サイネとユウラの「探検」
data_103:希望と恐怖の一夜が明けて
翌朝、無事に寝坊してオフィスにも遅刻したヒナトは、ソーヤにがっつり怒られた。
あのあとタニラが諦めて部屋に戻るまで数十分は階段に潜まねばならず、ようやく自室に戻ってからもしばらく悪い意味で胸がドキドキして眠れなかったのだ。
天体観測の楽しい思い出がぜんぶぶち壊しになるくらいの壮絶な経験になった。
それからいつの間にか気絶するように眠っていたのはいいが、爆睡しすぎて目覚ましの音が聞こえなかったため起きられず。
何度目かのスヌーズ音でようやく目覚めたころには朝食の時間も終わりがけで、跳ね起きて寝癖頭のまま食堂に駆け込み、まともに味わうこともできずにシリアルをかっ込むのが精いっぱいだった。
それでオフィスまで突っ走ってきたものの、間に合うはずもない。
そんなヒナトの事情などソーヤには知る由もないとはいえ、そもそも夜に部屋から連れ出した張本人なのに、こんなにちくちく叱ることないんじゃないか。
なんてつい思ってしまって、ヒナトは溜息を吐いた。
「……おいちゃんと聞いてるか?」
「あ、ごめんなさい……でもお説教は聞いてますっ」
ソーヤはふんと鼻を鳴らし、とにかく次から気をつけろよ、と言ってひとまずお小言は終いになった。
昨日はあんなに優しかったのに別人のようだ。
それともやっぱりあれはヒナトの夢だったのかと思ったが、それなら今朝寝坊してしまった理由がわからなくなる。
タニラの異常な姿をはっきりと覚えているし、正直どんな悪夢よりも怖かった。
だからある意味寝坊してよかったとすら思っている。
もしも朝食の席で彼女と顔を合わせていたらどうなっていたか、考えただけでもぞっとする。
とりあえず、ほとぼりが冷めるまではタニラに合わないように気をつけ──
「──ところでヒナトちゃん、これ二班に持っていってくれるかな」
よう、と思った直後にワタリがこんなことを言ってきたので、ヒナトはついつい剣呑な顔で彼のほうを見てしまった。
ワタリは手にファイルを持ったまま、ヒナトの穏やかでない表情にちょっと驚いたふうである。
「なんですかそれ」
「何って回覧用の業務記録だよ。僕が毎月書いてるやつ……前にも頼んだよね?」
「そ、……そうでしたね」
そうなのである。
班長は会議、秘書は雑用で副官がもっぱらオフィスの業務を回しているというのがGHの基本形態なのだが、副官はさらに何か書類を書かされているのである。
いや書類自体は副官に限った話ではないのだが、副官のこれに関してはなぜかラボに提出する前に他の班にも見せなくてはならないらしい。
で、一班の次の回覧先はもちろん二班なのだった。
つまりは今ヒナトがもっとも恐れているあのタニラがいるオフィスにまさかのおつかいを頼まれてしまったのである。
断れるわけがない。
正直に事情を言えばわかってくれるかもしれないが、それにはまずソーヤと夜間屋上に行ったことから話さなくてはならないだろう。
つまりは就寝時間を守らず自室を抜けだしたことを認めるわけで、しかもヒナトだけでなくソーヤまでも規則を破ったことをバラしてしまうし、もしそれをワタリがラボに密告してしまったらと思うと気が引ける。
ワタリがそんなことをするとは思えないけれど、勝手に話すわけにもいかないだろう。
どうしようか悩んでソーヤを見ると、班長は怪訝な顔をした。
「……なんだよ?」
「ゆ、昨夜のこと、なんですけど……」
「ちょっと待て。……戻ってきてから聞いてやるから、とりあえずさっさと行ってこい」
それじゃ意味がないんですが、と言いたいのはやまやまだったがヒナトは黙った。
ソーヤの命令には逆らえないのだ。
自分でもちょっと弱すぎるんじゃないかとたまに思うことがある。
もしかするとこれが世間がいうところの『惚れた弱み』ってやつなんだろうか。
……いや、第一班に配属になった日からずっとこうだったのだから、単にヒナトの意思が弱いだけだろう。
どうか何もないことを祈りつつ、震える足で廊下を歩く。
大した距離ではない。ちょっと歩いて階段を下りれば、すぐに第二班のドアが見える。
すりガラスのせいでドアを閉めたまま中のようすは窺えない。
恐る恐るノックすると、はい、という落ち着いた声が返ってきたが、その主がタニラではなかったことにヒナトはひどく安堵した。
「さ……サイネちゃん。あれ、あの、タニラさんは?」
「ちょうどお茶淹れに行ってるとこだけど。何、あの子に用?」
「ああいやべつにそういうわけじゃない、なくて」
挙動のおかしいヒナトに、応対したサイネは不審なものを見る眼をしている。
もともと眼光が鋭いのでちょっと怖いが、それでも今はタニラに会うよりはずっと何倍もましだ。
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