあまりにもぎこちなくひきつっていて、エイワは生まれて初めて彼女の顔に、美しくないという感情を抱いた。


 そしてそれ以上、彼女は何も語らない。


 結局しばらくしてソーヤが戻ってきたときは、何ごともなかったかのように明るく振る舞い、その時点ではもういつもの美少女に戻っていた。

 けれどエイワにはわかってしまった。


 その美しい笑顔の下に、歪な感情が秘められていること。

 彼女がそれをどんなに必死でソーヤから隠しているのかということも。

 タニラが幸せそうに美しく微笑めば微笑むほどに、その裏で彼女の内側がねじれてしわくちゃになっていくことも──。


 もうここに、エイワが愛した友人たちはいなかった。


 いるのは糸に繰られながら、笑顔の仮面を被った人形と、何も知らない観客ソーヤだけ。

 エイワはそれを、知ってしまった。




・・・・・*




 心臓がいくつあっても足りない。

 もしヒナトが死ぬことがあったら、死因のところにはソーヤと書かれることだろう。


 ……などと真剣に考えてしまったくらいにはヒナトは追い詰められていた。


 夕食の時間だと知りつつも胸のドキドキが収まらなかったので自室で休憩していたところ、目下その原因と考えられているソーヤ本人による突撃を受けたのである。

 急にドアを叩かれた上にソーヤの声が聞こえたときのヒナトの心情をちょっとは考えてほしい。

 心臓発作で死んでもおかしくない状況だった、いやほんと。


「な、な、な、ん、で、すか!」


 いっそう鼓動の早まった胸を押えながら、必死で答える。


 まったく状況が呑み込めない。

 どうしてソーヤがヒナトの部屋を訪ねてきたのかもわからないが、そもそもなんで部屋番号を知ってるんだ、教えてもないのに。

 落ち着いて考えたらラボの職員に聞けばすぐわかるのだが、今のヒナトにそんな余裕はない。


「何って、もう夕飯始まってんのに来ねえから……さっきもなんか変だったし、おまえ、どっか調子悪いんじゃねえのか?」

「だ、大丈夫です! ちょっとあの、あれですけどっ、元気です!!」


 ドア越しとはいえそこまで大きな声を出す必要はないのだが、ヒナトは焦りも手伝って、なかば怒鳴るようにして言った。


 扉は施錠されているので、ヒナトが開けなければ彼が入ってくることはない。

 わかっていても早くドアの前から離れてほしかった。

 なぜなら今のヒナトは、そこにソーヤがいると思うだけで頭ががんがんして胸がドキドキして目の前がふわふわしてしまうからである。


 切実に距離が欲しかった。適切な距離が。


 ヒナトの回答の勢いに、ソーヤも多少気圧されてしまったらしい。

 少しの沈黙のあと、どこか不満げではあったが、わかった、という声が返ってきた。


「何かわからんけど落ち着いたら来いよ。しばらくしてもまだ来ないようだったらまた来るからな」


 ……なんだその恐ろしい宣言は。

 ヒナトは震えながら頷いた。そんなことをしても扉の向こうのソーヤには見えないということは、頭から抜け落ちていた。


 最後にコン、と軽いノック音を残し、ソーヤは去っていった。


 少しずつ遠ざかっていく足音を聞きながら、ようやくヒナトは胸を撫で下ろす。

 安堵したところでやっと空腹感を思い出すことができたらしく、お腹がきゅるるとかわいい音を立てたので、自分でそれにちょっと噴出してしまった。

 我ながらなんて呑気な胃袋なのだろう、と思った。


 それにしてもいろいろと異常に思えてならないヒナトは、ドアを開けるのをまだ躊躇う。

 ソーヤのしつこさにも驚いたけれど、それよりなによりヒナト自身の肉体を襲った、突然の体調不良ともつかない怪現象についてだ。


 これは放置してはいけない気がする。

 誰かに相談したいけれど、医務部は嫌だし、とりあえずいつものようにサイネとアツキに話してみようか。

 しかしもしこれが病気だったりしたら、ふたりに心配をかけてしまうことになるだろう。


 先に、別の人の意見を聞くことはできないだろうか。

 それも、勝手に他のソアや職員に話してしまわなさそうな人が好ましい。


 悩んだヒナトの脳裏にひとりの顔が浮かぶ。

 まだのことはよく知らないが、あまり広い範囲と付き合いがなさそうなことだけは確かだ。


 (……とりあえず、ソーヤさんがまた来ないうちにごはん食べにいこ……)


 考えるのは食べながらでもいいや、とヒナトはドアロックを解除した。



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