data_055:ヒナトとエイワの共通認識

 ヒナトが給湯室の扉を開けると、そこで棚を覗いてぶつぶつ言っている見慣れない人がいた。


 そもそもここで男子の姿を見ることのほうが珍しい。

 基本的に秘書しか使わないし、ヒナトが知っている他の仲間はみんな女の子だったからだ。


 開閉の音に気が付いたようで、彼はすぐに──何やらぱぁっと明るい顔でふり返った。


「お疲れさまです」

「……あ、お疲れ。えっと……ごめん名前なんてったっけ?」

「ヒナトですよ」


 人の顔を見るなり明らかに落ち込まなくてもいいんじゃないかとヒナトはちょっと思った。

 よくわからないが、たぶんエイワは誰かを待っていたところなのだろう。


 というかどうしてひとりでこんな場所に。


 今日が初日なのだし、当然まだ秘書見習い中だろう。

 お茶汲みだって決して簡単な作業ではない、少なくともヒナトにとっては数多の秘書業務の中でも難関の部類に入ると思っているのに、いくらなんでも初日にひとりでやらされているのは変だ。

 教育係のアツキはどうした。


「あのー……エイワくん、ああいやエイワさん、なんでひとりでこんなとこにいるんですか?」

「なんかアツキに別の用済ませてくるから先に行ってろって言われてさー。

 ていうかなんで敬語? いいよタメ口で」

「え、いやでもあたし歳下だし……エイワくん、はソーヤさんと同じ歳ですよね」

「うん。でもそんなん気にしなくていいって」


 にへら、みたいな擬音の似合う柔らかい笑顔でエイワはそう言った。


 第一印象からしてかなり人の好さそうな感じはしていたのだが、やっぱりかなり温和そうだ。

 これはもしかしたら男版アツキと言ってもさほど過言ではないのでは。


 あ、そうだったらニノリとも上手くやれる可能性があるのかもしれない。

 そこもちょっと心配だったので、ヒナトは少しほっとした。


 とはいえ。


「エイワくんがいいって言ってもソーヤさんがたぶん許してくれないかな……」

「へ?」

「あたし初対面のとき言葉遣いすっごい直されたんですよ。ちゃんとしろー、ネンコージョレツだーとか言って」

「……あー、そっか、そうかもなぁ。あいつちょっと王様みたいなとこあるし。


 ってこれ俺が言ってたっての内緒にしてくれよ! ぜんぜん悪い意味じゃねーけど、勘違いで揉めたりとかしたくないからさ」

「あはは、わかります。言いませんよう」


 思わず笑ってしまったけれど、ヒナトはそこでふと、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。


 王様みたいだというエイワの表現に同意ができる。

 エイワは眠りの前の彼しか知らないし、ヒナトは逆にGHに来てから初めて会ったのに。

 ソーヤの性格自体は根本的には変わっていないということだろうか。


 そして、気付いてしまった。

 今のこの状況ならエイワにソーヤのことを伝えられるのではないかと。


 ラボの職員に任せることをサイネには推奨されたが、そのためにあれこれ頭を使ってもヒナトにはいい方法が思いつかないし、そうこうしているうちにずいぶん時間が経ってしまった。


 今ならここにソーヤがくる可能性はほぼゼロに等しいし、エイワが取り乱してしまったとしてもそのうちアツキが戻ってくるだろう。

 時間帯的にタニラが来る可能性もあるのが少し怖いが。


 けれど、どのみち誰かがいつか言わなければならないことなのだ。


「……えっと。とりあえず先に火、使ってもいいですか?」

「あ、どうぞどうぞ。それなら俺うしろで見学させてもらおっかな」

「参考にはならないですよ」


 言わなきゃ、と思ってもいざ口に出そうとすると緊張してきたので、手を動かしてそれをほぐそうと試みた。

 ヒナトの性質上あまり作業中にものを考えないほうがいいのだが。


 やかんに水を入れて火にかけつつ、棚からコーヒーの粉と茶葉とココアの缶を取り出す。


 基本的にいつも同じものを使っているだけなのだが、エイワからすれば迷いのない動きに見えたらしく、慣れてるなあみたいな感嘆の声が聞こえてきた。

 茶葉を出すだけなら誰でもできるってすぐにわかるよ……とヒナトは内心ちょっと切なかった。


 しかし一度タニラに習ったこともあり、最近はさすがにヒナトも少しは上手くなったのではないかと思う。


 そういえばソーヤからの批評を最近聞いてない。

 まずいと言われていない、と考えるとやっぱり成長できているような気もするが、欲を言えば褒め言葉を聞きたいところだ。

 旨いまでは無理でも、前よりよくなったとか、そんな感じでいいから一言欲しい。


 とかどうとか考えながら粉類を量り終え、湯が沸くまで手持無沙汰になってしまった。


 意識を集中しておける場所がなくなったヒナトの視線は再びエイワへと戻ることになり、彼が几帳面にもヒナトのやりかたをメモしているのを見て無性に申し訳なくなりつつも、思考はソーヤの件について翻った。


 今ここで言うか、言わないか、いや、やっぱり言うべきか。



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