data_104:“自主”午前業務

 腕組みしているサイネの背後では、ユウラがすごい勢いで仕事をしているのが見える。


 ともかく早く帰りたい。

 タニラが戻ってくる前に一刻も早くここを離れたかったヒナトは、半ば押し付けるようにしてサイネにファイルを手渡すと、逃げるように二班オフィスを後にした……かった。

 のだが、ちょっと待って、という無慈悲な言葉がヒナトの肩を掴む。


 ぐぎぎという歪な効果音が聞こえそうなほど、あからさまにぎこちない動作で振り向いた。

 そんなヒナトを見てどこか呆れたような調子でサイネが言う。


「私ら今日は午前業務にするから、ソーヤに伝えといて」

「あ、うん、わかった。……いや、ってどういうこと?」

「そのままの意味。やることさえ終われば早めに切り上げられる。もちろんラボには言わないけど」


 だからほら、とサイネが示したのはユウラの姿。

 真剣な表情でコンピュータに向かい、淀みない動きでキーボードを叩く彼に、こちらの会話はまったく聞こえていなさそうだった。


「じゃあそういうことだから、よろしく」


 ヒナトから受け取ったファイルをラックに入れ、サイネも席に着いた。

 そして一秒後にはユウラと同じく超高速で業務の処理を始めたので、その切り替えの早さと作業スピードにヒナトはしばし唖然として彼らを眺めてしまう。


 前にワタリが一日で二人分の作業を請け負ったときと同じか、それよりすごいかもしれない。

 これがソアの本気かと圧倒されてしまう。

 それと同時に、ほんとうにヒナトも彼らと同じ人種なのかという疑問が改めて浮かび、もう擁護の言葉も思考もすべて消し飛んでしまった。


 もしかしたら軽く一分くらい立ち尽くしていたかもしれないが、サイネもユウラもそんなヒナトにまったく構う気配はなかった。


 そしてヒナトも我に返り、こうしている場合ではないと思い出す。

 タニラが帰ってくる前にここを去らなければいけないのだ。

 今度こそ二班オフィスから逃げるように出たヒナトを誰も引き留めなかったので、そのまま大急ぎで四階に戻った。




 ・・・・・*




 最後のキーを押した相棒が、深く長い息を吐いた。

 そうして空になった肺をもう一度膨らませるのを横目で見、コーヒーの残りを飲み干して、サイネも最後の一行を書き上げる。


 反対側では朝からいやに静かな秘書が、まともな速度で地道にこつこつと作業を進めていた。


「……最短記録が出たんじゃないか」

「かもね。ご苦労さま」

「ラボにデータがあれば比較できるが……いや、しなくていいか」


 珍しくユウラが自分の発言に自分でツッコミなんて入れている。

 これは相当疲れているなと判断し、サイネは彼がまったく手をつけていない紅茶のカップをその目の前に差し出してやった。

 出かける前に少し休憩させてやらなければ。


 ヒナトにも言ったとおり、本来なら今日は終日オフィスに詰めて作業しなければならないことになっている。

 それを無理やり半日で規定量を終わらせて、空いた時間を『幻の十一階』の捜索に充てるために、ユウラと自分とで午前中からいつもの倍速で作業したのだ。


 さすがにサイネも疲れたので、身体を伸ばして脳を休ませることにする。


「タニラ、わかってると思うけど、私らの分は適当に時間ズラして送っといて」

「わかった」

「……そういえば顔色悪いみたいだけど大丈夫?」

「昨日なかなか寝つけなくて……私もちょっとだけ、仮眠しちゃおうかな」

「そうね、たまにはいいんじゃない」


 ユウラが紅茶を飲み終えたのを確認し、サイネは立ち上がった。



・・・・+



 まずはオフィス棟十階のガサ入れである。


 二班オフィスがあるのは同棟の三階なので七階分の距離があるが、道中ラボの職員に見つかっては困るので、一度連絡通路を使って生活棟に移動する。

 連絡通路は八階にもあり、生活棟側はラボの宿舎となっているため日中はほとんど人がいない。

 夜勤の職員もこの時間ならまだ寝ているだろう。


 生活棟のエレベーターで八階まで上がってから、ふたたびオフィス棟に戻り、職員たちの眼を盗みつつ階段で十階に上がる。

 予め近辺の警備システムは調べてあるが、どうやらこの部屋にセンサーの類はないらしい。


 名目上は物置なのだから必要がないといえば当然だ。

 同時にまるで、そこに潜む何者かの痕跡を残したくないのでないか、という邪推をサイネにさせる。


 しかし期待とは裏腹に、十階はやはり物置にすぎなかった。


 雑然と置かれた古い機材やらデスクやらには分厚い埃が積もっていて、最近ここに誰の出入りもなかったのは一目瞭然だ。

 もしここに十一階への入り口が隠されていて、なおかつそこにヒナトのクローンが潜んでいたとしたら、足跡なりなんなりが必ず残る。

 それが見当たらないということは、答えはノー、何もなし。


 機材の類も電源がなければただの鉄の塊で、そこから情報を引き出すことはできない。

 多少は紙媒体の資料もあったものの、他ののものと同じく埃にまみれて薄汚れたその中身は、昔のソアの製造データなどこれといって目ぼしいものではなかった。

 アマランス疾患についての記載も見当たらない。



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