data_038:地面の下の話Ⅱ‐芽‐(2)

 一部のソアは、なんというか感情の起伏が激しいというか、情緒不安定な人もいる。

 さっきまで号泣していたタニラもそうだ。

 こういうタイプのソアは、下手をすると人生を悲観して最悪の手段を取りかねないと思う。


 そしてたぶん、自分たちで見つけ出した文字情報として触れたほうが、冷静に受け取れる。

 そういうことなんだと、思う。


「私たちの呼称が『アマランスの芽』なのは、大人にはなれないからじゃないかって……これもサイネちゃんの言ってたことだけど、なんだかほんとうに、そんな気がしてくるわ」

「……そんなの、悲しいです」

「そうね。

 ……それに、私はもしもソーヤくんに何かあったら、そのときは私だけ無事に大人になろうなんて思わない。

 運よくアマランス疾患にならずに過ごせたとしても、彼がいなくちゃダメなのよ。耐えられない」


 タニラはそこで声を震わせる。


 そうだろうな、とヒナトも思った。

 ソーヤに万一のことがあったら、きっとこの人はその後を追うだろう。

 依存している、と言うと聞こえが悪いけれど、それだけタニラはソーヤのことを大切に想っているのだ。


 そしてこのとき、ヒナトは初めてそれを羨ましいと思った。


 ヒナトだって第一班の一員として、ソーヤとワタリのことが大切だ。

 でもタニラのこの情熱にはとても敵わない。


 どこからそんなエネルギーが出てくるのかはわからないが、たとえばこのままソーヤが復帰できなかったとして──あ、その想像はちょっと現実味がありすぎてさすがに辛いからやっぱりワタリが危なくなったとして──きっとすごくショックだし悲しいし泣いてしまうだろうけれど、そのあともどうにかして一班の秘書を続けるだろう。

 新しい副官を迎えるなり、なんなりして。


 だいたい第一班には誰かひとりでも欠けたらもう無理! というような結束力というか絆というかそういうものはないのだ。


 たぶん班長がソーヤならそれは第一班の体を為すし、班長が変わってもワタリはいつもどおり仕事人であり続けるだろう。

 ヒナトはどこであろうとダメ系秘書に変わりないのは先日の二班のお手伝いで実感している。

 そしてその緩さというか、良く言えば余裕のあるところが第一班らしさでもあるのだ、と思う。


 ……ああ、でも。


 ふと顔を上げたとき、棚に並んだカップやソーサーが目に入った。ここは給湯室なのだから当たり前だ。

 そもそもヒナトはここにワタリのために紅茶を淹れにきていたのだった、もう随分待たせてしまっている。


 今日は、コーヒーを淹れる必要はない。不味いと言ってくれる人がいないから。


 そうだった。

 それって、すごく寂しいことだった。


 前にもそれで心が折れそうになったじゃないか。

 あのときの火傷の痛みを、ヒナトはまだ忘れてはいない。


 ヒナトはずっとコーヒーを淹れる練習をしたかった。

 美味しく淹れられるようになりたかった。

 自分で飲むためじゃなくて、どこかの俺様班長様を呻らせたかったからだ。


 褒めてほしいからだ。

 おまえを秘書にしといてよかったぜ、みたいな台詞を、彼の口から一度でいいから聞いてみたかった。


 そしてたぶん、他の人が班長になったとしたら、それを言ってほしいとは思えなくなる。


 それだけはなぜだかヒナトの中で確信があった。

 ヒナトを褒めるのはソーヤでなくてはならないのだ。他の誰でもなく。


「……なんか、ちょっと、タニラさんの気持ちがわかるかもしれない」


 気づいたらそう呟いていた。


 反応したタニラがじっとこっちを見つめてきたので、その先の言葉は上手く続かない。

 美人の目線は何かと心臓に悪い。


「その、あの、……ソーヤさんにしかできないことって、ある、と思うんです。

 たぶんワタリさんにも、ワタリさんしかできないことがあるんだけど、でも、えっと……あたしが、してほしい、ことっていうか……ソーヤさんにしてほしいことを、ワタリさんがしてくれたら、それはもちろん嬉しいけど、ソーヤさんにされたときと同じくらい嬉しくはない……と思う」

「……そう」

「あ、あの、わかります?」

「要は相手によって求めてることが違うって話でしょ」

「そ……そうそう、そんな感じで」

「それなんだけど、たぶん私とあなたで、ソーヤくんに求めてることって、同じだと思うわ」


 だから、と言って、タニラはヒナトの手を取った。


 思わぬ柔らかな感触にヒナトは驚いたが、そのあとのタニラの発言のほうがもっと驚愕だった。


 ──あなたをライバルとして認めるわ。情報の共有もしてあげる。

 でも、いい、これはソーヤくんのためよ。

 アマランス疾患に対する治療法を見つけて彼を助けるためなら、私は何だってする覚悟でいる。

 あなたも彼の秘書として、私のライバルとして今まで以上に邁進しなさい。もし少しでも気が抜けていたら今度こそ真剣に立場を譲ってもらうわ。


「そして最後にどっちに勝敗がついてもお互い恨まないことにしましょう。その代わり容赦もしないから」

「え、……は、はいッ」


 凄まじい目力に気圧されて思わず返事をしてしまった。


 果たしてこれは事態の好転なのか、それとも新たなる波乱の幕開けなのか。

 そして何を以て勝敗がついたとするのだろうか。


 というか今まではライバルだとすら思われていなかったことがややショックなヒナトだった。

 そのうえ格下でいる間は容赦されていたのか。

 ……どのあたりが?



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