data_149:そしてXXXは眠りについた

 握った手が冷たい。

 悲しいくらい、そこには少しも力がこもっていない。

 

 どんなに願いを込めて握っても、今の彼は、握り返してはくれないのだ。


「……ソーヤさん。あたし……」


 そう言いかけたところで、いくつもの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえたので、ヒナトは顔を上げた。

 この部屋にはドアが複数あるけれど、そのうちヒナトが来たのと同じ廊下に繋がっているほうが開いて、そこから見知った顔たちが続々とやってくる。


 ワタリ。そして彼からの連絡を受けたのであろう、タニラとエイワ。

 彼らの背後にはリクウの姿もあったが、彼はあくまで案内役なのか、中には入ってこなかった。


 真っ先に駆け寄ってきたのはタニラで、もう彼女の大きな瞳には涙が溜まっている。


「ソーヤくん! ソーヤくん……!」

「……タニラ」

「どうして……どうして、こんな……ッうう……」


 肩を揺すり、名前を呼んでも、ソーヤは眼を醒まさない。

 わかっていてもそれを確かめずにはいられなかったのだろう、そうして泣き崩れたタニラを、隣でエイワが支える。

 彼もまた悔しそうに眼を赤くして、歯を食いしばっているのがわかる。


 ひとりだけゆっくりと歩いてきたワタリは、しかしソーヤの傍にはこなかった。

 たしかにこちらに向かって歩いていたその足を、途中でふいに強張らせたかと思うと、そのままそこで立ち止まってしまったのだ。

 まるで誰かに引き留められたか、あるいはそこに見えない壁でもあるように。


 室内には悲しみが満ちていた。

 とくに親しいソアが集まっているとはいえ、たった四人だけでこんなに沈んでしまうのだから、GHの全員が集まったらきっとヒナトは溺れてしまう。


 正直もうすでに、息をするのも億劫だった。


 握ったままのソーヤの手を、離そうと思っても、指が上手く動いてくれない。

 別れがたく名残を惜しんで震えているそれが、なんだかもう自分の一部ではないような気さえした。

 手首から先を切り落としてここに残せたらいいのに。


 それでも、ヒナトは、前に進まなければいけない。

 やるべきことがあると、知っているから。


「……ワタリさん」


 歩み寄って名前を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを見る。

 ひとつきりの彼の眼はじんわり紅く染まっていて、けれどそこから涙は零さずに、ただじっと感情を堪えているような眼差しだった。

 ヒナトは正面からそれを見つめて、息を吸う。


 心臓がきりきりと痛んだ。

 ソーヤの一挙一動に舞い上がって痛むのとはぜんぜん違う、苦しいだけの心痛を知って、ようやく悟る。


 ああ、あれはやっぱり良いものだった。

 甘くて幸せな痛みだった。

 だからヒナトはたしかに恋をしていたのだ、間違いなく、最初で最後の素敵な初恋だった。


「あたしが言うのもなんですけど、ミチルのこと、よろしくお願いします」

「……ヒナトちゃん……?」


 ワタリが目を見開く。

 振動でまつげの端に載った小さな雫が、ぽろりと落ちた。


 けれどヒナトはそれには構わず、一度振り向いて彼らを見た──眠り続けているヒナトの王子さまと、傍で泣きじゃくるその友人たちを。

 ほんとうは何か言おうかと思っていたが、やめた。

 わざわざヒナトが頼まなくても彼らがソーヤを放っておくはずがないと、その姿を見て思ったから。


 そしてヒナトは歩き出す。


 扉の外へ。

 行くべきところへ。


 そこで立ち尽くしていたリクウはたぶん、ヒナトの考えていることを知っている。

 それでこんな顔をしているのだろう。

 優しい人なんだなあと、ヒナトは思った。

 それがちょっと嬉しかった。

 そして少し悲しかった。




 ・・・・・*




 その日、僕らは大切な何かを失った。




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