data_095:恋を患い、愛を病む②

「……それは、昼間の話か? それとも今この瞬間か?」

「どっちも」


 言いながら、サイネは羽織っていただけのジャケットを脱いで、ベッド脇の椅子に投げた。

 シャツのボタンを自ら外し、白無地の下着を露わにする。


 支給の下着には装飾もなく全員同じものだが、いざ風呂場で顔を合わせると、それぞれ風情がまったく異なって見える。

 体型が違えば肌の色もばらばらで、とりわけ色黒のサイネにこの下着の白は眩しい。

 あまりに清楚ぶっていて、先日のレース地のブラウス同様、自分でも似合わないと感じている。


 だが、今は別だ。

 サイネを恍惚の表情で見上げる男がいるのなら、話はまったく変わるのだ。


「昼間は……最悪の気分だった」

「どうして?」

「知らない人間にしつこく絡まれて、ニノリがひどく怯えていた。疲れた。

 それに、……困ってるところをおまえに見られた……」


 ユウラは苦々しい声でそう言って、いつになく嫌そうに顔をしかめた。

 その表情にサイネの背筋がぞくぞくと痺れる。


 彼にも当然だが矜持というものがあって、下手するとそれはサイネのそれより高い位置にすらある。

 普段は大人しく物静かで、高圧的に振る舞うサイネに対して従順な姿しか周囲には見せていないから、傍目からはわかりにくいかもしれないが。

 それでもユウラが従うのはあくまでサイネひとりだけなのだ。


 彼が愛するのも、従うのも、触れるのも、感情を見せるのも、すべてはサイネだけ。

 そうであるというより、そうでありたいとユウラ自身が考えているらしい。


 サイネ以外に心を動かす己であってはならない、という誰に命じられたわけでもない謎の自己基準で己を縛るユウラにとって、他人に振り回される姿をサイネに見られるのはこの上ない屈辱なのだ。


 その感覚自体はサイネもまったく理解できない。

 だが、それで恥ずかしそうにしているユウラを見るのは楽しいし、彼が外の女にどう対処するのかにも興味はある。

 だから黙って観察していたし、アツキさえ動かなければ最後まで介入はしないつもりだった。


「それで、今この瞬間は?」


 少し屈んでユウラのシャツに手をかける。

 そこで無遠慮な手が伸びてきて脇腹を撫でたので、くすぐったさにサイネは身を捩った。


「……もどかしい」

「それなら先に襟のボタンくらい外しておきなさいよ。こうなるのはわかってたでしょ」

「さすがにここまで期待はしてなかった」

「そんなに私に怒られたかったわけ? 呆れた……」


 キスを落とすと、それを逃すまいとする手に首の裏を押えられた。

 熱を交わしながら次第に酸素を失って、ぼんやりとかすんでいく意識の端で、吐息と衣擦れに混じってファスナーを下ろす音が室内に響く。


 怒りや嫉妬など、サイネの内にはほんとうに毛の先ほども芽生えなかった。

 だってそうだろう、ユウラの感情を揺らしていいのはこの世でサイネだけだとユウラ自身が規定しているのに、見知らぬ行きずりの女にやきもちを焼く必要などどこにあるというのだ。

 ユウラの異常な密着癖の相手をしてやれる女が自分の他にどれほどいるというのか。


 だからむしろ嬉しかった。

 きっとユウラはサイネに見られたことに動揺して恥じ入り困惑するとわかっていたから、そしてその情けない顔を自分にだけ見せると知っていたから。


 寡黙で無表情で、感情の起伏が極めて薄いユウラの、困った顔が好きだ。

 敢えてひどい言いかたをするなら、このきれいな顔をサイネのために歪めて苦しんでいる姿を見るのが、サイネにとってはたまらない幸せなのだ。


 もちろん、これもまっとうな性癖とは言えないだろう。

 だからせめて悦い顔をしてくれるお礼と慰めを兼ねて部屋を訪ねた。

 そしてどんな言葉をかけるよりも効果的な方法はこれしかない──あまりに即物的で乱雑な、しかしふたりにはすっかり慣れてしまったひとつの行為。


 恋は勘違いから始まり思い込みで深まるもの、とどこかの本で読んだ。

 それならこれはなんだろう、とサイネは思う。


 人間以上に思い込みの激しいソアが交わす、執着と依存に満ちたこの感情を、いったい何と呼べばいいのか。

 恋と呼ぶには重く、愛と呼ぶには利己的すぎるこれは。


 もし誰かに問われたならば、ユウラを愛しているのだと、答えてしまっていいものだろうか。



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