data_148:電話②

 何かとても嫌な感じがする。

 医務部ということはソーヤに何かあったに違いないし、リクウの雰囲気からしていい知らせでないのは明らかだろう。

 いますぐ走っていきたい気持ちをぐっとこらえ、ヒナトは静かに息を吐く。


 ──落ち着いて、やることを、ちゃんとやる。


 深呼吸してからあたりを見回すと箒が転がったままだった。

 そういえば掃除の途中だったなと思い出し、とりあえず拾ってみたものの、手が震えてとても掃き掃除などできそうにない。

 諦めて箒を用具入れにしまったところで、背後で扉が開く音がした。


 振り向くとワタリが、何も知らないようすで穏やかな笑みを浮かべて言った。


「おはようヒナトちゃん。今日も早いね、ごくろうさま」

「ワタリさん……あ、あの、ついさっき電話……、医務部から、電話があって……折り返してって……」

「……え?」


 冷静に伝えようとしたけれど、舌がうまく動いてくれなかった。

 それでもなんとか意味が伝わるように必死に言葉を並べる。


 ワタリはひとつしかない彼の蒼い眼をきゅっと見開いてから、わかった、と小さく頷いて、電話のところへ歩いて行った。

 内線のボタンを押している白い指が、かすかに震えているのがわかる。

 彼と、恐らくその受話器の向こうにいるリクウのやりとりを見守っていると、ミチルもやってきた。


 さすがにようすがいつもと違うのを察したらしく、ミチルはドアのところで足を止めて怪訝な表情をしている。

 何かあったのかとヒナトに尋ねてはくれなかったけれど、どのみちまともに答えられそうにはないから、ヒナトも声をかけずに黙っておいた。


 しばらくして、ワタリが電話を切る。


「……ソーヤ、意識がないらしい。今朝から眠ったまま起きないって」

「そんな、……それって、その、……つまり……すごく悪いって、ことですか」


 ワタリは悄然として頷く。


「だから今日一日は自由にお見舞いに行っていいよ。……今のは、そういう連絡だった。

 あと……他の班にも、伝えないと」

「あ、あたし……医務部行っても、いいですか」

「うん。僕も電話が終わったら行くよ」


 冷静を保とうとしている。けれど、声が、顔が、手が、震えている。

 ヒナトもワタリも、たぶん泣きたいのを堪えているのはどちらも同じだった。


 扉の前ではミチルがこちらをじっと見ている。

 そしてヒナトが目の前まで行っても、彼女はすぐに退こうとはしなかった。

 けれど浮かべた表情はあの嫌な笑みでも、いつものような不愛想な真顔でもなく、どこか不安げに見えたのはヒナトの気のせいだろうか。


「……通して」


 そう言うと意外にすんなり退いてくれた。



・・・・・



 冷たいエレベーターに運ばれて六階に着いたヒナトは、まっすぐに医務部を目指す。

 自然と脚は早歩きになり、けれどすれ違う職員たちが一言も注意しようとはしないのは、彼らもこちらの事情を知っているからだろう。


 扉を開ける。

 すぐにリクウが出てきて、そしてヒナトをいつもの病室とは違うところに連れて行った。

 もっと奥の、今まで行ったことがないところへ。


 少し薄暗い部屋にソーヤはいた。

 ベッドごと運ばれたようだが、たくさんの機械に取り囲まれているので一瞬そうとわからないし、彼自身もまた、たくさんの管や何かごちゃごちゃとわからないものに全身を繋がれている。


 機械のディスプレイが赤い文字で何かを表示している。

 そこに何と書かれているのかわからないことを、ヒナトは正直ありがたいとすら感じた。

 具体的に何がどのように悪いのか、もしもきちんと把握できたとしたら、きっとヒナトはそれを受け止めきれなくてこの場で潰れてしまう気がするから。


 とにかくソーヤの傍にいく。

 管を引っ張らないように気をつけながらも押しのけて、枕元に立って見下ろすと、彼の顔はぞっとするくらいに真っ白だった。


 いつか見た、フーシャの死に顔にそっくりだった。



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