data_094:恋を患い、愛を病む①

 ノックもせずに、ゴム手袋をした手で扉を開けた。

 鍵が開いていることは知っているし、夕食後に自分が尋ねてくることは中の住民も理解しているのだから、先にわざわざ声などかける必要はない。

 それどころか下手に物音を立てて誰かに見聞きされることのほうが厄介だ。


 部屋に入るとサイネはゴム手袋を脱ぎ、手近な机の上に放った。


 目の前にはベッドの端に腰かけたユウラが、どこか観念したような表情でこちらを見上げている。

 もともと目尻の下がった眼の形をしているからか、その顔には哀愁が漂っていて、サイネは込み上げてきた笑いをなんとかこらえなければならなかった。


 そのまま歩いて行って彼の前までくる。

 両手で頬を包むようにしてやりながら顔を覗き込むと、ユウラは一瞬眼を逸らそうとした。

 窓辺から見える春の若葉のような色をした、外にさえ出れば簡単にそこらの女を虜にできるだけの魅力を備えた瞳はしかし、今はかすかに羞恥の色を萌えさせている。


 それを見るとたまらない気持ちになる。

 そして、それこそが己の病だと、サイネは理解してもいる。


「ねえ、どういう気分?」

「……楽しくはないな」

「そう」

「サイネ、その……怒ってるのか」

「怒ってほしいの?」


 ユウラは答えなかったが、この状況でそれは肯定しているようなものだろう。

 外で他の女に話しかけられているユウラを見て、サイネが嫉妬や怒りを感じてくれていたほうが、彼にとっては都合がいいのだ。


「悪いけど、そういう感情はまったくない」

「わかってる」

「それ、理解はしてるけど納得してない、ってことでしょ。じゃあその顔をもっと見せて」


 ユウラの容貌は優れている。

 それは客観的事実であり、サイネも認めている。


 もともと花園のソアは地域地方を選ばない多国籍の素材から造られているので、その外見は否応なしに混血のそれとなり──突出した特徴が均されることで、標準的な顔になる。

 つまりは顔のバランスがよくなり、それによって多数の人間から親近感を得られやすくなるらしい。

 だからソアはたぶん単一民族の集団よりも美形の発生確率は高くなるのだろう。


 サイネ自身は顔の美醜に拘りはないが、ユウラの顔が美しいのはわかる。

 外に出て街行く一般市民のそれと見比べれば一目瞭然だし、柔らかなアッシュブロンドも、恵まれた長身とそれゆえに長い手足も、外では簡単に見つからない。


 基本的に一緒に外出したことはないが、前回のように行先が重なって外でばったり会うことは何度かあった。

 そのとき、こちらの素性を知らない外の女の視線を感じることは稀ではなかった。

 ユウラ本人が黙っていても、ニノリからアツキを通じて、外界の人間に絡まれたという話を聞いたことだってあったのだ。


 今日の女は服装や所持品から推察するに、プライベートではなく仕事で出歩いている風だった。

 ユウラに声をかけたのは何かの勧誘目的だろう。

 外にはこの美しい容姿を活かせるような仕事も存在している。


 もちろん花園のソアには、そんなところに姿を晒す権利などありはしないが。


「断るのにずいぶん手間どってたけど」

「……かなりしつこかった」

「みたいね。おかげで久しぶりに見たわ、アツキのあの顔。ここ最近は穏やかにしてたのに。

 あ、それについてはどう? としては」

「アツキには言うなよ」

「言わない」

「……怖かった」


 本音らしい一言に、思わず噴出してしまう。

 脱力して手を離していたサイネは、気付いたらそのままユウラにもたれるようにして抱き着いていたが、ユウラがそれに構う気配はない。

 まだ少し笑いながら、ユウラの肩を押す。

 もちろん一回りも二回りも小さい女の力でつついたところで彼はびくともしないが、サイネの意図を察したユウラは、ゆっくり姿勢を崩して背後に手をついた。

 サイネはユウラの膝によじ登るようにして、そのまま彼を押し倒す。


 腰の上に跨るサイネの姿は、ユウラからはどのように見えているのだろうか。


「もう一度聞くけど、どういう気分?」



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