File-7 眠れるオペラ
何かが足りない
data_150:ソーヤの目覚め
どうやら長く眠っていたらしい。
深いところからゆっくりと浮上していく意識の中で、彼はぼんやりそう思った。
その感覚は、例えるならエレベーターに乗って、地下深くから遠い地上を目指しているようだった。
少しずつ身体から気だるさが引いていくのがわかる。
なんだかとても、温かい。
心地よい目覚めのあとに目にしたものは、暗闇に浮かぶ緑色の光だった。
前にも見たことがある。ここを知っている。
もぞもぞと腕を動かすと、肘がなにか硬い感触にぶつかった。
少しして、線状に光が差し込む。
蓋が開いていく──ここは植木鉢の名を持つ休眠装置の中だ。少し近未来的なフォルムが特徴的だからすぐにわかる。
ここに入るのは休眠以来だから四年ぶりになるが、そもそもどうしてこんな場所で寝ていたのだったか、どうにも寝惚けて思い出せない。
とにかく蓋が完全に開いたのを見て、彼は身を起こした。
植木鉢はひとつずつ簡素な壁で仕切られているが、その壁と装置との間の決して広くはない空間に、見知った少女の姿がある。
彼女もこちらを見ていた。
眦がわずかに紅く染まっていて、たぶん一時間かそこら前まで泣いていたのだろうとわかる。
「……心配かけて悪かったな」
そう声をかけた。
喉が渇いてカラカラだったが、なんとか声はかすれることなく紡げたように思う。
脚が問題なく動くのを確かめて、植木鉢から降りる。
以前は年単位の長い休眠だったために目覚めた直後はまともに歩けもしなかったが、今回はそんなことはなく、多少ふらついたが転んだりはしなかった。
なのに彼女ときたら、不安げな表情を隠しもせずに手を伸ばして彼を支えようとするのだ。
「大丈夫だって」
「でも」
「そういやおまえ一人? あいつは」
一人足りない。
そう思って開いた口から、一瞬名前が出てこない。
ちょっと焦りながら、できるだけ彼女には笑いかけるようにして、静かに息を吐く。
──落ち着け。大丈夫だ。しっかりしろ。
今度は何も問題などないはずだからと己に言い聞かせながら、言いかけた続きを喉の奥から引きずり出した。
「あいつ……エイワは、一緒じゃねえのか。珍しいな」
「ううん、さっきまでいたよ……ニノリくんに呼ばれて戻ったの……ねえ、ソーヤくん、今度は何も忘れてないんだよね……?」
「ああ、──大丈夫だよ。だからそんな心配そうな顔すんなよ、タニラ」
泣きそうな顔を見せられるのは、辛いから。
それからすぐにラボの人間が来た。
タニラとは一旦そこで別れ、ソーヤは医務部であれこれ検査を受けることになったが、植木鉢の中で休眠していたなら仕方のないことだろう。
前も似たような感じだったし、むしろ今よりもっと長い時間拘束されてほんとうに辟易したものだ。
けれど、ふと思う。
前は一緒に誰かがいたような気がする、もちろんそんなことはありえないのだが、なぜかどうもそのように思えてならない。
もしかしてまた何か忘れてしまったかとぞっとしながら、ソーヤはひととおりの検査でよい結果を収めることができた。
数多の体調不良の一切がきれいさっぱりクリアされている。
身体も軽いし、時間が経つほどに筋肉の感覚も戻ってきていたので、そのまますぐにオフィスに顔を出しにいけたくらいだった。
もちろん今日はもう仕事はしないが、とりあえず起きたことを報告するために。
扉が開く。
まず振り向いたのは眼帯がトレードマークの副官で、彼はソーヤの顔を見るなり、なぜか泣きそうな顔をした。
おかえり、と小さな声で言う、そのくちびるがわなわなと震えている。
そんなに感動するほどかよ、と揶揄いたい気持ちになったが、今日くらいはやめてやろう。
たまには喧嘩しない日があってもいいはずだ。
それからソーヤは秘書を見た。
秘書もまたこちらを見る。
うぐいす色のまんまるの眼がこちらをじっと見ているのが、なんだか妙にくすぐったかった。
「おかえりなさい」
「おう。俺がいない間ちゃんとやってたか?」
「当然です」
秘書は憮然として言った。
もちろん彼女のこともきちんと覚えている。ソーヤは何も忘れたりなどしていない。
班長たる己を補佐する唯一無二の秘書の名は、そう──。
「ミチル」
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